風が吹くとき
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今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年もまたまた同じ記事を書きます
このアニメ映画は、「スノーマン」などで知られるベストセラー作家レイモンド・ブリッグズ氏が冷戦時代の1982年にイギリスで出版した絵本を、1986年に日系のアニメーション作家ジミー・T・ムラカミ氏がアニメ化した作品です
(あらすじ)
主人公は、イギリスの片田舎で静かな年金生活をおくっている老夫婦
しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっており、ある日、戦争が勃発する
2人は政府が発行したパンフレットに従って、保存食を用意し「シェルター」を作るなどの準備を始める
そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられる
命からがらシェルターに逃げ込んだ2人はなんとか難を逃れるが、放射能がじわじわと2人を蝕んでいく。救援がくると信じて止まない2人は、次第に衰弱し……
(ウィキペディアより)
1986年の作品なので、米ソの冷戦下であった時期ですね
この作品は、原子爆弾より破壊力が大きい水爆つまり今の核兵器のレベルでのお話だと思います
いつもと変わらず田舎で暮らしていた老夫婦は、突然、核戦争が起ったことにより、生活に変化が起こるお話です
イギリスの作品なので、この老夫婦が住んでいるのは、ロンドンの郊外なのでしょう
ロンドンには息子達家族が住んでいて、たまに図書館へ本を読みに行くという感じです
ある日、図書館に行って、借りてきた本は、核シェルターの作り方でした
家の戸を壁に立てかけた程度のものです
核爆弾の閃光や熱線は防げても、爆風やもっと恐ろしい中性子線は防ぐことはできません
これも、核兵器の効果を知らないことからくるものでしょうね
原子力発電所がどのような隔壁になっているかわかりますよね
放射線が貫通しないように、鉛の壁に何重にも覆われているのだから…
(そこから放射性物質が洩れだしたら、どうなるか、原発事故が起こった今、よくわかりますよね)
一般市民が核シェルターを作るのは並大抵のことではありません
通常爆弾と違って、放射線はなんでも貫通するために、人は逃げる事ができません
(放射線によって違いはあります)
そんなことも分からずに、老夫婦は、核爆弾が落ちた後、シェルター生活を行いますが、放射線の影響からの被爆症状が出始めて、だんだん衰えて行きます
知らないとは恐ろしいことです
この作品が発表されてから20余年、冷戦構造が崩壊し、世界の状況は変わりましたが、核兵器をパワーゲームの切り札とみなして、核兵器はいまだに存在し、あわよくばさらに持とうとする国もあります
そんな今でも、この映画は、通用するのではないでしょうか?
主題歌を歌っていたのは何と、デビッド・ボーイでした
(以前の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年もまた同じ思いにふけって、同じ記事を自分で読み返しています
今年も8月15日、80年目の終戦記念日・戦没者慰霊の日を迎えました
80才以上の人は、戦争の事を思い出し故人の墓に参いられただろうか?
中高年の人は仕事がお盆休みで体を休めたり、故郷でのんびりしただろうか?
若者は、何も感じず、ただ、遊びほうけているだろうか?
子供達はどうだろう?
それが、日本の現状かも
この日は、心の中でもいいから、自分の先祖の事を思って欲しい
(今年も自分は故郷の墓参りには行けない。体調が悪いために何もできない)
そして、家系に必ずいらっしゃると思われる戦死された方の事を…
(自分の父方の家系にも戦死された方がいますが、どうやら日中戦争だったようだ)
そして、戦時中、戦いに巻き込まれて亡くなった一般の方の事を…
先祖が生きていたから今の自分があると言うことを…
毎年思うのですが、「終戦記念日」、「記念日」でよいのだろうか?
「終戦の日」ではないか?
今年も、録画した全国戦没者追悼式を見ながら、ふと思いました
話は変わりますが、今は亡きカール・セーガン博士が「COSMOS」と言う本を出版しています
その本の中で博士は以下のようなことを言っています
「私たちの激情と、よい性質としばしば呼ばれているものとの間の対立がある。
人を殺したいほどの怒りは、私たちの脳の奥深くにある、大昔の爬虫類の脳・R領域が引き起こすものだ。
もっと最近になって発達した、爬虫類と人間の脳である辺緑系や大脳皮質と、そのR領域との間には対立がある。」(COSMOS(下)P297)
おいおい、争いそして戦争を起こしている人間(利用された人ではないよ)は、爬虫類の脳に支配されているということか?
なんと愚かなことでしょう
自分たちが有能で高等な人間であると思っていても、争いそして戦争を起こす時は、爬虫類のレベルでしかないのか?
プーチンは人ではなく爬虫類??
戦争を起こす以前に、兵器開発そして武装推進する人々も同じなのだろうか?
(これは自分にも当てはまるかもしれない、何しろ兵器設計をしてましたから…)
これは、進化というより、退化というべきでしょうね
理性を持って、進化した人類であるなら、爬虫類の脳に支配されないように、争いを回避したいものですね
みなさんは、爬虫類ですか?人間ですか?
シューティングゲームやファイティングゲームに夢中になっている人、勝ち負けしか考えられない人、自己防御しか考えない人、誹謗中傷しかできない人、爬虫類の脳に支配されてませんか?
カッカして、殺意を持とうとしている人、貴方は爬虫類になろうとしています
教育現場の人達、子供達を爬虫類にしないでください
そして、政治家を含めて、指導者の人々よ、爬虫類ですか?人間ですか?
そして、人々を爬虫類におとしめていませんか?
(2007.08.15の手記を利用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年も同じ本を紹介します
「13歳からの平和教室」
浅井基文 著
出版:かもがわ出版
発行日:2010年8月
ISBN: 978-4-7803-0369-8 価格:1680円(税込)(2010年当時の値段)
「平和」と言っても家族や身近な人の平穏な生活から、世界の国々から争いがなくなることまで、人によってとらえ方の難しい言葉です
この本は、そんな「平和」を考えるための1冊です
この本では、おじいちゃんに「平和の大切さって何だろう」と2人の孫が尋ねるところから始まって、おじいちゃんと戦争や平和にまつわる問題を考えていく対話形式で、平和について知識を深められるようになっています
おじいちゃんとなって語っている著者は、広島市立大学広島平和研究所所長の浅井基文さんです
中国新聞(中国地方の地方新聞です)に連載していたものを、本にまとめたものです
やさしい語り口ですが、核兵器の問題から「人間の尊厳」や国際協力など幅広い視点で平和を考えます
(平和記念資料館メルマガより抜粋しました)
この本を読んで、小さい子に「なぜ戦争は起きるの?」と聞かれたとき答えるヒントを、見つけてみませんか?
我が家は、家族みんなに読んでもらうようにしました
そして、
「(広島市立大)市民とともに「平和学」(朝日新聞デジタルより、2014年7月)」
広島市立大は2010年度から全学部で「平和科目」を履修するよう義務づけているようです(現在、この科目がどうなっているかは不明です)
開かれた市民向け平和講座「ヒロシマ・ピースフォーラム」では、JICA(国際協力機構)職員らの話を聞いた約80人のうち、半数は平和科目の一つ「広島からの平和学・実践の方法」の履修生だったようです
グループ討議の時間を設け、学生も市民も共に意見を交わしているです
講座を担当する教授は、「学生は専門家や市民の話を聞くことができ、市民も学生と同席して刺激になるはずです」と語ったそうです
「平和」「平和」と言うだけでは、平和ボケになるだけ
子供達から、大人達まで、「平和」と言うものをしっかり勉強する必要があります
そして、しっかり、討議をする必要があります
(以前の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
毎年、記事にしていますが、今年もまた記事にします
「平和教育」
最近の中学校ではどうだろうか?
長男や次男の通った茨城県の中学校では、特に時間割に組まれている様子はありませんでした
当然、茨城県の高校でも、聞いたことがありません
自分の故郷広島市や長崎市は別としても、他の地域で「平和教育」を実施している学校はあるのでしょうか?
自分が中学の時(ずいぶん昔の事ですが)は、月曜の1時間目に道徳の時間があり、その時、平和教育を行っていました
昔の話なので、詳細は忘れていますが、まだ、保管してある中学校の時の生徒手帳を見ると時間割にあるので、間違いありません
その時のテキストがこれ(昭和48年5版のものです)
ひろしま -原爆をかんがえる-(試案)
広島だからできたテキストであり、授業だったと思います
他県では考えられないものに見えるのではないでしょうか?
長崎や沖縄はどうなのだろうか?
調査をしたことがないので、わかりません
テキストの序文はこれ
はじめに
「いま、原子爆弾や水素爆弾を使って戦争をはじめたら、地球に住んでいる大部分の人間は、死んでしまうだろう。」という話をよく聞きます
このようにおそれられてる原子爆弾の被害を、世界で最初にうけたのは、「広島」に住んでいた人々でした
その広島に住んでいるわたしたちはもちろん、世界でただひとつの被爆国である日本人として、原子爆弾の投下によってそこに住んでいた人々が、どんなひどい状態になったか、どんなに苦しまなければならなかったかをどれだけ知っているでしょうか?
わたしたちは、原爆や水爆の被害をぜったいうけたくないと思います
そのためには、まず、わたしたちひとりひとりがそのおそろしさを知るとともに、全世界の人々にそのおそろしさを伝えて行くことがたいせつだと思います
この本は、少しでもその手助けになればと思ってつくられたものです
そして、この本の目次は
もくじ
(1) 八月六日 八時十五分 … 4
(2) 被爆の苦しみといかり … 11
(3) 第二次世界大戦のありさま … 17
(4) 戦争をすすめた人びとのうごき … 20
(5) 原爆投下の目的 … 25
(6) 原子爆弾の破壊力 … 29
(7) 死の科学 … 32
(8) 原爆症 … 35
(9) プレス・コード … 39
(10) ストックホルム・アピール … 41
(11) 映画「ひろしま」 … 43
(12) 第五福竜丸と平和運動の高まり … 46
(13) 広島の子どもたちのさけび … 49
(14) いまなおつづく被爆の苦しみ … 52
(15) 被爆者の苦しみ、その責任はどこに … 56
(16) 日本人として思うこと … 61
被爆について、広島そして長崎のことはみんながわかると思いますが、第三の被爆である第五福竜丸の被爆、世界各国での核実験の被爆については忘れられているのではないでしょうか?
そして、茨城県東海村でも放射性物質の処理ミスにより、被曝者そして死者までがでるという事を覚えているでしょうか?
東日本大震災では、福島第一原発の事故が不幸にも起こってしまいました
放射能による被害は、広島、長崎だけではありません
また、広島、長崎だけでなく、放射性物質による被爆者(被曝者)は世界各国に存在することを忘れてはいけません
(2007.08.03の手記を利用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今は亡き原田芳雄さんと宮沢りえさん出演で、広島の原爆を題材にした映画に「父と暮らせば」があります
この映画、井上ひさし氏の舞台作品がもとになっていることもあってか、父親の幽霊役の原田芳雄さんと娘役の宮沢りえさんが、まるで舞台で演じているような映像になっています
原爆と聞くと、被爆現場のリアルな場面が出てきがちですが、それは絵などで間接的に描写されています
原爆で亡くなった父親が、被爆して生きることに苦しんでいる娘を幽霊になって励ます物語です
原爆によって受けた心と体の傷に苦しむ人々の心中を描いている映画だと思います
日本に戦争はもう無いのに、放射性物質の影響はいまだに残り、被爆者は今も生きているのです
どのような兵器も同じですが、その兵器によって後々苦しむ人々がいることを知っておいてほしいです
(化学兵器だって、地雷だって…)
東日本大震災の原発事故も同じように人々を後々苦しめることに変わりありません
「原爆」も「原発」も、量の大小はあっても、使っているのは、放射性物質
哲学者の故森滝市郎氏が提唱した「核と人類は共存できない」ではありませんが、「放射性物質と人類は共存できません」
核開発・製造における放射性物質の被害、原発事故・原発廃棄物の被害を、もう一度、私たちはよく考える必要があるでしょうね
そうしないと、地球上に放射性物質が蔓延して、人類は地上に住めなくなります
私たちの住むところは地球しかない
いや、現在のテクノロジーで、人類が住める場所は地球上の一部しかないことをもう一度認識しないといけないでしょうね
(深海に住めますか?エベレストの山頂に住めますか?空に浮かんで住めますか?)
以前、この映画「父と暮らせば」は、NHKBSプレミアムで放送されました
その後の放映はわかりません
さて、映画「父と暮らせば」の原作を作った故井上ひさしさんですが、広島、長崎、沖縄を題材にした「戦争三部作」を構想していました
広島編の「父と暮せば」は上演され、映画にもなりました
井上さんは、2010年、肺がんのためお亡くなりになりましたが、沖縄戦を描いた「木の上の軍隊」は残された資料をもとに、劇団こまつ座が2013年に上演しました(これは、テレビでも放送されました。さらに、今年(2025年)は映画化されました。)
題名だけ決まっていたのが「母と暮せば」
「井上ひさしさんの遺志、山田監督が撮る 長崎原爆テーマ(?より、2015年7月)」
「新作映画「母と暮せば」:吉永小百合さんら、長崎でロケ(毎日新聞より、2015年7月)」
主演は吉永小百合さん、そして、原爆で亡くなった息子役に二宮和也さん
山田洋次監督は、「母と暮せば」の準備のために何度もナガサキを訪れたそうです
題名だけで、内容は白紙の状態
その昔、井上ひさしさんが「父と暮せば」の調査でヒロシマを訪れ、被爆者の体験記を一字一字ペンで書き写したという話を聞いて、監督も万年筆でノートに何枚も書き写されたそうです
そうしなければ被爆者に失礼にあたると、井上さんと同じように考えたからです
〈「母と暮せば」〉
長崎に原爆が投下されて3年後の1948年8月9日、助産師として暮らす伸子(吉永小百合)の前に、原爆で亡くなった息子・浩二(二宮和也)の亡霊が現れた。浩二の恋人(黒木華)のことに話題は及ぶが……。
この映画、映画館で見ました
なるほどという映画になってました
(以前の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
9年前(2016年)、このアニメを映画館で見ました
良かった
最初、限られた映画館で始まったのが、あれよあれよという間に、公開期間が延長され、上映映画館も増えて行きました
同時期に、アニメ映画「君の名は」も公開されていましたが、自分は、迷わず「この世界の片隅に」を見ました
このアニメは、10年前(2015年)にクラウドファンディングで資金集めのために、支援メンバーを募集していました
最終的に3374人から3600万円超が集まり、製作委員会が正式に発足
この支援者数はなんと国内最高記録だったようです
完成を希望する人が多いのでしょうね
自分も参加したかった…
さて、「この世界の片隅に」は、「夕凪の街 桜の国」でお馴染みのこうの史代さんが書いた漫画です(漫画もすべて読みました)
戦前・戦中の呉が舞台で、広島から呉にとついだ女性が主人公です
広島の様子も描かれています
戦前・戦中、主人公は、毎日を淡々と過ごして行きます
焼夷弾空襲で焼けてしまった呉、原爆でたいへんなことになってしまった広島
身近な人の死
主人公を襲う虚脱感、それでも人は生きねばない
平凡だけどささやかな人々の幸せをたたえた光景
そんなことから「ふつうの人が当たり前に暮らすこと」の大事さを描いている漫画です
(漫画は、上・中・下の三巻あります)
この漫画は、北川景子さんや松本穂香さん主演でドラマ化もされました
それが、アニメになって映画化されました
DVDは手に入れました
また、「夕凪の街 桜の国」も映画以外に2時間ドラマが作られています
全部見ました
アニメ映画「この世界の片隅に」は、2016年に作られたあと、原作に描かれた部分を補うようにさらに映像が追加されて「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」となり新しくなりました
映画を映画館で見ることはできませんでしたが、DVDは手に入れました
2024年には舞台化もされたようです
今年も映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」も映画館で見ることができるようです
漫画でも、アニメ映画でも、ドラマでも、どんな形でも、一度は見る価値はあると思います
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
今年もまた、暑い8月
毎年、この時期は、6日・9日や15日があるため、原爆関係の記事をアップしています
今年もまた、去年の記事を引用して記事にします
今日は、映画「原爆の子」
原爆に関する映画は映画「黒い雨」や映画「夕凪の街 桜の国」などが良く知られていますが、「原爆の子」もそのひとつです
今は亡き新藤監督の映画です
以前、CS放送で、映画「原爆の子」(モノクロ映画)をやっていたので見ました
広島への原爆投下時、幼稚園に勤めていた女教師が7年後の夏休みにかつての園児達を訪問することから始まるものです
彼女が再会したのは、ピカドン(*1)のために失明して働く事もできず貧困の生活をしているかつての奉公人と原爆症の影響で死に床で平和を祈り続ける少女でした
原爆投下後から7年後の広島を再訪した女性教師の目を通して被爆者の惨状を映し出していて、原爆投下の記憶も生々しいものです
終戦後7年後の1952年の広島をオールロケで描いているので非常にリアルな映像がある映画です
今はもうありませんが、映画「夕凪の街 桜の国」でも描かれた原爆スラム
自分はリアルタイムで見た記憶があります
映像で出てくる銀行の石段に腰をかけた人の影が残ったあと
あの映像は本物であり、自分はそれを見たことがあります
そんな広島の生の姿を映したモノクロ映画です
被爆と言うことがどのようなことか、わかる映画ではないでしょうか?
(レンタルがあったかどうかは不明です。たまにテレビ(BSやCS)で放映されています。自分はDVDに録画して持ってます。ちなみに音楽担当は映画「ゴジラ」でお馴染みの伊福部昭さんです。)
(*1)広島の人間は「原爆」を「ピカドン」と言います。原爆が「ピカっ」と光って、そして、「ドン」と爆発したことからきたようです。自分も広島での平和教育で「ピカドン」と教わりました。漫画「はだしのゲン」でも、原爆のことは「ピカ」と言っています。
(過去の記事を引用しました)
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
「桜花」
これを「さくらばな」と読む人は、
太平洋戦争の特攻機「桜花」を題材にした映画「サクラ花(ばな)~桜花最後の特攻~」のことを知っている人でしょうね(10年前(2015年)に公開された映画です)
10年前(2015年)に我が町で、映画のロケ撮影があったばかりです
そして、「おうか」と読む人は太平洋戦争で「人間爆弾」とも呼ばれた特攻機・桜花(おうか)をよく知る人でしょうね
太平洋戦争末期、戦況悪化で本土決戦が叫ばれる中、襲来する敵艦を特攻専用機「桜花」で迎撃するため作られました
桜花は自力で発進できず、カタパルト(発射装置)を使って機体を空中に飛ばした後、ジェットエンジンで飛行する仕組みでした
ゼロ戦は、アニメ映画「風立ちぬ」でもお馴染みになりました堀越二郎氏の設計によるものでいたが、この桜花は、国産初の旅客機で有名なYS-11の生みの親でも有名な木村秀政氏の基本設計によるものでした
成田国際空港の近隣にある航空科学博物館には、木村先生のコーナーに何故か「桜花」がひっそり飾ってあったのが、これで納得できました
終戦間際、本土決戦が叫ばれる中、発射基地が比叡山のほか生駒山や六甲山にも計画されたと言うことです
本土決戦は、1億人の特攻(当然、民間人も含めてなのです)などととんでもないことも考えられ、モーターボートのような「震洋」と言う特攻型の艦船まで大量に作られていたのを今の人は知っているでしょぅか?
人は追いつめられると、軍人も民間人も無くなります
集団的自衛権はその危険性を秘めていると思うのです
戦いと言うのは兵隊のみではなく、国の人たちすべてを飲み込んで行くものだということを若い人たちは肝に銘じていた方がいい
それだけ、戦争とは狂気になるものだから…
以前、2007年に公開されたアメリカ・日本合作のドキュメンタリー映像「TOKKO特攻」を見たことがあります
日本軍の元特攻隊員と米軍駆逐艦の元乗組員が特攻の真実を語るドキュメンタリーでした
元特攻隊員の叔父を持つ日系二世の女性が監督したものです
(自分が住んでいる街には、「予科練平和記念館」があるので、特攻隊に対するこのようなドキュメント映画は気になっていました)
終戦末期とは言え、こんな悲惨で非効率的な作戦は考えられません
お国のためにと、若い命がもののように使われて失われたのです
(いま、ウクライナ戦争で、若い命がもののように使われていないか?)
何度も言いますが、戦争とはそれを当たり前のように行う凶器なのです
国が国民を教育・洗脳することでそんなことを可能にしてしまう
興味を持ったのは特攻隊によって撃沈させられたアメリカの駆逐艦の元乗組員の証言でした
彼らは、「もし、自分達が日本のように追い込まれたら、特攻のようなこともありえる」と言うのです
国民的な思想の相違もあり、アメリカはそんなことは考えられない国民だと思っていたのですが、戦争だから考えてしまうことなのでしょうか?
やっぱり、戦争は一般常識を狂わせてしまうのだろう
ドキュメント映画は、一方側からの記録を多く収録することが多いのですが、監督が日系二世と言うこともあって、日本側、アメリカ側から見た記録になっているのが良かったと思います
もし、このドキュメント見る機会があったら見て欲しいとい思います
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
日本の春と言えば「桜」
そうイメージする人は多いだろう
桜の花
「桜花」
この言葉を「さくらばな」と読むことと「おうか」と読むことで、ずいぶん印象が変わります
「「特攻隊員 御霊の代弁者」 サクラ花上映会 出演の林家三平さん語る 阿見(茨城新聞より、2015年11月)」
特攻機「桜花(おうか)」がテーマの映画「サクラ花 桜花最期の特攻」の上映会が10年前(2015年)、主なロケ地だった茨城県稲敷郡阿見町で開かれた
搭乗員の一人を演じた落語家の林家三平さんも登壇し「亡くなった人はもの申すことができない。御霊(みたま)の代弁者と思って見てほしい」と訴えました
上映会は同町阿見の公民館で行われ、無料で招待された360人が観賞しました
戦闘で搭乗員が命を落とす過酷なシーンでは客席からすすり泣く声も聞こえたようです
上映後は林家さんが舞台に立ち「役を演じたみんなは一致団結した気持ちだった。こういう映画が公開できるような日本であり続けてほしい」と語りました
実は、この上映会には、妻と一緒に行きました
映画の中で自分の妹の友達が、映画の最後にトランペットの演奏をしているのを聞いていたので興味を持ってみました
また、ロケ現場が地元でもあり、何か縁がある映画だと思っていました
少ない予算で作られた映画なので、他の大作映画から見れば見劣りしますが、訴えるものは多くあると思います
戦時中末期、特攻兵器として作られた「桜花」(おうか)
陸軍の爆撃機「陸式一攻」の腹に取り付けられて、敵艦隊まで接近し、人が乗り込み、ロケット噴射で敵艦に突っ込む
アメリカ軍はそれを「バカ爆弾」と呼びました
滑空機能はあっても、それは飛行機ではありませんでした
爆弾そのもの
しかも、人が乗った爆弾
そんなものを太平洋戦争当時の軍部が承認して使っていたとは、戦争末期ではいかに人は狂っていたか…
そして、それを操縦していたのは、16,17歳の予科練生
子供たちにそこまで頼らねばならなかった戦争
そんな、桜花の出撃中の人間模様を映画にしたのが映画「サクラ花 桜花最期の特攻」
予科練の訓練所があったのが阿見町
そして、桜花の訓練所は同じ霞ヶ浦の対岸の茨城県神栖にあったそうです
出撃場所は九州でした
戦時中末期、その戦争に疑問を抱きながら、出撃した人たちは多かったと思います
敵勢力と敵の技術力に圧倒されながらも、出撃しなければならかった状況
出撃中の陸式一攻の機内では、敵に近づき、攻撃を受けるたびに死と恐怖が広がる
無謀な戦争に突入してしまったために、彼らは苦しまねばなりませんでした
ネタバレですが、当然、この映画はハッピーエンドはありません
最後の切なさは、以前見たドイツ映画の「Uボート」と同じような展開と結末が待っていました
記事にもありましたが、今回の上映会には、映画に出演された林家三平師匠のトークショウがありました
師匠のお姉さんの泰葉さんが主題曲を歌っていました
そして、やはり、戦争となると師匠の母:香葉子さんの戦争体験の話も出てきました
10年前(2015年)、戦後70年の区切りと言われましたが、やっぱり、傷跡はあります
そして、忘れてはならない
無知が、戦争を引き起こすのですから…
この上映会の後、帰宅して、録画してあったNHKで放映された戦後70年の番組「一番電車が走った」を見ました
広島に原爆が投下されて三日目に広島に電車が走る
それは、己斐と天満町の間わずか1.4km
でも、その復興に人々は明日への希望を持ったと思います
広島電鉄も、戦時中から戦後のわずかな時期に、14歳から16歳の女学生に電車の運転と車掌をさせている
どこも、男手が足りない戦時中
こんな彼女たちに頼らねばならなかった日本
なんと愚かだったのだろうか?
どんな時も、復興を優先したものたち
それに、電気技師や少女たちが奮闘する
あの東日本大震災でも、三陸鉄道の復興は人々に勇気を与えている思います
破壊を産む戦争より、モノを作り上げ人々に役に立つことが必要
戦争は人々に何ももたらさないのだから
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
毎年思うこと
昨日(8月6日)
80年前に広島に原爆が落とされた日
それを意識した人は?あるいは知っている人は?
どれぐらいいたでしょう
みんな身近に起こらねば関心はないのでしょうね
さらに、80年たてば、ニュースで式典が放送されたり、報道されても、スル―になる
これを風化というのです
たぶん、8月9日も、8月15日も、さらにお盆さえもそうなるのでしょうね
祖先たちを敬わない現代日本人たち
(特に男性)
これでいいのでしょうか?
心配になります
いいのだろうか?これで…
日本人男性の平和に対する意識改革を行わないと日本の将来が危ないように感じてしまう