新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》 -11ページ目

新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

謎に満ちた迷宮のギタリスト、新津章夫のオフィシャル・ブログ。迷宮の森 《Forest in maze》

 話題の「mixi」にある新津章夫のコミュニティーなどを見ていると、どうも世の中的に“新津章夫的な音”に飢えている人が多いのではないかと感じました。そこで、1970年代末に新津章夫のスタッフ周辺で“これは新津章夫的なのではないか?”といわれていたバンドを紹介しましょう。

 いやぁ、便利な世の中になったものですね。YOUTUBEで検索するとなんでも見つかっちゃう。

セバスチャン・ハーディ
http://www.youtube.com/watch?v=YlhSYUIx8BY
 欧州のセンチメンタルな匂いがしますが、オーストラリアのバンドです。細かいことをいうと、ギターのチョーキングの時に、弦を戻す時にもピッキングするのが新津章夫的だと指摘されておりました。 たしか、岩田さんが見つけてきた音源だと思いました。

フォーカス
http://www.youtube.com/watch?v=O0ykQb5bebk&feature=related
 こちらは新津章夫自身がファンだったので前回のBlogにも書きました。“コレ、ドイツんだ? オランダ”のロックグループ。クラシックの香りがしますので、モロに新津章夫風です。専門的にいいますとロックギターなのにブルーノート(ブルース音階)を使わない点でしょうか。

ホルガー・シューカイ
http://www.youtube.com/watch?v=if5eTwaieMw&feature=related
 出ました! 新津章夫の得意とする倍速ギター音を取り入れているドイツのミュージシャンです(CANというバンドのベーシスト)。日本ではYMO&スネークマンショーの「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」に収められ話題になりました。まぁ、音色は似ていますが、音作りの緻密さがまったく違いますね。

 以前、この欄で新津章夫がオランダのロックグループ、フォーカスのヤン・アッカーマンというギタリストが好きだったという話を書きましたが、YOUTUBEに貴重な映像を見つけましたので紹介したいと思います。


 これは、FUCUSのライブ盤として発売された「ライブ・アット・レインボー」の映像です。こんなものが残っているんですねぇ。


Focus Live At The Rainbow (Part 1)

http://www.youtube.com/watch?v=uLv1snViXno&feature=related


※Part7までありますので、存分に楽しんでください。


多くのロックギタリストがブルースを基本としているため、フレーズ(音階)の元となるものは、ブルーノートです。しかし、ヤン・アッカーマンなどヨーロッパのギタリストたちは、クラシックを学ぶ中から自分たちのロックを生み出したため、彼らのフレーズはブルーノート=ブルースの匂いが感じられません


 また、ブルースは、例えば、キーがAであれば、A7→D7→A7→E7→D7→A7と12小節で巡回していきますが、ヤン・アッカーマンにはそういった基本の曲想というものが感じられません。


 新津章夫はマイケル・ブルームフィールドやジェフ・ベック・グループに影響を受けたため、ブルースは基本にはあるものの、曲作りについてはバッハから得たものが多く、FOCUSに代表される欧州ロックの匂いが濃いのです。


 1曲の中におけるドラマの展開、組み立て方などは、この「ライブ・アット・レインボー」と重なる部分も感じてもらえるのではないでしょうか?

 新津章夫のデビューアルバム「I・O」が発売されたのは、今からちょうど30年前。1978年のことです。


 当時、新津章夫が口癖のように言っていた言葉があります。


今にシンセサイザーやコンピュータで音楽を作ったり、録音する時代になる」


「そんな時代がやってきた時、ギター1本とわずかな楽器で、こんな馬鹿な音楽を作っていた奴がいたって笑ってもらいたいんでしょね」


「でも、そういった未来のミュージシャンたちは、ギターと多重録音で、このアルバムと同じ音を絶対に作れっこないという自身はあるけどね・・・」


 1978年といえば、YMOはおろか、デジタル楽器など存在しない時代。8ビットの“マイコン”が売りに出されたのも、その数年後のことです。


 8月19日は新津章夫の、生きていれば56回目の誕生日でした。

 夏休みで更新が遅れております。近々、新しい記事を載せます。


 ちなみに、しばらくキャンプに行っておりました。そういえば、新津章夫もミュージシャンを辞めた後は、バイクで日本全国を回っておりました。寝袋ひとつでどこでも寝ちゃうダイハードな人でした。


 もっとも記憶にあるのは、那須だかどこだかで夜中にゴルフ場に忍び込んでグリーンの上に寝転び満天の星を見たという話。まるで「無印良品BGM」の曲名そのものじゃないですか。それを見て曲を作ったのか、と思ったほどでした。曲の方は10年くらい前に発表していたのですけどね。


無印


「無印良品BGM」を聞いて新津章夫のファンになったという人も多い。


「無印良品BGM」は新津章夫的には、適度な手抜き音楽である。


なにが、手抜きかというと、新津章夫の音作りの代名詞「倍速ギター」を使ったパートが少なく、打ち込みとキーボードに頼っている点である。


しかし、「無印良品BGM」で新津章夫のファンになったという人からは、その手抜き具合が心地よいらしい。


たしかに、「I・O」に象徴されるような、全焦点の手抜きのまったくない音作りは、場合によっては疲れる。一音一音に集中してしまうから。


でも、「無印良品BGM」のゆるさは、バックグラウンドミュージックとしては、それでいいのだ、ということだろう。


まぁ、音作りは“手抜き”かもしれないが、メロディー、アレンジは、さすがに新津章夫のそれだ。おいおい、1曲ごとの解説に進みたいと思う。

 新津章夫の名前を、彼のオリジナル・アルバムからでなく「無印良品」の店内BGM集、「無印良品BGM1980~2000」を通じて知った人もいると思う。


 同CDには「新津彰夫」と表記されておりますが、これはいわゆる誤植です。そのまんま、確認もせずに発売されてしまいました。すでに新津章夫のマネージメント事務所も解散し、彼も音楽家としては廃業していたため、いたしかたないことでしょう。


 この「無印良品BGM」第1集には、その他に、細野晴臣氏などの楽曲も収められており、今ではプレミアも付くほどの人気となっているようです。


「無印良品」のBGMは、新津章夫とともにありました。無印良品は、スーパーの「西友」のプライベートブランドとして始まりました。その際、これまでにないブランド、店舗のイメージを訴求するために考えられたのが、当時としては革新的な、オリジナルのBGMの制作です。


 今では、多くのブランドが「無印良品」の成功を真似て、オリジナルのBGMを店内で流すことは珍しくありませんが、当時としては、それは画期的なものでした。デパート、スーパー、ショッピングセンターなど、BGMが求められる場所では、有線放送を流すのが一般的だったからです。


 そこに、当時としては歌のないインストゥルメンタルの音楽としては異色のアーティスト、新津章夫の元に楽曲提供の依頼があったのでした。


(続)

 新津章夫はギタリストですが、作・編曲、演奏、エンジニアリング、ミキシング、プロデュース、すべてを一人でこなしていたため、得手不得手に関係なく必要とあらば、なんでもやっておりました。


 そのひとつが、キーボードです。


 彼の音楽との出会いは、中学生の頃、2歳年上の長兄が銀座の山野楽器にて、矢入(YAIRI)のガットギターを買ってもらったことに由来します。そのため、ピアノやオルガンなどの鍵盤楽器はまったく習ったことがありませんでした。しかし、独学にてなんとか譜面は読むことができたので、それに沿って鍵盤楽器もさわっておりました。


 最初のキーボードとの出会いは、僕の高校時代のバンドのキーボードが持っていたRolandのストリングス。1970年代はYAMAHAとエーストーンをのぞけば国産のキーボードはまだ存在しておりませんでした。件のメーカーにしてもオルガンであって、いわゆるエレキピアノはRolandが一機種出していたのみ。シンセも国産は単音のモデルしかありませんでした。


 ストリングスは、その名の通り、オーケストラの弦楽器の音を再現した画期的な楽器で、プロでも利用者は多かったものです。


 実際、新津章夫も「I・O」のA面最後の曲「未来永劫」のエンディングなどで使っています。先ごろ発表した「サイエンス・クラシックス」に収められた「シロス・リンダホフ」も、元々は「I・O」のために録音されたため、その中でもストリングスは聴かれます。


 サンプリングが一般的になった現在、ストリングスのなんともたよりない電子音は、想像力をかきたてなければ、もはやオーケストラの弦楽器群とは思えぬ音色ですが、1970年代の音楽状況を象徴する楽器のひとつだったといえるでしょう。


Volume


 1970年代、ギタリストのテクニックのひとつに、バイオリン奏法というのがありました。バイオリンは弓で弾く弦楽器ですから、アタック音がありません。そこで、予めエレキギターのボリュームをゼロに下げておき、ボリュームノブに小指をかけて、ピッキングしたら素早くボリュームを上げる。すると、バイオリンのような音の立ち上がりのゆっくりとした効果が得られるのです。ボリューム奏法の名手としては、ジェフ・ベックをはじめブルースギタリストのロイ・ブキャナンやマウンテンのレズリー・ウェスト。あるいは、高中正義なども多用しておりました。


 そのボリューム奏法をより確実に、そして、滑らかにさせたのが、ボリュームペダルというエフェクターです。新津章夫もバイオリン奏法は巧みでしたが、レコーディングではボリュームペダルを使うことが多かったです。


 ボリュームペダルはその独自性から、たとえば、ディストーションなどに比べるとさほど多くのメーカーからは出ていませんでした。国産、海外製品を合わせても5機種程度しか選択肢はなかったと記憶しております。


 その中で新津章夫が選んだのが、当時はギター弦のメーカーとして知られていたアーニー・ボール社製のボリュームペダル。その頃のプロギタリストの間では、ショーバッド社(Sho-Bud)のボリュームペダルというのが人気でしたが、とにかく高かった。他のエフェクターに比べてで出番が少ないにも関わらず3万円以上したと記憶しております。ちなみに、MXRのフェーザーが2万5000円程度で買えた時代に、です。


 ボリュームペダルの命は、重さ。足で操り、しかも、微妙な強弱が必要だったので、軽いと足の重さで動いてしまいミスタッチが多かったのです。その点では国産のボリュームペダルはほとんど使い物にはなりませんでした。


 アーニー・ボール社製のは2万円程度でしたが、作りがしっかりとしていて、またボリュームの立ち上がりを調整できるノブが付いていることに、新津章夫はいたく気に入っておりました。


「I・O」の「迷宮の森」の動物たちの囁き声などは、アーニー・ボールのボリュームペダルあってこその音作りだといえるでしょう。


 新津章夫は一時期、墨田区の東駒形という場所に住んでおりました。もともと浅草・合羽橋の生まれで、蔵前の育ち。というわけで、あのエリアには愛着もあったのでしょう。


 その頃、彼と会うと決まっていったのが、同じ”駒形”の住所でも隅田川を隔てて台東区側にある「駒形どぜう」

http://www.dozeu.com/ )です。


 あ、どぜうって、どじょうのことですよ。


 食べるものは、いわゆる「まる」って言う、小さな鍋にどじょうを数匹入れた鍋。柳川なんてナンセンス。また、”丸ごとはグロテスク”という女性用という「ぬき」(骨を抜いて開いたもの)もダメ。


「まる」。


 これを何枚も注文して、薬味のネギをじゃんじゃん入れるわけです。今はどうか知りませんが、当時(25年ほど前)は、いくらネギのお代わりを頼んでも嫌がられなかった。で、ひたすら、これを食べてビールを飲む。


 こういう姿と彼の音楽が一致する人は少ないでしょうね。

 実は、この曲については、なんでアルバムの選曲に入れたんだろうって疑問に思います。


 1980年当時、こういう威勢の良い、ディストーションギターの曲調というのが、CMなどでもてはやされました。それで、冗談半分で録音しては、「こんなのどうよ、タコちゃん?」(←僕のことです)と聞かせてくれたものですが、なぜ、それが、そのまま採用されたのかは、不明です。


 この曲の取り得は、倍速チェロでしょうかね? 途中のリフで聴かれます。新津章夫はチェロはあくまでド素人ですから、こんなに早く弓を使うことはできません。


 それにしても、謎だ…。