史上最大の作戦 [Blu-ray]
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毎年も同じ記事を載せています
1944年の6月6日、第二次世界大戦時、ヨーロッパでノルマンディー上陸作戦が始まりました
6月6日から26日の間に行われた作戦といわれています
そして、この日(6月6日)は、「血のオマハ」とも言われているようです
上陸箇所(オマハ)でおびただしい兵士の血が流され亡くなったからだと思います
12年前、この時期、この上陸作戦を映画にした「史上最大の作戦」(1962年)を久しぶりにテレビで見ました
この映画を初めて見たときは、まだ自分は幼く、凄く勇ましい映画と思っていました
その当時の大物俳優ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャムなどが、かっこよく見えたものです
(若い人たちは、こんな俳優はもう知らないでしょうね)
でも、実際は非常に悲惨で過酷な戦闘であったということを聞いています
最後は連合軍が勝つ作戦ですが、小説を読むと最初の悲惨な戦闘が多くつづられています
この映画は1960年代に作られたものです
1960年、アジアでは、朝鮮戦争が始まった頃ですが、そんな時に、こんな戦争映画が作られたわけです
このころの戦争映画やドラマは美化されているものが多かったような感じがします
殺し殺される戦闘とは、恐怖である何者でもありません
映画の一場面ですが、ドイツ軍が戦闘の演習を卓上でやって、「これはゲームだ」と言うシーンがありますが、戦闘はゲームなんかじゃないと思います
ネタバレですが、映画の最後に、連合軍の負傷兵と迷子になった兵隊、そして、死んだドイツ軍兵が出てくるシーンがあります
その負傷兵が
「俺は負傷して、君は迷子になって、あいつ(ドイツ兵)は死んでいる。そして、どっちが勝ったのか負けたのかわからない。それが戦争だ」
この言葉は非常に重みを持ってきます
最初に見た時は、多分、映像スケールのすごさだけが印象に残って、こんな言葉は印象に残らなかったのだと思います
でも、年を重ねて、いろいろな映画を見た今は、戦闘よりも、戦闘員が発する、重苦しいこんな言葉が頭に残ります
この作品はアカデミー賞を取っていますが、何に対しての評価だったのでしょう?
(去年の記事を引用しました)
今年もまた、故郷広島では、とうかさんが行われた??かな
「とうかさん(ゆかた祭り)」(「とうか大明神」の夏祭り)は、広島を代表するお祭り
住吉神社祭り、えびす講(えべっさん)と並んで広島の三大祭りのひとつに数えられます
広島の人間だったら、「とうかさん」「えべっさん」には一度は行っているでしょうね
そんなとうかさんですが、自分が行ったのはいつだっただろうか
多分、50年以上前にさかのぼることになります
その昔、自分の祖父母は、とうかさんつまり稲荷大明神(とうかだいみょうじん)が祭られている円隆寺の広島市中区三川町に住んでいました(跡地はどうなっているだろうか?)
だから、とうかさんには、祖父母の家から歩いてお参りして、そして露天へ行く事が出来た覚えがあります
とうかさんの時期になると幼かった自分はお泊まりして、祖父母に連れられて、とうかさんに行ったこととと思います
円隆寺にお参りしたというより、子供だったので、露天でいろいろなおもちゃを買ってもらって家で遊んだ記憶の方が強かったかな?
今は広島を遠く離れてしまいました
自分はもう行くことは出来ないとは思いますが、子供たちは、機会があったら、お参りしてもらいたいなと思います
(去年の記事を引用しました)
雲仙・普賢岳の大火砕流から34年
今年もまたこの時期が来ました
長崎県の雲仙・普賢岳で43人が犠牲となった大火砕流発生から6月3日で34年
毎年、この日になると思い出し、同じ文章を繰り返します
自分は、現在茨城県に住んでいますが、当時は福岡にいて、九州地方の地震や火山の観測関係の仕事に関与していました
当時、自分は福岡にあった会社の支店に勤務しており、当時普賢岳のふもとにあった九州大学の地震火山研究所に仕事で訪れることがありました
普賢岳に噴火の兆候があることは、研究所に行くたびに先生より聞かされていました
研究所の先生たちは、事前に普賢岳に入り計測器の設置を行っており、現場の写真もいくつか見せてもらいました
そして、自分もその測定器の設置作業に行こうかと思っていた矢先に、最初の噴火が起こりました
それから、あの犠牲者が出た大火砕流の発生…
もし、噴火のタイミングが違っていたら、真っ先に自分も犠牲になっていたかも…
自分のいた会社の人間も大火砕流発生以降、決死の覚悟で観測機器の設置工事をしたことを覚えています
その後、自分も気象庁の測候所に新たな観測機器の設置工事を行うために作業員として入り、徹夜で作業をしました
その測候所には、火砕流を監視する赤外線カメラのモニタなどが設置されており、夜中、作業していると、火砕流の発生で赤外線カメラのモニタが真っ赤になる光景を作業しながら何度も見て恐ろしく思ったものです
どの自然災害においても、決死の思いで、働く人々は何処にでもいます
東日本大震災における福島第一原発事故で決死の思いで働いた人たちだってそうだったはず
現場はいつも決死の思い
復旧も決死の覚悟で現場作業に出かける人がいると思います
そんな人たちを考えて欲しい
でも、それがわからないのが、中央にいる偉い人たちや事務員達
一般の人だって…
この差は何なのだろうかといつも思います
東日本大震災でも、津波の直前に決死の覚悟で避難に携わり、多くの人が、津波に呑まれてしまいました
それぞれのことを声に出して言わなければ、みんなその気持ち・事実を忘れてしまう
だから、みんな記録に残すのだと思います
原爆だって同じ
戦争、災害、事故、それぞれ、小さな出来事であればあるだけ、みんなの記憶から消えて行く
雲仙・普賢岳の大火砕流だって、その事実をみんな忘れてしまっているのでは無いかと思ってしまう
だから、現場にいて、知り得たことを自分は毎年繰り返す
(去年の記事を引用しました)