資料を整理していたら面白い記事を見つけました。1979年に雑誌の企画で行われた冨田勲さんとの対談です。おそらく、FMレコパルかホットドッグプレスだと思われます。構成は、「I・O」のスーパーバイザーであり、音楽ライターの岩田由紀夫さん。
※ネットで読むには長めなので、各章ごとに4回に分けて掲載します。今回は、その2回目。
「80年代展望 マルチ対談」
線画的人間(新津)と彩色画的人間(富田)は、
ともに手作り音楽の名手だった
「バミューダ・トライアングル」を発表していよいよ冴えるシンセ音楽の大家、富田勲と、「I・O」でデビューのマルチ・ギタリスト、新津章夫の異色対談!!
音楽は線画的なものと彩色画的なものがある
新津 多重録音といいますか、富田さんや僕の仕事は、画家が絵を描く作業に似ていると常々、思うんですけれど…。
冨田 そうですね。クラシックの作曲家にもそういうところがあるでしょうしね。そこがロックやジャズのミュージシャンとちょっと違うところなのかなぁ。
新津 バッハや僕は、どうも五線紙をキャンバスにしているって気がします。
冨田 オーケストラの楽器がパレットってとこかな。でも、同じ音楽でもバッハは音色じゃない。線画なんです。その線の色はどうでもいいんですね。
逆に、僕の好きなドビュッシーは、線はどうでもいいけれど全体の色彩を大切にする、僕の音楽もドビュッシーに近い。
新津 僕はバッハ・フリークなもので、どっちかというと線画的かな。
冨田 音楽を絵に例えると、線画か全体の色彩で決まる絵なのか、に別れそうですね。シンセサイザー音楽で有名な、ワルター・カーロスって人がいますね。
新津 ええ、「スイッチド・オン・バッハ」というアルバム、日本でもブームになりました。
冨田 あのワルター・カーロスは線画的な人だと思うんですね。で、あれを聴いて、僕は彩色的な方だと思ったんですね。
新津 富田さんがアルバムを作られるようになったきっかけって何ですか。
冨田 昔、CMや映画音楽の仕事をしてたんです。それである時にシンセサイザーと出会った。そのシンセサイザーでCMなんかを作ると評判が良かったわけです。
でも、僕としては、これでもうちょっと芸術的なことをやろうと考えてデモ・テープを作って、レコード会社を、5社くらい回ったかな。ところがどこもだめでしてね
。
新津 僕も同じでした。なかなかスンナリとは受け入れてくれなかったですね。
冨田 「この音楽はどんなジャンルに含まれるんですか?」とか、「追って返事します」とか、結局返事はこないんだけど(笑)。最初は日本人よりも外国人の方が認めてくれましたね(笑)。