アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

インドのブッダガヤにある印度山日本寺に駐在中、日本寺の図書館にあった、千日回峰行や好相行といった天台宗の修行を取材した「行とは何か」という本を読んだ当時の駐在主任・三橋ヴィプラティッサ比丘が、ああいった、仏さんの顔を見るというような修行なんて仏教と言えるんでしょうかと、天台僧である私に対して自説を述べられた。

 

私も比叡山での修行後、タイでテーラワーダ修行させて頂いてからインドに来ていますから、三橋師の仰ることはよく分かりますと意見を述べたのだが、なかなか理解してもらうのに苦労した覚えがある。

 

ちなみに、テーラワーダ仏教では戒律を守り、坐禅瞑想によって自身の解脱を目指す訳だから、通常は「仏を見る」ようなタイプの修行方法は採らないのだが、私が修行させて頂いたワット・パクナムでは例外的に、水晶状の珠を心中に観想する瞑想法を指導していた。

 

初めて聞いた時、密教の観法に似ているなと思ったものだが、いずれにしても全ての仏教修行というものは、外見的な形は変われども、最終的に諸行無常を観じ、苦を脱し、涅槃寂静を目指すものでなければならないとは思うけれど、テーラワーダ仏教の僧侶でも断食したり、眠らずに坐禅したり、いろいろ苦行的な手法を瞑想修行に加味する方がおられるということを最近に聞いたので、ちょっと三橋師とのあの時の会話を思い出した次第です。

 

 

 

                   おしまい。

 

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フィリピンの乗り合いバス「ジプニー(ジープニー)」が燃料費などの高騰により運行本数が減っているので日本のスタートアップ企業による電動ミニバス「スマートバス」がフィリピンで導入されるに至ったという報道を見た。

 

インドで「リキシャ」、タイで「トゥクトゥク」と呼ばれる三輪自動車については、前川健一氏の労作にして不朽の名著「東南アジアの三輪車」(めこん・1999年発行)に詳しいのだが、「東南アジアのあるテーマを考えるとき、『フィリピンを除く東南アジアの国々では』と条件をつけたくなることがしばしばある。」とある通りで、元々この本にはフィリピンに関する記述があまり載っていない。

 

ましてジプニーは「三輪自動車」ではないので、この本には全く言及がないのだが、さて、ジープを淵源とするであろうフィリピンのジプニーの映像をそのニュースで見て、インドのブッダガヤに建つ印度山日本寺が送迎用に使用していたジープのことを思い出した。

 

インドのジープにはスズキのジムニーを淵源とする合弁会社マルチ・スズキの「ジプシー」と、インド企業タタのジープ「SUMO スモー」があるそうだが、元々あまり車に詳しくはない私は、日本寺では「ジプシー」と「スモー」のどちらの言葉にも聞き覚えがあった気がするのだが、実際のところ、日本寺にあったのがどちらの車だったのかよく分からない。インドの車にお詳しい駐在同期のご僧侶がおられるので、その内にお尋ねしてみようと思う。

 

ついでながら、フィリピンを含むアジアの三輪車に関しては、拙ブログ  「フィリピンのトライシクル」に詳しく書かせて頂いたので是非ご覧ください。

 

 

 

               おしまい。

 

※画像はブッダガヤの大塔です。

 

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「シカゴの四つ玉(ビリヤードボール)」という奇術について調べるために松田道弘氏の「クラッシック・マジック事典 Ⅱ」を読んだので、ついでに未読の「クラッシック・マジック事典」第1巻を読むことにした。

 

十代の頃、松田氏の「とりっくものがたり」を読んだ時、アイザック・アシモフの連作短篇「黒後家蜘蛛の会」の1篇「ロレーヌの十字架」にラリという奇術師が出て来ることが載っていてずっと気になっていたので、今年の3月にその作品を初めて読んだのだが、今回「クラッシック・マジック事典」を読んだら、その「ロレーヌの十字架」の該当部分が丸々引用されていたので驚いた。

 

アシモフと言えばもちろんミステリよりもSF作家としての方が有名な訳だが、名作短編集「私はロボット」所収の全作品を含む、アシモフのロボット小説すべてを収めた「コンプリート・ロボット」という本を読むと、今も実際のAI開発やロボット工学の現場で適用されている「ロボット工学三原則」の提唱者であるアシモフが予見した世界を現代社会が実現しつつあり、なおかつアシモフは人類がその先に行きつく世界をも描いていることに、驚異の念を禁じ得ない。

 

今、一般の人々はたかだか過渡期の道具に過ぎない現在のAIを狂喜しながら日常的に多用している。新聞やインターネット、テレビのニュースなどで「AI」という言葉を一度も目や耳にしない日は一日もない。一般の人々だけでなく、学者や文化人や仏教者の方々までがAIを妄信しているこのご時勢は、一体如何なものだろうか。

 

AIブッダとやらを開発しているご僧侶学者の方たちの活動もさることながら、今を時めく仏教学者の佐々木閑氏までが、ご子息の数学者との共著「AIという鏡」において文系理系の両面からAIについて論じるという、とても高度でかつちょっとずるいなと思える著書をお出しになった(ちなみに佐々木閑氏ご自身も元々は理系出身であることを標榜しておられる)。

 

「AIに反対する仏教徒」という少数派の私としては、きちんと根拠を言えるだけの材料を早く集めて思索を深めねばと、目下、考えているところです。

 

 

 

 

 

                   おしまい。

 

 

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タイの高僧・プッタタート比丘の

「仏教人生読本」「観息正念」を添付してあります。

是非ご覧ください。

タイ人からも尊敬を受けながら、タイ人女性と結婚するために還俗(お坊さんをやめること)した元日本人上座部僧アーチャン・カベサコ師こと俗名・柴橋光男氏のニュースがタイ人やアジア仏教通の日本人を驚かせてから久しいが、さて、私がタイでテーラワーダ比丘として修行中にバンコクのさる日本人篤信者の方の自宅で他の日本人テーラワーダ僧たちと共に、カベサコ師と同席させて頂いた時のことだ(カベサコ師の日本語表記には「カヴェサコ」「カウェサコー」「カウェーサコー」など数種ある)。

 

カベサコ師に対して私が天台宗の僧侶であるということを伝えると、天台の止観とテーラワーダのヴィパッサナ瞑想は似ているんじゃないですかと仰って下さったという話は、以前に何度も書かせて頂いた。

 

あの時の私は生意気にも、いいえ、天台宗でそんなに真面目に坐禅や止観のことを考えている人はおりませんので、などと言う愛想のない返事をしたものだ。

 

天台宗で真面目に坐禅のことを考えている人は少ないということについては、以前に拙ブログ「改めて天台宗の坐禅止観について」という記事を書かせて頂いた。

 

その後にカベサコ師が還俗されてからもう十年以上が経つので今回、初めて書かせて頂くのだが、あの時のカベサコ師のお言葉が私には、賢い人の頭の中の理屈に過ぎないように感じられたということが、実はずっと心にあった。もちろん若造に気を使って話題を振って下さったお心遣いに対する態度として、私の答は甚だ不適切であったかも知れないけれど。

 

最近、テーラワーダ仏教における坐禅瞑想の真髄を説くタイの高僧・プッタタート比丘の「観息正念」と「天台小止観」を併せ読んでいる。

 

天台宗で坐禅止観について説く場合、「天台小止観」の中のテーラワーダ仏教における瞑想とも関連する大事な「正修行」の章には触れることなく、坐禅の姿勢や呼吸法を説いた「調和」の章の解説に終始していることがほとんどだなあと思いながら、今、「正修行」の章と「観息正念」を併せ読んでいる。

 

 

 

 

                     おしまい。

 

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昭和9年発表の江戸川乱歩の探偵小説「柘榴」の中に「家内が絹代さんのお供をして、笠置の温泉へ遊びに行った」といった意味の一文がある。

 

小説の舞台は名古屋であり、上の箇所はただの説明であって本筋とは特に関係ないのだけれど、なぜ京都府南部の「笠置温泉」が出て来るのかずっと気になっていたので、京都学研究会編の「京都を学ぶ 南山城編」中の香川貴志氏執筆分の論考「笠置観光の盛衰と将来展望」を読んでみた。

 

そうしたら、この笠置温泉は後醍醐天皇ゆかりの地であったこともあって、戦前には大変な賑わいを見せていたそうで、関西からも名古屋からも多くの人が訪れていたという。

 

しかし国鉄(現JR)の路線事情も変わり、さらに自家用車の普及に拍車が掛かったことなども含めて、追々に観光地としては下向きになって行ったことが、上の論考に書かれている。

 

ついでに「南山城の文学碑」(小西亘著)という本も同時に参照したのだが、同じく戦前の笠置温泉の賑わいについて触れてあり、いくつかの文学者の紀行文などにも笠置が出て来るということが挙げてあったのだけれど、「笠置観光の盛衰と将来展望」と「南山城の文学碑」のどちらにも乱歩の「柘榴」のことは載っていなかった。

 

さて、この際だから「乱歩と名古屋」(小松史生子著)も再読してみたのだが、この本には名古屋が出て来る乱歩作品として「猟奇の果」のことは載っているのだが、なぜか著者の小松氏は「柘榴」について全く触れていない。

 

ちなみに乱歩ゆかりの地域についての論考と言えば、名著とされる松山巌氏の「乱歩と東京」を嚆矢とするので、小松氏の「乱歩と名古屋」という書籍名はそれを踏まえたタイトルであったろうと思う。

 

大阪と乱歩の関係については、論文よりも芦辺拓氏のパスティーシュ・ミステリ作品「明智小五郎対金田一耕助」シリーズの何編かが、乱歩作品に出て来る大阪や関西の地名が織り込まれていて大変に楽しいし、乱歩の出生地である三重県の名張に関しては、名張図書館元職員であった中相作氏の研究が頼もしい。

 

ところで笠置温泉の話に戻るけれど、私はお坊さんになる前に生駒山や笠置山だとかの山中に神社仏閣、祠や石仏を訪ね、修行だと自らに言い聞かせては、いずれ正式に出家得度する日を夢見ていた。今回この記事を書くに当たって、この地域の昔を知る古老に尋ねてみたら、戦後しばらくは笠置駅前の商店街も、まだいくらかは多少の賑わいを見せていたのだということだ。

 

 

 

               おしまい。

 

※画像は2014年に乱歩ゆかりの大阪府守口市で催された乱歩展のチラシです。

 

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