両親とのパリ旅行記(2017/08/19-24)⑤ | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

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パリ旅行の3日め、昨日のルーヴル美術館の鑑賞の記事④-1と④-2の続きである。上の画はオランジュリー美術館の外観。私にとって、このオランジュリー美術館は「憧れ」の存在だった。学生時代からドビュッシーの音楽を好み、それとリンクするみたいにモネの「睡蓮」を気に入るようになったからだ。けだし、過去に2回パリを訪れた時(2000年、2002年)は、いずれも改装工事のために休館中で外から建物を眺めることしかできず。1999年8月からの改装工事は私が考えている以上に長く続き、2006年5月にようやく再オープンした。


…そんな訳で、オランジュリーはもはや「憧れ」ではなく「執念が宿る館」になってしまった。3度めの正直!、初の入館はやっぱりウレシくて、記念になった入場券が上の画。


オランジュリー美術館のガイドマップがこちらの画、モディリアーニの「若い奉公人」。モネの「睡蓮」連作が常設されているのは"言わずもなが"だが、画商ポール・ギヨームと実業家ジャン・ヴァルテールから寄贈された私蔵の絵画たち=「ヴァルテール=ギヨーム・コレクション」が常設されたことでファン層が拡大、モネの「睡蓮」ではなくてモディリアーニの作品群を目当てに訪れる観光客もいるらしい。


先ほどのガイドマップの中の1Fの案内図、モネの「睡蓮」のみが展示されている。そもそもオランジュリー美術館はモネの「睡蓮」のために造られたもの、こういった「芸術に贅を惜しまない」スタンスに魅力を感じる。モネは時のフランス首相クレマンソーと友人関係にあり、クレマンソーの懇願に条件付きで大規模な装飾画の制作を引き受けたのが事の始まり。モネがクレマンソーに提示した条件とは「作品は市民に一般公開されること」「装飾のない白い空間を通って展示室に入れるようにし、作品は自然光のもとで鑑賞されること」であった。
美術館オープン当初はモネの意向に沿った形で「睡蓮」が展示されていたが、「ジャン・ヴァルテール=ポール・ギヨーム・コレクション」を収容するために階上に新たに展示室を増設。その結果、モネの「睡蓮」は"まったく自然光が入らない"空間での展示になってしまった。そこで、上述したように私を2回もシャットアウトする大規模なリニューアル工事が行われた。モネの意向通り「睡蓮」の展示室に自然光が入るようになり、「ヴァルテール=ギヨーム・コレクション」は地階の展示室に飾られることになったのだ。

上の画はガイドマップの「ジャン・ヴァルテール=ポール・ギヨーム」コレクションの作品を紹介するページ。ルノワール、アンドレ、モディリアーニ、スーティン…、近代美術においてはオルセーにつぐ膨大なコレクションで、私にとっては忌々しくも魅力のある作品群なのだ。
入館後、真っ先にモネの「連作」睡蓮の展示室へ向かう。途中の通路の壁は真っ白で、確かにモネの意向通りだった。8つの「睡蓮」は2つの部屋に分かれて展示されており、細長い楕円形状の部屋が東西につながる。入り口から手前(西側)の部屋が「第1室」、奥の部屋(東側)が「第2室」。

念願かない、モネの「睡蓮」連作についに会うことができた!。上の画は第1室に入った時に撮影したもの。入口のセキュリティ・チェックの行列で少し混雑している印象はあったが、想定以上に入館者が多くて、腰を掛けてゆったりと画を観賞するためのソファーは親子3人が並んでは座れない状態だった。2つの部屋の東西南北に4枚ずつパネルがあり、計8点の「睡蓮」が展示されている。モネはこれらの大作を1916年から亡くなる直前の1926年、ほぼ10年をかけて描いたのだ…。

あぁ、やっと会えた!…感激!。第1室の南側のパネル、「朝」と題されている。縦200cm×横1,275cm!、自前のコンパクト・デジカメではキャンバス全体を1度に1つの画に納めることは不可能…、画の右側を近景で撮影する。私が理想していたよりもはるかに幻想的!!、睡蓮の花や葉はぼんやりと水面に浮かんでいるようで、境界線が全く分からない世界は瞑想へいざなわれ、深い安らぎを感じる。

第1室の北側のパネル、「雲」。こちらも縦200cm×横1,275cm!の幅広い大作。先ほどの「朝」よりも色調の明るい部分が多くて、「昼間の風景かな?」って感じ取る。部屋一面を偏りがないように自然光が差し込むような設計になっているんだろうが8つある「睡蓮」の中でいちばん明るさがあって花が生き生きと描かれていると思う。

第1室の東側のパネル、「緑の反映」。うっかりキレイなお姉さんも写してしまう。サイズは縦200cm×横850cm、書きながら気づいたのだが、8枚のパネルは横幅に差はあるが、縦はすべて200cmで統一されている。

こちら先ほどの「朝」の左端の画。草むらが生い茂っている池の岸が近い部分と思われる画の右側と比べたら、こちらのカットの方が陽の光が多く注がれている印象を受ける。あくまでも個人的な感想だが。

第2室に入り部屋の全体を撮影するも、ご覧の人の数。画の真ん前で立ち止まって鑑賞している方も多く、部屋中央部のソファーに腰かけていては、まともなに画の表情を撮影をすることができない。

人がいなくなる瞬間を狙ってショットする。第2室南側のパネル、「明るい朝、柳(柳のある明るい朝)」、縦200cmx横1,275cm。第2室には画の両脇に柳が1本ずつ描かれている作品が3つあり、それぞれの光の加減や明るさが違っていて、同じような構図でも描かれた時間帯の差異があると思われる。けれど、そこに「正解」があるわけではなく、それぞれの個性を見比べるのは実に趣き深い。

ふと、ここで、手持ちのデジカメでワイド機能があることに気づく。今まで使ったことがないわけで…(;''∀'')。再度「明るい朝、柳」を撮ってみる。…うわぁ、この女、割って入って来んなよ!、画の右側は、ブレまくって歪みもあるし、初回チャレンジにして見事に失敗。

今度は第2室の東側、「2本の柳」を撮影。縦200cm×横1,700cm!もあり、8つの「睡蓮」の中で最大幅。またしても画のと真ん中に人が写ってしまうが、…まぁこんなもんか。ワイドにすると画の中央と両脇で大いに縮尺が変わり、パネルがすごく歪んだように写る、物理的に説明すると…、えっと…、むにゃむにゃむにゃ。

第1室に戻り、南側「朝」のパネルにトライ(…ワイド機能撮影に興じてしまっている)。無事に画の中に人が写ることがなく、私にしては上出来。序盤に撮影した画の右隅とか、一部分を眺めるのと全体を眺めるのとではだいぶん印象が変わり、「朝」というタイトル通り全体的に明るいタッチの「睡蓮」で、画の真ん中あたりの紫や青緑や群青色に遷移する水面の表現が、何とも幻想的で癒される、すっかり気に入ってしまった!。

次は第1室の北側「雲」、縦200cm×横1,275cm。この画は先ほどの「朝」と違って、何となく水面全体が暗く描かれていて、画の両端の草むらのあたりはかなり日陰になってるようで「どよ~ん」としている。対称的に、画の中央辺り…水面に写る「雲」は"白"というより"ピンク"の色調が強くて、青空ではなく、それぞれ日の暮れかけた太陽を反射している印象を受けた。

続いて、第1室の西側「日没」、縦200cm×横600cm、8つの「睡蓮」の中ではいちばん小さいキャンバスである。…!!、画のタッチがかなり荒れている!!、この煮えたぎるような黄色は沈みゆく太陽の反射なんだろうか、想像はつきない。今まで見てきた「睡蓮」と比べて、だいぶんワイルドな仕上がりだなぁ…。画の左側;黄色やピンク色の池の明るい部分と、画の右側:既に光が届かない暗い水面との対比が極端で驚かされる。本来は題材の「睡蓮」に注目するはずが、とにかく「黄色」にヤラれる。

再び第2室に行き、第2室北側の「朝の柳」、縦200cm×横1,275cm。対面する「明るい朝、柳」と似た構図で、同じ時間帯を捉えていて、画の明るさも同じくらいで、少し区別に惑う。でも「朝の柳」の方の左側の柳の幹は、かなりパネルの左隅に追いやられたところに描かれていて、ピンク系の暖色と青系の寒色との混ざりがより複雑な感じ。この画を描いた時間帯は「朝」なんだろうけれど、水面に写る雲はまだオレンジがかったピンク色で、モネが日の出まもない一日の始まりを穏やかに過ごしている情景が浮かんだ。

第2室の東側「木々の反映」。ここの画は第1室の「緑の反映」「日没」と並んで、全体的に暗いタッチの作品。ピンクがかった紫色、青緑色、藍色…、使う色のグラデーションは相変わらず自由で繊細。その中に際立って赤く光る「睡蓮の花」は「癒しの対象」というよりも堂々としている。…とまぁ、多少は脳裏に残った画の印象や記憶を自分なりに綴ってみたが…、画の撮影に夢中になってしまってあまり鑑賞できていなかったのがバレバレ。

その後、「ジャン・ヴァルテール=ポール・ギヨーム・コレクション」が展示されている地下2階へ向かう。途中の踊り場のようになっているところが地下1階で、ショップやカフェが設けられていてなかなかの賑わい。けだし、こういう所の飲食店は高くつくのがわかっているのでスルー。

地下2階の近代美術のコレクションでまず出迎えてくれたのがルノワールの作品群。その中でも目を引いたのが「ピアノに寄る少女たち」、この画、超スキ!。日常の素朴な幸福、柔らかな紅を帯びた肌の少女たちのかわいらしさがストレートに伝わる。私自身が幼少からピアノを習っていたため、子ども心に強い印象を持つ作品である。何回か同じ構図で描かれている作品で、私の中ではこのオランジュリー・ヴァージョンではなく、オルセー美術館所蔵の「ピアノに寄る少女たち」の方がメジャーに紹介されていて、うまく仕上がっていると思っている。オランジュリーの作品の方が、画のタッチは繊細だけれど全体的にぼやっとしていて、オルセー・ヴァージョンの下書きっぽい印象があるからだ。


こちらもルノワールの作品「水浴する髪の長い女(髪長き水浴の乙女)」。彼独特のふんわり柔らかく、ほんのり肌の温かみが伝わる女性像。あまりの美しさに見とれてしまうが、不思議なくらいにいやらしさを感じない。


またしてもルノワールのメジャー作品「道化の衣装のクロード・ルノワール」。あいにく室内の照明の反射でうまく撮影できず。通路沿いにルノワールやモネの有名な作品群が連なっているのだが、その中でも最後の方でドシンと構えていたように配置されていた。とはいえ、題材は実に可愛らしく、おそらく今回のパリ旅行で鑑賞した絵画の中でもっとも愛らしい作品である。私の弟には2人の子供(姪と甥)がおり、上の子は幼稚園に入るくらいの年なのに、未だにあったことがない(何とも疎遠な兄弟…)。そんなまだ見ぬ姪の姿を想像してしまうのであった。


こちらはモネの「赤い船、アルジャントゥイユ」、1872年の作品。モネ晩年期の「睡蓮」の大作を見たばかりだったので、こじんまりとしていて大人しく感じる。まだ細々と色を点々で表していて、画の全体はぼんやりとしている情景だけれど写実的である。


セザンヌの静物画「リンゴとビスケット」。何枚か似たような果物の画があり、その中で自分にしてはぼやけずに撮れた方の画。さりげない日常の風景を朴訥と、生活感をにじませ、やや温かみのあるタッチで描かれていて、なぜだか印象深い。他にもセザンヌにしては珍しい花の画が展示されていた。

ピカソの「タンバリンを持つ女」。今までずっと印象派の作品を観てきたので、ものすごく奇抜に感じる。ピカソは長いキャリアの中で様々な画法の作品を手掛けているわけで、キュビズム真っ盛りの絵画と比べれば、しっかり「人の形がわかる」作品だ。何だかツンデレな感じで、「あたし、何でこんな格好させられてんのよ」ってモデルの女性が不機嫌だったのかな?、って勝手に想像する。

モディリアーニの「ポール・ギヨームの像」。ここのエリアは比較的室内の光が強くて、反射を免れることができなかった…。オランジュリー美術館の中にある「ジャン・ヴァルテール=ポール・ギヨーム・コレクション」の中でも「顔」と言える存在の作品。パリでも著名な画商=ポール・ギヨームとの出会いは、モディリアーニの生涯に大きな影響を与え、ギヨームは彼にとっていいパトロンであった。感謝の気持ちを込めているのだろうか、うつろな目をした人物像が多いモディリアーニの作品の中でも、目線はトロンとしているものの貫禄のある豪商っぽい出で立ちよく表現されていると思う。

こちら、上述した美術館のパンフレットの表紙と同じ、モディリアーニの「若い奉公人」。またしても照明の光が画の中にささってしまう。全体に青系の寒色が多く採用されていて、暗くて憂鬱な印象が漂う。彼は自分の将来について思いふけっていたのだろうか…、自分だって嘱託で12年くらい雇われいるわけで、将来への不安を大いに抱いているのは同じで、共感すら覚える。

マリー・ローランサンの「スペインの踊り子たち」、1921年の作品。パステルカラーの簡潔で華やかな夢見るような少女像を多く描いた彼女は、1920年代に売れっ子画家だったそう。1920年代はフランスにおいて「狂乱の時代」と呼ばれ、第一次世界大戦後から世界恐慌に入るまでの、「狂気的な」経済発展がおこった。軽快なダンスやジャズが大衆に受け入れられ、アールデコの絶頂期だった時代で、ローランサンの作風は時代の波に乗ったのであろう。かなり勝手な勘違いなのだろうが、ローランサンの画は日本を代表する画家、いわさきちひろの手がけるものにタッチが似ている。画法は全く違うのだが、両社の画はぼんやりとしていて、好んで淡い色を採用しているのが特徴だからだ。

アンリ・ルソーの「婚礼」、1904-1905年の作品。"素朴派"と言われるルソーの代表的な集団人物画。描かれている人物全員が一斉に真正面を向いていて、目鼻立ちも似たような顔つきをしていて、「家族」って雰囲気がかえって濃厚に伝わる。また、この遠近感のない作風は稚拙なようで独創的で、キュビズムやシュルレアリスムを先取りしていると言われる。


近代美術の常設展とは反対方向に企画展のエントランスを映す。「Tokyo-Paris」、日本はブリヂストン美術館の名画がパリに来ていたのでした。

パリに来て、わざわざ日本の絵画をたしなむ。考えてみればオランジュリーに限らず、ルーヴルでもオルセーでも、日本人画家の作品は皆無…いわば「温故知新」。バッチリ日本語のタイトルが書かれていて、まるで日本にある美術館に入るような感覚で企画展のゲートをくぐる。

上の画は有名な青木繁の「海の幸」、1904年。吊されて運ばれているサメはややグロい印象を受けるが、威勢のいい漁師たちの逞しさがよく表現されている。

上の画は作品名も作者名も忘れてしまったが、どこかで観たことのある荒波に立ちふさがる岩壁の画。日本人画家の作品は青木繁の他に、藤島武二、藤田嗣治、安井曾太郎らの絵画が並ぶ。西洋美術の本場であるフランス人らが、しげしげと興味深く日本人画家の西洋画を鑑賞しているわけで…、自分の手柄ではないのに何だか自慢げになる。

↑↑↑前日の画になるが、オルセー美術館の前で撮影した広告パネル。この時点では「何のこと?」だったけれど、今になって「こんなこと」。オルセーもオランジュリーも同じデザインの字体で「M´O」、紛らわしいわけだ。

上の画はピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」、彼の「新古典主義」時代を代表する作品。うつむいてどこか遠くを見ているような…、同じ格好をし続けていてモデルの退屈そうな表情がよく伝わる。

モネの「黄昏、ヴェネツィア」、1908年頃の作品。ドガ、マネ、カイユボット、ミレー、コロー、モディリアーニ…、この特別展でフランスに里帰りした西洋絵画も数多く、石橋氏の西洋美術に精通したジャンルの幅の広いコレクションには感心させられる。

ルノワールの「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」、石橋コレクションの中でも特に著名で、ひときわ目を引く作品。ルノワールらしくほんのり柔かく温かみのあるタッチは健在だが、細かい刺繍があって凝ったデザインの服をまとった少女がモデルだからであろうか、いつになく緻密でディテールにこだわって描かれているように感じる。

この特別展は常設展よりも人気が高かったのか、なかなかの人混みであった。日本人画家の作品はフランス人をはじめ、多くの来館者にとって珍しかったのであろう、興味ありげに画の前で重なり合うように立ち止まっていた。父はこちらの特別展がえらく気に入ったらしく、「フランスに来た美術館でいちばん良かった」と絶賛していた。

オランジュリー美術館を出て振り返る画。思っていたよりも見物客は多かったが、ルーヴルやオルセーのような「混雑」はなかったのでゆっくり鑑賞ができて、気分が満ち足りていた。

ホテルへの帰り道。また「タクシー」?と思いきや、まだ日も高く、とても良い天気なので、チュイルリー公園を歩いて帰ることになった。両親はモネの「睡蓮」の間でゆったり腰をかけて瞑想的な空間で憩うことができたのであろう、足取りも軽くなっているようだった。

計画的に整備された広い公園。真っ直ぐに木々が植えられている様は圧巻!。ブナなのかナラなのかケヤキなのか、樹種はわからなかったのだけれど、早くも紅く染まった葉をちらほら見かけた。日本と同じ温帯地域だけれど、やはりこちらの方が冷涼な土地で、秋の訪れも早いのだ。

公園の中央に設置されている噴水の池。なかなかの盛況で、池の周りにはベンチに思い思いのスタイルで憩う人々でびっしり。ウィークデーでこの人の多さに驚くが、まだ8月も下旬、ヴァカンス中の人も多いのだろう。

ルーヴル宮の手前に観覧車、歴史ある建物の中にひときわ目立つ。前日のエッフェル塔の展望台からの眺めでいち早くライトアップしてくれた。

宿泊しているノルマンディー・ホテルに戻るにあたってこの観覧車のある遊園地を横切るのが近道。両親と遊園地に入るなんて、小学生のディズニーランド以来だな、たぶん。

メリーゴーランド、考えてみれば本場である。人が多く行き交う割には回転木馬に乗るのは一家族の小さな姉弟2人だけ。目を和ませてくれる。

ゆっくりと歩いたが、パリのカラッとした夏の日、喉が渇きソフトクリームを買う。

抹茶味とチョコレート味とのミックス、甘ったるくなく、ペロリと美味しくいただく。フランスでの日本ブームは健在で、「MACCHA」は定番の味になっているようだ。

リヴォリ通りに出る。ビュンビュンと車の数は多く、行き交う人々も何となく早足。フツーにパリの大都会の一面を目の当たりにし、どっぷり芸術鑑賞で夢心地に浸っていた頭が「現実」へと覚醒される。

ホテルの手前で、水やジュースなど補充しようと思い、オペラ大通りにある「モノプリMonoprix」へ向かう。パリに来て初めて入るスーパーマーケットである。水やジュースの他に6本セットのコロナビール、ヨーグルトやチーズなどを購入。買わなかったが、豊富な種類のワインの品揃えには圧倒される。そうそう、「コルニッション」の瓶詰めも売られていて、「さすがにこんなには要らないな」って、スルーした。

夕食はホテルのごく近くにある「Cafe de la Regence」に入る。初日の「Royal Opera」同様、日本語メニューがあったのがキッカケ。

私が食したのはサーロイン・ステーキ。画のごとく分厚い肉塊でレア、肉汁溢れるボリューム満点の一品である。私はもともと焼肉ではホルモン派なのだが、フランスに来て人種が変わったのだろうか、赤身のロース肉は実に美味でペロリといただいた。…あ、訂正、私もともとフランス人だったんだっけ、やだなぁもぅ。

母はコンビーフのパテ。ハンバーグ状に固形に焼かれていたものを想定していたようで、想像していたよりもレア状態で提供され、戸惑っていた。

父は鴨のコンフィをオーダー。赤ワインと良く合い、まずまず満足げであった。日本では"焼魚に日本酒"が基本の父なのに、すんなり西洋の肉料理を嗜んでいるわけで、父の寛容さを見直す場面でもあった。

店先のテラス席に案内されたが、店の奥は空いている。実はフランスの大概のカフェでは、店先のテラス席よりも店内の方が料金が高くて、道理で店の外で食事をする人が多いわけである。

上の画は食事を終えてから撮影したカフェの画。「秋の釣瓶落とし」のごとくあっという間に夜を迎える。忙しそうな店内だったが、雰囲気がよく落ち着いていて、居心地が良かった。何よりも店員の愛想が良く、このパリ旅行て入ったお店の中でいちばん好印象だった。「Cafe de la Regence」のホームページがありました、リンクはこちら→Le Cafe de la Regence。ルーヴル美術館の近くにある老舗の人気店で、ネットの口コミも高い評価でした。

日暮れ後のノルマンディ・ホテルを写す。この日は美術館巡りで屋内での行動が多かったのだが、人混みの中を決して自分のペースで歩くこともできず、やはりくたびれる。ベッドに吸い込まれるように眠りに就いた。パリ4日めの記事は明日の⑥に続く。