少林サッカーは泣ける映画である。
チャウシンチーの眼は、カンフー映画ではなくてカンフー界に向いている。
日本でも有名になったカンフー映画しか知らない分際でなにか言おうとしてる段階で問題なのだが、
その氷山の一角のようないくつかの有名なカンフー映画のいままでもってきた視点とは異なる視点を持つところが新しい。
カンフーって、現代社会では、いくらできてもあまり意味が無い。(みもふたもないけれど事実)
実際ものすごいクンフーを積んでる人があまりいい職につけないで、ひっそり暮らしてるなんてことはよくあるパターンらしい。
でもそのクンフーのすごさは常軌を逸してすごい。
長い時間をかけてじっくりと錬られた体と技は、日常目にできるあらゆるすぐれた運動とも異質なものであるらしい。
拳法の流派はかなりの数が日本でもよく知られてきているけれど、そういった流派の体系のなかでのクンフーの高さとはまた別にもっと一つの技に特化したクンフーの高さというのもあるようで、頭が固いとか握力が強いとか、体当たりがすごいとか、そういうクンフーも民間ではふつうに伝承されていて、特化されているだけに、こう言うと非常にもうしわけないけれど、現代ではあまり生活の役たたない。
でもそういうすごい人というのは少なくなってきているとう話ではあるが実在する。
チャウシンチーさんというのはきっといい人だと思う。
そういう事情をギャグ仕立てで笑いに換える。
それらを踏まえてあらためてこの映画を観たとき、涙なくしては観ることのできない箇所が何箇所かある。
たとえば兄弟子たちが「お戻りになられた」瞬間、あそこ笑うところではなくて泣くところ!
挙げればまだあるけれど、これほどではないけれどさりげない箇所......
ヒロインの女の子がバイトしてるとこの店主のおばさんの攻撃を
「片手でさばく」ところ。
このシーンは詠春拳的な美意識が抑圧された彼女の魂の叫びが
抑えようもなくなって吐露された瞬間のできごとである。
ここも実はじんわりするところ。
あとその女の子がゴールキーパーで出てきてゴールの前で構えたその姿こそ、
陳氏太極拳図説の挿絵そっくりではないか!
これは自分でそう思ってるだけだが、あの「図説」にでてくるくりくりボウズのイラストに酷似しているところは指摘しておく。
じつにこころにくいマニアっくな配慮だと言える。
最近作の「カンフーハッスル」もこの意識の延長線上にある映画のようである。
だから言える。チャウシンチーさんはいい人である。
チャウシンチーの眼は、カンフー映画ではなくてカンフー界に向いている。
日本でも有名になったカンフー映画しか知らない分際でなにか言おうとしてる段階で問題なのだが、
その氷山の一角のようないくつかの有名なカンフー映画のいままでもってきた視点とは異なる視点を持つところが新しい。
カンフーって、現代社会では、いくらできてもあまり意味が無い。(みもふたもないけれど事実)
実際ものすごいクンフーを積んでる人があまりいい職につけないで、ひっそり暮らしてるなんてことはよくあるパターンらしい。
でもそのクンフーのすごさは常軌を逸してすごい。
長い時間をかけてじっくりと錬られた体と技は、日常目にできるあらゆるすぐれた運動とも異質なものであるらしい。
拳法の流派はかなりの数が日本でもよく知られてきているけれど、そういった流派の体系のなかでのクンフーの高さとはまた別にもっと一つの技に特化したクンフーの高さというのもあるようで、頭が固いとか握力が強いとか、体当たりがすごいとか、そういうクンフーも民間ではふつうに伝承されていて、特化されているだけに、こう言うと非常にもうしわけないけれど、現代ではあまり生活の役たたない。
でもそういうすごい人というのは少なくなってきているとう話ではあるが実在する。
チャウシンチーさんというのはきっといい人だと思う。
そういう事情をギャグ仕立てで笑いに換える。
それらを踏まえてあらためてこの映画を観たとき、涙なくしては観ることのできない箇所が何箇所かある。
たとえば兄弟子たちが「お戻りになられた」瞬間、あそこ笑うところではなくて泣くところ!
挙げればまだあるけれど、これほどではないけれどさりげない箇所......
ヒロインの女の子がバイトしてるとこの店主のおばさんの攻撃を
「片手でさばく」ところ。
このシーンは詠春拳的な美意識が抑圧された彼女の魂の叫びが
抑えようもなくなって吐露された瞬間のできごとである。
ここも実はじんわりするところ。
あとその女の子がゴールキーパーで出てきてゴールの前で構えたその姿こそ、
陳氏太極拳図説の挿絵そっくりではないか!
これは自分でそう思ってるだけだが、あの「図説」にでてくるくりくりボウズのイラストに酷似しているところは指摘しておく。
じつにこころにくいマニアっくな配慮だと言える。
最近作の「カンフーハッスル」もこの意識の延長線上にある映画のようである。
だから言える。チャウシンチーさんはいい人である。