この映画は自分にとって思い出深い。
ビデオで観たのだが、とても思い出深い映画。
なつかしい。
はじまりからなんだか「地味な映画だなぁ~」と思っていたんだけれど、
じわじわひきこまれていってしまった。
薄味にあとひくソフトサラダせんべいのような感じで見入ってしまうよ。
こういう映画はきっと星の数ほどあるだろうね。
そのうちの一つに、ある夜、幸運にも出会えたのだ。
主人公を自分に照らしてみるのにちょうどいいかんじの等身大な設定。
さまざまなこざかしい問題をかかえて日常をすごす主人公はジョニーデップで、
その弟で知的障害をもっている子がおさないころのデカプリオであることに気づくのは、
エンドロールを見てからのこと。(遅!)
そう、自分はデカプリオをみくびっていたんだね。
あまり映画を知らない自分的にはデカプリオってどちらかというとアイドル的な存在で、
まともに見たことも無かったので、もろもろの出演作にはようするにそういう先入観があった。
ところがこの映画で、何の先入観も無く、デカプリオに知らぬまに触れていた自分は、
その演技にいつしか魅了されていた。
「この子いいよねぇ」という言葉が自然と口をついて出た。
設定上この子の演技は目立つ。
そうしてみているうちにその演技をうけとめるお兄ちゃん役であるジョニーデップというのも、
かなりの役者であることに気づく。
じつはこっちの役者のほうがかなり上手ではないかとすら思えてもくる。
そういう比較に思いいたるのは自分的にはごく稀で、
そこまでおこがましい比較は自分にはきっちりできないと思ってる。
でも映画を観ていてそんなことが目立ったから、実に印象に残った。
とにかくこの二人はなかなかいけるよ。
すべてが自然でいて、人を魅了する。
その自然な日常の瑣末な面倒ごとが、フィルムの上できらきらとちりばめられているように
自分には輝いて感じられる。
リアリズムの絵画のようなものだ。
絵画になった時点で実は日常の視点からきりはなされてきらきらした別の価値観におきかわる。
そういう良さのある映画。
たぶんわざとらしさが無いからだと思う。
流れもいい。その存在を主張せず、ひっそりと季節の光を反射しながら流れる小川のようだ。
フィルムを通して一貫した日常が、すごく存在感をもっている。
役者はその「日常の存在感」のためにいるかのよう。
ようするにかなり一般大衆むけな内容といえる。
世の中の大多数を占める一般大衆。
家庭の事情も、千差万別とはいえおよそ似かよったものだと思う。
どこかに自身の身の上が重なる。
物語のうねりをことさら演出していない。
そりゃ当然それなりのうねりはあるけれど。
波乱無き人生と、ちりばめられた瑣末なめんどうごと。
しかし車で旅する家族のうちの女の子との出会いはやっぱりその中でもひときわ輝いて見える。
これは心情的にしょうがないね(笑)。
なんつうかな、これ。
ほかにもいろいろ瑣末な日常苦がきらめいていて、それぞれのきらめき具合に微妙な違いがあって
それでとてもきらきらみえるのかな....。
そうした全ての「きらきら」をひとつひとつ見ていって、この女の子との出会いに集約される感情をおいといて、
やっぱり日常苦があってさ。
しまいにはあるていど解放されてゆくけれど。
こうしてみていって一番に思いうかぶのは、チーターの名曲「365歩のマーチ」だね。
なんか違う気もするけれど、監督はきっとこのたまねぎの皮のように幾重にも重なりあう日常という苦痛全体を
「たまねぎ」という価値観として捕らえて、それらをすこしづつ紐解いてみせていく。
サダメがサダメだけに、自己完結的に己なりの回答を見つける主人公一家。
最大のうねりはほんとうに最後におとづれる。
母の死と母をいたわりながら「家」もろとも「火葬」にしてしまうところ。
ここで日常と決別する。
障害をもつ弟はここではすでに苦痛の対象としてではなく主人公にとっての生涯を通してのパートナーとして認識されている。
ふたたび再会した少女とはいづれ所帯をもつことが予測される。
なんともシブイ。
渋いけれど、このカタチもきらきらしているように見えたよ。
「そりゃ素敵だな」、と思わせる。
俳優が先か映画が先かということを考えていて、
そりゃ場合によるもんだなぁ、と思う。
だって俳優って常にベストはつくすでしょ。
問題は作る動機だと思う。
話題にだけのぼる映画は逆に動機をかんぐられることにもなると思う。
テクノロジーとか、経済効果とか、みえみえにミーハーなキャスティングとか。
この映画には動機として善意があって、映画としてはひたすら上手だと思う。
お金のかかった「タイタニック」なんかと比べてどうなのか?
そりゃ、こちらの映画のほうが好ましいと思う。
あとから脳内で反応おこすよ。
そういうふうに作られてる感じがする。
あとから、というのは時間的感覚にすれば、1日とか3日から個人差で1月くらいかな。
記憶のまだ鮮明なうちに、その映画で観た時間の経過と空間を懐かしく思うだろう。
その味つけに、配慮がなされているんじゃないか。
どのように作っていったのか、その「感覚」を学びたいと思った。
壮大なテーマの名作を名乗るということもせず、佳作であることを目指し、私に地味な感銘を与えてくれた作品。
もしかしたら瑣末な日常にかきけされて、忘れてしまう映画かもしれない。
でもいい映画だよ。
ビデオで観たのだが、とても思い出深い映画。
なつかしい。
はじまりからなんだか「地味な映画だなぁ~」と思っていたんだけれど、
じわじわひきこまれていってしまった。
薄味にあとひくソフトサラダせんべいのような感じで見入ってしまうよ。
こういう映画はきっと星の数ほどあるだろうね。
そのうちの一つに、ある夜、幸運にも出会えたのだ。
主人公を自分に照らしてみるのにちょうどいいかんじの等身大な設定。
さまざまなこざかしい問題をかかえて日常をすごす主人公はジョニーデップで、
その弟で知的障害をもっている子がおさないころのデカプリオであることに気づくのは、
エンドロールを見てからのこと。(遅!)
そう、自分はデカプリオをみくびっていたんだね。
あまり映画を知らない自分的にはデカプリオってどちらかというとアイドル的な存在で、
まともに見たことも無かったので、もろもろの出演作にはようするにそういう先入観があった。
ところがこの映画で、何の先入観も無く、デカプリオに知らぬまに触れていた自分は、
その演技にいつしか魅了されていた。
「この子いいよねぇ」という言葉が自然と口をついて出た。
設定上この子の演技は目立つ。
そうしてみているうちにその演技をうけとめるお兄ちゃん役であるジョニーデップというのも、
かなりの役者であることに気づく。
じつはこっちの役者のほうがかなり上手ではないかとすら思えてもくる。
そういう比較に思いいたるのは自分的にはごく稀で、
そこまでおこがましい比較は自分にはきっちりできないと思ってる。
でも映画を観ていてそんなことが目立ったから、実に印象に残った。
とにかくこの二人はなかなかいけるよ。
すべてが自然でいて、人を魅了する。
その自然な日常の瑣末な面倒ごとが、フィルムの上できらきらとちりばめられているように
自分には輝いて感じられる。
リアリズムの絵画のようなものだ。
絵画になった時点で実は日常の視点からきりはなされてきらきらした別の価値観におきかわる。
そういう良さのある映画。
たぶんわざとらしさが無いからだと思う。
流れもいい。その存在を主張せず、ひっそりと季節の光を反射しながら流れる小川のようだ。
フィルムを通して一貫した日常が、すごく存在感をもっている。
役者はその「日常の存在感」のためにいるかのよう。
ようするにかなり一般大衆むけな内容といえる。
世の中の大多数を占める一般大衆。
家庭の事情も、千差万別とはいえおよそ似かよったものだと思う。
どこかに自身の身の上が重なる。
物語のうねりをことさら演出していない。
そりゃ当然それなりのうねりはあるけれど。
波乱無き人生と、ちりばめられた瑣末なめんどうごと。
しかし車で旅する家族のうちの女の子との出会いはやっぱりその中でもひときわ輝いて見える。
これは心情的にしょうがないね(笑)。
なんつうかな、これ。
ほかにもいろいろ瑣末な日常苦がきらめいていて、それぞれのきらめき具合に微妙な違いがあって
それでとてもきらきらみえるのかな....。
そうした全ての「きらきら」をひとつひとつ見ていって、この女の子との出会いに集約される感情をおいといて、
やっぱり日常苦があってさ。
しまいにはあるていど解放されてゆくけれど。
こうしてみていって一番に思いうかぶのは、チーターの名曲「365歩のマーチ」だね。
なんか違う気もするけれど、監督はきっとこのたまねぎの皮のように幾重にも重なりあう日常という苦痛全体を
「たまねぎ」という価値観として捕らえて、それらをすこしづつ紐解いてみせていく。
サダメがサダメだけに、自己完結的に己なりの回答を見つける主人公一家。
最大のうねりはほんとうに最後におとづれる。
母の死と母をいたわりながら「家」もろとも「火葬」にしてしまうところ。
ここで日常と決別する。
障害をもつ弟はここではすでに苦痛の対象としてではなく主人公にとっての生涯を通してのパートナーとして認識されている。
ふたたび再会した少女とはいづれ所帯をもつことが予測される。
なんともシブイ。
渋いけれど、このカタチもきらきらしているように見えたよ。
「そりゃ素敵だな」、と思わせる。
俳優が先か映画が先かということを考えていて、
そりゃ場合によるもんだなぁ、と思う。
だって俳優って常にベストはつくすでしょ。
問題は作る動機だと思う。
話題にだけのぼる映画は逆に動機をかんぐられることにもなると思う。
テクノロジーとか、経済効果とか、みえみえにミーハーなキャスティングとか。
この映画には動機として善意があって、映画としてはひたすら上手だと思う。
お金のかかった「タイタニック」なんかと比べてどうなのか?
そりゃ、こちらの映画のほうが好ましいと思う。
あとから脳内で反応おこすよ。
そういうふうに作られてる感じがする。
あとから、というのは時間的感覚にすれば、1日とか3日から個人差で1月くらいかな。
記憶のまだ鮮明なうちに、その映画で観た時間の経過と空間を懐かしく思うだろう。
その味つけに、配慮がなされているんじゃないか。
どのように作っていったのか、その「感覚」を学びたいと思った。
壮大なテーマの名作を名乗るということもせず、佳作であることを目指し、私に地味な感銘を与えてくれた作品。
もしかしたら瑣末な日常にかきけされて、忘れてしまう映画かもしれない。
でもいい映画だよ。