仏教学者の佐々木閑氏がご子息の数学者・佐々木斎生氏との共著「AIという鏡」において文系理系の両面からAIについて論じておられるが、分かったようで分からないAIの仕組みを分かりやすく解き明かして下さっているので、とても面白い。ちなみに佐々木閑氏ご自身も元々は理系のご出身だ。
新聞やインターネット、テレビのニュースなどで「AI」という言葉を耳や目にしない日は一日もないが、仏教者やそうでない一般の人々が皆、AIについて賛否どちらにせよ発言したり、もしくはAIを妄信したりしている中で、一体どれくらいの方がAIの仕組みを詳しく分かっているのだろうか?
この本は、AIの理屈や仕組みを順々に分かりやすく説いてくれた上で、「我執を捨てる」という仏教の要諦を結論とする構成となっているから、私にはとても興味深く読めた。
さて、話は全く違うのだけれど、普段から人付き合いを最小限にしようと努めている私は、仏教関係では前回のブログでも触れさせて頂いた善友である、インドのブッダガヤ時代に知り合ったお坊さまと、タイで出家修行をされた経験を持つ「タイ佛教修学記」のI氏のお二人に加えて、私のタイ修行時代の先輩であり、日本人上座部僧として今も活躍中のプラ・ユキ・ナラテボー師のお三方とだけ、時々メールをやり取りしたり、何年かに一度お会いする程度の生活をさせて頂いている。
反対に自分がお坊さんになる前の在家(一般人)時代の友人知人とは、出家してからほぼお付き合いの御縁が途切れていたのだが、数年前、中学校時代の友人から突然に連絡が来て再会し、色々と思うところがあった。
そしてまたつい先日には、お坊さんになる前に神道学を専攻していた頃の学寮の先輩とご縁があって、たまたま連絡が繫がった。共同生活の苦手な私が学寮生活を始めるに当たって、この方が同室の先輩でなければとても修学を全うできなかったかと思うほどに意気投合した方で、いずれその内にこの先輩と再会できたら、是非そのことについて感謝の意を伝えたく思っている。
正に邯鄲の夢枕、お坊さんであれ、在家の人であれ、気がつけば皆がそれぞれに年を取り、いろんな蓄積を得た上で、なおかつ「面白い」大人になっている、そういう人たちとは縁を持ちたい。
同世代の人間というものはAI以上に自分を映す鏡だと思う。日々の生活におけるあれこれの雑務や悩み苦しみ(dukha=苦)はそれぞれに様々ある中で、面白おかしく生きていられるのなら幸いだ。
※「人付き合いは最低限」を心掛けている私が、最近たくさんのお坊さんとお会いする機会を得ました。年配の方も若い方もAIについては様々にご意見を仰っていました。
以前、拙ブログにて「坊主標本」という記事を投稿いたしましたが、最近の見聞を基にして、いずれこっそり「坊主標本」の続編を認めたいと思っているところです。
おしまい。
※「ホームページ アジアのお坊さん 本編」のトップページに
タイの高僧・プッタタート比丘の坐禅手引書
「観息正念」を添付しています。
是非ご覧ください。




