これおれにはむつかしなぁ~。
わかりやすいのはまず、映像が奇麗。
南フランス行きたくなるもん。
緑と黄色と空の青の風景。
すこしくすんだ色のペンキのぬられたカフェの椅子とか、
土色の家の壁にあざやかな水色の雨戸がならぶコントラスト。
木立の枝ごしに見えるそういう人工物のカラーコーディネイトがいちいちハマっている。
全体としてどちらかというと彩度の高い傾向に彩られた色彩。
使われていなかったプールには水面に枯れ葉が浮いている。
この南フランスの家は出版社の社長さんの持ち家で、仕事に疲れた女性作家の主人公が気分転換に行ってみることを勧められてやってきた。
家はこざっぱりしてて部屋もたくさんあって広いししずかでとてもいい環境。
管理をまかされている、マルセルというおじいさんが近くに住んでいて、街からもちょっと離れている。
すごくいい気分になってさっそく仕事がはかどりかけたやさきに、社長の娘が夜中突然やってくる。
それでまあ、喧騒を逃れてやってきた疲れた作家にとって、この娘は邪魔なだけの存在。
毎晩違う男を連れ込んだりしてほとほと迷惑千万。
枯れ葉の浮いたままのプールをその枯れ葉の浮く水面下、全裸の少女が元気に泳ぐ幻想。
プールサイドでどうやら現実と幻想が交錯しているかんじに思わせぶりな映像がいくつかあったかな。
そうこうしてるうちにこの娘によって殺人が行われたということになって、
「それで結局だれがどうなってんの?」と思わせられて、最後にあれれ???
となる。
そんでさ、結局おれよくわかんなかったんだけど、、、。
面白いんだよね。
全体が謎めいているので、展開を追っていくんだけど、途中から、どうもひとつひとつのエピソードが単にそれ単体で断片化している感覚を覚える。
それで、ひとつひとつの映像断片が奇麗で、南フランス~!って感じでいいね~。
DVDのジャケの写真のあの幻想。
南フランスって実際どんな感じなのか?
温暖?
べつに熱いわけじゃないよね?
と、すると日差しもさほどひりひりするほどではないだろう。
プールの水温も映画の中でも若干低めの設定。
そこへ優しげでけだるい感じの陽光の底の圧力に、横たわるプールサイドの女体だよ...。
南仏だよ!
妙にオイル塗ってるふうでもなく、しっとりと汗ばんだかに感じられる肌の健康美はまさに南仏!
そういった映像の視点が、いったいだれのものなのかときおり曖昧になる。
心象風景が勝手に走り出すのは、このへんからではないかと思う。
主人公がマルセルの家にいってみて話を聞こうと試みるが、出てきたのは老婆の顔をもつ少女だったりするあたり、もう幻想が破綻してほころびかけている感じ。
主人公の幻想はそれ以上の設定はあえて必要ともしなかったものなのか、はからずも設定の裂け目に接近したことを少し恐れるがそれも作家の想定の範囲内。
そうしてみると全ての空想は作家の贅沢なマスターベーション。
その舞台設定がかくも美しいあたり、それまで血なまぐさいミステリーばかり書き続けてきた作家のもつ別の美意識の一面。
「エロ本を捨てよ、南仏へ出よう!」って感じかな。
この映画は見終わった直後、解釈に不安を感じて、他のブログなどで、いろいろ他の方の見方を参考にさせて頂いた。
このての終わり方はあんまり多く観ていないタイプなので、不安に感じたからである。
ちょっとはじめ「バートン・フィンク」っぽいんでしょ?
とか思ってわりと幻想の類いでももっとハードな破綻を期待してはいた。
おおむね同じタイプなんだとは思うけれど、けっこうこちらの「スイミング・プール」のほうは、作家が最後に精神の安定と一抹のわびしさを現実的に感じていて、一定の落ち着きは得ている。
その点ちょっと健全な結末だと思うけれど、なんだか南仏の家のバルコニーの上からプールをはさんで、現実逃避の意図的継続のようなイメージが繰り返されるところに、ちょっと病気を感じる程度。
まだ軽い病なんだな、と思った。
ただよくよく考えるに、この主人公の作家の作風の変化に対する自分なりのいいわけじみた妄想?
あたかも別人が書いたかに見られかねない新しい作品につけたした、じつに余計なプロローグ?
どうもそんな感じもする...。
とりあえず心療内科をお勧めします。
わかりやすいのはまず、映像が奇麗。
南フランス行きたくなるもん。
緑と黄色と空の青の風景。
すこしくすんだ色のペンキのぬられたカフェの椅子とか、
土色の家の壁にあざやかな水色の雨戸がならぶコントラスト。
木立の枝ごしに見えるそういう人工物のカラーコーディネイトがいちいちハマっている。
全体としてどちらかというと彩度の高い傾向に彩られた色彩。
使われていなかったプールには水面に枯れ葉が浮いている。
この南フランスの家は出版社の社長さんの持ち家で、仕事に疲れた女性作家の主人公が気分転換に行ってみることを勧められてやってきた。
家はこざっぱりしてて部屋もたくさんあって広いししずかでとてもいい環境。
管理をまかされている、マルセルというおじいさんが近くに住んでいて、街からもちょっと離れている。
すごくいい気分になってさっそく仕事がはかどりかけたやさきに、社長の娘が夜中突然やってくる。
それでまあ、喧騒を逃れてやってきた疲れた作家にとって、この娘は邪魔なだけの存在。
毎晩違う男を連れ込んだりしてほとほと迷惑千万。
枯れ葉の浮いたままのプールをその枯れ葉の浮く水面下、全裸の少女が元気に泳ぐ幻想。
プールサイドでどうやら現実と幻想が交錯しているかんじに思わせぶりな映像がいくつかあったかな。
そうこうしてるうちにこの娘によって殺人が行われたということになって、
「それで結局だれがどうなってんの?」と思わせられて、最後にあれれ???
となる。
そんでさ、結局おれよくわかんなかったんだけど、、、。
面白いんだよね。
全体が謎めいているので、展開を追っていくんだけど、途中から、どうもひとつひとつのエピソードが単にそれ単体で断片化している感覚を覚える。
それで、ひとつひとつの映像断片が奇麗で、南フランス~!って感じでいいね~。
DVDのジャケの写真のあの幻想。
南フランスって実際どんな感じなのか?
温暖?
べつに熱いわけじゃないよね?
と、すると日差しもさほどひりひりするほどではないだろう。
プールの水温も映画の中でも若干低めの設定。
そこへ優しげでけだるい感じの陽光の底の圧力に、横たわるプールサイドの女体だよ...。
南仏だよ!
妙にオイル塗ってるふうでもなく、しっとりと汗ばんだかに感じられる肌の健康美はまさに南仏!
そういった映像の視点が、いったいだれのものなのかときおり曖昧になる。
心象風景が勝手に走り出すのは、このへんからではないかと思う。
主人公がマルセルの家にいってみて話を聞こうと試みるが、出てきたのは老婆の顔をもつ少女だったりするあたり、もう幻想が破綻してほころびかけている感じ。
主人公の幻想はそれ以上の設定はあえて必要ともしなかったものなのか、はからずも設定の裂け目に接近したことを少し恐れるがそれも作家の想定の範囲内。
そうしてみると全ての空想は作家の贅沢なマスターベーション。
その舞台設定がかくも美しいあたり、それまで血なまぐさいミステリーばかり書き続けてきた作家のもつ別の美意識の一面。
「エロ本を捨てよ、南仏へ出よう!」って感じかな。
この映画は見終わった直後、解釈に不安を感じて、他のブログなどで、いろいろ他の方の見方を参考にさせて頂いた。
このての終わり方はあんまり多く観ていないタイプなので、不安に感じたからである。
ちょっとはじめ「バートン・フィンク」っぽいんでしょ?
とか思ってわりと幻想の類いでももっとハードな破綻を期待してはいた。
おおむね同じタイプなんだとは思うけれど、けっこうこちらの「スイミング・プール」のほうは、作家が最後に精神の安定と一抹のわびしさを現実的に感じていて、一定の落ち着きは得ている。
その点ちょっと健全な結末だと思うけれど、なんだか南仏の家のバルコニーの上からプールをはさんで、現実逃避の意図的継続のようなイメージが繰り返されるところに、ちょっと病気を感じる程度。
まだ軽い病なんだな、と思った。
ただよくよく考えるに、この主人公の作家の作風の変化に対する自分なりのいいわけじみた妄想?
あたかも別人が書いたかに見られかねない新しい作品につけたした、じつに余計なプロローグ?
どうもそんな感じもする...。
とりあえず心療内科をお勧めします。