本当にごめんなさい。更新が遅れておりました。ここにお詫びするとともに、今回はかなり骨っぽい話をお届けします。
これはホットドッグプレスという雑誌に載った新津章夫の記事です。まだホットドッグプレスが月刊誌だった時代。ちなみに、私、新津隆夫がライターとして活動を始めるきっかけは、この記事の取材でいらっしゃった当時の副編集長の方の名刺を見つけて、「先日、取材をしていただいた新津章夫の弟なんですが…」と手紙を出したから始まったのでした。つまり、新津兄弟にとっては思いで深い記事なのです。
ここで、新津章夫は「プレイヤー」や「サウンドレコーディングマガジン」などのミュージシャン専門誌顔負けの超専門的でディープな話をしております。これも執筆していただいたのが、新津章夫のスーパーバイザーであり、音楽製作に精通する岩田由記夫さんだったからこそ。これが一般誌の記事とは思えぬ読み応えです。
ちなみに、このページには、新津章夫の他にも坂本龍一氏、茂木由多加氏が紹介されておりましたが、天下の坂本龍一を差し置いて新津章夫が大々的に紹介される破格の扱いでございました。岩田さんに重ねて御礼申し上げます。
先の「Ryon」(リヨン)がよかったというので、アルバムの音源も載せてみました。
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=1295017
ちなみに、YOUTUBEにも載せていますが、あちらはぜんぜん視聴数が増えません。Amebloの読者がいかに素晴らしいかというのがわかりました。どうもありがとう!
宗教、宗派はいろいろあれど、とりあえず日本では年末の恒例イベントとしてもはや固定化されております。というわけで、皆さん、メリークリスマス。
この時期を迎えるたびに何度も書いてきました。新津章夫のクリスマス・アルバム計画。今日はその中でも代表的な一曲、「ホワイト・クリスマス」をプレゼントします。期間限定です。
この曲は幻とされている3rdアルバムに入っております。ヤフオクでたまに見本盤が出ております。つまり、実売されたのかどうかさえ怪しいアルバムです。しかし、完成度は本当に高いです。
というわけで、良い1日を!
動画の機能を使って貴重な音源をアップしました。
とりあえず、テストです。いずれは、YOUTUBEにまとめてコーナーを作る予定です。
よろしければ聞いてみてください。
Inkstick六本木のリハ音源「Ryon」
http://vision.ameba.jp/watch.do;jsessionid=
D59930A008E8C59AC695957555A69CFF?
movie=1284984
↑コピペしてつなげていただくか、動画のページで見られます。
ごぶさたしております。仕事のために日本に帰っておりました。で、今回のミッションのひとつである、アンドレアス・ドーラウのCDを入手してまいりました。
このBlogでも、新津章夫唯一の共演者であるドーラウについては語ってきました。メールのやりとりもしております。が、彼のアルバムを1枚通しで聴くのは初めてでした。
そのアルバムとは、ドーラウが1988年に製作した「デモクラティー」という作品。キャプテン・トリップ・レコーズという会社から発売されておりました。たしか、最初はWAVEから出ていたと思いますので、同社からは再発といった方がいいかもしれません。
キャプテン・トリップ・レコーズ
http://www.captaintrip.co.jp/index.html
ライナーノーツによると、ドーラウが世界を放浪中に日本に立ち寄り、日本人アーティストとも共演した曲も含まれているとありますが、正確には、かつてBlogでも紹介したように、ドーラウが南ドイツ放送局のレポーターとして、日本のミュージシャンを紹介する番組の取材で来日し、かねてよりファンだった新津章夫と1曲録りたいと申し出たようです。録音されたのは青山の某スタジオ。
残念ながらライナーノーツには新津章夫の”にの字”も見当たりません。ドイツ盤にはたしか”Akio Niitz”とクレジットが入っていたと思います。
さて、新津章夫と共演した「Taxi nach Shibuya」(渋谷行きのタクシー)はアルバム中、唯一のインスト曲で、新津章夫は得意のトレモロ奏法のみ。わりとイージーな参加の仕方ですが、実際にはドーラウとはどのようにコミュニケーションしたのでしょうか? 今となっては不明です。
↑ジャケの裏表写真
現在、仕事のため日本に帰ってきています。週末にはイタリアに戻ります。
帰国中にアンドレアス・ドーラウの「デモクラシー」のCD盤を入手しました。今度、その件に触れます。
倉庫にて「I・O」の宣伝材料を見つけました。いずれ紹介します。
東京も寒くなってきましたね。途中寄航したパリはたったの3度しかありませんでしたから、この程度はへっちゃらですが…。
皆様も風邪をひかぬよう、ご自愛ください。
また、更新間隔が開いちゃってます…。すみません。野暮用で忙しくしております。近々、アップします。
富田さんとの対談はいかがでしたか? 時代感覚も織り込まれていて、なかなか楽しかったでしょ?
資料を整理していたら面白い記事を見つけました。1979年に雑誌の企画で行われた冨田勲さんとの対談です。おそらく、FMレコパルかホットドッグプレスだと思われます。構成は、「I・O」のスーパーバイザーであり、音楽ライターの岩田由紀夫さん。
※ネットで読むには長めなので、各章ごとに4回に分けて掲載します。今回は、その2回目。
「80年代展望 マルチ対談」
線画的人間(新津)と彩色画的人間(富田)は、
ともに手作り音楽の名手だった
「バミューダ・トライアングル」を発表していよいよ冴えるシンセ音楽の大家、富田勲と、「I・O」でデビューのマルチ・ギタリスト、新津章夫の異色対談!!
経験したことがすぐ音楽になるとは限らない
新津 僕は、音楽を仕事にしようと学生時代は考えていなかったんです。
ただ、12歳から弾き始めたギターと自分の音楽の集大成を、バイトで買ったテープ・デッキに録音して、そのテープを知人に配ったんです。
もうこれで音楽馬鹿はやめて、就職しようってことで(笑)。
ところが、大学4年の夏に信州をドライブしてて、48㍍の崖から車ごと落っこちやったんです。
それで命が助かってどうせ助かった命なら好きな事をやってみようと思い直したんです。
冨田 怖かったでしょ。
新津 それが意外と冷静に落ちて行ったんです。全部で4回転したんですけど、その1回1回をいまでもはっきり憶えています。
冨田 1回1回をはっきり?! うーん、キミはすごい人だ。
僕の終戦の年に戦闘機の機銃掃射に友人と歩いていて狙われたことがあります。
一面焼け野原の青い空を飛行機が低空飛行で追っかけてくる。
地面にふせるとその横を、まるで戦争映画のように土ぼこりをあげて弾のあとが走って行くんです。
僕と友人のふせた30センチの間に弾の跡があったときにはゾーッとしましたよ。
今でも、TV映画なんかでそんな場面を見ると嫌な感じがします。
新津 そういったことは、何らかの形で音楽に影響するって気がするんですが、どうでしょう。
冨田 僕はそうは思わないし、自分の恐怖は描きたくありませんね。絶妙のラブレターっていうのは実生活では、意外に恵まれていないことが多いんじゃないでしょうか。
まぁ、僕はバミューダの円盤でも描いているほうがむいてる(笑)。
★対談はもっともっと続いた。僕はあまりの二人の話の高尚さと難解さに頭がちょっぴりこんがらかって、二人を残して失礼した。でも、この二人のすごいところは、あれだけ理論づくめの音楽をやっていながら、実際にアルバムを聴いてみると、ちっとも難しくなく、ポピュラーなところにある。80年代型ミュージシャンの一つの型なのであろう。
新津章夫の自動車事故の話は、いずれまた。九死に一生とはよくいいますが、よくまぁこれで生きていたもんだ、という状況でいた。それがもとで、ミュージシャンになったわけですから、まさにターニングポイントでありました。




