田舎で育った人間にとって東京は大都会だ。
大阪は自分が育った西日本の田舎の延長線上にあるけれど、東京は未知の世界、異国。
首都圏に住んでいる人がニューヨークに住む感覚に近いのでは、と思う。
TVの刑事ドラマやニュースで見る世界。
日々、殺人事件が発生する犯罪の巣窟(注)。
そんな東京に飛び込んだ田舎モノの私が経験した、かれこれ30年以上も昔のお話。
(注)刑事ドラマやニュースしか情報ソースがなかったため勝手にそう思い込んでいただけ。
怒りの沸点までの時間が短いということ。
(おっかねぇな‥)
(俺も怒られるのかなぁ‥)
「『問題点ファイル』って何だ?」
と、突然、背中越しに野太い声が聞こえる。
振り返ると、自分の真後ろにその赤鬼が立っている。
(わっ!‥)
「いや、自分の視点で問題だと思っている点を整理したものです‥」
「そうか‥」
赤鬼は会社の汚点となり得る情報を誰にでも見える机の上に置いておくのはいかがなものかと思ったらしい。と同時に、私がその問題を誰にも相談出来ずにいるのではないかとも感じたそうだ。
(それにしてもいきなり背後から闇討ちとは)
それからというもの、赤鬼は何かあるたびに、
いや、何もなくても、よく声をかけてくれた。
ある時など、
「ちょっと来てくれ‥」
と赤鬼が呼ぶので、彼の席まで行った。
すると、赤鬼から、
「窓のブラインドを上げてくれ」
と言われた。
(いやいや、自分でできるでしょ?)
そう思ったが、きっと何か話をするきっかけを探していただけなんだろう、と思った。
その証拠に、その時、
「お前、行き付けの店はあるのか?」
と聞かれた。
東京にやっと慣れ、仕事にも少しだけ慣れた田舎者が「行き付けの店」を作るほどの精神的余裕などあるはずがない。
「ないです‥」
そう答えると、
「わかった。」
と答えると、それからというもの、仕事終わりに飲みに行くと、赤鬼はお店で必ず私を持ち上げ、お店の人に顔を覚えさせようとする。
そして、それは飲みの場だけでなく、ランチのお店でも同様だった。
どこからどう見てもお偉いさんにしか見えない赤鬼。(こんな平社員がいたらコワイ)
その赤鬼に可愛がわれている私はお店の人から見ると「有望株」に見えたに違いない。
もちろん、それが狙いではあるが‥。
一方、風貌とは裏腹にお酒がとても弱い赤鬼はすぐに顔が真っ赤になり、時間とともに更に赤鬼感が増す。
そして、ご機嫌になると、赤ちゃんのような笑顔でゲラゲラ笑い、いつも私にこう伝える。
「飯食うのも勉強。女口説くのも勉強!」
「全て勉強。俺は嫁さん一筋だけどな」
‥‥(ガハハハハ)‥‥
そして、その舌の根が乾かぬ内に、
「俺は嫁さんのテリトリーでは絶対に浮気をしない。コレだけは強く自分に課している。お前も礼儀として、それだけは絶対守れ!」
と、まだ、嫁さんも貰っていない私に対して有り難くも矛盾溢れるお言葉をくれるのだった。
言葉のチョイスは別にして、赤鬼からは人に対する愛情が溢れており、言葉としても未だに自分の人生訓となっている。
一夜明け、会社に出社した。
すると、フロア中に響き渡る野太い大きな声で
「原理、原則!」
と、叫んでいる赤鬼の声が聞こえてきた。
そして、私だけかもしれないが、何故かその後に、「ガオ〜、ガオ〜」という怪獣のような
雄叫びが聞こえたような気がした。
赤鬼がなぜ、そのようなことを言うのか?
それは「基本」が出来ていない、もしくは認識出来ていない組織や人が不用意にイレギュラー対応をすることの恐ろしさを赤鬼はよく知っているからだろうと思った。
実際、赤鬼自身も親会社時代、決して「原理、原則」だけで進められる仕事はしていなかったようだ。というよりも、どちらかと言うと、上場会社の総務部長として、言うに言われぬような仕事の方が多かったと聞く。
しかし、そんな環境の中でも自分として絶対に譲れない、譲らない確固とした基準、超えてはならないボーダーというもの自分で課し、それを必死で守っていたのではないかと思った。
しかし、それは人間が持つ弱さと背中合わせのとても困難な作業だ。
赤鬼が持つ厳しさ、人としての優しさはそういう所から来ているのかもしれないと思った。
バブルの余韻が完全に消えてしまった社内では玉石混交のビジネスの割合が増えてきた。
そして、時間の経過と共に「石」の方のビジネスのメッキが剥がれ始めた。
それは売上減少や売掛金の入金遅延、最悪は売掛金の不良資産化という形で現れる。
そのうちの一社の売掛金が不良資産化しそうになってきた。それも、結構な額で会社としてもかなりのダメージとなるものだ。
ある時、その案件を含む不良資産案件の対応方針確認のため、赤鬼が社長室に入っていった。
5分後、社長室から赤鬼の大きな声。
「あなたは馬鹿だ!」
(赤鬼の声‥。)
(ということは今の言葉は社長に浴びせた言葉になる。)
(おいおい、大丈夫か‥?)
間もなく赤鬼が社長室から出てきた。
いつもにも増して顔が真っ赤だ。
「アイツはダメだ!」
そうかもしれないが、社長をバカ呼ばわりして大丈夫なのか?
怒りが冷めきらない赤鬼は、
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪い!」
と、社長室を出た後も吠え続けた。
そして、
「上官が戦っている時に下官がいないとはどういうことだ?」
「戦場だったら敵前逃亡罪で銃殺刑だ!」
と、戦争に行っていないはずなのに、恐ろしい例えで更に吠える。
自分はたまたま残業中だったが、事情を知らない他のメンバーにとっては、「そんなこと言われても‥」という感じだろう。
とはいえ、赤鬼の言わんとすることはわかる。会社のために、正しいと思うことを自分の立場も省みず正々堂々と社長に直談判したのだ。
赤鬼の判断は正しいし、最終的には赤鬼の意見が採り入れられ、その身体を張った対応が結果的に会社の危機を救ったのだ。
心配なのは、社長をこき下ろした赤鬼の処遇だが、こういう性格なので、敵も多いが味方も多い。
味方は、自分もそうだが、人として赤鬼のことが好きだし、尊敬しているので、こんな時は赤鬼の味方が現れる。
今回は親会社の社長が間に入って収めてくれたため、事なきを得た。
私も大好きな赤鬼が左遷されなくてホッとしたものだった。
ある時、赤鬼が
「ちょっといいか?」
と私を呼ぶので、
(またブラインドか、雑談か?)
と思っていた。
「海外支店のパトロールを強化しようと思う」
「コイツと2人で支店を回ってくれ!」
と、以前香港支店に駐在していた6個上の先輩に付いて海外支店へ行くことになった。
またしても、新たな仕事。
このあと海外支店周りが始まる。