インドのブッダガヤにある印度山日本寺に駐在中、日本寺の図書館にあった、千日回峰行や好相行といった天台宗の修行を取材した「行とは何か」という本を読んだ当時の駐在主任・三橋ヴィプラティッサ比丘が、ああいった、仏さんの顔を見るというような修行なんて仏教と言えるんでしょうかと、天台僧である私に対して自説を述べられた。
私も比叡山での修行後、タイでテーラワーダ修行させて頂いてからインドに来ていますから、三橋師の仰ることはよく分かりますと意見を述べたのだが、なかなか理解してもらうのに苦労した覚えがある。
ちなみに、テーラワーダ仏教では戒律を守り、坐禅瞑想によって自身の解脱を目指す訳だから、通常は「仏を見る」ようなタイプの修行方法は採らないのだが、私が修行させて頂いたワット・パクナムでは例外的に、水晶状の珠を心中に観想する瞑想法を指導していた。
初めて聞いた時、密教の観法に似ているなと思ったものだが、いずれにしても全ての仏教修行というものは、外見的な形は変われども、最終的に諸行無常を観じ、苦を脱し、涅槃寂静を目指すものでなければならないとは思うけれど、テーラワーダ仏教の僧侶でも断食したり、眠らずに坐禅したり、いろいろ苦行的な手法を瞑想修行に加味する方がおられるということを最近に聞いたので、ちょっと三橋師とのあの時の会話を思い出した次第です。
おしまい。
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