戦争や国の違いは乗り越えることが出来る
今年は、被爆そして戦後80年ということで、
過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます
被爆70年特集「アメリカ人少女と幼なじみの60年」
録画しておいたものをようやくみた
原爆投下から7年後、アメリカ人の少女が広島に来た
ファリダ・フツイ
そのファリダさんが、広島に在住中に書いた紙芝居「炭のカンちゃん」
子供たちの遊び場に生えていた親子の木が大人たちによって、斬り倒されて、炭になり、親子は離れ離れになる
そして、炭は燃え尽き、白くなりボロボロになって崩れる
炭の作り方、生い立ちと考えれば、それまでの物語だろう
でも、その背景には、幼かったファリダさんを襲う、原爆の被害の声
彼女は早くから日本語を理解し、聞き取り、話せることになったために、原爆投下から7年しかたっていない広島の生の声が彼女の頭に入って行って幼い心を苦しめた
原爆投下をしたのが祖国アメリカという罪悪感と心の闇が描かれていた
それが紙芝居「炭のカンちゃん」だった
ファリダさんが広島に来たのは6歳の時で、日米間に友好関係を築くのが父の任務だった
一家は家族ぐるみで文化交流に取り組み、日本の伝統文化を学ぶことに力を注いだ
また、アメリカ文化を理解してもらうことにも注力し、母のアグネスさんは料理教室も開いたそうだ
大人にとっては、それは仕事だったかもしれない
でも、子供にとってはつらいことだったと思う
それを救ったのが、隣に住んでいた波田さん一家
彼女を実の娘のようにかわいがってくれた
そして、ファリダさんが「波田のおばちゃん」と呼んでいた波田恵子さん
彼女は被爆者であった
ファリダさんは幼い気持ちで、原爆の事を聞いたそうだ
それに、波田のおばちゃんは丁寧に真実を説明した
でも、ファリダさんには、「あなたに罪はない、心配しなくていいんだよ」と言って抱きしめてくれたそうだ
やはり、どこの国でも母親は同じではないか?
そう思う
原爆を落としたのはアメリカ
国であって、人ではない
人と人は、国と国と違って、話せば分かり合える
ファリダさんは救われたそうだ
ファリダさんは、日本で過ごした日々は宝物だという
人は戦争や国の違いは乗り越えることが出来る、心と心で繋がる「かけはし」がここにあると語ったようだ
面と向かって話し合う
人と人との話し合いが必要
ネット社会で、文字だけが飛び交うところに、人の心はあるのだろうか?
そういえば、自分も、小学6年生の時(12歳?)、アメリカから一人の男の子がクラスにやってきたことを思い出す
日系日本人だった
年は自分たちより2歳上
でも、言葉の関係で小学6年生への転入だったと思う
背も高かった
彼は、被爆地広島をどのように感じていたのだろう?
そんなことは何も感じず、自分たちは彼は一人の日本人としていつもいっしょに遊んでいた
残念なことに、アメリカに帰ったあと、亡くなったことを知った
事故だったのか、病気だったのか?
子供時代は、遊ぶことに夢中だった
今なら、いろいろなことを話すことができたと思う
残念なことだと思う
今だったら、彼と何を話しただろうか?