新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

新津章夫 Official Blog 《迷宮の森》

謎に満ちた迷宮のギタリスト、新津章夫のオフィシャル・ブログ。迷宮の森 《Forest in maze》

 1978年、作曲、編曲、演奏、録音、エンジニアリングまですべてを一人で行ったアルバム「I・O(イ・オ)」でデビュー。1980年代初め、インクスティック六本木の金曜日といえば、新津章夫のライブでした。スノッブという言葉さえ知る人も少なかった時代。まさに最先端を行くクリエイターたちがこぞって集まりました。実働9年間で3枚のアルバムを残し音楽家としての活動を休止。2002年1月、呼吸不全のため49歳の若さで逝去。現在、アルバムのCD復刻や未発表テイクのCD化を進めるとともに、このブログで新津章夫の軌跡を巡ろうと思います。





新津章夫のCD発売元ブリッジのサイト : BRIDGE INK.

 

5月7日(木)20時からライヴストリーミングスタジオ「DOMMUNE」にて新津章夫の特集を企画していただけるそうです。私もオンラインで出演します。御用とお急ぎでない方は見て聴いてください。よろしくお願いします。

 

 

■DOMMUNE Presents「新津章夫の迷宮の森」

倍速で再生したギターと多重録音による1978年の名作『I/O』や無印良品の店内BGM(1980年)で知られながら、その全貌はいまだ深い謎に包まれた音楽家・新津章夫(1952–2002)。昨2025年秋、長らく封印されていた―数学的な不思議さ、まやかしと謎解きに溢れた迷宮世界と時間芸術の粋を詰め込み、壮大な想像力が結実し電子音楽交響曲となった―未発表音源を収めたCD2種(『EARLY MINIMALISM 1973-78』、『LATE MINIMALISM 1981-84』とLP(『HOAX FOR ELECTRIC GUITAR』)が株式会社ブリッジより発売され、大きな反響を呼んだ。その新津章夫を徹底的に掘り下げるこの特別プログラムは、新津章夫の実弟であり、その音楽を最も深く理解する新津隆夫がイタリア・ミラノからオンライン出演し、作品の背景、制作過程、そして新津章夫という稀代の音楽家の実像に迫るものである。さらに、新津章夫の音楽に強く影響を受ける若手ミュージシャン―規格外のマルチ・ミュージシャン、武田理沙と、バンド活動から即興演奏まで多岐にわたる音楽表現を展開するギタリスト、yagihiromiに、そして最注目の天才集団・カブトムシの藤井登生―の3名に加え、天才アーティスト川本真琴も、コメンテーターとして参加。更には新津章夫の「I/O」に早くから出会い、マジカルパワーマコとの親和性を語っていたDOMMUNE総裁宇川直宏と、今回のリリースにも深く関わるdiskunion/SUPER FUJI DISCSの金野篤がMCとなり、それぞれの視点から新津作品の魅力と革新性を語る。後半には、武田理沙、yagihiromi、藤井登生の3名による1時間の即興演奏も実施。新津章夫への深い敬意と共鳴から生まれる“トリビュート”とも言える一夜限りの特別なパフォーマンスが展開される。未発表音源の発掘を機に、いま再び注目が集まる新津章夫。その謎と核心に迫る3時間―音楽史の空白を埋める貴重な夜となる。

 

坂本龍一のアルバムでは初期の「音楽図鑑」「未来派野郎」以外では「1996 / Ryuichi Sakamoto」がいいな。過去作品のピアノ、ヴァイオリン、チェロによる再録音。その後のモレレンバウム、ジュディ・カンとの「Trio Tour 2012」にも通じるミニマル。夜聴くとしんみりする。

 

 

 

坂本さんは新津章夫のインクスティック六本木のライブにもちょくちょく来てくれていた。「I/O」の担当ディレクターで、その後YMOマネージャーだったY・I氏は「新津の曲を聴かせたことがあって、坂本も面白いねと言っていたので一度会わせたかったんだけど…」と言っていた。その頃はYMOは世界ツアーの真っただ中だったし、結局はかなわぬままに二人とも鬼籍入りしてしまった。

 

新津章夫は現代の音楽はおいてドラムが入ることで”七難隠す”面があり自分の音楽には極力ドラムは用いらないようにしていた。人伝に聴いた話では坂本さんも同じ考えを持っていたとのことで(YMOの音楽は別として)、二人から生み出されるケミストリーは気になるな。残念なことをした。

 

もっともあらゆる共演のオファーを断り続けてきた新津章夫のこと、相手が誰であろうと素直に受け入れることはなかっただろうけど。そうしてみると最初で最後の共演となったアンドレアス・ドーラウさんとはなぜやる気になったのだろう。チャンスがあったらドーラウさんに聴いてみよう。

 

そうか、今年は2026年なんだな。

 

今からちょうど50年前。1976年の3月31日に東京・荻窪にあったロフトというライブハウスでシュガーベイブの解散コンサートがあった。

 

山下達郎、大貫妙子、村松邦男、上原裕、寺尾次郎(故人)。今や”伝説のバンド”なんて言われ方をするけれど、当時は知る人ぞ知るといってもいいレベルのマイナーなプロバンド。1970年代の日本のバンドなんて、だいたいどれもそうで何千人と入るようなコンサートホールでやれるのはごくごく一部だった。

 

当時、僕は熱狂的なシュガーベイブのファンで見られる限りのコンサートは見に行ったけれど、後にも先にもこんな異様な空気のライブは後にも先にも経験したことがなかった。

 

その頃僕は都立高校の2年生で同級生らとシュガーベイブのコピーバンドをやっていた。解散コンサートの女王は山下達郎の「オールナイトニッポン」で知りメンバーと見に行ったのだった。

 

荻窪のロフトなんて、ふだんなら30、40人も入れば満席のところ、1970年代当時なんて消防法なんかも大甘だったんだろうけど、100人くらいは入っていたんじゃあないかな。とにかくギュウギュウのスシヅメ。

 

入りきれなかった人たちが帰ろうとしないのでマネージャーさんが「もしかしたら明日もやるかもぉ…」なんて苦し紛れに言ったら予約だけでまた100人くらい集まったと、後日タツローさんがラジオで話していた。

 

そんなわけでライブハウスの中はいわゆる「立錐の余地もない」というやつで、真っ直ぐ立っていることさえ不可能。誰かが動けば身体が浮いて将棋倒し寸前の状態になってしまうほどだった。

 

約2時間、目の前10㍍くらいのところでシュガーベイブが演奏をしているんですから、あーた、そりゃああの強烈的な経験は50年経った今でもリアルに脳裏に焼き付いている。いつもなら透明な音質で奏でていた村松邦夫がこの日だけは愛用のストラトを歪ませ、タツロー氏はテレキャスでシャキシャキにリズムを刻み(「ウィンレディ」のソロもカッコよかった)、大貫さんは曲によってエレピと生ピを使い分け、上原&寺尾のリズム隊も普段よりオーバードライブ気味。「愛は幻」から「今日はなんだか」に行く流れの中でタツロー氏のギターの弦が切れたのもご愛敬で、どの演奏も素晴らしかった。

 

アンコールに次ぐアンコールでシュガーベイブのメンバーも”許せる限り”の曲(下記リンクでタツローさんがそう言ってますが)を演奏しきって、最後はまだ完成していなかった大貫妙子の「からっぽの椅子」(ソロになって2作目のアルバムに収録)を途中で演奏が止まりながら歌う有様。それでもやまないファンからの要求に楽屋で見ていた伊藤銀次が「『幸せにさよなら』を唄いますので、この曲で彼らにもサヨナラさせてやってください」と登場。ギターと歌・伊藤銀次、キーボード・坂本龍一(同じく楽屋で見ていた)、ベース・山下達郎、ドラム・上原裕で演奏した。

 

それから何年かして、フリーライターとなっていた僕の元に山下達郎のインタビューのチャンスが訪れた。取材当日、解散コンサートを始め、その他、ライブに行くたびにカセットレコーダーを持参して録音していた手持ちのすべてのカセット音源を持参してタツローさんにプレゼントした。すでに人気ソロアーディストになっていたタツローさんはシュガーベイブの頃とはだいぶ人間がかわっていたけど(シュガーベイブ時代の良い思い出はあまりなかったみたい…)、あの時、僕にとってのシュガーベイブは終わった感じがした。実は山下達郎のソロコンサートは一度も見たことがない。

 

1976年3月31日、僕は荻窪ロフトでシュガーベイブの解散コンサートを見た。その経験は、その後の50年間のモチベーションの一部になっている。皆さん、17歳の時に聴いた音楽を大切にして下さい。それがあなたの一生を決めます(笑)

 

 

 

 

 

1月19日は新津章夫の命日です。孤独死だったので正確な日付は不明なのですが父親の判断で1月19日が命日になっています。

 

新津章夫は一度だけ日本のテレビ番組に出演しています。著作権の関係もあるので、いつどの番組に出演したかは書きませんが(おそらく当時の関係者は誰も生きていないと思いますが…)、まったくの無名の新人である新津章夫を「I・O」のアルバムディレクターであり、その後のマネジメント事務所を立ち上げて下さった方がアポなしでテレビ局に企画を持ち込んだものです。

 

「一度だけ日本のテレビ番組に」というのは、実は他の記事にも書いていますが、ドイツ・テクノの重鎮、アンドレアス・ドーラウさんがかつて南ドイツ放送のレポーターとして来日し(それがご縁で「」で共演をしたわけですが)、矢野顕子さんなど80年当時の日本の音楽シーンを取材したのでした。ドーラウさんに当時のVTRをお持ちでないかうかがったのですが、スタッフにも問い合わせてみたが誰も持っていないそうです。どんな番組だったのか見てみたかったですが。

 

さて。前述の日本のテレビ番組は雅楽とギターの共演というテーマで、「迷宮の森」の途中に出てくる♪イオ!から笙篳篥に似せたギター音を本物の笙篳篥で演奏してしまおうというものでした。

 

私は当時、高校生でスタジオに「機材搬入係」として同伴しVTR録画に立ち会ったのですが、篳篥という楽器は人肌に温め続けていないと音程が安定しないそうで、スタジオの隅っこに小さな電気コンロを持ち込んで、リハーサル前からずっと温め続けていたことをよく覚えています。

 

新津章夫はインクスティック六本木でのライブでもメインのギター音だけを除いたマイナスワンのテープを使って演奏していましたが、この「迷宮の森」では後半部分の小篳篥風の音とトレモロ演奏のメインギターの音をすべて取り除いた音源をスタジオに持ち込んでいたのですが、残念ながらそのテープは見つかっていません。

 

ただ、新津章夫は「物を捨てられない症」だったので、どこかにあるとは思うのですが…。

 

 

今年もまたクリスマスがやってまいりました。

 

新津章夫の3枚目のアルバム(45回転ミニアルバム)である「ウィンターワンダーランド」に収録されている「ホワイト・クリスマス」です。

 

実は新津章夫はクリスマスソング・アルバムを考えていました。特段、クリスマスに思い入れが強かったわけではありませんが(笑)、ロマンティックなメロディ好きの彼には多重録音の素材としてはうってつけだったのでしょうね。実際にはこの曲しか仕上げていませんが、今を思っていても実現できたら楽しかっただろうと思います。

 

というわけで、皆さんにも

 

Merry Christmas クリスマスツリー

Buon Natale イタリア

 

 

新津章夫は病的なほどの写真嫌いです。一応、プロミュージシャンだったのでレコード会社はプロモーション用の写真を撮ったり、雑誌のインタビューがあれば写真も撮られるのですが、な~んにも残ってない。

 

というわけで、過日の「ギターマガジン」誌の特集でも本人の写真はおなじみのこれしかないんです。

 

 

これはなんで視線の定まらない表情をしているかと言うと、撮影したのが私だからです(笑)。

 

場所は六本木の旧防衛相前にあったインクスティック六本木。たまたま私が取材帰りに兄のライブでも見に行ってみるかとリハ後に撮影したもの。取材帰りだったため一眼レフカメラを持っていたので、それでパチリと撮ったものです。この珍しい虫でも見るかのような目線はそういう理由です。

 

もう1枚、手元にある写真と言えば、やはり六本木にあった日本フォノグラム(フィリップス・レコード)のスタジオで「I/O」のミックスダウンをしている時の横顔と後姿のみ。それが、これ。

 

いやぁ、懐かしい調整卓! オーラトーン5Cスピーカーも載ってますね!!

 

 

まぁ、フォトジェニックでもなんでもないオッサンの写真を見たいって珍しい人もいないでしょうから、こんなもんでお茶を濁しておきます。「Petstep」のプロモ写真にはチェロを持った抒情的な写真なんかもあったんだけどなぁ(笑)

 

 

 

細野晴臣さんのラジオ番組「Inter FM 細野晴臣 Daisy Holiday!20251026 midnight」で新津章夫の未発表音源盤「LATE MINIMALISM 1981-84」に収録されている「Petstep - original」を紹介してくれました(選曲は岡田崇さん)。

 

1982年のアルバム「Petstep」(旧ジャパン・レコード)は細野さんがアドバイザー参加をしてくれました。今回の「LATE MINIMALISM 1981-84」に収録されている「Petstep - original」はタイトル通り、その時に収録された「Petstep」のテイクとは異なる、たった58秒しかないオリジナルバージョン。「Petstep」は最初から読んでも最後から読んでも同じ「PetSteP」で、新津章夫がこだわった回文やシンメトリー、パラドックスなど視覚やロジックの不思議を現した曲名。

 

「Petstep」の制作会議(これは細野さんはノータッチです)にて「58秒ではあまりにも短い…」との判断が下され、帰宅した兄の憤慨たるや…(笑)。なにしろたった1分弱の曲の中に倍速ギター、オシレーター&シークエンサーによるリズム、さらには生楽器のチェロを織り交ぜて作ることがどれだけ大変か。それを音楽の本質とは全く関係のない「曲が短い」という意見で却下されては話になりません。

 

その時から40年以上、ずっと封印されていた音源ですが、今回の「LATE MINIMALISM 1981-84」で日の目を見れて本当によかったです。

 

なお、「Petstep」のメロディのモチーフは1962年にNHKの「みんなのうた」で放送された♪僕らはみんな生きているで始まる名曲、「手のひらを太陽に」のサビの部分、♪ミミズだって、オケラだって、アメンボだっての部分の譜割を変えたもの。偶然ではありますが、この曲の作詞者、「アンパンマン」の生みの親である漫画家のやなせたかしさんは我々の父親とは飲み友達で、やなせさんが浅草の飲み屋で父親と一緒に飲んでいる時に、その場に兄を呼んで描いてもらった似顔絵があります。それが、この絵。左下に「たかし」のサインがあります。

 

 

おそらく兄はそんなことは覚えてなかったと思います。兄が亡くなってこの似顔絵が見つかった時、父親が「これを描いたのはやなせさんだよ」と教えてくれました。この頃、やなせたかしさんは三越を退職して漫画家一本で生きていこうとスタートを切ったばかりで暇だったから気軽に引き受けてくれたそうです(笑)

 

22分50秒から細野さんのご紹介とともに流れます。なお、選曲していただいたのは岡田崇さん。ありがとうございました。

 

 

 

 

 私は実は展示の詳細を知らないのですが(オイ!)、行った方から聞いた話では音楽評論家の方々のアルバムへの論評も展示されていて内容が面白かったとのこと。今はSNS でいつでもどこでも情報を得られますが、逆にそこに行かないと得られないモノってのもありますよね。

 

 新宿近辺に行かれる方はぜひ!!

 

 

 

https://x.com/diskunion_best/status/1987043125253316822

 

 

 

 

昨年の「I/O」アナログ盤の完全復刻のきっかけは2017年の「ギターマガジン」誌の特集「偉大なギター名盤100」に選ばれたことがキッカケでした。

 

今回、「EARLY MINIMALISM 1973-78」「LATE MINIMALISM 1981-84」の発売に際し、新連載「ギタリストの宅録名盤探検隊」で再び取り上げていただきました。ありがたいことです。

 

まぁ、原稿は私が書いているのですが(笑)。

 

ぜひともご一読ください。新津章夫の音楽の作り方を余すことなく書きました。