あの大火砕流から34年…
雲仙・普賢岳の大火砕流から34年
今年もまたこの時期が来ました
長崎県の雲仙・普賢岳で43人が犠牲となった大火砕流発生から6月3日で34年
毎年、この日になると思い出し、同じ文章を繰り返します
自分は、現在茨城県に住んでいますが、当時は福岡にいて、九州地方の地震や火山の観測関係の仕事に関与していました
当時、自分は福岡にあった会社の支店に勤務しており、当時普賢岳のふもとにあった九州大学の地震火山研究所に仕事で訪れることがありました
普賢岳に噴火の兆候があることは、研究所に行くたびに先生より聞かされていました
研究所の先生たちは、事前に普賢岳に入り計測器の設置を行っており、現場の写真もいくつか見せてもらいました
そして、自分もその測定器の設置作業に行こうかと思っていた矢先に、最初の噴火が起こりました
それから、あの犠牲者が出た大火砕流の発生…
もし、噴火のタイミングが違っていたら、真っ先に自分も犠牲になっていたかも…
自分のいた会社の人間も大火砕流発生以降、決死の覚悟で観測機器の設置工事をしたことを覚えています
その後、自分も気象庁の測候所に新たな観測機器の設置工事を行うために作業員として入り、徹夜で作業をしました
その測候所には、火砕流を監視する赤外線カメラのモニタなどが設置されており、夜中、作業していると、火砕流の発生で赤外線カメラのモニタが真っ赤になる光景を作業しながら何度も見て恐ろしく思ったものです
どの自然災害においても、決死の思いで、働く人々は何処にでもいます
東日本大震災における福島第一原発事故で決死の思いで働いた人たちだってそうだったはず
現場はいつも決死の思い
復旧も決死の覚悟で現場作業に出かける人がいると思います
そんな人たちを考えて欲しい
でも、それがわからないのが、中央にいる偉い人たちや事務員達
一般の人だって…
この差は何なのだろうかといつも思います
東日本大震災でも、津波の直前に決死の覚悟で避難に携わり、多くの人が、津波に呑まれてしまいました
それぞれのことを声に出して言わなければ、みんなその気持ち・事実を忘れてしまう
だから、みんな記録に残すのだと思います
原爆だって同じ
戦争、災害、事故、それぞれ、小さな出来事であればあるだけ、みんなの記憶から消えて行く
雲仙・普賢岳の大火砕流だって、その事実をみんな忘れてしまっているのでは無いかと思ってしまう
だから、現場にいて、知り得たことを自分は毎年繰り返す
(去年の記事を引用しました)