芥川龍之介の仏教説話「尼提」の話 | アジアのお坊さん 番外編

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Google検索をした時に「この検索では AI による概要を表示できません」という文字が出ることが多く、そんな時にAIの思考回路を垣間見た気がして興味深いのだけれど、さて、それはさて置き、ご著書も多数でお顔もよく知られた浄土真宗大谷派の川村妙慶尼が、とある新聞に芥川龍之介の「尼提」という、インドの舎衛国(その国に祇園精舎がある)が舞台の天竺物短編小説のことを書いておられて、その中で、この話は「阿弥陀経」にも出て来る、といったことを仰っておられた。

 

だがしかし、「阿弥陀経」にそんな話は出て来ないはずだがと思って調べてみると、芥川の「尼提」について書く時に大抵の方が引用しておられる本願寺派の真宗のお坊さまの記事が出て来たので、以下に抜粋させて頂く。

 

「芥川さんはまた、「尼提(にだい)」という作品を書いています。尼提は、『阿弥陀経』に「一時仏在舎衛国(いちじぶつざいしぇこく)・祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)」と説かれる、その舎衛国城内で排泄された糞尿(ふんにょう)を城外に捨てに行く仕事をしている人物です。

(略)

さて、この作品は仏典に材を取っています。その一つ『賢愚経』というお経には、自分は下賎弊悪(げせんへいあく)の極みであるからと、尼提は釈尊の勧めをいったんは断ったと伝えます。対して、仏の法は弘広無辺にして貧富貴賎男女の差はないのだと、釈尊は説かれます。」

 

以上のように、この文章をよく読めば、「尼提」の舞台は阿弥陀経と同じ舎衛国だが、その出典は「賢愚経」であると書いてあるだけだと分かるはずだ(他の方たちは「今昔物語集」の天竺部も出典として挙げておられる)。

 

そこでちょっと思いついて、Googleで「尼提 阿弥陀経」などと検索してみたら、驚くべきことに例の「AIによる概要」として、こんな文章が出て来た。

 

「『尼提』は、仏教の経典『阿弥陀経』に登場する人物で、舎衛国の城内で排泄物を処理する仕事に携わっていた人物です。芥川龍之介の短編小説「尼提」でも描かれ、彼の卑下された立場や、排泄物を処理する仕事に対する社会の偏見などが描かれています。」

 

つまり、現段階のAIというものは、インターネット上にある情報を適当に取捨選択して答えを出しているだけなので、「尼提は、仏教の経典『阿弥陀経』に登場する人物だ」などという風に、間違うこともあるということだ。おそらくは上記の本願寺派ご僧侶の記事を、AIが間違えて要約してしまったのだろう。

 

そして川村妙慶尼は、ご自身もAI同様に本願寺派ご僧侶の記事を読み違えたのか、もしくは最初からAIによる梗概だけをそのまま読んで、鵜吞みにしてしまったかの、どちらかだろう。

 

そして、現段階のAIごときが間違いを犯すということは当然有り得ることだとしても、真宗僧侶であり、マスメディアにも数多登場しておられる川村妙慶尼が、日々読誦しておられるであろう阿弥陀経の内容を、全くご存じないことは、甚だ問題だと思うのだけれど、皆さまは如何?

 

 

              おしまい。

           

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※上記記事と直接関係ないのですが、参考までに以前に書かせて頂いた、乱歩、谷崎、芥川に関する年表に、「尼提」のことも加えてみました。

 

 

上海やインドを旅していた頃の明智小五郎は、谷崎潤一郎の異国趣味に満ちた作品に探偵趣味を刺激されて、海外へと出かけていたのではないか。

 

ところで、芥川龍之介のアジア趣味に満ちた小説には、谷崎潤一郎へのオマージュ的作品が多い。それらの発表順序を年表にしてみる。

 

ちなみに、明智のデビュー作である「D坂の殺人事件」は大正14年の作品で、諸々の条件から、実際の事件は大正14年以前に起ったと思われるが、谷崎の異国趣味作品は、全てそれ以前に書かれている。

 

また、「D坂」の中で明智が言及している谷崎の「途上」は、異国趣味作品群が発表された直後の大正9年に発表されている。ざっと列記すると以下の通り。

 

 

T6 谷崎「玄奘三蔵」「ハッサン・カンの妖術」「人魚の嘆き」「魔術師」

 

T7 芥川「蜘蛛の糸」

   谷崎、中国旅行へ。

 

T8 谷崎「秦淮の夜」「西湖の月」「天鵞絨の夢」。T7年からT8年頃にかけて、谷崎のミステリ的名作多し。「人面疽」「金と銀」「白昼鬼語」「柳湯の事件」「呪はれた戯曲」など。

 

T9 谷崎ミステリの代表作「途上」

   芥川「南京の基督」「杜子春」「魔術」

 

T10 芥川「アグニの神」

    芥川、中国旅行。

 

T12 乱歩処女作「二銭銅貨」

 

 T12 芥川「尼提」発表。

 

T14 明智デビュー作「D坂の殺人事件」

 

この表を見ても分かる通り、例えば「幻影城」所収の「一般文壇と探偵小説」で、谷崎の探偵趣味的ミステリ作品群に親しんだ経歴を吐露している乱歩同様に、それらの作品を愛読していたであろう明智小五郎は、谷崎の異国趣味的作品を読んだ影響で、中国やインドを旅したのに違いない。

谷崎作品に登場する異国は、主に中国とインドだ。だから明智の初期の海外旅行先は、中国とインドだけだったのではないかと私は思う。