瀕死の双六問屋 忌野清志郎 小学館文庫 RCサクセション
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胸騒ぎがして以前書いた記事をもう一度
「地震の後には戦争がやってくる 清志郎の言葉、いま響く(朝日新聞デジタルより、2014年8月)」
2009年に亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんの文章が、インターネット上で読まれ続けているらしいと言う記事でした
作詞家の湯川れい子さんがツイッターなどで紹介したものが、少しずつ広がっていることを述べていました
今はどうでしょう?
時代を見通すような内容に、湯川さんは「今こそ、多くの人に読んでほしい」と言っています
さっそく、図書館で借りて読んでみました
ロックな文章は、清志郎さんらしくほとんどぶっ飛んでいましたが、その中で、シリアスな分が多数あり、思わずうなってしまいました
忌野さんのバンド「RCサクセション」が原発を批判する歌を発表したのは80年代
震災で原発事故は現実となり、閣議決定による集団的自衛権の行使容認、そして、安保関連法案の可決
憲法の意義は揺らいでいる今
震災後の世情の変容に湯川さんは「幸せに生きるために、人は生まれてくる。「存在の自由」が脅かされかねないことを、考えてほしい」と語っているようです
RCサクセションは好んで聞いていたわけではないですが、でも、強烈な個性の持ち主である清志郎さんはいつも気になる存在でした
歌と言うより、ドラマをよく見ていてたかも…
もし、清志郎さんが生きていたら、今の世にどんなコメントを残し、どんな歌を歌っただろうか?
そんな、清志郎さんの言葉を以降、数日かけて、今年も紹介します
自分は特にコメントしません
瀕死の双六問屋(その2)へ
以前、アップした記事を引用してもう一度…
「<木の上の軍隊>井上ひさしさん未完の戯曲を作品化(毎日新聞より、2013年6月)」
この記事の「木の上の軍隊」については、以前、自分でもブログの中で触れましたが、12年前(2013年)、NHKの特集として、報道されていました
この「木の上の軍隊」は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、木の上で2年間隠れて過ごした2人の日本兵の実話を基に、作家の井上ひさしさんが構想を練った戯曲でした
タイトルとメモだけが残された未完の戯曲でしたが、12年前(2013年)、劇作家の蓬莱(ほうらい)竜太さん(当時37)の手によって完成しました(この完成までの過程をNHKで放送していました)
沖縄本島北部の北西約9キロにある伊江島
伊江村教委によると、1945年4月16日に米軍が上陸して21日に占領するまでに、島民約1500人、日本兵約2000人が死亡したと言われています
狭い島に逃げ場はなく、集団自決に追い込まれた住民もいたそうです
戯曲「木の上の軍隊」の原作となった人物は、沖縄県美里村石川(現うるま市)出身の佐次田秀順(さしだ・しゅうじゅん)さんと宮崎県小林市出身の山口静雄さん
伊江村史によると、2人はガジュマルの木に登り、下から見えないように枝で擬装
暗くなると下り、米軍のごみ捨て場から食糧や衣服を集めたそうです
2人が終戦を知り、木を下りたのは1947年3月だったそうです
つまり、樹上で2年を過ごしたのです
藤原竜也さん主演の舞台「木の上の軍隊」がNHKのBSで放送されることがあったので、ようやく見ることができました
そして、時がたち、映画化された「木の上の軍隊」が沖縄県で先行上映中で、7月25日から全国で公開されるそうですね
日本軍の少尉役を堤真一さん、新兵役を山田裕貴さんが演じるようですね
見て見たいなあ
一度、起こしてしまった戦争はなかなか止めることができない
わかっていても…
今起こっている戦争を見てごらんなさい
だから、絶対、戦争を起こしてはならない
6月23日は、沖縄慰霊の日でした
平和ボケした本土の日本人は忘れていないだろうか?
「「戦争いや」女性たち結集 安保法制に抗議、各地で声(朝日新聞デジタルより、2015年6月)」
「瀬戸内寂聴さん:「戦争に近づいている」安保法案に反対(毎日新聞より、2015年6月)」
2015年の記事ですが、日本の女性達が、日本の行く末に危機感を感じ始めていることでした
これを感情論だけと考えていいものだろうか?
今はどうだろうか?
いまだに男社会である日本が男の頭だけで、事を進めようとしていませんか?
「日本はいま、戦前と同じ道を歩んでいるのか? -作家 浅田次郎(プレジデントオンラインより、 2015年4月)」
最新刊『日本の「運命」について語ろう』(幻冬舎)で、近現代史を学ぶ大切さを説いた浅田次郎氏が、本書を通じて伝えたかったことと、歴史小説家の目に映る現代の日本について語っています
10年前、この本は読んでみました
「いま日本は戦前と同じ道を歩んでいるのか」という危惧に対して
(浅田氏)「明治維新から昭和の戦争まで約70年だ。その間に日本という国家は急速に膨張した。しかし成長には相応のリスクが伴うものであり、危機感を持つ人もいた。1941年の日米開戦時には「それ見たことか」と考えた人も多かった。今年は終戦から70年。戦後、経済成長を遂げて先進国の仲間入りをしたという点でも、かつてと時代状況が似ている。違うのは、豊かになりすぎて感覚が麻痺しているのか、反動への危機感がないことだ。いまこそ歴史を学び、同じ轍を踏まないようにすべきだ。」
自分は、学生時代、日本史や世界史が大嫌いだった
年号ととの出来事の羅列に、何も興味が無かった
でも、実社会では、その歴史の内容を理解していないと同じ過ちを起こしてしまう可能性がある
日本についても世界についても近代史は大事だということに、この年になってわかる
何とも情けないことだ
歴史認識が浅い人が多いために周りの国からねじ曲げられた歴史観を押しつけられても、言い返すことができない日本人
自国の歴史を説明出来ない日本人
自分も平和ボケしてしまった一人なのだろう
今からでも遅くない
知らねば、また、恐ろしいことが始まる
若い人たちよ、君たちの未来を踏みあやまらないために嫌な勉強もしておく必要がある
沖縄戦から80年がたちました
同じ記事をアップします
6月23日は、沖縄慰霊の日でした
第二次世界大戦の沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年(1945年)6月23日の未明とされており、この日を日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえて琉球政府及び沖縄県が定めた記念日だそうです(ウィキペディアより)
沖縄戦は1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始されました
今もなお、戦争のその瞬間がトラウマになって苦しんでいる人はいます
何年か前だったと思いますが、沖縄県は、惨状を極めた沖縄戦の証言映像や写真をデジタル保存して後世に伝えようという「沖縄平和学習アーカイブ」を製作しました
戦争を知らない世代が増えた今こそ、戦争の記録を覚えておくべだと思っていたのですが、よいものができたと思っています
ネットが発達した社会だから、人々が気軽に何処でもアクセスして、内容を見ることが必要なのかもしれません
「「へいわってすてき」えほんになるよ 昨年の沖縄慰霊の日、反響呼んだ6歳の詩(朝日新聞デジタルより、2014年6月)」
12年前(2013年)の6月23日、糸満市であった沖縄戦の全戦没者を悼む式典で、沖縄県与那国島出身の6歳(当時)の少年が詩を読み上げました
その素直な言葉が、大人たちを動かし、絵本になりました
《ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる。けんかしてもすぐなかなおり。ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。》
《やさしいこころがにじになる。へいわっていいね。へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。》
《ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。》
絵本「へいわってすてきだね」は、11年前(2014)の沖縄の「慰霊の日」にあわせ、全国で順次、ブロンズ新社から発売されていたようです(当時税抜き1400円)
今当たり前にすごしている日常
平和だから、そう感じることができる
子供達も大人達も平和な日常に今一度感謝する必要がありますよね
「「今は平和でしょうか」=鎮魂祈り、高3が詩朗読-沖縄慰霊の日(時事ドットコムより、2015年6月)」
2015年に、沖縄「慰霊の日」の追悼式で、沖縄県立与勝高校三年の知念捷さん(当時17)が、戦争で夫を亡くした大伯母に着想を得た詩「みるく世(ゆ)がやゆら(今は平和でしょうか)」を朗読しました
終戦から70年。大伯母の認知症と戦争記憶の風化を重ねながら、「平和に対して、鎮魂の祈りを込めて自分なりに問い掛けてほしい」と思いを込めたそうです
「みるく世(ゆ)がやゆら(今は平和でしょうか)」
もう一度、平和について考える必要がありますね
大人も子供も…
二度と同じ過ちを繰り返さない為に…
毎年、この時期になると同じ言葉を繰り返します
あらためて、この戦いで亡くなられたすべての方々へのご冥福をお祈りします
また、以下のようなサイトもあります
参考までに
「2015年6月22日は「使徒襲来」の日 「エヴァンゲリオン」第1話のその日が来たので第3新東京市が危ない(ねとらぼより、2015年6月)」
10年前(2015年)6月22日は第3新東京市に「使徒」が襲来し、それをエヴァンゲリオンが撃退した日(諸説あり)でした
もちろん、これはアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の中での話です
再放送があれば見ています
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は好きなアニメですが、内容に時代が追いついてしまうとちょっと困惑してしまいます
最初のテレビアニメ版が放送されたのが1995年10月4日だそうです
それから30年がたってしまいました
「使徒」は来襲したのでしょうか?
いや、「使徒」は密かにやってきて、いつ暴れ出してもいい状態にあるのかも…
アニメや映画に時代が追いつくことは、度々あります
自分が大好きな志郎正宗氏のアニメ「攻殻機動隊」もそのうちそうなるのでしょうね
日にちがずれましたが、6月21日は、「冷蔵庫の日」だそうです
夏に向けて冷蔵庫の上手な使い方を啓蒙するという目的で、日本電機工業会が夏至の日を「冷蔵庫の日」に定めたそうです
今年の夏も暑くなるとすれば、冷蔵庫もフル回転することになるのでしょうね
フル回転してもらうためにも、冷蔵庫の環境条件を良好にしておく必要があります
今年も、節電ということで、エアコンを我慢して、扇風機に頼る人は多いかと思います
でも、ちょっと待った!!
この高温下、人間も室内にある電化製品に問題が出ます
そして、冷蔵庫も例外ではありません(お宅の冷蔵庫は日中、暑いところに放置されていませんか?)
我が家の冷蔵庫ですが、据え付け場所の温度を15~30℃の範囲を基準とされています
(取扱説明書より)
冷蔵庫も熱交換機ですので、エアコンと同じなのです
上記の範囲外でも十分使用できる設計になっていると思いますが、これまで、室温が35℃に上がった時に、氷のできる量が極端に減ったのを覚えています
やはり、熱交換効率が落ちるのだと思います
気温が35℃以上に上がる日は、通気を良くしても、熱交換効率はさほど上がらず
エアコンで、冷蔵庫周囲の温度を下げて、冷蔵庫の機能を落とさないようにしなければならないかもしれないのです
参考に、我が家の電化製品の使用温度範囲(各製品の取説より)は
DVDレコーダー(東芝製) 5~40℃
デジタルハイビジョン液晶テレビ(東芝製) 0~35℃
(ちなみに、携帯電話だって、周囲温度5~35℃・湿度35~55%の範囲内で使用することを取説でうたってあります)
などです
液晶テレビの液晶は、高温に弱く、画質が悪くなると思います(ひどいときは映らなくなる)
(温度に強いのはプラズマテレビと言われています。でも、プラズマは衝撃に弱い。有機ELテレビは仕様温度範囲は0~40℃聞いています。)
パソコン関係も5~35又は40℃と思っていいでしょう
液晶のノートパソコンも同じです
これだけ、世の中が高温になってきていると周りで使っているものの使用温度範囲が気になってきます
(実際は、それ以上の使用温度範囲で設計されているので、示してある温度範囲外になっても、ただちにおかしくなることは無いと思います)
ちなみに、猛暑・酷暑で、私たちを助けてくれているエアコンですが、室外機の耐えられる外気温は、現在のJIS規格の冷房過負荷試験条件では43℃になっているそうです
日中、室外機が直射光を受けて、暑くなっていることはないですか?
我が家は、室外機に屋根をつけて、さらにすだれをつけて通気をよくしました
(去年の記事を一部引用しました)
宇宙人はいると思う?
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今年もまたまた…
今日(6月24日)は、「空飛ぶ円盤記念日・UFO記念日」だそうです(ウィキペディアより)
1947年のこの日、アメリカの実業家ケネス・アーノルドがワシントン州レニアサン付近で強い閃光が目撃され、これが初のUFO「未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)」の目撃談とされてそうなったようですね
普通の人は、UFOを目撃したいという気持ちが強いかもしれませんが、自分は昔からUFOを目撃するより、作りたいと思う方が強いのです
子供の頃、アニメの「宇宙戦艦ヤマト」(1974~)や「機動戦士ガンダム」(1979~)など、宇宙に飛翔するものは片っ端から興味を持ちました
1978年に映画「未知との遭遇」が公開されるとなおさらその思いが強くなったものでした
だから、UFOを作るための本は、いろいろ物色したものです
(「UFO製造法」などという本も実在したことを覚えています)
表向きは、「宇宙に関係する仕事をしたい」と周りには言っていましたが、本音は「UFOを作りたい」でした
だから、中学では「科学クラブ」に所属し、高校では「地学部」(天文部として入部)に所属し、そして、大学は航空宇宙工学科に進学し、密かに飛行物体の勉強をしたいと思っていました
(本当は東京大学に行きたかったのですが、そこまでの学はありませんでした)
大学でもクラブは「宇宙研」に所属し、高圧(AC100V)を使ったイオンクラフトの実験をしたものです(学園祭などで展示しました)
「はやぶさ」や「はやぶさ2」に搭載されていたイオンジェットエンジンにも興味があります
(イオンエンジンは大学の先輩が昔研究していたのですが、その頃から興味がありました)
一貫した気持ちは、就職にも影響し、大手の宇宙部門或いはJAXA(当時のNASDA)も目標になったのですが、これまた、学が無くて、中堅企業への就職になりました
でも、その会社でも、宇宙開発部門の仕事はしました
(会社でこっそり反重力エンジンを開発しようと思ったことはありましたが…、)
約半世紀生きてきましたが、いまだに「UFOを作りたい」と言う気持ちは変わっていません
UFOは自分の人生の原点なのかもしれませんね
(14年前の記事を引用しました)
6月23日は黒影豹馬・ブラックジャガーの命日
1973年6月23日(土曜日)に放映されたテレビ版「風雲ライオン丸」第11話「生きていたタイガージョー!」
タイトルはタイガージョー復活だが、前半で黒影豹馬・ブラックジャガーとマントル怪人ザグロ・地虫忍者との死闘を描き、彼の死を描いている
ほとんどの子供たちあるいは再度見た人は、不人気キャラの降板として、スルーしているだろうが、ファンとしては非常に興奮し、そして悔しい回となった
詳しい内容は、他のブロガーたちが書いているのでそちらを参照
また、去年(2024年)でも、同じ内容を記載しているのでそちらを参照してもらいたい
なお、誠に残念なことだが、黒影豹馬役の早崎正樹さんも、2000年に50歳で他界されていて、この世にはいない(何月何日に他界されたのかは不明)
もし、生きていたらご自分の出演された「風雲ライオン丸」をどのように振り返ったことだろうか?
黒影豹馬・ブラックジャガー、そして、早崎正樹さんのご冥福を申し上げます