茨城県民が納得する出来映え。
ことに、牛久市民にはうれしい「牛久大仏」が多くのシーンでフィーチャーされている。
メジャーな映画に牛久大仏が出ているってだけでもう感激なのだ。
茨城県南文化圏としての取手、龍ヶ崎、牛久、土浦という常磐線沿線エリアを都会への窓口とした下妻の地理的境遇が地元の人間はよくわかってる。もうそれがなんとなく描かれてるだけでおれなんてもうめろめろ。
いまだかつてここまで茨城県南部を直接とりあつかった映画があっただろうか!?そして今後も二度と出ないのではないか?
そう考えるとこの映画の茨城県南部の地元民にとっていかに重要な映画であるかがわかっていただけると思う。
しかも深田恭子、土屋アンナというなんだかリッチなキャスティングはさらにうれしくなるね。
とりたててファンでもなんでもないんだけど、この映画に関わっているだけで、なにか親近感を感じてしまうから不思議だ。
編集とかさっぱりしててロリータ表現もこてこてでいて、すっきりしてる。
表情をうまく切り取っている感じ。
ロリータを扱う際にべたべたになっていやみになることは、こういったあっさりめな表現でうまく回避。
そのかわりヤンキーのほうにどちらかといえば強烈な演技がもとめられてる。
声質といい、台詞まわしといい、ほぼ完璧ではないだろうか?
この「ほぼ完璧?」と実感できるあたりが、「ヤンキー」というある種身近な素材だからだろうと思う。
こういうことが見る人に親近感を与える。
人は豊富な予備知識からその作品の良否を判定するほうが的確だから、この題材の身近さは成功の要素。
それをあそこまでみごとに演じた土屋アンナというひとはなかなかである。
深田恭子は終盤にいたるまで、感情の発露ができない役だからある意味むつかしい。
最後、牛久大仏のあしもとでみせる切れた表情はやはり美しい。
全編漫画的(原作が漫画だし)で雑誌のページをめくるがごとくテンポがいい。
アニメ部分も重くなくキルビルのような意図的破壊状態を目的としていない点、安心して見られる。
すべてが安定感のなかにあって表現される題材、演技は予測の上をいってる感じ。
これ永久保存すっぺ。
「すっぺ」とかいうとあのビッグバンドのジャズやってる映画、なんだっけ?あれ、スウイングなんとか,,,,。
あれで「やるべ」とか「いぐねぇ?」とか言ってるかもしれないけど、ああいうのを「べたべた」っていうんだよ。
やってもいいんだけど、どんなキャラがどんな局面で使うか、ちゃんと計算したほうがいいと思う。
そしてほんとうの効果を狙ったほうがいいと思う。
最近はあんまりべたべたな茨城弁は若いもんは使わない。
そこんところは意識して使わないようにしてる。
イントネーションは変だけど、語尾がそこまでなまることは稀だと思う。
たしかに自分の幼いころは平気でつかっていたけど。
最近は常磐線沿線から内陸にはいったワンランク上の田舎でも、たぶんほとんど標準語に修正されてきていると思う。
思うにあれだな。
「いぐねぇ?!」って言い方は、あんなにおおっぴらな場面で大声でくっきりと発音する使い方は稀だと思う。
ふつうに「いいなぁ~!」とか、「いいよねぇ~!」とか言って、イントネーションだけ研究すばいいと思う。
そのほうが自然でいて、最大限「地方」を表現していると思う。
「いぐねぇ~?」って言っちゃうと、なんかそういう方言知ってます、的な辞書的な使い方で、教科書英語っていうか、ネイティブじゃねぇんだよなぁ~。
やめてよ!って感じ。
地元敵にまわさなくてもいいと思うんだけどね。あの映画はどこを想定してるんだか...?ああ、東北って書いてあるな。
東北のみなさんどう思ってる?
茨城弁も東北弁も広義の関東以北の方言と言えるからね。
青森までいくとなかり違うんだけど(津軽弁)、東北弁、というと共通する点は多いはず。
また、明るさとか、健全さとかと方言は別である。
ましてやジャズとも別である。
ある意味アメリカにおける黒人音楽だからむちゃむちゃ方言的なんだけど、やっぱり地方の高校生と、かわいい女の子と、方言とはすべてが乖離していてパーツとしての印象が強い。
その分ねりこみが浅いかあるいはもともと動機が浅いと思う。
「天使にラブソングを...」とか「スクールオブロック」とかと同じことしてるだけかな?
まあ、なんでもなにかに似てるのはあたりまえだけどね。
見てないで言っててもうしわけないけど、たぶんそういうことだと思う。(でもさんざんテレビで宣伝やってたから見たのと同じ?)
そういうジャズの民族性(言語のちがいとか、マイノリティとしての文化)含めて「地方、方言」とかとイメージをダブらせているのかな?なんかよくわからん。そこまで考えてないよね、きっと。
----------------
ウーピーゴールドバーグみたいな歌上手い黒人がやるから説得力ある映画になってる。
そこに白人も仲間に入ってるからフレンドリーで平和なイメージがある。
スクールオブロックも主役のおっさんなかなかのつわものだし。
なにしろロック好きはだいたいにんまりしちゃうこと言ってるし。
とにかく説得力を得るための努力はかなりしてて、付け焼刃ではない部分が多いと思う。
日本だと、あれだ。いま三味線とか流行ってるじゃんか。
ああいう若者使って純日本的な映画つくってよ。
海外でもうけるって!
なにしろかっこいいじゃん、絵が浮かぶよ。
架空の潜水艦作って「もしも劇場」やってる場合じゃないよ(失礼)。
あとは、「8Miles」とかエミネムそのものが白人でラップという特殊な状況をそのまま映画にしてて画期的。
むしろこの「8Miles」的逆説的で圧倒的な説得のプロセスをなにかで表現してみたらどうだろうか?
そうしたらべつにとりたてて「方言」が全面に出るなんてくだらない発想、および宣伝はきっと鳴りをひそめるにちがいないんだから。
まあ、思うに映画はやっぱり宣伝もよくないよ。まちがってる。だからきっと少なからず誤解してしまうことも多い。
----------------
下妻物語と比べればわかるんじゃないだろうか?
こちらは茨城県南文化圏を表現しつつもいわゆる茨城弁を誇張することは無い。
これはエライ。
これが正しい認識であって、動機がほかにきちんとある証拠である。
そのためにはむしろこてこての方言は逆に邪魔だという的確な判断のもとに作られた演出が「ある」と言える。
無いことによって在るわけだ。(なんか仏教っぽくね?)
なんにせよすごく「地元」を感じた映画。
地名が実名で出ているからといえばそれまでだけど、そこでこてこてにすぎず、
その地の草の根としての登場人物のキャラクターの演出にこだわったからこそ出たリアリティだと思った。
まあ、地元だからね。ヒイキ目はいってるけど、やむおえない。
他の地方の人が見たらたしかにそのぶん楽しさは差し引いて考えるべきだとは思う。
それにしても茨城県南文化圏に特化した映画。エライ!!
---
キャラクターに関して。
フロントの二人が際立っていて(とくにヤンのほう)、あとは脇役としてのキャラクターでひたすら漫画的だね。
Babyの社長のキャラは好き。ぞくぞくする。
一角獣もまずまずかな。
でもみんなパーマネント性は薄い。
さすがにきききりんさんは適当な役だけど存在感がある。
だからトラさん的(山田洋二的)キャラクターのパーマネント性は薄い。
だからこそこの映画の二人の主役の真夏の夜の打ち上げ花火のような一瞬のきらびやかさが貴重なのだ。
ことに、牛久市民にはうれしい「牛久大仏」が多くのシーンでフィーチャーされている。
メジャーな映画に牛久大仏が出ているってだけでもう感激なのだ。
茨城県南文化圏としての取手、龍ヶ崎、牛久、土浦という常磐線沿線エリアを都会への窓口とした下妻の地理的境遇が地元の人間はよくわかってる。もうそれがなんとなく描かれてるだけでおれなんてもうめろめろ。
いまだかつてここまで茨城県南部を直接とりあつかった映画があっただろうか!?そして今後も二度と出ないのではないか?
そう考えるとこの映画の茨城県南部の地元民にとっていかに重要な映画であるかがわかっていただけると思う。
しかも深田恭子、土屋アンナというなんだかリッチなキャスティングはさらにうれしくなるね。
とりたててファンでもなんでもないんだけど、この映画に関わっているだけで、なにか親近感を感じてしまうから不思議だ。
編集とかさっぱりしててロリータ表現もこてこてでいて、すっきりしてる。
表情をうまく切り取っている感じ。
ロリータを扱う際にべたべたになっていやみになることは、こういったあっさりめな表現でうまく回避。
そのかわりヤンキーのほうにどちらかといえば強烈な演技がもとめられてる。
声質といい、台詞まわしといい、ほぼ完璧ではないだろうか?
この「ほぼ完璧?」と実感できるあたりが、「ヤンキー」というある種身近な素材だからだろうと思う。
こういうことが見る人に親近感を与える。
人は豊富な予備知識からその作品の良否を判定するほうが的確だから、この題材の身近さは成功の要素。
それをあそこまでみごとに演じた土屋アンナというひとはなかなかである。
深田恭子は終盤にいたるまで、感情の発露ができない役だからある意味むつかしい。
最後、牛久大仏のあしもとでみせる切れた表情はやはり美しい。
全編漫画的(原作が漫画だし)で雑誌のページをめくるがごとくテンポがいい。
アニメ部分も重くなくキルビルのような意図的破壊状態を目的としていない点、安心して見られる。
すべてが安定感のなかにあって表現される題材、演技は予測の上をいってる感じ。
これ永久保存すっぺ。
「すっぺ」とかいうとあのビッグバンドのジャズやってる映画、なんだっけ?あれ、スウイングなんとか,,,,。
あれで「やるべ」とか「いぐねぇ?」とか言ってるかもしれないけど、ああいうのを「べたべた」っていうんだよ。
やってもいいんだけど、どんなキャラがどんな局面で使うか、ちゃんと計算したほうがいいと思う。
そしてほんとうの効果を狙ったほうがいいと思う。
最近はあんまりべたべたな茨城弁は若いもんは使わない。
そこんところは意識して使わないようにしてる。
イントネーションは変だけど、語尾がそこまでなまることは稀だと思う。
たしかに自分の幼いころは平気でつかっていたけど。
最近は常磐線沿線から内陸にはいったワンランク上の田舎でも、たぶんほとんど標準語に修正されてきていると思う。
思うにあれだな。
「いぐねぇ?!」って言い方は、あんなにおおっぴらな場面で大声でくっきりと発音する使い方は稀だと思う。
ふつうに「いいなぁ~!」とか、「いいよねぇ~!」とか言って、イントネーションだけ研究すばいいと思う。
そのほうが自然でいて、最大限「地方」を表現していると思う。
「いぐねぇ~?」って言っちゃうと、なんかそういう方言知ってます、的な辞書的な使い方で、教科書英語っていうか、ネイティブじゃねぇんだよなぁ~。
やめてよ!って感じ。
地元敵にまわさなくてもいいと思うんだけどね。あの映画はどこを想定してるんだか...?ああ、東北って書いてあるな。
東北のみなさんどう思ってる?
茨城弁も東北弁も広義の関東以北の方言と言えるからね。
青森までいくとなかり違うんだけど(津軽弁)、東北弁、というと共通する点は多いはず。
また、明るさとか、健全さとかと方言は別である。
ましてやジャズとも別である。
ある意味アメリカにおける黒人音楽だからむちゃむちゃ方言的なんだけど、やっぱり地方の高校生と、かわいい女の子と、方言とはすべてが乖離していてパーツとしての印象が強い。
その分ねりこみが浅いかあるいはもともと動機が浅いと思う。
「天使にラブソングを...」とか「スクールオブロック」とかと同じことしてるだけかな?
まあ、なんでもなにかに似てるのはあたりまえだけどね。
見てないで言っててもうしわけないけど、たぶんそういうことだと思う。(でもさんざんテレビで宣伝やってたから見たのと同じ?)
そういうジャズの民族性(言語のちがいとか、マイノリティとしての文化)含めて「地方、方言」とかとイメージをダブらせているのかな?なんかよくわからん。そこまで考えてないよね、きっと。
----------------
ウーピーゴールドバーグみたいな歌上手い黒人がやるから説得力ある映画になってる。
そこに白人も仲間に入ってるからフレンドリーで平和なイメージがある。
スクールオブロックも主役のおっさんなかなかのつわものだし。
なにしろロック好きはだいたいにんまりしちゃうこと言ってるし。
とにかく説得力を得るための努力はかなりしてて、付け焼刃ではない部分が多いと思う。
日本だと、あれだ。いま三味線とか流行ってるじゃんか。
ああいう若者使って純日本的な映画つくってよ。
海外でもうけるって!
なにしろかっこいいじゃん、絵が浮かぶよ。
架空の潜水艦作って「もしも劇場」やってる場合じゃないよ(失礼)。
あとは、「8Miles」とかエミネムそのものが白人でラップという特殊な状況をそのまま映画にしてて画期的。
むしろこの「8Miles」的逆説的で圧倒的な説得のプロセスをなにかで表現してみたらどうだろうか?
そうしたらべつにとりたてて「方言」が全面に出るなんてくだらない発想、および宣伝はきっと鳴りをひそめるにちがいないんだから。
まあ、思うに映画はやっぱり宣伝もよくないよ。まちがってる。だからきっと少なからず誤解してしまうことも多い。
----------------
下妻物語と比べればわかるんじゃないだろうか?
こちらは茨城県南文化圏を表現しつつもいわゆる茨城弁を誇張することは無い。
これはエライ。
これが正しい認識であって、動機がほかにきちんとある証拠である。
そのためにはむしろこてこての方言は逆に邪魔だという的確な判断のもとに作られた演出が「ある」と言える。
無いことによって在るわけだ。(なんか仏教っぽくね?)
なんにせよすごく「地元」を感じた映画。
地名が実名で出ているからといえばそれまでだけど、そこでこてこてにすぎず、
その地の草の根としての登場人物のキャラクターの演出にこだわったからこそ出たリアリティだと思った。
まあ、地元だからね。ヒイキ目はいってるけど、やむおえない。
他の地方の人が見たらたしかにそのぶん楽しさは差し引いて考えるべきだとは思う。
それにしても茨城県南文化圏に特化した映画。エライ!!
---
キャラクターに関して。
フロントの二人が際立っていて(とくにヤンのほう)、あとは脇役としてのキャラクターでひたすら漫画的だね。
Babyの社長のキャラは好き。ぞくぞくする。
一角獣もまずまずかな。
でもみんなパーマネント性は薄い。
さすがにきききりんさんは適当な役だけど存在感がある。
だからトラさん的(山田洋二的)キャラクターのパーマネント性は薄い。
だからこそこの映画の二人の主役の真夏の夜の打ち上げ花火のような一瞬のきらびやかさが貴重なのだ。