お菓子な言葉

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お菓子、写真、そして言葉

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 初めてIMAXを体験しました。

「ボヘミアン・ラプソディー」を見てきました。

「ボヘミアン・ラプソディー」は一般ロードショー初日に普通のシネコンで見ていたのですが、今年最後にもう一度見たい、もう一度見るならIMAXで、と行ってきました。

 

 

 クイーンが結成されたのが1970年。大阪万博に続き1970年です。でもこの頃、まだ私はクイーンを知らず、彼らを知ったのは、1974年だと思います。その頃、EL&P、YESなどブリティッシュ・ロックに夢中になっていた私は、音楽誌ミュージックライフの熱心な読者でした。だからミュージックライフで初めてクイーンを取り上げた頃に注目し始めていたと思います。

 

 来日コンサートにも行き、関西のファンで作ったファンクラブにも入っていました。が、私のクイーン熱は今思うとそんなに長く続かず74年から76年ぐらいまで。77年に発売された「世界に捧ぐ」も買った覚えはありますが、多分その頃はもう熱心なファンではなかったと思います。

 

 

 だけどその後もドラマやCMでフレディー・マーキュリーの声が聞こえる度に耳を傾けてはいました。RADIO GAGAや晩年のSHOW MUST GO ONもレコードは持っていないけれど、知っている、不思議なグループです。

 

 クイーンファンだった頃、私は知的なブライアン・メイが好きでした。でもフレディー・マーキュリーの神秘的な魅力には惹かれていました。彼がゲイだったこともかなり早い段階からファンの間では周知の事実だったのでは。HIV感染も公表の前から知っていたような気がします。

 

 ボヘミアン・ラプソディーの公開は心待ちにしていました。

初回見て、後半はずっと泣いていました。私にとってフレディー・マーキュリーはいつも自信満々のスーパースターだったのですが、こんな面を抱えていたんだという驚きとそして仲間たちの素晴らしさ、素敵でした。

 二回目を見て、IMAXの大きな画面、迫力ある音、まるで初めて見る映画であるかのように、ずーんと心に響きました。

 

 

 1970年から1991年までを駆け抜けたフレディー・マーキュリー。その間、私は何をしていた? 小学生が成長し、恋をし、子供を持ち、91年には今の仕事を初めていた。十分長い時間だったのか、あっという間だったのか。

 

 今も日本を愛していてくれるブライアン・メイ。もちろん監督ではないけれど、この映画の製作には力を尽くしたとか。フレディー・マーキュリーへの愛をしっかり感じました。

 

 今年は振り向くつもりではないのに、振り返る機会を作ってくれるものが多い一年でした。

 

 

 2025年に大阪で再度万博が開かれることが決まって約1ヶ月が経ちました。決定の時をテレビの前で待ち、決まった瞬間「やった!」と。コンセプトが広く知られていないとか、交通手段をどうするかとか、カジノと絡めてどうするかとか、疑問点も満載でしょうが、私はただただ素直に嬉しい!と感じました。

 

 盛り上がっているのは1970年の前回大阪万博を覚えている世代だけだなんて言われてもいます。私はまさにその世代。

 小学生だった私は、当時大阪に住んでいたこともあり、十数回会場に足を運んだようでうす。自分でも10回以上という記憶はあるのですが、正確な回数は覚えていません。今でも母が話すには「参加国の国旗をすべて覚えていた」ということ。でもね、小学生ですもの、2・3歳ならまだしも覚えても自慢にはならない年齢なのですけど。

 万博の話をする度に書いていることですが、1970年の大阪万博は私の子供時代と思春期時代を分けるイベントでした。この時まで私は親の愛情に何の疑いも持たない、社会の矛盾にも気づかない、ぬくぬくと幸せに育った子供でした。この後から、親への、社会への様々な矛盾に気づき、地団駄を踏んでもどうしようもできず、苦しい時代が始まりました。

 幸せな子供時代の最後の数ヶ月を私は大阪万博と共に過ごした、だからこそ、大阪万博は私にとって特別な存在なのです。

 

 もちろんよく言われる「今普通になっているものが、この万博で初めて具現化した」ものとの出会いの驚きもたくさんあります。その中でも食いしん坊の私はアメリカンドッグを初めて食べた時を忘れられません。

 

 今年初めから、太陽の塔内部が一般公開されることが発表されました。それに先立つ公開にも応募していたのですが、抽選に外れ、行くことができなかった私は、絶対行きたいと。

 夫と一緒に行ける時ということで、夏休み時期を予約したのですが、私の入院手術でキャンセルすることに。そして年末ギリギリ、なんとか行くことができました。

 

 たまたま秋にあべのハルカスで開催されていた「太陽の塔」展で気分を盛り上げ、続いて上映された映画も見て、もう心は太陽の塔でいっぱいに。そしてようやく太陽の塔内部に入ることができました。

 

 1970年の大阪万博時、私は太陽の塔内部に入ったのか入れなかったのか、記憶が曖昧です。曖昧だということは入っていないのだと思うのですが、内部は覚えていなくても、屋根の上の様子は覚えているのです。ハルカスの展示にあったような1階の記憶もまったくないし・・・。

 

 初内部としましょう。思っていたより狭かったです。あれっ、こんなはずでは、という感覚が強く、ということは今より小さかった私にとっては広いところであったのかもしれません。ということは、入った?

 

 ま、どちらでも良いとしましょう。

岡本太郎さんの現したかった自然と人間、生命と地球、そして地球と太陽、感じられた・・かな?

 

 太陽の塔を後にして、公園内のEXPO'70パビリオンにも入りました。こちらも懐かしいものがいっぱい。

ほぼ同じ年の夫と一緒だったのですが、私ほど大阪万博に思い入れのない夫は単純に懐かしな、ぐらいで感慨などはなさそうでした。

 私はやはりこの時自分はどうだったのか、この後どう生きてきたのか、万博は私にとってなんであったのか、考えれば考えるほど、胸が熱くそして苦しくなります。

 

 過去を振り返ることはよくありますが、どの時代であれ、あの頃に戻りたいとは全く思いません。もし今の知識や知性を持って過去に帰ることができるなら帰ってみてもいいけど、また同じおバカに戻ってやり直すのはまっぴらです。

 1970年の後、悩み苦しみ試行錯誤したから今の私があるのです。もっとも社会的には大した人間ではありませんけどね。

 

 2025年、おそらく生きていると思います。また何か私の人生で区切りになるようなイベントとなるのでしょうか。1970年に心躍らせたようなものを2025年の万博は見せてくれるのでしょうか。

 しっかりとこの目で確かめたいと思います。

 

 

50代、現在進行形の話です。

 

40代のダイエット後、お世話になった施設へ、続けてではないのですが、休み休み通っていました。

50代になって、また股関節が不調に。

 

最初の手術の時、20年ぐらいで再手術になる可能性が高いと言われていたので、ちょうどその時間が来たのだと思います。

手術後のリハビリや復帰に備えて筋トレ、さらにしっかりしなければと施設通いも真面目に再開。

痩せてとまではいきませんが、ほどよい体重、ほどよい体型になって、入院手術を行いました。

 

1ヶ月ほど入院し、退院後は、かなり早い時期からまた施設へ通って、体力作りを続けました。

 

 

が、どうしたことでしょう。

なんとなく食べすぎてしまって体重が増えると、施設での体重チェックが嫌で休む、休むとまた食べちゃう、なんてことの繰り返しに。

 

その頃、息子が自立、結婚し、肩の荷がおりたこともあり、なんだか全てに緊張感がなくなったのかもしれません。

 

息子の結婚まではそれなりの体重を保っていたはずなので、4年ぐらいの間にまた高校生の時の体重近くになってしまった。

 

股関節の痛みはましになったものの、今度は脊椎がしばしば悲鳴をあげることに。

友人たちも、痩せるようにと忠告してくれるけど、なかなか。

 

 

過去のダイエットを振り返り、きついダイエットをしている時、私は性格もきつくなり、周りに対する視線もきつくなり、嫌な人間になっていたような気がしていました。

だからもうこの年だし、見た目より、穏やかな人間でいたい、というのが痩せられない言い訳。

 

脊椎の痛みがかなりひどくなり、さすがの私も食欲が落ちてきました。痛み緩和のための通院をしながら、手術も前向きに考えることに。この間、4ヶ月ほど。その間にダイエットと意識しないのに5キロほど減量していました。

 

そして、入院し、手術することになりました。

その前の股関節手術も全身麻酔でしたが、手術後すぐ食欲もあり、元気だったのに、この時はくたくた。術後、食欲全くなし。

3日ほどでなんとか麻酔疲れからは復活できました。

食欲も戻ってきましたが、病院のご飯がおいしくないのです。

食事全体ではなく、白米が全く美味しくないんです。

 

おかずは全部食べるけど、白米は2口ほどという食生活を入院中続けたら、入院時より3キロほどの減量に。

糖質制限ダイエットになっていたのですよね。

 

入院中、体重についていろいろ思うこともありました。

整形外科の病室なので、同室の方たちも、命に関わるようなことはなかったのですが、介助してもらうにしても小柄でないと看護師さんたち、とても大変。小柄でも大変だけど、太っていたら、どんなに大変か。

 

これから入院するとしたら、今までみたいに3日後から自分の足で動けるということはできないかもしれません。そんな時、少しでも楽に看護師さんたちのお世話になるためにも痩せていなくちゃ、とつくづく思いました。

 

そして夫のことも。

いつも優しい夫ですが、入院中は私のいろいろな注文に面倒臭がることもなく応じてくれて、頻繁に面会にも来てくれて、感謝の言葉しかありません。

夫のためにも私が元気でなければいけないし、やはりぽっちゃりの夫の健康も私が管理しなければならない。家庭での食事はしっかり考えていかなければならないと強く思いました。

 

 

退院し、仕事に復帰するまでの1ヶ月ほど、今まで見なくても大丈夫だから、自信があるから、と買うことのなかった普通の料理本を山程購入。

(お菓子やパンの本、梅干しや味噌など超細部の本は買っていましたが)

研究というわけではありませんが、脱マンネリ、脱不健康な食生活を目指して、今までとは違った食卓に。

 

そして今、脊椎の痛みは順調に回復していますが、まだトレーニングはできません。

でも体重は退院時より順調に減り続けています。

当面、普通体重と言えるBMI25を切ることを目標にしています。

そうなる頃には、またトレーニングのために例の施設にも通えると思います。

 

今度こそ、本当に最後のダイエットにします!

 

 

 

 

 

 

40代になってすぐ父が逝ってしまい、介護でそれなりに忙しかった私は疲れていました。

仕事も職種は同じでしたが新しい職場に勤めはじめ、息子もそろそろ反抗期。

当時、博士号を取ろうと研究生活も続けていたので、きっと心はクタクタだったのだと思います。

やりがいのある研究、仕事に恵まれていたので、それらをこなすだけで精一杯。ダイエットなどに気も回らず、かなり太ってしまったかな。多分、高校生の頃に近いぐらい。

 

 

そんな私に同窓会のお誘いが。

高校の同窓会は公式のものは毎年卒業年を問わずの大規模なものが行われていましたが、それには行ったことなし。

私達の同期だけの同窓会が初めて行われることになったようです。

気乗りはしなかったけれど、行ってみました。

その中で、同じ中学校出身の人たちが集まり、中学校の同窓会をしようということに。

 

中学校の同窓会は確か大学生の頃、大学卒業して2〜3年目の頃にありましたが、その後はなし。それで久しぶりにしようということに。

 

同窓会のためにダイエットなんて、お恥ずかしい話だけど、このときのきっかけは同窓会だったと思います。

 

父の死から、グダグダになっていた体をなんとかしないといけないと思ってもいたし、良いきっかけだったのでしょう。

 

この時は、私の町にある、医師会関連のとあるジムに。

ジムとは言えないかも、健康を増進するための施設。

通っている人の年齢も高い。

リハビリを兼ねて通っている人もいる、というようなところ。

こちらには、40代50代を通して、何度もお世話になっています。

 

こちらで週3回ほど筋トレ、有酸素運動をしながら、3ヶ月ほど食事指導も。ちょうど流行っていたレポーティングダイエット、でしょうか。

 

それなりの時間をかけて、筋肉をつけながらダイエット。

 

同窓会当日には、かなりピシッとしたジャケットに体の線が分かるインナーを着て、かっこよく参加できました。

 

もう年も年だし、今度こそリバウンドしないで、この体型体重をキープしなければと強く決意。

頼れる施設もあるし。

と思ったのですけど。

20代に入ってすぐのダイエットのおかげで、楽しい大学生活、今も大切はパートナー、それなりの就職先、などを手に入れ、親の元を離れ、自立した私。

 

次は30代。

 

30代でダイエットしようと思ったきっかけは、股関節の疾患のため。

その少し前から、股関節が痛くなり、どうやら手術することになりそうだ、だけど関節はどこでもですが、体重を落とすことによって痛みを緩和でき、進行も遅らせることができるかも、では痩せましょう、ということで始めました。

 

その頃の体重はよく覚えていないのですが、結婚、出産、忙しかった仕事を辞めるなんてことがあった後なので、それなりに太かったのでしょう。

 

この時は、ダイエットスクールのようなところへ通いました。

今はなくなってしまった某大手百貨店の中に、そのスクールがあり、運動、食事指導などを受けていたように覚えています。

運動する時は、ピンク色のサウナスーツのようなものを着て、それがとても印象的。

 

それなりに痩せたとは思うのですが、股関節の状態がますます悪くなり、結局手術をすることに。

幼い息子を残しての入院は辛かったです。

体重減ったのに、足はちっともマシにならない、と退院後はダイエットへの意欲もなくなってしまいました。

 

ほぼ○十代で一回、かなり大幅なダイエットを行っています。

 

物心がついた頃から、ぽっちゃりしていました。

中学生頃からかなり太くなり、

おそらく高校生の頃が一番太っていたのでは。

 

私が子供の頃は、まだLサイズやLLサイズの可愛い服などなく、

私服の高校へ通っていた私は、ほとんど毎日、Tシャツにジーンズという服装。

胸が気になりだして来た頃からは、オーバーオールばかり履いていたかも。

 

10代はまだ成長期で、どんなに体重が増えてもダイエットを積極的にすることはできませんでした。

20代に入ってすぐ、当時私以上に太っていた姉の就職、婚活(当時はそんな言葉はありませんでしたが)などのこともあり、家族一丸となって姉を痩せさせなければ、ついでに私も、ということになったような気がします。

 

 

すでにいろいろなダイエットは流行っては廃れ、していましたが、私達はご近所の方が扱っていた健康食品を使いながらのダイエットを。サプリメントを大量に使っていました。

お金もかかっていたと思いますが、親が支払ってくれていました。

 

今、覚えているのは、かなり強烈な酢のようなものを飲んでから食事していたこと、サプリメントの一つに薔薇の香りのものがあって、それが好きだったこと。

食事に関しては何をどのように食べていたのかよく覚えていません。

 

でもそのかいがあり、姉も私もすっきりした体型に。

おそらく私はまだ今で言うBMIでは23〜4で標準体重ではなかったと思いますが、それでもすっきりして、おしゃれを楽しめる体型に。

 

もともと身長の高い姉もすっきり。

しばらくしてお見合いした方と無事結婚。

今も幸せに暮らしています。

 

私も、高校時代のようにおしゃれできない暗い生活ではなく、適度におしゃれをし、楽しい大学生活を送りました。

夫と出会ったのも大学時代。

私達も今も幸せに暮らしています。

 

食事のことは上記の通りよく覚えていないのですが、この初めてのダイエットでカロリー計算なども覚え、その後も役立っています。

 

 

20代のダイエットは、姉、私とも、その後何十年も連れそう伴侶と出会うことができた素晴らしい結果を生んでくれました。

 

 

8月に腰椎の手術をし、まだ完全に自由には動けません。

それでも手術前に感じていた歩くときの辛さ痛さは殆どなくなったため、ワンコ達との散歩も楽しくできるようになりました。

 

今日はたまたまとあるリフォーム会社さんが近隣の方対象でウォーキングセミナーを行われたので、参加してきました。

 

高の原のコスパで働くトレーナーさんのお話。

本当に基礎の基礎でしょうが、わかりやすく姿勢や歩き方について教えてもらいました。

 

 

一通りのお話や実践が終わった後、トレーナーさんに高の原のコスパに以前行っていたことや手術をしたことを話して、また筋トレを始めたい等々も伝えました。

あと3ヶ月コルセットがとれて、医者から完全に運動OKと言われたら来てくださいね、と。当然ですね。

 

少し前にあちらこちらで女性対象のサーキットトレーニングをしている某教室から誘いの電話がありました。今どき、電話で勧誘というのもなんですが、手術のこと、医者に言われたことなど話しても、とにかく来てください、試してください、って必死に勧誘。

 

それを考えると、コスパ、当然の良心的な対応。

好感が持てます。

 

多分、またメディカルならへ行くことになると思うけど、

私自身も2月からと思っていたので、2月までは自習でがんばりましょう。

セレモニージャパンでエンディングについて考えた翌日、終活カウンセラー山之口さんの主催するエンディングノートを綴る会に参加してきました。

今年の2月だったかな?に参加して、今回は二回目。

エンディングノートは前回購入し書き始めましたが、自宅ではなかなか書き進められないので、こういう会に参加して、参加者の方々とおしゃべりしながら書いていきます。

 

終活、そして死に関する書籍の情報交換も。

また死の手前、老後をどのように生きていくかということも、参加者みんなで語り合う。

 

私はかなり若い頃から尊厳死を考えていたり、死の間際、どのように過ごしたいか、介護看護してほしいかは考えてきたつもり。だけど現実にその年令に近づいてきたら、観念だけではだめで、実際的な知識も必要。

 

このような場で普段なかなか出会えない様々な方と語り合うことは大切な時間だと思います。

 

山之口さん、ありがとう。

これからもこのような会に誘ってくださいね。

終活カウンセラーの山之口さんに教えてもらって、インテックス大阪で開かれていたセレモニージャパンのエンディング展に行ってきました。

 

最期の時に関係する様々な業者さんが集まり、

それこそお棺、霊柩車、遺影、位牌、さまざまな葬儀関連グッズが並べられていました。

 

なぜか「仏具販売関係者」のネームプレートを渡された私は、全くの素人なのに、なんとなく、それぞれのブースでは業者扱いの目でみられて居心地が悪い!

結局、西本願寺のアンケートに答えたり、おくりびとアカデミーでお着替えの仕方をみたり、その他はチョロチョロ見学。

 

「おくりびと検定」というものがあるそうで、アカデミーのブースでは、映画おくりびとのBGMに合わせて、おごそかに寝巻きから納棺時の仏衣へ着替えさせる。まるで茶道のお作法のように、厳かで美しかったです。生きているモデルさんを使ってのお着替えだけど、思わずほろっとしてしまいました。

 

 

私の葬儀は私が執り行うわけではないので、思うどおりにはできないでしょうが、終活の一環として、思いを家族に伝えていきたいです。

 

長い間、アメブロを休んでいました。

 

誰かによんでもらいたい、というより、日々の自分自身で記録はつけたい、

でも、なんとなく、日常の記録はfacebookで良いかな、と思っていました。

 

 

facebookは直接間接の友だちとつながっていて、友だちたちはありがたいことに

とりあえず私をチェックしてくれます。

ここ数ヶ月、体調をくずし、療養〜入院〜手術〜退院〜また療養という日々を過ごしていて

友だちに見てもらいたい写真もとれず、仕事のためにfacebookを使っているわけではないので、

有益な連絡もとくになし、

私の本当にプライベートの日々を晒しても、意味ないんじゃないかとfacebookも怠りがちに。

 

 

そうすると自分の記録もできない。

インスタに写真はあげているけれど、文章を書くという楽しみは滞ってしまいました。

 

いつまでも明晰に頭脳を保つのは「自然、言葉、人」だとある集まりで言われ、

仕事で言葉は使っているけど、自分の楽しみの言葉はしばらく使えていない、

facebookで長文を書くこともいろいろ思うところあるし、

やっぱりブログかな〜、と。

 

ということで、特に仕事関係でもなく、写真に特化もせず、日々の徒然をアメブロに書こうと思います。

 

もともと読者と呼べるほどの読者もいず、自分活性化のためのもの、かな。

どなたかが読んでくださったら、もちろん嬉しいけど。

 

ということで、再開です。