総員死ニ方用意 | ☆ワシの終活☆

総員死ニ方用意

今年は、被爆そして戦後80年ということで、

過去の記事を、引用して、再度、繰り返し書きます

太平洋戦争末期、戦艦大和は、1945年4月7日、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3000人が戦死しました

「戦艦大和:総員死ニ方用意…1945年4月6日最後の出撃(毎日新聞より、2015年4月)」

「総員死ニ方用意」

そう書かれた黒板が砲塔に掲げられると、乗組員たちはざわめいた

死の準備をせよ、という命令

その大和が4月6日沖縄に向け山口県を出港する前に、掲げられた言葉でした

映画「男たちの大和」で、長嶋一茂さん演ずる臼淵大尉が特年兵にこの言葉を示唆する場面があります

日本が救われるのはもはや「敗れて目覚めるしかない」

太平洋戦争末期、沖縄にアメリカ軍が上陸を始めたとき、それを阻止する軍艦が日本にはほとんど無かった

一矢報いるために、九州より沖縄周辺のアメリカ艦船に向けて、自ら命を捨てて激突するゼロ戦の特攻隊がいるだけでした

唯一、無傷だった戦艦大和を沖縄に差し向ける作戦が行われましたが、それは、護衛する戦闘機ももなく、片道燃焼しか与えられない水上特攻でした

「これはもはや作戦にあらず」そう言う士官もいたと思います

「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか」と思った少年兵もいたと思います

お国のために命を捧げる

そんな時代だったと思うだけでいいのでしょうか?

今、「死ニ方用意」と言われて、それに対応できる日本人はどのくらいいるでしょう?

日本国のために…

いや、会社のために…

あるいは、家族のために…

この子のために命を張ることができる親はいるかもしれません

でも、日本国のために会社のために、命を絶対落とさねばねらない状況に陥ったら、どうでしょう?

「死ニ方用意」できますか?

今、アジア近隣の状況が非常に切迫しています

日本は、平和憲法の基にありながら、積極的に自分を守ると言う名目で、集団的自衛権に大きく舵を切りました

それは、国民を守るために盾となる人間に「死ニ方用意」と言っているようなものだと思いませんか?

ある人に、人々を守るのが仕事だから命の盾になってくれと言っているようなものではありませんか?

自分を含めて、今の日本人にそれだけの覚悟ができているのだろうか?

大和沈没の日にこんなことを考えてしまいました

そして、戦艦大和と共に戦死された多くの方々のご冥福申し上げます