はだしのゲンはヒロシマを忘れない (岩波ブックレット NO. 735)
Amazon(アマゾン)

今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
8月9日長崎
雨の中、長崎で平和祈念式典が行われました
長崎は、自分にとって、原爆以外にも関わりのある町です
長崎県には姪が広島市から嫁いでいます
自分が福岡に転勤していたときも、仕事で度々訪れていました
その時、防災関係の仕事で土木作業を行いました
その後、茨城の工場に帰ってからも、全く違う別の仕事(防衛関係の仕事)で、度々、長崎を訪れました
自分にとって、縁が深い土地かもしれません
そんな長崎市に、80年前の8月9日11時2分、原爆が炸裂しました
(「ファットマン」プルトニウム型、ちなみに広島市に落とされた原爆は「リトルボーイ」ウラン型)
長崎の平和公園や平和記念資料館は見に行きました
今の長崎からは、想像できない写真が多くあって、衝撃をうけました
広島で平和記念資料館を幾度見ていてもです
今の長崎は、その当時の傷跡もわからないぐらい、すばらしい町になっています
しかし、その長崎市も、戦後、長崎市の中心地(繁華街)である思案橋が1m以上もの水に浸かってしまう大災害(土石流)にあっています
(自分はその災害に対する防災設備の設置工事を長崎で行いました)
そのたびに復興している町なのです
いろいろな被害にあっていると言っていいかもしれません
そして、転勤している時、長崎の原爆について同時に勉強しました
広島市出身の人間で親族に被爆者を持つ人間だからそれができましたが、他県の人間だったら原爆すら気づかなかったかもしれません
原爆について何も知識のない茨城出身の妻も新婚旅行の時に長崎の平和記念資料館に連れて行きました
(当然、広島の平和公園や平和記念資料館も妻や子ども達を連れて行っています)
災害などの被害は、テレビや新聞、写真で見ても恐いだけで、実感がわかなのが現実ではないでしょうか?
それが人間かもしれません
実際にその地に行って感じるしかないでしょう
人間は病気でも事故でも何事も自分で体験しないと本当の危機感が湧いてこないような気がします
でも、今の自分たちには、少しでもそれを感じ想像することが必要だと思います
メールやブログで、すべてが伝わるとは思っていません
でも、感じてもらえれば、興味を持ってもらえれば、まず、一つハードルを越えることはできると思います
何も言わないよりはましでしょう
何も知らないでは、平和を語れるはずはないのだから…
(2007年8月9日の手記を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
映画「第五福竜丸」の存在は知っていたのですが、実際にすべてを通して見たのは、2011年にCSで放送された時が初めてでした
映画「第五福竜丸」は、1959年公開の白黒映画です
原爆から九年、ビキニ環礁での水爆実験で被爆してしまった猟師達を描いています
1954年3月1日の水爆実験
ノーモア・ヒロシマ・ナガサキで、それ以降、被曝者は出さないはずだったのに…
また、被曝者を出してしまいます
つまり、間接的ですが、静岡県焼津がまた被曝地となってしまったのです
この事実を知っている人は、今、日本国中でどれぐらいの人がいるのでしょうか?
さらに、この事実も知っている人はいるのだろうか?
「<ビキニ被ばく>忘れられた1000隻の漁船 映画化で注目(毎日新聞より、2013年2月)」
ビキニ環礁周辺では1954年3~5月に計6回、水爆実験がありました
当時、近くの海域には静岡県の第五福竜丸を含め約1000隻の日本漁船が操業しており、3分の1は高知県の漁協所属だったと言います
2012年に、高知の元マグロ漁船員を追った83分間のドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後(あの日日本列島は「死の灰」で覆われていた)」が公開されました
残念ながら、自分はこの映画の存在を知りませんでした
消息が分かった241人の3分の1は50~60代になる前に死亡、生存者も病気に苦しんでいたそうです
がんが目立ち、放射線障害とみられる症状の出た人も少なくなかったようです
政府は第五福竜丸以外の船員の健康被害について調査をしないまま、翌1955年1月には米政府から慰謝料200万ドルを受け取って問題を決着させたというのです
この年には放射性物質が日本全土を覆い、米国がひそかに測定していたことも米政府の文書に記録されているようです
1960年代の幼少のころ、雨が降る外に傘もささずに出ると、母に怒られたことがありました
「放射能の雨が降るから危ない」と
そんな時期にも、放射性物質が世界中を漂っていたのではないかと恐れていたのでしょうか?
何故、人間は同じ過ちを繰り返すのでしょう?
その時、元気でも、そのうち放射性物質による症状が出てくる
福島の原発事故もたとえ放出された放射性物質が微量であっても、絶対なにかの症状が出てくると考えられずにはいられません
さらに、放射性物質が付着、吸収されたものは、焼却処分ができない
それだけ、厄介なものが放射性物質なのです
放射性廃棄物(核燃料廃棄物)となるともっと厄介なのです
1945年に原爆が投下されて、9年たって(1954年)、原爆(水爆)の死者が出ました(第五福竜丸の被爆)
さらに、45年たって(1999年)、今度は、原発事故(東海村)で死者が出ました(東海村核燃料事故)
さらに、12年たって(2011年)、また、原発事故がおこり、死傷者が「のちに」でるのでしょうか?(福島第一原発事故)
そして、原発再稼働によって、我々はさらに過ちを繰り返すのでしょうか?
ドキュメンタリー映画「放射線を浴びたX年後」の関係者は、
「半世紀前の被害を徹底的に解明することが、福島の人々の被害を防ぐことになると思うのです」
「自民党政権になって福島の被害もビキニと同じように矮小(わいしょう)化される可能性がある。ただ、ビキニの時と違うのは市民が自力で情報を集める動きが続いていること。この映画を見て考えてほしい」
と話しています
もし、見るチャンスがあれば、見たい映画です
そして、見て事実を確認したい
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
中沢啓治著「はだしのゲンはヒロシマを忘れない」
自らが被爆者である漫画家中沢啓治さんは、その被爆体験をゲンと言う少年に置き換えて漫画を書かれました
体験記だから、はだしのゲンはリアリティがあり生々しい
でも、「そんなもんじゃない」と中沢さんは著書で言っています
どんな文章も絵も映像も、実体験を超える事はできません
それでも、書かずにいられない
中沢さんを含めて多くの被爆者はその被爆体験を語る事はありませんでした
思い出すことで、目の前にそのフラッシュバックがあるから
でも、何かのきっかけで被爆者は被爆体験を語り始める
中沢さんの場合は、同じ被爆者だったお母さんの死とその骨を見た時だと言います
粉々に形も無い骨を見て、放射能はそこまで蝕んでいることに悔しさと憎しみを持ったと言います
それほど、放射性物質は恐ろしいもの
自分の祖父は同じ被爆者でありましたが、その骨はりっぱなものでした
生活習慣や食生活でそれは変わるのかもしれないとも思いました
しかし、二次被爆を受けていた自分の父はがんに冒され、骨はもろかったと聞きます
放射能は人にとって脅威であることは十分に理解しなければならないですが、それに対する備えは自ら行う必要があると思います
中沢さんのお母さんと私の祖父を比較して感じました
そして、お亡くなりになった中沢さんの骨はどうだったのでしょうか?
今、福島を中心に放射能(放射性物質)の問題はまだ残っています
問題解決はしなくてはならないのですが、相変わらず先延ばしにする政府とは別に、我々一般市民は自分の体の自己防衛を怠ってはならないでしょうか(免疫力の強化)
当然、核兵器(放射性物質)の恐ろしさも忘れてはいけません
諸悪の根源は断たねばなりません
それは、過去の悲劇を忘れない事で始まると思います
無知・無関心が怖いのです
以前、「はだしのゲン」の漫画に対して、その内容・描写について賛否両論がありました
でも、必要な漫画であると自分は信じています
中沢さんも著書で言っています
「しつこくやるしかない」
「繰り返し、繰り返し、伝え続けるしかない」
と…
はだしのゲンは「ヒロシマ」も「ナガサキ」も「第5福竜丸」もそして「フクシマ」も忘れない…
ちなみに
「1997年、茨城県東海村の動燃施設で爆発事故。労働者37人が低レベルの放射線に被曝し、過去最悪の被曝事故」
「1999年、茨城県東海村にあるウラン加工工場で臨界事故が発生し、3名が被曝、そのうち「2名が死亡」するという最悪の事故」
これも事実
「ヒロシマ」「ナガサキ」「第5福竜丸」「フクシマ」の中に「トウカイ」もあっていいはずだと自分は思っています
「フクシマ」では直接の被曝死者は無かった
しかし、「トウカイ」では、被曝死者が出ているのです
そして、我々は考えるべきです
森瀧市郎の言葉を
「核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう」
「核(放射性物質)と人類は共存しえない」
(「核絶対否定への歩み」 森瀧市郎著 渓水社より)
P・S 自分は思います
核分裂・核融合の技術・研究を人類は続けねばならないでしょう
それが、宇宙を形成しているのですから
8月6日は、広島で平和記念式典がありました
暑い日でした
80年前も、暑い日だったと思います
被爆二世である自分も、被爆者であった祖父や父のことを思い浮かべ、魂に語りながら放送の見ました
この平和「祈」念式典
相変わらず広島の式典は「記念」、長崎の式典は「祈念」
広島の式典は「平和の記念日」とでも言いたいのでしょうか?
この日は、平和を祈り願うのだと思うのですが……
平和ボケした日本人は、この日を他の記念日と同じ、単なる思い出の日にしてしまうのでしょうか?
80年間、被爆者が訴え続けても、継承されないものが数多くあります
日本人の意識が陳腐化しているのを恐ろしく感じます(これは、福島第1原発の事故についても同じです)
人間というのは、その特質・性質などの物理的なことは遺伝子によって継承できるのに、経験は継承できません
もしかしたら、原爆の傷跡は遺伝子の傷跡となって継承しているかもしれないですが…
(研究によると被爆の遺伝は無いと言われていますが、ある研究によると、それは科学的に証明されていないと言っています)
やっぱり、同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか?
東日本大震災で起こった原発事故は同じ過ちの一つと考えるべきでしょうか?
以前、祈念式で、子供代表の平和の誓いの言葉の中に
「辛いことを経験することはできないけど、想像して共存することはできる」
と言う言葉がありました
良い言葉だと思います
相手の身になって考える人間だからできること
だから、同じ過ちを繰り返さないようできるはず
被爆者がこの世からいなくなる時にこそ、さらに繰り返し、原爆の事実を継承して行かねばならないと思います
誰かがやらねば、誰も知らなくなってしまう
知らないことこそ、恐ろしいことです
知らないから、過ちが起こってしまう
どれだけの人が、この日、平和について考えたでしょうか?
ほとんどの人たちが、日常生活の延長であり、素通りでしょう
仕事をしていれば、学校に行っていれば、家事で忙しければ、育児で忙しければ、介護で忙しければ、しょうがないかもしれません
でも、どこかで、平和について考えて欲しい
平和について、意見を戦わせるのはいいと思います
それでお互いを知ることができるのだから
平和だから、今、生活できるのだと言うこと認識してください
この平和はもろいものだとと言うこと認識してください
そして、その平和を脅かす核兵器は、まだ、この世に存在すると言うこと認識してください
この日を単なる歴史の一行に終わらせてはいけません
「核兵器(放射性物質)と人類は共存できない」
P.S. 石破首相のスピーチは、秘書や官僚が作ったような無機質的な原稿を読む歴代の首相のスピーチより、自分の言葉で作った人間らしいものだと思いました
(以前の記事を一部引用しました)
毎年のことなのですが、まだ、元気に会社に行っているときの1997.8.6(水)(曇り)の手記を読み返します
毎年、考えていることは同じです
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
1997.8.6(水)(曇り)の手記
睡眠時間5時間
やはり朝は眠い
5時半に起きるのは、3年たったがやはりなれない
広島は、8時15分
原爆が投下された時間だ
ここ(会社(茨城))にいると、そんなものは関係ないような感じを受ける
もっとも、広島にいても職場では、そんな雰囲気なのだろうか?
自分にとっては、どうしても、この日は気にかかる
特に自分は被爆者ではない(このときは父の二次被爆を知りませんでした)のだけれど…
でも、身内に被爆者(祖父のことです)がいて、自分は広島県広島市出身であるために、そんな気持ちになるのだろう
原爆祈念式典も単なる記念式としてとらえられがちであり、本来の意味をみんなが考え直すべきかもしれない
いずれ、かみさんや長男にも原爆資料館を見せなくてはならない(まだ、次男が生まれていません。この後、かみさんや長男・次男を原爆資料館に連れて行きました)
原爆が落とされたという事実を知り、その原爆上回る核兵器が世の中に存在することを教えなければならないだろう
知らないということが一番恐ろしいことである
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
自分の父親は、原爆が投下された次の朝広島に入り二次被爆をして、被爆者手帳を所持していました
そんな父は、ガンを発症して37歳と言う若さで亡くなりました
自分は、最近まで、父の被爆者手帳の存在を知らず、二世であることも知らずに最近まで生きてきました
祖父は被爆者手帳を所持しており、白内障は発症しましたが、被爆を決して人に話すことなく(近親者しか知りませんでした)、徹底的な自己健康管理を行い93歳まで長生きしました
二人とも原爆に遭遇したことも言わずにこの世を去っています
それが被爆者なのかなあと思うことがあります
戦争の話は、母方の祖父母や被爆者であった祖父の弟から、聞きましたが、悲惨なことむごいことは、話してくれませんでした
子供時代の自分に対する配慮もあったのでしょうか?、それとも、話したくなかったのでしょうか?
みんなすでに他界しております
祖父母達からもっとよく聞いておくべきだったと、今になって後悔しています
でも、少しでも知り得たこと・自分の体験したことを、子供達に伝えるべく、話さずにはいられません
戦争が恐いとか、核兵器が脅威であるとか、脅すということだけではないのです
事実を知っておかないと、また、同じ過ちを繰り返すと思うからです
無関心や知らないでは済まされないように思います
核兵器に関わらず、放射能物質を取り扱う原発も事故が起これば核兵器以上に脅威だということもしっかり理解しておかないといけないことだと思っています
(このことは2009年から毎年つぶやいていたのですが、最悪の原発事故は2011年に起こってしまいました)
広島、長崎が、最初で最後の被爆者を出した地ではありません
長崎以降、第五福竜丸の被曝(焼津)、それから、アメリカ・ロシア・フランスの核実験によるその土地での被曝者、そして、原発もロシアのチェルノブイリ原発の事故での周辺住民の被曝、日本でも東海村で放射能物質の処理ミスと放射性物質の認識不足による被曝者および死亡者が出ているのです
福島第1原発の作業員が、今後何らかの疾病を発症しないと言う保障はありません
原爆の被爆者ですら、10年後にがんや白血病が発病し、さらに、70年たったときでさえ、白血病が新たに発症しているのです
人は、放射性物質と共存できません
日常の市民の頭上に落とされた原子爆弾
もし、今、あなたの頭上に核兵器が落とされたら……
想像してみて下さい
(以前の記事を引用しました)
8年前(2017年)に放送を見て
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
原発も核兵器も同じ放射性物質をあつかうもの
NHKスペシャル「被曝の森 原発事故 5年目の記録」
人がいなくなった地区に野生動物がはびこる
手つかずの森
毎時100マイクロシーベルトのホットスポットもあると言う
科学者が調査しているのだが、チェルノブイリの事故と同じようなことが生物に見られるという
被曝の森と言われている手つかずの森は、毎時10マイクロシーベルト(自然放射線0.04マイクロシーベルト)と観測されている
これが生物がどんな影響を与えるのだろうか?
今後、放射性物質の影響から突然変異の種が出てくるかもしれない
それは、通常生物だけでなく、微生物や細菌、ウィルスへの影響も考えられるのではないか?
福島に未知の生物が出現し、それが日本を襲い始めるということはないだろうか?
チェルノブイリでそんな報告は聞いていないが、でも、無いとはかぎらない
チェルノブイリでも例がない被曝動物がいる
人間に一番近いと言う霊長類のニホンザルだ
そのニホンザルがどれぐらいの被ばくをしているのか、捕獲したサルの太もものセシウムの被曝線量を量ったところ
13000ベクレル(通常の制限値が100ベクレル)
非常に高い被曝のようだ
これが、今後サルにどのような影響を与えるのか?
ある個体の脊髄では、血液を作る細胞が異常に低いものが見つかった(再生不良性貧血を通って白血病になる可能性がある)
それが放射能による影響かはまだわからない
今、被曝の森はどうなっているのだろうか?
8年前(2017年)に再放送を見たことを思い出して
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
2006年放送NHKスペシャル「核なき世界を 湯川秀樹」
その中で、湯川博士の亡くなる3カ月前絶筆となった平和への願い
「すべての国 すべての人が
納得できる
核兵器全廃の方法が
必ずあるはずだし
必ずそうあらねば
なりません
なぜならこれは
人類が
生き延びるために
わたしたち
科学者だけではなく
核兵器の恐ろしさを知る
すべての人の
悲願であるからです
人類が本当に
平和を願い
幸せに生きることを
望むかぎり
道は必ず
開けると信じます」
「核兵器と人類は共存できない」と訴え続けた湯川博士
後に続くものもそう言い続けて行くしかないだろう
2016年当時核兵器を保有するとされる国
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮
1万6千発の核弾頭が存在する
現在(2025年)は???
これらの核兵器や核実験を減らすための条約
NPT=核拡散防止条約
CTBT=包括的核実験禁止条約 核兵器禁止条約案
国連総会で毎年採択されている核兵器禁止条約
交渉開始決議に日本は棄権を続けている
10年前(2015年)の記事をもう一度
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
11年前、こんな記事を見て、恐ろしく思いました
「薬物所持で将校2人捜査=核ミサイル部隊また不祥事―米軍(時事通信社より、2014年1月)」
米主要メディアが一斉に伝えたこの記事は、米空軍当局が、核弾頭搭載の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を運用する部隊の将校2人を違法薬物所持の疑いで捜査していることを公表したものでした
米軍の核兵器運用部門では不祥事が相次いでおり、出張先のロシアで酒に酔って粗暴な態度を取ったとして、2013年にICBM部隊を統括する将官が更迭されるなどしているそうです
そして、2014年の年末にも、こんな記事が
(要約せずに、そのまま載せます)
「ある一家の庭に落ちた1発の核爆弾 ─ 今も残る核兵器事故の危険(AFPBB Newsより、2014年12月)」
【AFP=時事】1958年、米サウスカロライナ(South Carolina)州にあるグレッグ家の庭に核爆弾が落ちたときのこと──地面には大きな穴が開き、数羽の鶏が死に、一家は軽傷を負って自家用車のシボレーは大破した
B47爆撃機に搭乗していた空軍大尉がうっかりレバーをつかんだことで、爆弾倉が開いてしまった(大尉もあわや落下するところだった)ことが原因だったが、爆弾に核分裂性核種が搭載されていなかったのは、不幸中の幸いだった
しかし当時、他の米軍機は完全な機能を備えた核兵器を運んで頻繁に飛行しており、先週オーストリアの首都ウィーン(Vienna)で開催された核兵器に関する国際会議で指摘されたように、こうした事故は決して単発的なものではなかった
「核爆発を起こさずに冷戦(Cold War)を終えたことは幸運だった」と、58年やその他の核兵器にまつわる事故について書かれた『コマンド・アンド・コントロール(Command and Control)』の著者エリック・シュローサー(Eric Schlosser)氏は同会議で述べた
「問題は、運はいつか尽きてしまうということだ」と語った同氏は、情報自由法(Freedom of Information Act)に基づく膨大な資料の請求や政府高官らのインタビューなど、新著のための調査に6年を費やした
1961年に起きた事故では、B52爆撃機が空中分解し、旋回しながら落下した
その遠心力によって、完全に運用可能な水素爆弾がノースカロライナ(North Caroline)上空に放り出された
「広島の数百倍もの威力を持つ水爆の爆発を防ぐことができたのは、水爆が備えていた、たった1つのスイッチだった」とシュローサー氏は言う
1968年には、水素爆弾4発を積んだB52爆撃機がグリーンランド(Greenland)のチューレ(Thule)空軍基地近くに墜落した
核物質を囲む爆薬は爆発したが、核爆発は避けられた
だが、一帯は放射性プルトニウムに汚染され、「爆弾1発の一部はまだ発見されていない」
1980年には、当時の国家安全保障担当大統領補佐官、ズビグニュー・ブレジンスキー(Zbigniew Brzezinski)氏が、夜中の2時半に起こされ、ロシアが核ミサイル220発を米国に向け発射したと知らされた
ミサイルの数はさらに、次の報告で2200発に訂正された
米軍機がエンジンをかけ、ブレジンスキー氏がジミー・カーター(Jimmy Carter)大統領に電話をかけようとしていたときに、ようやく誤報だったと判明した
「原因は、価格が50セントにも満たないマイクロチップ1個の誤作動だった」
■危険は過去のもの?
25年前にソ連が崩壊して以来、世界の核兵器は削減され、技術的な進歩による安全面の向上もあり、事故が起きる確率は減少している
米国は、保有するミサイルは海上に配備されており、米軍機が日常的に核兵器を運送することはもはやないとしている
それでも、いまだ世界9か国が1万6300発の核兵器を保有している
うち1800発はすぐにでも発射できる状態にあり、専門家たちは大きな懸念材料はまだあると指摘している
核弾頭そのものは最新化されているかもしれないが、それらが搭載されるミサイルや空軍機、潜水艦は古くなっており、事故はまだ起こり得るのだ
たとえば、2009年には英国とフランスの原子力潜水艦同士が衝突する事故が起きたとされる
また先週、英大衆紙デイリー・エクスプレス(Daily Express)は、過去4年間に英海軍の潜水艦で火災が44件起きていると報じた
だが最も心配なのは、核兵器を配備するのに必要な時間が短縮されたために「一触即発の」危険があることだと、米国の核ミサイルの元監督官で現在はプリンストン大学(Princeton University)で教えるブルース・ブレア(Bruce Blair)氏は言う
「ロシアはプロセスの自動化によって発射までの時間を短縮した。モスクワ(Moscow)から、遠くはシベリア(Siberia)まで離れた発射装置からミサイルを直接発射するのに、ロシア軍の指揮官が必要な時間は数秒ほどだ」
■サイバー攻撃の危険性
ハーバード大学(Harvard University)法科大学院バークマン・インターネット社会研究センター(Berkman Center for Internet and Society)のカミール・M・フランソワ(Camille M. Francois)氏によれば、高度な自動化により、冷戦時代にはほぼ考えられなかったリスクが生じている
それは、サイバー攻撃のリスクだ
「核兵器はサイバー攻撃に対し、極めて脆弱だ」とフランソワ氏はAFPの取材に語った
さらに、政策立案者らは1983年の映画「ウォー・ゲーム(WarGames)」のような一匹狼のハッカーによる攻撃のみ想定した「1980年代の考え方」に固執し、サイバー攻撃はインターネットを通じてのみ行われると信じ込んでいると、同氏は警鐘を鳴らしている
「もはや若者ではなく、国家がサイバー戦争に非常に多くを投資している。これは新たな戦場、第5の戦争領域だ」
元米国務省高官で現在は英シンクタンク「国際戦略研究所(International Institute for Strategic Studies、IISS)」に在籍するマーク・フィッツパトリック(Mark Fitzpatrick)氏はAFPの取材に対し、核爆発事故がこれまで一度も起きていないという事実は、「核兵器を扱う人々が、自分たちの任務に真剣に取り組んでいることを示している」と語った
「だが一方で、そのような事故がこれまで起きなかったのは、非常に幸運なことだ。この問題の緊急性は誇張されることもあるが、私はそのリスクや誤りが生む破滅的な結果を軽視したくない」
「核兵器は、これまで開発された兵器の中で最も危険なものだ」と、シュローサー氏はAFPに語った。「わたしたちは、この技術を開発した瞬間から今まで、これを制御できたことは一度もない」
【翻訳編集】AFPBB News
この記事と読んでどう思うだろうか?
これはアメリカのごく一部の出来事だと思います
核保有国ではこれと同じような事がもっとたくさんあるのではないでしょうか?
そして、今、問題になっているサイバーテロ
ネット上の戦争だけととらえない方がいいかと思います
我々の知らない場所で知らないうちに、悲劇が起こる可能性が、あちこちにあると言うことではないでしょうか?
そして、今、起っているウクライナ戦争でも、ついうっかり、プーチンが核を使ってしまったら…
芸能情報で一喜一憂している平和ボケの日本人よ、今ある平和は危ういいことをよく理解してもらいたい
15年前にブログに載せた記事をまたひつこく載せます
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
「チェルノブイリで観光事業 ウクライナ、年明けから (共同通信より、2010年12月)」
14年前(2010年)こんなニュースが飛び込んで来ました
1986年に原子力発電史上最悪の事故を起こしたチェルノブイリ原発の周辺地域で、2011年1月から観光ツアーを認めると言う記事でした(その後、このツアーがどうなっているか確認していません。戦争中ですから、それどころじゃないでしょう)
まだ、放射能汚染で立ち入り規制されている場所はありますが、それらを回避した状態での観光ルートが設定されると言うのです
38年たっても、放射能汚染が続いている所もあるのだから、放射性物質とは本当に恐ろしいものです
でも、この放射性物質は、人間に害の無い程度に、ごく当たり前に自然界に存在しています
それを、わざわざ濃縮して、核兵器や原発の燃料を作る
しかも、濃縮したものはもとには戻らないのだからやっかいです
放射性物質は、ゴミ焼却場で燃やして終わりとはならないのです
それが分からない人が多すぎる!
地下に埋めればいいってもんじゃない!
今、日本でも、原子力発電所の放射性物質も最終処分場について、いろいろ始まっていますが、どうなるでしょうか?
チェルノブイリ以外にも、核実験場、核兵器貯蔵所、核兵器製造場所、原発の核燃料廃棄場所など、まだまだ放射能汚染されているところは世界に数多く存在します
そして、人類はまだ、核兵器そして原発を作って、その汚染場所を増やそうとしています
そのうち、自分達の生存できる所が無くなってしまうのではないでしょうか?
福島第一原発の廃炉作業ははかどっていると思っていいのでしょうか?
そんな状態を人々は忘れてしまっていないでしょうか?
過去のことではないのです
現在も続いているのです
どんなに時間が経とうとも、起こった事故については、陳腐化しないようにしてもらいたい
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、再度、繰り返し書きます
「<核フォーラム>「過ち繰り返させない」広島で訴え(毎日新聞より、2015年 11月)」
10年前(2015年)、広島市で開催された「核のない未来を! 世界核被害者フォーラム」では、世界の核被害者からの現場報告がありました
インドのウラン鉱山近くに住む先住民や米国の核実験被害者、広島・長崎の被爆者やチェルノブイリ原発の労働者ら約15人が登壇し、核利用のあらゆる場面で甚大な放射線被害が起きていると訴えたそうです(その後は調べていないのでわかりません)
登壇者の米国人作家メアリー・ディクソンさん(当時60)は、1951~92年に米国が核実験を繰り返したネバダ実験場近郊の町に現在も暮らし、29歳の時に甲状腺がんを患ったそうです
多くの周辺住民もがんなどを発症していると報告し、「悲劇を直接知る私たちがともに立ち上がり、過ちを繰り返させないようにすべきだ」と訴えたそうです
10年前(2015年)、被爆・戦後70年と言うこともあって、森瀧市郎著の「核と人類は共存できない」核絶対否定への歩み」七つ森書館(1800円(税抜))(当時)を読みました
核の軍事利用と「平和(商業)」利用の幻想を問い、核社会をするどく告発する足跡書いたものでした
原子爆弾
終戦間際に、広島と長崎に落とされた爆弾
戦時中、アメリカ本土での実験と広島・長崎に落としたもの全部で3個作られました
その原爆の「被爆者」は、広島と長崎でしかないと勘違いしている人が多くいるかもしれません
「被爆」は一回目に行われたアメリカの原爆実験でもありました
アメリカ海兵隊の「被爆」
その後、原爆より数百倍の威力がある水爆が開発されて、その核実験がアメリカ領のビキニ環礁で行われました
それによる猟師や現地人の「被爆」
あの有名な第5福竜丸の「被爆」
そして、それが「被曝」となるともっと範囲は広がります(「爆」では無く「曝」です)
原爆の開発・実験、そして、水爆の開発・実験において、ウラン採掘で「被曝」したオーストラリアのアボリジニーやアメリカのインディアン
多分、今の核保有国の中にも「被曝者」はたくさんいるはずです
そのことを現代の人たちは全然知らない
無知無関心だから
この原爆・核兵器そして、原発に至るまで、放射性物質の影響を受けて、何らかの疾病を発症した人たちは数多くいるはずなのです
だから、森瀧市郎氏は「核と人類は存続できない」と言い続けたのだと思います
そして、被爆者と被曝者は訴え続けているのです
あなたは、今の平和な生活が当たり前だと勘違いしていませんか?