いってみよう! 夫婦で GO!GO! 世界一周。 -31ページ目

バスターミナルから市内へ ヨルダンの交通事情

ペトラからのバスは、アンマンの南にある
ムジャンマ・ジャヌーブに着いた。


アンマンのバスターミナルはどこもそうだが、
宿の集中するダウンタウンからはやたら離れており、
セルビスやらバスやらに乗り換えねばならないので、
旅行者にとっては、不便なことこの上ない。


地下鉄でもあれば良いのだが、
そんなのは絵に描いた餅である。


荷物も多く、疲れていたので、
市内まで香港の二人とタクシーをシェアすることになった。


ダウンタウン行きのセルビスが停まっていたが、
なぜか乗車拒否された。


セルビスとは基本乗り合い制の決まった路線を走っている
白色のタクシーのことで、普通のタクシーより料金が安い。
満員にならないと出発しないのだが、丁度4人だったにも関わらず、
私たちはなぜか、乗ることが出来なかった。


声を掛けてくるタクシーは、
ダウンタウンまで5ディナール(約815円)と言ってきた。


以前、ダウンタウンからこのムジャンマ・ジャヌーブまで、
タクシーで来た香港の二人は、3ディナール(約490円)だったという。


なんとかタクシー代を値切り3ディナールで行くことになった。


二人で1.5ディナール(約245円)と安く着いたが、
メーターで乗ればもっと安かったに違いない。


タクシーには悩まされる。


今まで乗ったタクシーは必ずと言っていいほど、ボッタくってきた。
それは、観光客料金として、ある程度は仕方のないことなのかもしれない。


が、ヨルダンはエジプトに比べると物価が高く、通貨の価値も違う。
1違うだけでもエジプトポンドでは20円の差しかないが、
ヨルダンディナールでは160円も違うのである。


一見少しの差に見えるが、その差は天と地ほどの開きがある。
ヨルダンに比べるとエジプトのタクシーのボッタくりなどは、
まだ、かわいらしいものだった。


ダウンタウンの中心に着くと、香港の二人とはここで別れることとなった。
ファラホテルに泊まるらしい。


特に良く話していた二人のうちの一人は、ジェット・リー似のナイスガイだった。
キャセイパシフィックのフライトアテンダントの彼は、2週間の休みを利用して、
ヨルダン、イスラエルを周っているという。


なんと、従業員は航空チケットが格安で買えるらしい。
金額を聞くと、ありえないほど安い値段だった。
役得とは言え、うらやましい限りである。


彼らと別れ、私たちはべデウィホテルに向かった。
トイレ、バス共同だがダブルで8ディナール(約1300円)と安い。
坂道がきつく、部屋が少々暑いのが難だが、
冷蔵庫も使えて静かなので、しばらく滞在することにした。(yo)


maatamlunch
お昼は近くのマタアムエクスプレスにてチキンスープと

モロヘイヤスープとライスで2.4ディナール(約390円)。

安くて旨いこの店は以後、私たちの定番に

ペトラのバス


petoraview
宿からペトラを望む


前日のあの過酷な移動による疲れも癒えぬまま、
アンマンに戻ることにした。


9時過ぎに宿を出る。


宿からワディ・ムーサのバスターミナルまでは近く、
15分程の距離だった。


バスターミナルに到着すると、マイクロバスが一台停まっていた。


聞くと、どうやらアンマン行きらしい。


1人5ディナール(約815円)だった。


他の旅行者から話を聞いていたところ、
アンマンからペトラまでは3.5ディナール(約570円)でこれるらしい。


そう考えると5ディナールという数字は明らかに高い。


乗らずに次のバスを待つことにした。


バスには何時間も待っているのか、
もうすでにかなりの乗客が乗り込んでいた。


ヨルダンのマイクロバスやセルビスは、
乗客が一杯にならないと出発しない。


だから、たとえ目当てのバスに一番乗り出来たとしても、
結局、最後の乗客がやってくるまで待たされる。


後、数人集まれば出発するという状態が一番ロスが少なく、
ラッキーなのだが、この時が丁度その状態だった。


しばらくすると、宿で同じ部屋だった香港の二人組がやってきた。


彼らとは今朝、いろいろ話すうちに、仲良くなっていた。


同じくアンマンに向かうというので、
それならば一緒に行こうかと話していた。


一足早く出た私たちが、バスが来ているのに乗らない理由を説明すると、
彼らも一緒に待つ決心を固めたようだった。


再び、バスの運転手が声を掛けてきた。
しかし、どうしても5ディナール以下にはならなかった。


私たちと香港の彼らを入れると丁度定員に達するらしい。


すぐにでもバスは出発したいという雰囲気だった。


ふと、バスの乗客の中に1人だけ乗っていた日本人が声を掛けてきた。

なぜ、乗らないのかと聞かれたので、「高いから。」
というと、強く乗車を薦められた。


青年海外協力隊として現地で暮らしているという、
その人の話では、このバスを逃がすと次のバスはなかなかこないらしい。


「ホントにこないから。」と念を押された。


時間はあるので、次のバスまで待つつもりだったが、
現地で暮らしている人が必死に言うので、
これは乗った方が良いのかもしれない。
香港の二人にも説明し、急遽このバスに乗り込むことにした。


乗り際、その日本人女性に幾ら?と聞かれたので、
5ディナールと答えると、まだましだということだった。


ひどい時は8ディナール(約1300円)と言われることもあるのだという。
ちなみに現地価格は3.1ディナールということだった。


良くボッタくるとは聞いていたが、足元を見られたようだ。


選択肢がないのでは、仕方がない。


あるいは次のバスはすぐに来たかもしれない。


満員にならないと発車しないというシステム上、
一刻も早く出発したい乗客にとっては、
この先、来るかどうか分からない客を待つより、
私たちを乗せた方が確実ではあるだろう。


エアコンのない窮屈なバスは、ガタガタと揺れながら、
砂漠ロードをひた走った。


いずれにせよ、そう暗くならないうちに、
アンマンにたどり着けたのは良かった。(yo)

エド・ディルへの道 ペトラ遺跡その3

十分休憩し、気力も充電したところで、
再び歩き出す。


レストランの前には多くのロバが停まっていた。
先には、山道が続いている。


エド・ディルまでは歩いて行くと1時間かかるらしい。


ロバに乗って行くと20分。


険しい山道をひたすら歩くことを考えると、
ロバの誘惑に負けそうになり、
2ディナールなら乗っても良いかと思ったが、
値段を聞くと二人で6~7ディナールだったので、やめた。


見るとやはり高いのか、
歩いて行く人の方が圧倒的に多かった。


岩山に刻まれた階段をひたすら上を目指して歩く。


もはやトレッキングの域だった。


何かの修行でもしているかのような気にさえなってくる。


こんなところにわざわざやってきて、
なぜこんな岩山を登らねばならないのか。



iwamichi
暑さプラスこの山道はもはや修行。写真ではわかりづらいのが悲しい


バテないように、何度も休憩しながら、
登り続けた。


途中、客を運び終えたロバたちが、
次々と戻ってくるのに遭遇した。


1日に何往復するのだろう。


きびきびと歩を進めるロバもいれば、
主人の言うことを聞かずに、立ち止まったり、
気ままに道草を食っている奴もいる。


そんな様子を見ると妙に親近感が沸いた。


お互い頑張ろうぜ。


ちょっと足を滑らすと地獄行きというような、スリリングな道を抜け、
もう何段目になるのか分からない階段を登り終えると、
急に下り坂になった。


坂を駆け下り、目の前に広がる大地に降り立つ。


振り返ると岩肌にエル・ハズネよりも巨大な彫刻がそびえ立っていた。


ついに、エド・ディルに着いた!


エド・ディルは装飾こそエル・ハズネには及ばないが、
苦しい道を登り終えたという、達成感を満たすのには十分な遺跡だった。


遺跡前にあるカフェの椅子に座って、しばらくボーっと眺めていると、
注文しないなら座るなと怒られた。(yo)


eddil
悠然と立つエド・ディル

帰り道、走って山を駆け上っていく強者三人組を見た。たまげた

ベドウィンの家 ペトラ遺跡その2


romantheater
ローマ劇場跡。あまり観光客には人気がない


エル・ハズネを抜けると、
周囲にはあちこちに岩山をくり抜いて造られた、
住居跡や墓などが見えてくる。


それらは山のかなり上の方まで続いていた。


見ると、そんなところにも観光客の姿が。


私たちはとても登る気になれず、
ただ下の方から眺めるだけに留めておいた。


平坦な道を歩くのにも相当なものなのに、
山を登るとなると。。。


考えただけでも気が滅入る。


だが、この後にとてつもない難関が控えているとは、
そのときはまだ思っていなかった。


私たちは遺跡の最奥。
エド・ディルを目指していた。


再三現れるロバやラクダの勧誘をかわし、
暑さで疲れる体をところどころ休めながら、
柱の並ぶ道を過ぎると、「MUSEUM」という表示が見えてきた。


ためしに行ってみようと階段を登る。


すぐそこにあるのかと思ったミュージアムは、
なかなか見えてこなかった。


気が付くと結構な距離を登っていた。


たどり着いたミュージアムは展示品も少なめで、
大してみるところはなかった。


やや期待はずれな感を抱きながら、
入り口を出ると左側にはさらに道が続いていた。


「EL HABIS」と書かれている看板をさらに奥へと進むと、
ちょうど岩肌の影で心地よい風が吹いていた。


休憩するにはもってこいの場所だ。


すでに相当疲れていた私たちは、しばらく涼んでいくことにした。


ユリを置いて一人、
好奇心からさらに奥の断崖絶壁を進んで行くと、
なんと家があった。


庭には草木が茂り、花が咲いている。
こじんまりした、なかなかかわいらしい家だった。


しかも家の中からはテレビかラジオの音が聞こえてきた。


こんなところに人が住んでいるなんて!


驚いた。


さらに道は続いていたが、
帰ってこれなくなりそうなので引き返した。


再び岩陰で、誰もいない中、ユリと二人で涼んでいると、
さっきの家のほうからおじさんがやってきた。


おじさんは私たちのところまで来ると、
軽く挨拶をして、ミュージアムの方まで下っていった。


「アイム、ベドウィン」
そう言って、おじさんは笑った。


さっきの家はこのベドウィンのおじさんの家だった。
つづく(yo)

エル・ハズネとの対面 ペトラ遺跡その1

朝8時。
遺跡の入り口までは宿から車で送ってもらえた。


ペトラの入場料は1人21ディナール(約3420円)。
さすがヨルダン最大の観光地だけあり、入場料も強気価格である。


入場ゲートをくぐり、砂利道を歩く。
昨夜はうっかり草履で来てしまい、歩き難い思いをしたが、
今日は二人とも靴に履き替え、万全の態勢で挑む。


歩いていると、さっそく馬の勧誘が声を掛けてきたが、
誰一人として乗っている人はいなかった。


昨夜、道を照らしてくれていた無数の蝋燭は、
キレイさっぱり取り除かれていた。


あの無数の蝋燭を片付けるために、
一体、どれ位の人たちが携わったのだろうか。


ふと気になった。


砂利道が終わると、道はシークと呼ばれる岩の間を通って行く。


巨大な岩山の間に挟まれた道は細長く、
くねくねと曲がりながら谷の奥まで続いていた。


昨夜は暗闇で良く見えなかったが、
自然が生み出した壮大な空間はまさに、
秘境と呼ぶにふさわしかった。


いつ果てるともない道を延々と歩き続ける。


と、突然岩肌の間から巨大な彫刻がその姿を現した。



hazneiwa
岩に囲まれた道を抜けると突然エル・ハズネが顔を出す


大昔、ここを通るあらゆる人々が、
その姿に胸を打たれたことだろう。


エル・ハズネはペトラの玄関として、
かつてこの地に栄えたナバタイ人の文化の誇りを
今もなお、その優美な姿に称え、我々を歓迎してくれた。


もし許されるならば、人が全く往来しない中をただ一人進み、
静寂の中、突然現れるその姿を一人占めしてみたかった。


いきなりメインの見所にたどりついたが、
ペトラ遺跡はまだまだ先へと続いてる。


このエル・ハズネは広大な都市遺跡のまだほんの入り口に過ぎない。


まだ午前中ではあるが、空に輝く太陽は容赦なく照りつける。
シークの中はまだ影が出来ているので涼しいが、
ここから先の暑さは相当なものである。


エル・ハズネとの対面も早々に、
私たちはさらに奥へと歩き続けた。
つづく(yo)

elhazne
エル・ハズネの中は特に何もなく、がらんとしている。もちろん聖杯もない



indygoods
チケット売り場前にはインディジョーンズショップがあった。
はじめて映画を見たとき、まさか実在する遺跡だとは思わなかった。

それにしてもやたら帽子が目立つ