龍大ミュージアムで開催中の「ブッダのお弟子さん」展に行かせて頂いたのだが、出典リスト26番の「国宝 仏涅槃図 模写 原品 金剛峯寺」という展示のプレートに、「十大弟子と十六羅漢が同時に描かれているので、両方が同時代の人たちであることが分かる」といった意味の説明があったのだが、果たしてそうだろうか?
涅槃図の作者が両方を描き込んだからと言って、それは作者が十大弟子と十六羅漢を同じ時代の人たちだと考えていた、と言うことでしかないと思うのだけれど。
ところで十六羅漢とブッダの十大弟子のメンバーというのはほとんどかぶっていなくて、両方のグループに入っておられるのは、舎利子や目連、阿難陀や摩訶迦葉ではなく、ブッダの在家時代の実子である羅睺羅(らごら)長老お一人だけだ。
十六羅漢には、日本ではメジャーな賓頭盧尊者(びんづるさん)や、ブッダの教えに従って一枚の布で掃除を続けて悟りを開いた周利槃得(しゅりはんどく)長老などが入っておられるが、この方たちは十大弟子の中には含まれていない。
また、大乗仏典の冒頭には、霊鷲山や祇園精舎などでブッダの前に集まった仏弟子たちのお名前が列記されていることが多いのだが、例えば阿弥陀経と法華経の序品を比べてみると、阿弥陀経には十大弟子の内の7人の名が、法華経には9人の名が見えるだけで、十人全部のお名前は揃っていない。
さらに、漢文の阿弥陀経には法華経の序品には見えない賓頭盧さんや周利槃得さんの名前が見えるのだが、阿弥陀経の中に十六羅漢全部の名前が出て来る訳でもない。
いっそ五百羅漢なら、全ての著名な仏弟子の名前が含まれているかと思いきや、これまた必ずしもそうではない。この異同の甚だしさは、経典作者や絵画作者それぞれの、単なる好みによるものなのだろうか?
いずれにしても、私は大乗経典の冒頭に、実在の仏弟子である長老や比丘たちと共に、観音・文殊といった大乗の諸菩薩や神々・天人たちがブッダの前に居並ぶ光景が描かれているのを読むたびに、とても楽しく嬉しく思う。
おしまい。
※画像は台湾仏光山発行の冊子です。
※日本語書籍では「釈迦と十大弟子」という本が新潮社とんぼの本から出版されています。
※「ホームページ アジアのお坊さん本編 」も是非ご覧ください。