両親とのパリ旅行記(2017/08/19-24)④-2 | パンダの音楽

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静岡在住のセレクタ兼チャーターです。

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先ほどのルーヴル美術館見学の記事④-1の続き。マイバス社のオプショナルツアーが終わって現地解散してからの行動の記録になる。

「さて、次はどこへ行こうか」となるが、写真を撮り損ねた名作が多くて早歩きで鑑賞が終わってしまった、イタリア・スペインの彫刻の傑作が立ち並ぶ回廊:「ギャラリーのドナテロ」に戻る。

再会、ミケランジェロの「溺死の奴隷」、1513~1515年の作品。思い切り男性の体つきなのだが、身をくねらせて目を閉じているポーズが何だか女性的で艶めかしい印象を受ける。

その隣り、同じくミケランジェロの「抵抗する奴隷」。こちらは男性的な躍動感がみなぎっていて、不良のヤンキーがほざく「野郎ども、やっちまいな!」。

1793年、カノーヴァの「アモルの接吻で蘇るプシュケ」。古代ローマの作家:アプレイウスの「変容」に書かれた伝説をもとに制作されたもの、翼をつけた青年がアモル、横たわるのがプシュケです。スベスベ滑らかな大理石の彫刻…若い男女の裸像の肌のきめ細やかさをリアルに表現している。


円盤を持った運動選手:通称「ディスコホロス」、紀元前4世紀初期、ギリシャ人彫刻家「ナウキュデス」の制作。円盤を投げる直前の運動選手を捉えていて、集中力みなぎる視線、足の指の痙攣など、緊迫した一瞬を見事に表現している。

一通りルーヴル美術館の中のメジャー作品を網羅して歩いたつもりが、まだまだ、数多ある名作たちの展示を回り切れていない。上の画はルーヴル美術館の案内図で"2階"の画である。…そう、まだ足を踏み入れていないフロアだ。しかも、フェルメールやレンブラントなど、北欧のメジャー作品を拝めていないことに気づく。両親も大いに興味を持ったため、2階(「わがまま歩きパリ」では3階)のリシュリー翼を目指す。

…って、残念なことに北欧絵画が終結するフロアは工事閉鎖されていた。ガックシ、いただいた館内案内図をちゃんと見れば「閉鎖中」って書いてあるじゃん、んもぅ、おっちょこちょい!、痛恨のミス!。世界最大級の美術館を上がったり下りたり行ったり来たり、相当な距離を歩いたわけで、ムダな徒労で両親はグッタリ。それでも自分はせっかくのパリ旅行だし、まだ足を踏み入れていないジャンルのエリアに行きたいと欲を張ると、「私たち待ってるから行っておいで」って母が促す。前日の疲れも残っていたんだろうし、無理を強いてはいけないな…、一人で館内を見学することにした。

ドゥノン翼の1階に戻り、先ほどのイタリア絵画の傑作地帯の後に見学していなかったスペイン絵画のコーナーに入る。見たことあるあるシリーズ!、1794~1795年のゴヤの名作「カルピオ女伯爵の肖像」。教養があり、思いやりも深く、まだ若いが不治の病におかされた女性の精神力の強さが巧みに描写されている。
スペイン、さらに奥のイギリスの絵画の展示など、目をとられる作品がいくつかあったが、ちゃんと撮影したのは上記のゴヤの作品のみ。両親を見知らぬ土地にほったらかしているわけで、やはり気がもめて自ずと早足で進んでしまった。

同じ1階のシュリー翼にある古代エジプト美術エリアに向かう。ルーヴルはエジプトの他にも古代オリエント美術を豊富に収蔵しており、考古学や地政学に通じている人にとっては夢のような空間。


なんてったって有名なのが、上の画の「書記坐像」。エジプトのサッカラで出土され、紀元前2620~2500年の頃の制作と推測されている。貴重品だったパピルスを手にしていることから高級官僚の像と推定されており、真一文字に結ばれた口元、ひきしまった顎、思慮深い眼差しなど…、書記官の真面目っぷりが巧みに表現されている。

他にも、花崗岩でできたスフィンクスの彫像、「蛇王の碑」:王家の大墓地から発見された石碑などなど、時間を気にしなければいくらでも鑑賞し続けることのできる古の作品群…、もったいないけれど早足ですり抜けた。


シュリー翼の2階に上がり、フランス絵画のコレクションを鑑賞する。まず足を止めたのが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「いかさま師」、1635年頃の作品。これも④-1の記事に載せた2015年の「ルーヴル美術館展」で鑑賞したもので、約2年5ヶ月ぶりの再会となる。いかさまが人知れず成し遂げられる窃盗の瞬間の手や視線の動きの描写がおもしろい。


シュリー翼の2階の四角い通路はほとんどフランス絵画で占められていて、自分にとって興味のあるジャンルだったし、いつの間にやら早足が止まる。上の画はルノワールの「読書」。ルーヴルにあったフランス近代絵画のほとんどがオルセーに移されていたので、まさかここでルノワールの作品に出合うのはサプライズでした。


こちら、ドラクロワが1838年に描いた「フレデリック・ショパンの肖像」。上述した巨大で写実性あふれる大作を描く印象の強い画家にして、印象派に近い、ふんわりとしたタッチの作品で意表を突かれる。音楽が好きなドラクロワはショパンの才能と人柄を大いに愛していたという。

あ、コレ、あるある系だ!、イポリット・フランドランの「海辺に座る裸の若者」、1836年の作品。よく人物像のデッサン集で見かける絵画で、頭から足の指先まで、肉体の曲線がなめらかに描かれている。

引き続いてデッサン重視の作品、ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルの「ヴァルパソンの浴女」、1808年。アングルの描く裸体のデッサンは、解剖学的に見ると不正確なのだが、女性の柔らかさ・ふくよかさを誇張するような曲線美が官能的な印象を増幅させている。なお、フランドランはアングルの弟子である。

続きまして、またしても見たことあるあるシリーズ!、フランソワ・ジェラーの「アモルとプシュケ」、1798年。ここに描かれる男女の裸像は可憐で「清らか」である。出品当初はこの人物像が陶器の人形のように見えて「人工的で」「冷たい」と酷評を受けた。

あ、またしても乃木坂以来の再会シリーズ!、ジャン=バティスト・グルーズの「割れた水瓶」、1771年の作品。何ともかわいらしい美少女だが、「あぁあ、やっちゃった」っていう困惑の表情が伝わりやすい。

今度も再会シリーズ!、ジャン・シメオン・シャルダンの「猿の画家」、1739~1740年頃の作品。何とも皮肉たっぷりの社会風刺、2015年のルーヴル展を観に行った時は気に入ってしまい、この画が印刷されたポストカードも買ってしまった。大美術館が所蔵する数多ある名作の中で、いったん日本に来てくれて鑑賞した作品に再会することは、けっこう「ウレシイ」。

両親は同じ2階のリシュリー翼で休んでいた。上の画はリシュリー翼の人気の少ないエリアにある巨大な絵画。母は少し元気が出たようで、近くの画を観て回っていた。一人で観てきてしまったシュリー翼のフランス絵画のコレクションはすぐ近くにあったわけだし、一緒に歩いて鑑賞しても良かったなぁって、後になって悔やんだりもした。

美術館を出たのは12:50頃、ちょうどお昼時。けれども、朝から世界的メジャー美術傑作集のオンパレードにみまわれ、身も心も過食状態。それでも食いっぱくれるのもイヤなんで、ルーヴル宮地下街にある飲食店で食事をとることにした。


美術館のチケット売り場付近の画。朝の入館時に見た、一般客の大行列はなかったがそれでも人は多い。火曜日の昼間、ウィークデーでもこれだけの人が集まるんだから、凄いもんだ。画の左側、同じ赤色のカードを首からぶら下げて歩いている人たちの列は、おそらく中国人の団体客であろう。日本での爆買いもすごい現象だけれど、中国人の購買力はフランスの観光界においても大きな影響力を与えているようで、「"数と量"で勝負してくる」存在にフランス市民は畏怖の念すら抱いていることであろう。


またしても、逆ピラミッドの撮影。私のお気に入りの映画「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン原作、トム・ハンクス主演、2006年公開)の舞台はパリ。このルーブル美術館はストーリーの冒頭と終盤で重要なロケーションになっている。"マグダラのマリアの棺がこのピラミッドの真下に安置されている"という結末を思い出し、少し感慨にふけってしまった。

来た道を戻るように、地下街の中でもオペラ方面を目指す。ふと…おっ、何だこれ?!、道すがら目にとまった雑貨ショップ、「PYLONES(ピローヌ)」。フランスの大人気デザイン雑貨ブランドで、見た目は風変わりだけれど実用的で、生活を楽しくしてくれる小物がウリのようだ。殺風景な部屋に住み続けているオッサンでも魅かれるくらいだから、インテリアや雑貨にこだわりを持つ女性にとってはパリ観光で要チェックの店舗だったであろう。日本代理店もあって通販も盛ん、公式ホームページはこちら→Pylones

昼食で訪れたのは、ルーヴル宮リシュリー翼の地下にあるフードコート。マクドナルドもあって、何だかそれだけでホッとする。トルコ、フランス、スペイン、イタリア、中華のブースで、それぞれのお国柄を出し合うように名物料理を提供している。


焼かれているピザが美味しそうだったので、このイタリア料理のお店「TAZIO(タツィオ)」で即決!。

上の画のごとく、食したのはベーコンが載ったトマトソースのシンプルなピザと、ティラミス(甘いの大好き!)。ピザは半径25cmくらいの円を4等分したサイズだから…、おいおい、またしてもデブの階段を上ってしまったね。

両親はきのこやハムなど具材が多いピザと、ミートソースがたっぷりかかったラザニアをチョイスして、仲良く2人でモグモグ。「胸いっぱい」だった!?わりには、ガッツリ、ジャンクフードをたいらげる。このルーヴル宮にあるフードコートのホームページがありましたのでご案内しておきます、リンクはこちら→Restaurants du Monde, Carrousel du Louvre、2017年11月在で9店舗入っています。

いったんノルマンディ・ホテルに戻り、寝入らない程度に、少しホッコリする。両親は前日のオルセーと今日のルーヴルで、美術館巡りは懲りちゃっているのかもしれなかったのだが、「オランジュリー美術館に行きたい」って言ったら、すんなり賛同してくれたので良かった。
お世話になっているノルマンディ・ホテルからオランジュリー美術館までは直線距離で1kmも満たない。地下鉄だったら1号線で「パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーヴル」から「コンコルド」までたったの2駅を乗るだけ。ホテルを出てゆっくり歩いても、15分あれば到着する。けれども両親はすっかり歩くことが億劫になってしまっていて、高くつくのがわかっていながらタクシーを拾う。これがまた、目的地とは別方向(オペラ・ガルニエ方面)に走っていた車を捕まえてしまったため、面倒くさいことに…。運転手は気さくで明るい30代くらいのお兄さんで、自分たちが日本人であることを伝えたら、なおのこと優しく接してくれた感じでした。ところがどっこい!、車はすぐにセーヌ川の方へ向かわずに、わざわざオペラ・ガルニエやマドリード寺院の前を経由してコンコルド広場へ。たぶん海外からの観光客相手にサービスで遠回りしてくれたんだろうけれど、前日のBig Bus Parisで散々見慣れた風景なんだから「んもぅ、いらん事するな」って。ひょっとしたらボラれたんぢゃないか?!って疑ったけれど、ま、いいや。

さて、ここで一区切り。オランジュリー美術館での絵画の記憶や想い出を書き続けたいところだが、何にしろルーヴルでの記事が長くなり過ぎた。明日の記事⑤に続く。