桜花
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
日本の春と言えば「桜」
そうイメージする人は多いだろう
桜の花
「桜花」
この言葉を「さくらばな」と読むことと「おうか」と読むことで、ずいぶん印象が変わります
「「特攻隊員 御霊の代弁者」 サクラ花上映会 出演の林家三平さん語る 阿見(茨城新聞より、2015年11月)」
特攻機「桜花(おうか)」がテーマの映画「サクラ花 桜花最期の特攻」の上映会が10年前(2015年)、主なロケ地だった茨城県稲敷郡阿見町で開かれた
搭乗員の一人を演じた落語家の林家三平さんも登壇し「亡くなった人はもの申すことができない。御霊(みたま)の代弁者と思って見てほしい」と訴えました
上映会は同町阿見の公民館で行われ、無料で招待された360人が観賞しました
戦闘で搭乗員が命を落とす過酷なシーンでは客席からすすり泣く声も聞こえたようです
上映後は林家さんが舞台に立ち「役を演じたみんなは一致団結した気持ちだった。こういう映画が公開できるような日本であり続けてほしい」と語りました
実は、この上映会には、妻と一緒に行きました
映画の中で自分の妹の友達が、映画の最後にトランペットの演奏をしているのを聞いていたので興味を持ってみました
また、ロケ現場が地元でもあり、何か縁がある映画だと思っていました
少ない予算で作られた映画なので、他の大作映画から見れば見劣りしますが、訴えるものは多くあると思います
戦時中末期、特攻兵器として作られた「桜花」(おうか)
陸軍の爆撃機「陸式一攻」の腹に取り付けられて、敵艦隊まで接近し、人が乗り込み、ロケット噴射で敵艦に突っ込む
アメリカ軍はそれを「バカ爆弾」と呼びました
滑空機能はあっても、それは飛行機ではありませんでした
爆弾そのもの
しかも、人が乗った爆弾
そんなものを太平洋戦争当時の軍部が承認して使っていたとは、戦争末期ではいかに人は狂っていたか…
そして、それを操縦していたのは、16,17歳の予科練生
子供たちにそこまで頼らねばならなかった戦争
そんな、桜花の出撃中の人間模様を映画にしたのが映画「サクラ花 桜花最期の特攻」
予科練の訓練所があったのが阿見町
そして、桜花の訓練所は同じ霞ヶ浦の対岸の茨城県神栖にあったそうです
出撃場所は九州でした
戦時中末期、その戦争に疑問を抱きながら、出撃した人たちは多かったと思います
敵勢力と敵の技術力に圧倒されながらも、出撃しなければならかった状況
出撃中の陸式一攻の機内では、敵に近づき、攻撃を受けるたびに死と恐怖が広がる
無謀な戦争に突入してしまったために、彼らは苦しまねばなりませんでした
ネタバレですが、当然、この映画はハッピーエンドはありません
最後の切なさは、以前見たドイツ映画の「Uボート」と同じような展開と結末が待っていました
記事にもありましたが、今回の上映会には、映画に出演された林家三平師匠のトークショウがありました
師匠のお姉さんの泰葉さんが主題曲を歌っていました
そして、やはり、戦争となると師匠の母:香葉子さんの戦争体験の話も出てきました
10年前(2015年)、戦後70年の区切りと言われましたが、やっぱり、傷跡はあります
そして、忘れてはならない
無知が、戦争を引き起こすのですから…
この上映会の後、帰宅して、録画してあったNHKで放映された戦後70年の番組「一番電車が走った」を見ました
広島に原爆が投下されて三日目に広島に電車が走る
それは、己斐と天満町の間わずか1.4km
でも、その復興に人々は明日への希望を持ったと思います
広島電鉄も、戦時中から戦後のわずかな時期に、14歳から16歳の女学生に電車の運転と車掌をさせている
どこも、男手が足りない戦時中
こんな彼女たちに頼らねばならなかった日本
なんと愚かだったのだろうか?
どんな時も、復興を優先したものたち
それに、電気技師や少女たちが奮闘する
あの東日本大震災でも、三陸鉄道の復興は人々に勇気を与えている思います
破壊を産む戦争より、モノを作り上げ人々に役に立つことが必要
戦争は人々に何ももたらさないのだから