田舎で育った人間にとって東京は大都会だ。
大阪は自分が育った西日本の田舎の延長線上にあるけれど、東京は未知の世界、異国。
首都圏に住んでいる人がニューヨークに住む感覚に近いのでは、と思う。
TVの刑事ドラマやニュースで見る世界。
日々、殺人事件が発生する犯罪の巣窟(注)。
そんな東京に飛び込んだ田舎モノの私が経験した、かれこれ30年以上も昔のお話。
(注)刑事ドラマやニュースしか情報ソースがなかったため勝手にそう思い込んでいただけ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240604/07/piro-haru-nao/e1/c4/j/o0511034015447218246.jpg?caw=800)
僕の新橋LIFE(その6)
サラリーマンへの道(その1)
憧れのMartin D-18。
20万円以上もする高価なギター。
初めて使ったクレジットカード。
24回の分割払い。
社会人になった実感。
そして、経済的自立は精神的自立を促すことを感じた。
マドンナから勧められた簿記の講義は終わり、最低限の約束である簿記3級も取得することが出来た。
そして、本格的な仕事がスタートした。
最初の仕事は海外支店の決算補助と外為、つまり、外国為替に関する業務だ。
想像もしていなかった経理部という配属先。
「なんで、俺、経理部なんですか?」
と人事に聞いてみた。
すると、人事担当者からは
「海外に絡む仕事を希望されていたので‥」
という回答だった。
自分でも忘れているような私の言葉を真摯に汲み取ってくれていたのだ。
(たまたま受かったような俺みたいな人間のために‥)
本当に有り難かった。
当時、外為(外国為替)は三菱銀行と合併前の東京銀行と取引をしていた。外為取引とは、外貨(例えばドル)を円と交換する取引のことを言う。
ニュースなどで見る、1ドル=150円とかというのは、その交換レートのことだ。
ミカン=150円だと、当たり前だが「ミカン」1個が150円なのね、と理解出来る。
ここで、「ミカン」を「ドル」に置き換えると、
1ドルが150円なのね、とはわかるものの、不思議とお金とお金の交換になると、なんとなく円安、円高というような言葉も相まって複雑怪奇な感じがしてしまう。
当時、会社の取引は輸出が多かった。
輸出というのは日本から海外の顧客に対して製品やサービスを売ることだ。
輸出取引の場合、代金がドルで振り込まれることが多い。そのため、代金の入金予定日にそのドルを銀行に売り、その対価として銀行から円を貰う約束をするのだ。
この約束のことを(ドル売)為替予約という。
簡単に言うと銀行との間でドルと円の交換をする、ということだ。
そうすると、ドル建ての売上高が円建ての売上高になり、結果、円建ての原価との差額の円建て利益を確定することが出来る。
これが為替予約の基本的な目的だ。
輸入取引の場合はこの逆。
支払をドルで行うので、支払するタイミングに合わせて円でドルを買う為替予約をするのだ。
そうすると、円建ての原価が確定し、円建ての売上高との差額の円建て利益を確定させることが出来る。
ちなみに1ドル=150円が160円になれば円安、逆に140円になれば円高と呼ぶ。
150円が160円になったのに、なぜ円安と呼ぶのか最初の頃はよくわからなかった。
とりあえず「そういうもんだ」と覚えた。
しかし、よくよく考えてみると、円安というのは、円が安くなると言っているわけだから、円を基準にした表現。
一方、1ドル=150円というのはドルを基準にした表現だ。
そのため、ドルを基準にした表現にするならば、当然、ドル高もしくはドル安というべきなのだ。
もし、円安、円高という表現にしたいのであれば、1円=1/150ドル(0.00666ドル)のように円を基準にした表現にすれば良い。
そうすると、1円=1/150ドル(0.00666ドル)が1円=1/140ドル(0.00714ドル)というは表現になるから、円高になったんだいうことは容易にわかる。
こんな単純なことなのに、そんな理屈は誰からも教えて貰うことはなかった。
「そういうもんだ」と覚えるからだろう。
まるで、簿記の借方、貸方の意味はわからないが、「そういうもんだ」覚えればイイと教えられる。
自分は「借方って‥?」と考え始めると、理解するまで前へ進めない。
「そんなこと、わからなくても大丈夫だから」
と言われても、不器用な俺はいちいちそこで立ち止まって考えていた。
しかし、この不器用さは効率的ではないものの、物事を深く理解しようとすることには役立った。そして、その不器用さがあったからこそ、長いサラリーマン生活の中で様々な場面で地道に勉強をすることに繋がっていったようにも思う。![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240607/22/piro-haru-nao/e9/a7/j/o1080108015448686163.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240607/22/piro-haru-nao/e9/a7/j/o1080108015448686163.jpg?caw=800)
経理知識ゼロから、マドンナとの約束の簿記3級に合格し、仕事では疑問にぶつかるたびに、ひとつひとつそれを解決する地道なコツコツスタイルでサラリーマンとして道を歩み始めた。
そして、会社や上司、仲間はそんな俺を暖かく見守ってくれていた。
海外経理、外為は3年間担当させてもらった。その後は財務の仕事をすることになった。
財務というのは、現金、小切手、約束手形の発行や管理、預金管理等を行う仕事だ。
なかなか神経を使う。
この頃になると、社会に少しだけ漂っていたバブルの余韻も全く消え失せていた。
一方、世の中は未だに売上高至上主義という魔物から抜け出せずにいた。
結果、社内の一部では売上高を追い求めて、玉石混交のビジネスを新たに開拓し始めた。
輸入ビジネスもそのひとつだ。
輸入取引は支払先行の取引となることが多い。
そのため、売上代金が入金する前に支払が発生する。
輸入取引が拡大すると、無借金経営だった会社は一転して、銀行借入を増やしていった。
従来は入金が先行していたため、資金に余裕が
あり、資金の流れの理解は大雑把でも影響はなかった。しかし、銀行からの借入を行う場合、余計な借入をすると、余計な利息を支払うことになる。そのため、正確に資金の流れを掴むことが必要となった。
それを実現するために全社全体を巻き込んだ会議を開催し、正確な入金、支払のタイミングを把握する必要かあった。
簿記3級を取ったばかりの私が、である。
もちろん、暖かく見守ってくれる仲間や上司の協力があってのこと。
実は、この頃から私の波乱万丈なサラリーマン生活の幕が切って落とされていたのだ。
そのことを後から知ることになる。
財務の仕事は神経を使う。
現金や手形等の「現物」の管理もそうだが、支払手形の決済用資金移動や代金支払のための預金残高管理にはそれ以上の神経を使う。
会社が潰れる直接的な原因は製品やサービスが売れなくなるからではない、銀行を介してお金が支払えなくなるから潰れるのだ。
銀行取引が停止すると会社は潰れるのだ。
「手形の不渡り」というのは支払手形発行後、約束の期日に手形額面の資金を準備できなかったた時に起こるのだ。
そんな重大な業務の鍵を自分が握ってしまったのだ。
ある時、
「お腹痛〜い‥」
診療所に行った。
「胃カメラで検査しましょう」
当時は鎮静剤注射などなく、シロップ状の麻酔液のみで喉を麻痺させ、胃カメラを飲み込むという方法が採られていた。
なので、胃カメラを飲み込む時には意識は当然あるし、麻酔の効果も限定的。
だから、超キツイ。
「オェッ〜、オェ〜ッ‥」
両目からは止めどなく涙が溢れてくる。
悲しいからではない、苦しいからだ。
カメラが胃にコツコツ当たっているのもわかる。
三十年経っても、まだ、その感覚を思い出せる程、鮮明な記憶だ。
とにかく、苦しい。
「胃潰瘍です。だいぶ治ってますけど」
「‥‥‥」
そんな波乱のサラリーマン生活の幕が切って落とされた頃、マドンナが結婚するという噂がどこからともなく聞こえてきた。
「エーーーっ!?」
「まぁそりゃそうだよな。美人で優しいし‥」
しかし、その相手が親会社の人間で、しかも、私と同い年ということを知った途端、
「なーーにーー!!!」
と血液が逆流した。
「ワンチャン、俺にも可能性があったのか?」
と思った。
しかし、同い年の人間なんて星の数ほどいる。
それだけでワンチャンあると考える事自体おこがましい。
当初、自分が感じていた通りの都会の洗練された女性と垢抜けない田舎者。
「月とスッポン」で釣り合うはずがない。
だから、そもそも、ノーチャンスなのだ。
マドンナから仕事を教えてもらっていた毎日はホントに楽しかった。
日々、マドンナの言葉や表情に一喜一憂した。
だから、結婚の話を聞いたときは、大事な人が何処かへ行ってしまう、そんな淋しさや悲しさで心が一杯になった。
ただ、周りを見渡すと、ショックを受けているのは私だけではなさそうだ。
周りの男どもの表情が一様に暗い。
(みんなのマドンナだもんな‥)
(元々、どうこう出来る人ではないのだ)
そう自分に言い聞かせ、マドンナへの気持ち断ち切って行った。
次に担当した仕事は、その輸入ビジネスを含む会社の中で最も取引規模の大きい営業部門の管理業務。その部署でビジネスに関連する管理業務は全て一気通貫して自分の仕事となる。
その部署の書類に目を通してみると、表向きは一見、整然としているようにも見えるが、本質的な部分には大きな問題を抱えているような気がしていた。
そして、いつも通り、地道に自分なりに課題を整理し、ファイルに綴じていった。
この頃、親会社で「瞬間湯沸かし器」と異名を持つ方が我々の上司になることが決まった。
異名も怖いが、見た目も中々のもので、目がギョロっとしていて、怒ると顔が真っ赤になる。まさしく赤鬼のような風貌。
しかし、この赤鬼が私の仕事と人生の師匠となるのてある。
(つづく)
(つづく)