2025年まで、なんとしても生き続けます。 | お菓子な言葉

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 2025年に大阪で再度万博が開かれることが決まって約1ヶ月が経ちました。決定の時をテレビの前で待ち、決まった瞬間「やった!」と。コンセプトが広く知られていないとか、交通手段をどうするかとか、カジノと絡めてどうするかとか、疑問点も満載でしょうが、私はただただ素直に嬉しい!と感じました。

 

 盛り上がっているのは1970年の前回大阪万博を覚えている世代だけだなんて言われてもいます。私はまさにその世代。

 小学生だった私は、当時大阪に住んでいたこともあり、十数回会場に足を運んだようでうす。自分でも10回以上という記憶はあるのですが、正確な回数は覚えていません。今でも母が話すには「参加国の国旗をすべて覚えていた」ということ。でもね、小学生ですもの、2・3歳ならまだしも覚えても自慢にはならない年齢なのですけど。

 万博の話をする度に書いていることですが、1970年の大阪万博は私の子供時代と思春期時代を分けるイベントでした。この時まで私は親の愛情に何の疑いも持たない、社会の矛盾にも気づかない、ぬくぬくと幸せに育った子供でした。この後から、親への、社会への様々な矛盾に気づき、地団駄を踏んでもどうしようもできず、苦しい時代が始まりました。

 幸せな子供時代の最後の数ヶ月を私は大阪万博と共に過ごした、だからこそ、大阪万博は私にとって特別な存在なのです。

 

 もちろんよく言われる「今普通になっているものが、この万博で初めて具現化した」ものとの出会いの驚きもたくさんあります。その中でも食いしん坊の私はアメリカンドッグを初めて食べた時を忘れられません。

 

 今年初めから、太陽の塔内部が一般公開されることが発表されました。それに先立つ公開にも応募していたのですが、抽選に外れ、行くことができなかった私は、絶対行きたいと。

 夫と一緒に行ける時ということで、夏休み時期を予約したのですが、私の入院手術でキャンセルすることに。そして年末ギリギリ、なんとか行くことができました。

 

 たまたま秋にあべのハルカスで開催されていた「太陽の塔」展で気分を盛り上げ、続いて上映された映画も見て、もう心は太陽の塔でいっぱいに。そしてようやく太陽の塔内部に入ることができました。

 

 1970年の大阪万博時、私は太陽の塔内部に入ったのか入れなかったのか、記憶が曖昧です。曖昧だということは入っていないのだと思うのですが、内部は覚えていなくても、屋根の上の様子は覚えているのです。ハルカスの展示にあったような1階の記憶もまったくないし・・・。

 

 初内部としましょう。思っていたより狭かったです。あれっ、こんなはずでは、という感覚が強く、ということは今より小さかった私にとっては広いところであったのかもしれません。ということは、入った?

 

 ま、どちらでも良いとしましょう。

岡本太郎さんの現したかった自然と人間、生命と地球、そして地球と太陽、感じられた・・かな?

 

 太陽の塔を後にして、公園内のEXPO'70パビリオンにも入りました。こちらも懐かしいものがいっぱい。

ほぼ同じ年の夫と一緒だったのですが、私ほど大阪万博に思い入れのない夫は単純に懐かしな、ぐらいで感慨などはなさそうでした。

 私はやはりこの時自分はどうだったのか、この後どう生きてきたのか、万博は私にとってなんであったのか、考えれば考えるほど、胸が熱くそして苦しくなります。

 

 過去を振り返ることはよくありますが、どの時代であれ、あの頃に戻りたいとは全く思いません。もし今の知識や知性を持って過去に帰ることができるなら帰ってみてもいいけど、また同じおバカに戻ってやり直すのはまっぴらです。

 1970年の後、悩み苦しみ試行錯誤したから今の私があるのです。もっとも社会的には大した人間ではありませんけどね。

 

 2025年、おそらく生きていると思います。また何か私の人生で区切りになるようなイベントとなるのでしょうか。1970年に心躍らせたようなものを2025年の万博は見せてくれるのでしょうか。

 しっかりとこの目で確かめたいと思います。