ブルースリーの映画はみんな好きだけど、
この映画はその中でも意味深く、大好きな一本。
強いて言えばね。
チャックノリスとのコロッセオでの格闘シーンが有名。
あとで知ったけれど、この映画にあるようなシチュエーション、たとえば外国(アメリカ)行った先で知り合いだか親戚だかのレストランでお世話になって生活しのいでいたとか、本人の実体験にかさなるところもあるしね。
あと、武術的な自己主張の強い人だから自分の考える武術像をこの映画の中でよく表現してると思う。
そんな意味ではその他のドラゴン映画とはずいぶん違った見方をすべき映画といえると思うけれど、専門家の方々、いかがでしょう?
「死亡遊戯」も生前撮られていた部分である塔での格闘シーンの意図するところは近い気がする。
一本の映画として、まとまってみえる分、「ドラゴンへの道」のほうがだんぜんいい。
ブルースリーはアメリカで中国武術の先生をしていた。
外国人に貴重な文化遺産であるカンフーを勝手に教えているということで、
一部の関係者の間で問題視され、決闘をもうしこまれて勝負したりもしている。
そんな雰囲気もローマのマフィアのいやがらせなどに出ているんではないかと思う。
そんないやがらせから自衛の手段として他の若い店員が裏で練習しているのが「空手」。
やっぱ流行ってたんだね。
「空手もいいけどね。」ってちゃんと認めたうえで、カンフーもすごいんだぞ!って実演してみせるところがかっこいいよね。
このあたりがブルーリー自身の精神段階でいうと「第一段階」。
そのあと、ラストで最強の空手家チャックノリスとの戦いで、劣勢にたたされた際、身体から自然とわきあがってくるフットワークによる自由な動き、この「フリーフォーム」な取り組み方を「截拳道(ジークンドー、JKD)」として自己の流派とする。
そういう武術哲学をよく反映したシーンがここ、「第二段階」。
自分の精神的成長過程をなぞったようなつくりになっている映画なんだ。
だから純粋に映画っていうよりも、なんだか極真でいうところの「空手バカ一代」的な位置づけといえなくもない作品。
伝記ではないけど、伝記的なんだな。これ。
ただ、ふと思ったのは、空手が仮想敵となっているけれど、実際意味するところは、その他のカンフーなどの他流派をふくめた地上のあらゆる格闘技に対して、という意味もあったことと思う。
描きかたにもよると思うけど、空手関係者から文句きたろうな~って想像できる。
ただ、それがカンフーの他流派だったらもっと問題になっていたことと思う。歴史も長いしね。
実際どうなんだろう?
カンフー映画って実際の流派の優劣を匂わせるような描き方って、あったとしてもきわめて少数派なんじゃなかろうか?
たぶんすごい問題になると思う。
ハンカーロとか、ウオンフェイフォンとかやっちゃうと洪家拳ってことになるけれど、流派間の戦いというよりも勧善懲悪の図式になってるからいいのだろう。そこらへんはおそらく暗黙のルールみたいなものがあるにちがいない。(想像)
あとはだって、五獣の拳とか、酔拳とかね、ジャッキーチェンにかぎらずそこんところは上手に避けてると思う。
その点、ブルースリーの主張しやすかったこととしては、詠春拳をベースとしつつ、他のもろもろの基礎となる流派のいいとこどりで「新しい流派(門派)」にしてしまったということだと思う。
既存の門派をして「うちが最強」と声高に主張することはそれなりに問題多きことになると思う。
そこをJKDってしておけば、なんとなくいろいろな風当たりもあるていど緩和されるような気がする。
いや、根拠は無いけれど、なんか、JKDっていう洋風の新興の格闘技ってなってれば、あらゆる関係者は、とうぜんその価値はみとめつつも、一定の距離を置いて捉えるということもしやすくなるはず、とも考えられるから。
スポーツチャンバラ(スポチャン)とかさ。(これはなんか違うか!)
ボクシングだってそうだよ。
流派とは、「名トレーナーのいるジム」ってことで、秘伝はトレーナーの経験の中にある。
スポーツ競技としての側面があればこそ血なまぐさい話にならずにすんでいると思う。
そんなイメージもなきにしもあらず。
あくまでもイメージの話。
ただ、競演してるノラミャオ、いいよね。
ああ、あとオープニングね。
オープニングの切りえっぽいアニメーション。あれいいよ。音楽とあいまってすごくかっこいい。
龍のカヌーみたいなのをこぎ手が漕いでて、ローマにいきつくってストーリーになってる。
手がこんでるよね。
この映画はその中でも意味深く、大好きな一本。
強いて言えばね。
チャックノリスとのコロッセオでの格闘シーンが有名。
あとで知ったけれど、この映画にあるようなシチュエーション、たとえば外国(アメリカ)行った先で知り合いだか親戚だかのレストランでお世話になって生活しのいでいたとか、本人の実体験にかさなるところもあるしね。
あと、武術的な自己主張の強い人だから自分の考える武術像をこの映画の中でよく表現してると思う。
そんな意味ではその他のドラゴン映画とはずいぶん違った見方をすべき映画といえると思うけれど、専門家の方々、いかがでしょう?
「死亡遊戯」も生前撮られていた部分である塔での格闘シーンの意図するところは近い気がする。
一本の映画として、まとまってみえる分、「ドラゴンへの道」のほうがだんぜんいい。
ブルースリーはアメリカで中国武術の先生をしていた。
外国人に貴重な文化遺産であるカンフーを勝手に教えているということで、
一部の関係者の間で問題視され、決闘をもうしこまれて勝負したりもしている。
そんな雰囲気もローマのマフィアのいやがらせなどに出ているんではないかと思う。
そんないやがらせから自衛の手段として他の若い店員が裏で練習しているのが「空手」。
やっぱ流行ってたんだね。
「空手もいいけどね。」ってちゃんと認めたうえで、カンフーもすごいんだぞ!って実演してみせるところがかっこいいよね。
このあたりがブルーリー自身の精神段階でいうと「第一段階」。
そのあと、ラストで最強の空手家チャックノリスとの戦いで、劣勢にたたされた際、身体から自然とわきあがってくるフットワークによる自由な動き、この「フリーフォーム」な取り組み方を「截拳道(ジークンドー、JKD)」として自己の流派とする。
そういう武術哲学をよく反映したシーンがここ、「第二段階」。
自分の精神的成長過程をなぞったようなつくりになっている映画なんだ。
だから純粋に映画っていうよりも、なんだか極真でいうところの「空手バカ一代」的な位置づけといえなくもない作品。
伝記ではないけど、伝記的なんだな。これ。
ただ、ふと思ったのは、空手が仮想敵となっているけれど、実際意味するところは、その他のカンフーなどの他流派をふくめた地上のあらゆる格闘技に対して、という意味もあったことと思う。
描きかたにもよると思うけど、空手関係者から文句きたろうな~って想像できる。
ただ、それがカンフーの他流派だったらもっと問題になっていたことと思う。歴史も長いしね。
実際どうなんだろう?
カンフー映画って実際の流派の優劣を匂わせるような描き方って、あったとしてもきわめて少数派なんじゃなかろうか?
たぶんすごい問題になると思う。
ハンカーロとか、ウオンフェイフォンとかやっちゃうと洪家拳ってことになるけれど、流派間の戦いというよりも勧善懲悪の図式になってるからいいのだろう。そこらへんはおそらく暗黙のルールみたいなものがあるにちがいない。(想像)
あとはだって、五獣の拳とか、酔拳とかね、ジャッキーチェンにかぎらずそこんところは上手に避けてると思う。
その点、ブルースリーの主張しやすかったこととしては、詠春拳をベースとしつつ、他のもろもろの基礎となる流派のいいとこどりで「新しい流派(門派)」にしてしまったということだと思う。
既存の門派をして「うちが最強」と声高に主張することはそれなりに問題多きことになると思う。
そこをJKDってしておけば、なんとなくいろいろな風当たりもあるていど緩和されるような気がする。
いや、根拠は無いけれど、なんか、JKDっていう洋風の新興の格闘技ってなってれば、あらゆる関係者は、とうぜんその価値はみとめつつも、一定の距離を置いて捉えるということもしやすくなるはず、とも考えられるから。
スポーツチャンバラ(スポチャン)とかさ。(これはなんか違うか!)
ボクシングだってそうだよ。
流派とは、「名トレーナーのいるジム」ってことで、秘伝はトレーナーの経験の中にある。
スポーツ競技としての側面があればこそ血なまぐさい話にならずにすんでいると思う。
そんなイメージもなきにしもあらず。
あくまでもイメージの話。
ただ、競演してるノラミャオ、いいよね。
ああ、あとオープニングね。
オープニングの切りえっぽいアニメーション。あれいいよ。音楽とあいまってすごくかっこいい。
龍のカヌーみたいなのをこぎ手が漕いでて、ローマにいきつくってストーリーになってる。
手がこんでるよね。