【中古】 よみがえった都市―復興への軌跡 原爆市長 / 浜井信三 / / [新書]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】
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今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
14年前(2011年)、公開した記事を、ひつこく、毎年記載します
自分で、毎年、読み直している手記です
「2007年9月11日(火)(曇り)の手記
アメリカ同時多発テロから、6年がたつ
テロ国家と言われたイラク攻撃をしても、イラク本国としては全然改善されていない
確かに独裁国家ではなくなって良い点もあったが、国家が崩壊したようにも見える
アメリカはイラクから手を引けない状態
多発テロの犠牲者よりもイラクでの犠牲者が多い状態
これではベトナムの二の舞ではないか?
(ベトナムは、今、ようやく豊かになったように思えるが…)
いつもあおりを受けるのは国民だ
政治家の行動によるものだが、アメリカは戦争好きな国家だと言われてもしかたがない
出口が見えない状態でどうするべきか?」
この手記を受けて、さらに
以前(2011年)、NHKハイビジョンで放送された「貧者の兵器とロボット兵器」と言う番組を見た(2011年放送)
米軍とタリバンの泥沼の戦闘が続くアフガニスタンでまったく新しい戦争の姿が出現していると言う
ロボット兵器を駆使する大国(アメリカ)と、カラシニコフ銃など旧式の武器に頼る武装集団のお互いの姿の見えない戦いを追った番組でした
アフガニスタンで続く米軍とタリバンの戦闘
戦場で対峙する非対称戦争
ロボット兵器は戦場にどんな変化をもたらしているのか?
21世紀の新たな戦争の姿と脅威
(まさに、いま、ウクライナで行われているドローンを使った戦争がそうなのかもしれない)
ロボットを操る人間がいなければ、これはまさにターミネーターの世界になってしまう
そして、ロボットを操る人間は理性を持って操作していると信じたいが、もはやゲーム感覚に陥ってしまっているように思う
言い方は悪いかもしれないが、アメリカや中国などの大国が世界の国を使って戦争を起こしていたように、今度はロボットを使って戦争を起こそうとしているようにも思う
世界の警察と自国を自負しているアメリカ
それをひっくり返そうとしている中国
ロシア崩壊の後、世界の軍事力を牛耳っているのはアメリカかもしれない
でも、ヨーロッパ連合や中国、インドは虎視眈々とその座を奪おうとしているように思う
なんで、みんなおやまの大将になろうとするのだろうか?
世界征服?(こんな狭い地球上で…)
いつも、友達とそんなところから話が始まり、戦争の話になる
アフガニスタンやイラクもはっきり言えば、アメリカ対ソ連の戦い
朝鮮半島も、ベトナムも、そして、第二次大戦の末期の日本についても
アメリカ対ソ連の戦い
そんなアメリカ(キリスト教)に反発するのが、異教徒達
そう、戦争は宗教戦争の何者でもない
どんなに平和を唱えても、武器を持つ限り、戦争は無くならない
そして、そこに多数の宗教が存在するかぎり、戦争は無くならない
友達と話していて、最後にたどり着く結論はこうだ
「地球上の戦争を無くするためには、地球は宇宙から侵略されるしかない」
つまり、「宇宙戦争」「インディペンデンスデー」しかない
「地球外生命体(エイリアン)の地球侵略」しかないだろうと言うことだ
こんな悲しい結論にいつも達する
最近の軍事開発は、昔と違って、企業提案型になっていることにみなさんは気づいているだろうか?
このNHKの番組も兵器の展示場があり、そこで各メーカが兵器の売り込みをしている(2011年放送)
実は、日本の防衛省へも、企業が兵器に対する提案を常時行っている(みなさんのお馴染みの大手企業だ)
つまり、一般企業が「戦争のやり方」を提案しているのだ
(実は、自分もそんな仕事をしていました)
表(おもて)では、民製品(民間製品)を作っているメーカーも裏(うら)では、死の商人になっているのが現状
そんな所を狙ったのが、9.11テロだったのかもしれない
(自分もテロリストに狙われる存在だったかもしれない…)
世界は、テロによって「一般市民」が狙われたと思っただろうが、テロリストにとっては、兵隊も兵器開発者も、一般市民との区別が出来なくなっているのかもしれない
「兵器を作っている」のは、政治家でも、軍人でも無い、実は「一般市民」なんだ
(以前公開した手記を再度記載しました)
さあ、集団的自衛権が公使されれば、今度は、日本本土が、同盟国として、テロリストの対象となる
それは、自衛隊に対してだけではない
海外で活躍している商社マン、そして、会社員、さらには、観光客や海外で暮らしている一般の日本人でさえも…
そんな人たちも、今回の安保関連法の改正で、守ることも考慮できているのだろうか?
それとも、第二次大戦の時のように、本土以外の日本人は見捨てられるのだろうか?
(去年の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年もまたまた同じことを言います
NHK「ヒロシマ 復興を夢みた男たち」を見て(11年前)
浜井信三
自分は広島市出身の身ながら、この人の存在をよく知りませんでした
戦後、助役から、選挙によって広島の市長となった人、浜井信三氏
本「よみがえった都市 復興の軌跡 原爆市長 浜井信三」
この本は、原爆によって破壊された広島を復興させた浜井信三氏の自叙伝です
東日本大震災によって破壊された人々に送られた本だそうです
中国新聞社(広島市本社)にその本のもとになった手記がありました
「広島市政秘話 付平和宣言」広島市長浜井信三
広島市長になって十年後に浜井信三市長が残した手記だそうです
浜井市長は原爆症を煩いながらも復興に尽力した人です
「おのれに徹して人のために生きよう」浜井市長が手帳に残した言葉です
「夢を語ろうの会」
画家:福井芳郎、NHK広島中央放送局長:石島冶志、茶の宗匠:永田清次郎、建築士:河内義就など
浜井市長を囲む彼らが、純音楽茶房「ムシカ」で、夢を語り、広島の復興に貢献したそうです
100メートル幅の道路はこの時、話が出たと言うことです
あの原爆の惨状を詩に残していた峠三吉も復興案をだしていたそうです
浜井市長が選挙の時に出した「いかにしてもやらねばならない3つの約束事」
1,市政の民生化を図る事
2.市民生活の安定を図る事
3.復興事業を速やかに軌道に乗せる事
「何が何でもやらにゃあいけんのです」
まさに、今の日本もやらねばならない基本なこと
原爆資料館に浜井市長の銅像があるのは気づきませんでした(銅像があることは知ってました)
「広島の父」と言われた浜井信三さん
浜井氏が復興に尽力を尽くし、立ち直った今、日本自身はどこに行こうとしているのか?
浜井氏がいらっしゃったら、今の日本をどのように思っただろうか?
浜井信三さんのような国会議員あるいは首相は誕生しないのだろうか?
今一度、本「よみがえった都市 復興の軌跡 原爆市長 浜井信三」を読んでみたい
(去年の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
何度でも、同じ記事を繰り返します
これは16年前の記事です↓
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被爆者のDNA、傷つきやすい=修復作用、通常より多く確認-長崎大 (時事通信より)
原爆による放射線の影響によって、被爆者は通常の生活をしていても、皮ふの細胞のDNAに傷が入りやすいことが分かった
長崎大大学院医歯薬学総合研究科の中島正洋准教授の研究グループが6月22日までに突き止めた
論文は米がん学会の専門誌「キャンサー」電子版に掲載された
研究グループが、被爆者の皮膚がん周辺の細胞を調査したところ、がん化しておらず、一見正常に見える細胞でも、DNA損傷の修復作用が通常より多く見られることが確認された
特に、爆心地から1.5キロ以内の近距離被爆者では、その反応が顕著に現れた
被爆者は、長い年月がたった後でもがんになりやすいことが分かっているが、放射線ががんを引き起こす仕組みはまだ不明な点が多い
中島准教授は「DNAが傷つきやすければ、それだけ修復の回数も多くなる。細胞ががん化する可能性も高くなるだろう」と話している
[時事通信社][ 2009年6月22日]
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この記事が出たときは、そうだろうなと思いました
放射性物資による人体への影響はまだまだ不明な事が多いと言うのが現状なのだと思います
その後の研究はどこまで進んでいるのでしょう?
私の父は原爆の直爆を避けることはできましたが、原爆投下の翌日朝早く広島入りをしています
いわゆる二次被爆です
37歳に胃ガンで亡くなっているのですが、原爆(放射性物質)の影響がどの程度あったのかわかりません
そして、父の遺伝子(DNA)を継ぐ自分も、どの程度、その影響(遺伝)を受けいるかわかりません
広島・長崎の被爆者の長期調査では、被爆した親から生まれた子どもの健康状態は、被爆していない親から生まれた子どもと変わらなかったとはなっています
つまり、「遺伝への影響は無い」ということです
でも、本当だろうか?
(広島大学の研究グループが、白血病を発症した広島原爆の被爆2世のうち、父親が被爆し、戦後早い時期に生まれた人ほど、発症の危険性が高いとする研究結果をまとめています。これは遺伝でしょうか?また、自分の子供に障害を持った子供が生まれています。これはその影響かどうかはわかりません)
DNA研究は最近始まったばかりなので、その詳しい回答が出るのはまだまだ先でしょう
それは自分が生存しているときには出ないかもしれません
わからないままに、放射性物質を使用する核兵器はそのままになり、代替エネルギーへの変換が進まないままで、原発もそのままになり、喉元過ぎたころに再稼働に拍車がかかるようで恐ろしいです
放射性物質は、少なくとも人体に対して、長い年月、人類の世代を越えて、影響のあるものであることは間違いないでしょう(宇宙から降り注ぐ宇宙線だって、人体に影響があるのですから)
福島第一原発事故で、微弱ではありますが、放射性物質が洩れました
その影響調査のために福島県民の追跡調査も行われました
(これは福島県民だけでよかったのでしょうか?)
体についた傷は治るかもしれません、でも、DNAについた傷はどうなるのでしょうか?
そして、本当に世代を越えてその傷が残ってしまう可能性は無いのでしょうか?
核兵器や原発に使用している放射性物質ですが、取り扱いを間違わなければといつも心配します
絶対に間違わないと言う保証はありません
核兵器を使用しなくても、その保存が絶対とは言えません
現にアメリカなどの核兵器の製造工場の放射性物質は、土地が汚染され、その除染が不可能であるためにそのまま放置されています
何度も言いますが、福島第一原発の事故により、放射性物質は洩れました
さらに、原発の再稼働が進めば、使用済み核燃料もドンドン溜まってきます
その処置ができない有様なのに…
フィンランドは、高レベル放射性廃棄物処置のために地中深く埋設させる「オンカロ」を作りました
日本は???
原発の安全性を高めるために、ベント(排気)のフィルターを義務付けるようにしています
それだけでいいのでしょうか?
いいのでしょうか?
まごまごしていると耐用年数を過ぎた核兵器やその他原発から放射性物質が洩れだしてくるかもと心配するのは自分だけでしょうか?
(専門家は絶対そんなことは無いと言い張るでしょうが、絶対なんかあるのだろうか?)
「白血病:リスク、低線量被ばくでも増 欧米30万人調査(毎日新聞より、2015年7月)」
低線量の放射線を長期間にわたって浴びることで、白血病のリスクがごくわずかだが上昇するとの疫学調査結果を、国際がん研究機関(本部フランス)などのチームが英医学誌ランセット・ヘマトロジーに発表しています
欧米の原子力施設で働く30万人以上の被ばく線量と健康状態のデータを分析
低線量被ばくの健康影響を統計的に示した研究は少なく、東京電力福島第1原発などで働く作業員や、放射線機器を扱う医療従事者の健康管理に役立つ可能性があるようです
リスク上昇が非常に小さいため、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づいて政府などが定める被ばく線量限度の再検討は必要なさそうだが、ただ一定の線量を超えないと健康影響は出ないとする考え方は見直しを迫られそうです
結果は、被ばくがなくても白血病を発症する可能性を1とする「相対リスク」を考えた場合、1ミリシーベルトの被ばくごとに相対リスクが1000分の3程度上昇するという内容
100ミリシーベルト以下の低線量でもリスクはなくならないとしたそうです
「ただちに健康に影響はない」ではないではないか?
「1000分の3程度上昇」を少ないとみるか、多いとみるか?
でも、影響がないとは言えなくなった
自分の町は、1Fの事故後、15日に関東全域に放射性物質が拡散した後、放射線量が一時期高くなりました
当然、年間の積算放射線量が1ミリシーベルト以上(場合によっては倍)になっていました
街に申請して家の周りと家の中の放射線量を量ると、確かに高い
その後、町全体の除染は進みましたが、家は庭の草を刈ったぐらい
住宅地内の放射線量は減ったのだけど、家の線量は不明
線量が高いときはリスクが高かったということだろうか?
今となっては、もっとやり方はなかったかと後悔しています
(以前のの記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
14年前の記事をひつこく今年も…
「広島に原発建設案 1953年、米政権内で検討(朝日新聞より、2011年)」
被爆地広島に原子力発電所を造る案が1953年時点で、米政権内で浮上していたことが、朝日新聞が入手した米公文書からわかったと言う記事でした
当時のアイゼンハワー米大統領は「(原爆投下への)罪悪感を示すことになる」という理由で反対したようです
広島に原発を造る案はビキニ事件(水爆実験)が起きた54年以降に米国で相次いだようですが、それ以前に政権内で検討されたことが明らかになっていたと言うのが驚きです
(アメリカは、ビキニの一件より、アジアでの反米状況を抑えるために、原子力の平和利用と言うことで、この後、原子力博覧会を日本で開いて、印象を好転しましたよね)
この件は、この記事が出る前に自分は知っていました
森瀧市郎著「核絶対否定への歩み」(渓水社より)の中の一文に書かれてあったからです
始め読んだ時は、「うそだろう」と思いましたが、1960年代に佐藤内閣で核武装の検討が極秘になされていたことを考えると、ありえないことでは無いと納得してしまいました
(この案も、アメリカに反対されました)
さらに
「東京に原発を!幻の報告書を独占入手! (FLASHより、 2011年6月)」
と言うことも検討されていたのには驚きました
"オフィスビルの地下室に超小型原子炉を設置"、"原子力を利用した水の浄化"、"ハウス栽培農業にも小型の原子力を"…
2000年9月、石原都知事の発言を受けた日本原子力産業会議が幹事となり、各専門家を集め、有識者懇談会をおこなった後、懇談会は「都市計画グループ」と「技術検討グループ」に分かれ、東京原発計画の検討会が複数回開かれたのです
まとめられた「大都市など需要地域における原子力利用可能性調査」と題された9枚綴りのその資料には、CO2排出や水不足などの問題を挙げたうえで、首都圏での原子力利用がいかに必要なものであるかが書かれていたようです
これが検討された前年には、東海村で日本の原子力産業で初めて死者を出したJCO臨界事故が起こったというのに…(原子炉での事故ではありませんが…)
結局この案も、原発の安全性の問題等あって、お蔵入りしたようです
つまり、安全性はこの頃から、はっきりしなかったということなのです!
原発は、政治と財界のおもちゃになり、暗黙のうちに話が進むものなのですね
もし、これらの案が実現されていたら、今の日本はどうなっていたのでしょうか?
考えるとちょっと恐ろしい感じがします
「知らぬは国民だけなり」、そして、「被害を受けるのは国民」か…
(以前の記事をそのまま引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
12年前(2013年)放映されたNHKスペシャル「緒方貞子・戦争がおわらないこの世界で」を見たときの手記
決断ありき
そこから出きることを探す
「小さな巨人」と呼ばれた決断力の裏には、太平洋戦争への怒りがあった
元国連難民弁務官・緒方貞子の人生を、ドラマとインタビューで描く
1991年に弁務官となった貞子(ドラマでは斉藤由貴が演じる)
直後、40万人のクルド人がイラクから命からがら逃げて国境地帯へ
前例ではイラク側にいるかぎり難民ではない
だが貞子は「守るのはルールではなく命」と決断する
曾祖父の犬養毅の死
そして直面した戦争…
戦後の学生時代、日本が戦争に突き進んだ理由をひたすら調べた貞子の結論は「トップの無責任」だった
ここまで一貫した生き方は難しい
でも誰かに頼り切りの人生は少し変えてみようと思う
(朝日新聞試写室より)
自分は、緒方貞子さんが12年前(2013年)放送されたNHKの大河ドラマ「八重の桜」の主演八重のようにハンサムウーマンだと思いました
「まず、決めてから、それからどうするかと決める」
貞子さんのお父様が言った言葉を実戦しているそうです
重大な決断は「かん」と言っている緒方さんだけど、その裏には、十分に聞き込んだ情報と自信があったのだと思ういます
十分な準備があるからこそ、「かん」が冴えるのでしょうね
今の日本には、緒方貞子さんや八重さんのようなハンサムウーマンが必要かもしれない…
今は、NHKの連続テレビ小説の「虎に翼」のモデルとなった日本初の女性弁護士でのちに裁判官になった三淵嘉子さんのようなハンサムウーマンが必要かな?
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
これも以前、記事したものをもう一度
「サダコ」と聞いて、今の日本人は誰を想像するでしょうか?
大半の人が、映画「リング」の山村貞子を想像するのでしょうか?
それは、ホラー好きの人の答えで、古い映画好きの人にとって、「サダコ」は、大女優の沢村貞子を想像するのでしょうね
でも、海外の人に「サダコ」と訪ねると、違う答えが返ってきます
そこで、それは、難民援助で尽力を尽くした緒方貞子さんではないかと思う人が多いかもしれません
しかし、海外の人は「佐々木貞子」と答える人が多いようです
たぶん、「佐々木貞子」と聞いて、その人物の詳細を答えられる日本人は少ないのではないでしょうか?
広島市出身の自分でさえも、その詳細を詳しく知ってはいませんでした
佐々木貞子さんは、2歳の時に、広島の原子爆弾で被爆しました
ただ、その後、その影響はまったくなく、元気に小学校時代を送りました
中学を目前に突然、白血病を発病
原爆病と診断され、闘病生活の中、回復を願って千羽鶴折り続けたのですが、千羽も折ることも無く天国に召されました
彼女は、広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルになった少女なのです
そんな、佐々木貞子さんについて、海外で知る人が多いと言うのです
また、海外で出版される本も多いと言います
「サダコ」とネットで検索すると佐々木貞子さんの事が数多く出てきます
平和ボケしてしまった日本人
外国の人々に「それでも被爆国の人なのですか?」と不思議に思われないように、今一度、佐々木貞子さんを知って、核の無い世界を考える必要があるかもしれませんね
「サダコ」
それは核の無い世界のパスワードだと言います
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
去年の記事をもう一度
13年前(2012年)、夕方のニュース番組を見ていたら埼玉県東松山市にある公益財団法人丸木美術館(こうえきざいだんほうじん まるきびじゅつかん)を紹介していました
丸木美術館には、丸木位里(1901年-1995年)・丸木俊(1912年-2000年)夫妻による「原爆の図」が展示されているそうです
第二次世界大戦で使用された原子爆弾の惨状を描いた「原爆の図」は、日本だけでなく、世界各地で巡回展示されているようです
さて、この美術館は、原爆はもとより、原発にも反対しており、原発分の電気料金は払わないと東京電力に通知、電気料金の一部を支払わなかったため、東京電力が料金未払いとして送電を停止されたことがありました
これに対して、美術館側は、発電機による自家発電によって電気をまかなったと言うのです
この発電機は、市民が呼びかけを行い募金を集めた太陽光発電を使ったそうです
ニュースでは、新たな太陽光発電により、電気を供給していると言うことを紹介していました
現在、この美術館の電力状況がどうなっているかはわかりません
でも、ここまで、東電に対して強硬手段にでたのは驚きでした
今後、国の政策がどうなるかはわかりませんが、企業や自治体ができる範囲自力で電力の供給を行い、体力をつけることも大切なことだと思います
そういうことが、脱原発につながるのではないでしょうか?
機会があれば、この美術館も訪れてみたいところです
美術館は、建物の老朽化により改修計画がまとめられ、2025年秋に着工して約1年半休館となり、2027年春にリニューアルオープンする予定だそうです
(去年の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
毎年書いている記事をもう一度
14年前(2011年)に公開された映画「カリーナの林檎~チェルノブイリの森~」
1986年にソビエト連邦(現・ウクライナ)で起こったチェルノブイリ原子力発電所事故を題材にした映画でした
残念ながら、この映画も自分は映画館で見ることができませんでした
同作品は、放射能汚染の危険がある村からベラルーシに越してきた少女カリーナの目線で、チェルノブイリ事故その後を描いたファンタジーだそうです
カリーナは、入院中の母に次のように聞かされる
「チェルノブイリには悪魔の城があり、悪魔が毒をまき散らしているのだ」と
やがて自分も病に倒れたカリーナは、悪魔の悪事を止めるべく、一人、チェルノブイリの森へと向かう
ベラルーシの美しい景色がより一層、運命の残酷さを際立たせる切ない物語になっているそうです
この話を聞いて、自分は、2歳の時、原爆によって被爆し、その後何事もなく無く12歳になったとき、突然白血病が発症し、この世を去った佐々木貞子さんの話を思い出しました
何故、こんな罪もない子供達が犠牲になるのだろうか?
いろいろ問題があった後、関あきよし監督のもとで作られた作品ですが、作品そのものに罪はありません
原発事故以来、いろいろな原発作品が紹介・公開されましたが、これもまた、人々にいろいろなことを教えてくれる一つだと思います
また、放射性廃棄物を題材にした映画「100000年後の安全」はレンタルして見た後、youtubeで無料配信されてました
この放射能が人体に与える影響の真実を描いた映画「チェルノブイリ・ハート」もyoutubeで配信されるといいな
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
毎年、この時期に繰り返し記事にしているものを再度、書きます
16年前の日テレの23時からのNEWS ZEROで、知花くららさんが、祖父の沖縄戦の話を取材したコーナーを拝見したことがありました
彼女は沖縄出身ですが、祖父母から沖縄戦がどうであったか聞いた事がなかったと言います
戦争体験者の高齢化が進んでいる今、その事実を話す人が少なくなっています
戦争を知らない自分たちはその事実を受け継いで、子ども達に継承していかないとならないでしょう
(事実を伝えるために)
知らない事は恐ろしいことです
また間違った受け取り方をしても良いとは言えません
広島出身の自分でさえ十数年前までは、あまり考えてもいませんでした
でも、今は危機感を感じる事があります
そして、14年前のNHKの教育番組にて、小学生・中学生が、今後、戦争が起こり、また、彼らが巻き込まれる不安を抱いているレポートを書いているのを見て驚きました
(集団的自衛権が推進されている中、この不安はもっと大きくなっているかもしれません)
また、沖縄戦で、祖父が戦って亡くなった子どもが、祖父の亡くなった場所に行って、思いを告げるシーンを見て、胸が詰まる感じがしました
戦後60年であった20年前も、女優の綾瀬はるかさんが、広島で祖母に初めて、被爆の現状をレポートして、その惨劇を知った事がありました
(これは、「ヒロシマ あの時、原爆投下は止められた」と言う本になって発売されています)
14年前は、タレントの相沢紗世さんが、自身被爆三世ということを告白し、NHKの原爆関係の特番に出演されていました
13年前も8月6日のNHK放送で吉永小百合さんほか多数の歌手が集まり、平和の祈りを込めたコンサートを行っていました
吉永さんは、このほか、広島・長崎さらには沖縄の惨劇に対する詩の朗読を行っていらっしゃいますね
この活動は、もう毎年行われる恒例のこととなってきました
少しでも、それが、広がって、戦争に対する拒否の意識を持ってもらうためです
長崎の高校生たちは世界への働きかけをおこなっているようです
「微力だけど無力じゃない」
いい言葉ではありませんか
隣町で毎年行われていた原爆の朗読劇
残念ながら、これは最近終わっていました
タレントさんの活動ではないですが、市民の有志の活動でした
国民の戦争に対する意識はどんどん薄くなっているのではないでしょうか?
戦争経験者の口は堅いです
トラウマになっているからだと思います
いまこそ、戦争体験者にその事実やその目、耳、体で感じた事を聞いて、手遅れにならないように、私たち戦争を知らない世代が継承して行かねばならないでしょうね
でも、国民全体にそれを意識させるのは、凡人である自分たちより、メディアに影響力がある吉永さんや知花さんなどのタレントさん達の力も必要だと思います
そして、ネットワークが発達した現代では若い人たちの力も可能性を秘めていると思います
以下で、被爆者・戦争体験者のインタビューを見ることができます
The Peace Learning Archive in OKINAWA 沖縄平和学習アーカイブ
(2007年8月9日の手記を引用しました)