天空の城 クラック・デ・シュバリエ
十字軍の残した城があるらしい。
ダマスカスに滞在中、
同部屋のイーゴルが教えてくれた。
歩き方にはチラッとしか載っていないので見落としていたが、
なかなか見ごたえのある城だというので、
ホムスに着いたら行こうと思っていた。
バスターミナルには1番のバスに乗ると、
すぐに着いた。
さすが、シリア中部の移動の要所。
たくさんの数のバスやセルビスが停まっている。
クラック・デ・シュバリエ行きのセルビスはすぐに見つかった。
ラマダン中のためか、乗客はなかなか集まらず、
定員14名のところが7人くらいしかいなかった。
危うく、1人100ポンドで行くことになりそうだったが、
発車直前になんとか人が集まり、
1人50ポンド(約120円)で行くことができた。
およそ30分。
途中で降ろされるのかと思ったが、
セルビスは山間の町を抜け、城のまん前まで運んでくれた。
入り口を入ると石段が城の内部へと続いている。
大きな倉庫の奥へ進み、階段で外に出ると、
思わず息を呑むほどの景色が広がっていた。
眼下に麓の町並を見渡していると、
英雄サラディンも一日で諦めたという
難攻不落ぶりに納得せずにはいられない。
これは、なかなかすばらしい城だ。
と、感慨に耽るのも束の間、城内を探索していると、
あれ?いやにゴミが。。目立つな。。
堀の中の池や隅っこの方など、いたるところに、
ペットボトルやらなんやらのゴミが、散乱している。
せっかくの城の情感もゴミで台無しである。
おまけに、城内にあるレストランのものらしい、
大量の椅子の残骸が、城の中心部に、
無造作に置かれたりしているし、、、
シリア人はあまり景観とかそういうところは、
気にしないのだろうか。
せっかく立派な城なのにもったいない。
ちょっとは掃除をしたらどうなんだ。
なんだか、がっかりして城を出た。
帰りのセルビスはちょうど、
城を出た時につかまえる事ができた。
はじめは「やったぁ。ラッキー」と思っていたが、このセルビス。
なかなかホムスに向かってくれない。
どうやら私たちの他に、ホムスに行く人が集まらないらしい。
人を探すために、山を上ったり下りたりしはじめた。
あまりにも見つからないのであきらめたのか、
山の中腹のセルビス乗り場で車を停めると、
運転手は「2人で500ポンドでどうだ?」と言ってきた。
冗談ではない。
私たちが出しても200ポンドまでだな。と譲らないでいると、
運転手はそれ以上何も言ってこなくなった。
さすがに200ポンドは安すぎたようだ。
さらに待つこと数分、どこかに連絡でもしていたのか、
ようやく人数のめどが付いたらしい。
おもむろにセルビスは山を下りはじめた。
大量の人が乗り込み、あっという間に席は一杯になった。
これで、やっとホムスに帰れる。。。
と、思ったのも束の間、
セルビスはまたもや山を上りはじめた。
まただ。。。
一体いつになったら、下山できるのだろう。
ひょっとして、この人たちは山頂に向かう客なのだろうか。
ユリはもう我慢の限界が来たようで、
別のセルビスに乗り換えようと言い出した。
確かに、こんな辛気臭いセルビスにはもう乗っていられない。
再び城の前に戻ってきたので、セルビスを降りる準備をしていると、
観光客2人が、ちょうど城から出てきた。
そして、そのままセルビスに乗り込んだ。
なんと、この運転手は、残っていた2席を埋めようと、
城の前までやってきたのだった。
そこまで満席にこだわるか。。。
結局、一番タイミングが良くラッキーだったのは、
この観光客2人だったようだ。うーん。なんだかなぁ。(yo)
山の頂にそびえる難攻不落の城クラック・デ・シュバリエ
夕食は鶏の丸焼き275ポンド(約660円)とトマト
この城。ラピュタのモデルになったという話もありますが、本当でしょうか?
やっぱりパルミラはプロブレム
バールシャーメンホテルにはなんと、エアコンが付いていた。
いつ以来ぶりかのエアコンで、昨夜は快適に眠ることが出来た。
パルミラはダマスカスより宿代が安いので、
しばらくゆっくりしようかな。と思っていた。
だがしかし、思わぬ落とし穴があった。
なんと、ATMが町に一台も存在しないのである。
宿のオーナーにATMはないかと、
連れていってもらったところは、普通の土産物屋だった。
え?ここですか?
確かに、店の前にVISAとか、MASTER CARDとかの、
シールが貼ってあるけど。。
もしや店内にATMの端末があるのかもしれない。
しかし、どこにもそれらしきものは見当たらなかった。
店の主人にすすめられるまま、とりあえず椅子に腰掛けた。
「で、いくら必要なの?」おもむろに、店主が口を開く。
よくよく話を聞いてみると、どうやら店主が、
替わりにお金を引き出してくるという事らしかった。
人間ATMだった。
それにしても、手数料がべらぼうに高い。
大体1ドル46シリアポンドなのだが、
提示された金額は1ドル33シリアポンドの計算だった。
高すぎる!という私に、店主は、
「ここで買い物すると、手数料は無料だけどね」
アッハッハッハッハと大笑いした。
私もアッハッハッハと笑いながら店を出た。
そうは言っても、手持ちのシリアポンドはまったくない。
一晩の宿代さえ危うかった私たちは、
取りあえずドルを両替することで、しのごうと考えた。
博物館の隣には両替専用の銀行窓口があった。
今時にしてはめずらしく、中にはパソコン1台もなかった。
計算は計算機を使い、領収書は手書きで発行していた。
なぜATMがないのだ?と聞くと、
「イットイズビッグプロブレム」とぼやいていた。
なら、なんとかしろよ。
地元の人はみんな隣のホムスまで引き出しに行くらしい。
訳がわからない。
これでもシリアが誇る観光地なのだろうか。
午前中、早々に遺跡を観光し、ホテルをチェックアウトした。
実は、このホテル。元サッカー選手の中田が泊まっていたらしい。
情報ノートを見ると、旅行者中田英寿と書き込みがあった。
オーナーに言えば、写真も見せてくれるらしかった。
遺跡内にはラクダがいる。今まで乗ったことがなかったので、
一度くらいは乗っておこうと、150ポンド(約360円)でお願いする。
1人5分づつということだったが、ユリのほうが明らかに長い時間、乗っていた。
もともと乗りたがったのは私の方だったのに。。。やっぱり、セクハラされたらしい。
ラクダ屋の売り文句は「ラクダはラクダ」だれが教えたのやら
朝の遺跡は風が吹いていて、涼しかった。
150ポンド払ってベル神殿に行ってみたが、なんだかイマイチだった
ホムス行きのバスターミナルまで行くため、
タクシーを探していると、バイクが二台声を掛けてきた。
明らかに、ちょっとどこかへ遊びに行く途中といった様子だったが、
大きな荷物を担いだ私たちを見て、小銭を稼げると思ったのかもしれない。
さすがにバイクは無理だろうと頑なに拒んでいると、次はベンツが停まった。
この町は全員タクシーか。
そうは言っても、正規のタクシーがつかまらないのではしょうがない。
車ならいいかと、バスターミナルまで連れて行ってもらった。
やっぱり50ポンドだったが、以外にも近い距離だったので、
少々払い過ぎたかもしれない。
お金を渡すとベンツの兄ちゃんは爽やかに去っていった。
一体、正規のタクシーはどこにいるのだろう。
結局、昨日一度、目にしただけだったなぁ。
1人100ポンド(約240円)払って、チケット売り場で受け取ったのは、
紙切れにペンで書いただけの粗末なものだった。
おじさんがチョロチョロッと行き先と、席番号(たぶん)を書いただけ。
というか、裏を見ると本当に紙の切れ端だった。
簡単に偽造できそうだが、大丈夫なのだろうか。
チケットと呼ぶのもはばかれるその紙切れを持って、
私たちは停車中のバスに乗り込んだ。
バスは2時過ぎにはホムスに到着した。(yo)
パルミラプロブレム
パルミラの広い遺跡内はベル神殿とローマ劇場以外は無料で観てまわれる
ドミトリーでスロヴェニア人と仲良くなった。
名前はイーゴルという。
昨日、私が国境で買ったビールを飲んでいるのを見ると、
「それ、どこで買ったの?」と話しかけてきた。
ビールを探し回って随分歩いたらしい。
国境で安く買えたよ。というと、
「ちくしょう。知らなかった」と悔しがっていた。
イスラエルから入って、アンマンで一泊し、
昨日ダマスカスにやって来たという。
ファイナンシャルプランナーらしく、テルアビブで開催される、
コンベンションに参加するついでの旅行らしい。
私たちと同じようにパルミラに行くというので、
今日、一緒に宿を出ることになった。
彼は日帰りのつもりだったらしい。
私たちの荷物を見て驚いた。
パルミラで何泊かするつもりだ。というと、
ロンプラを取り出し、あまりおすすめできないといった様子で、
あるページを見せてくれた。
そこには「PALMYRA PROBLEM」というコラムが設けられていた。
なんでも、パルミラでは近年、観光化が激しくなって、
コミッションを貰うために、ホテルの客引きがしつこいだとか、
バスは必ず、あるホテルの前で停まって、
何も知らない旅行者を宿泊させようとするから、注意しろ。
というような内容だった。
エジプトではそういうのはしょっちゅうだったので、
「ノープロブレム」と言っておいた。
朝8時に起床し、パルミラ行きのバスが出ている、
ガラージュ・ハラスター行きのセルビスを探す。
待てども待てども、なかなか来ないので、
イーゴルの機転で、タクシーで行くことになった。
ガラージュ・ハラスターに着くと、真っ先にパルミラ行きのバスを探す。
イーゴルはどんどん英語でバス会社の場所を聞いてまわる。
私たちはただ、ついて行くだけである。
バス代は1人190ポンド(約456円)だったが、
イーゴルが500ポンド出して、私が200ポンド出した。
さっきのタクシー代もイーゴル持ちだった。
さて、私はイーゴルにいくら払えばいいのだろうか?
うんうんうねって、考えていると、すぐさまイーゴルは答えを出してきた。
5秒もかかっていない。
さすが、ファイナンシャルプランナーである。
計算が苦手な私は紙に書いてもらって、ようやく理解することができた。
イーゴルと行動していると、いつもより移動がスムーズだった。
明らかに普段、二人で移動する時よりもテキパキしている。
これが普通のバックパッカーのスピードなのかもしれない。
私ももうちょっと、頭の回転が速ければなぁ。
およそ3時間後、バスはパルミラに到着した。
そして、ロンプラにあったとおり、あるホテルの前で一旦停まった。
なにやら客引きのような輩が現れたが、誰一人降りるものはいなかった。
バスの終点は、なぜこんなところで停めるのか理解不能なくらい、中心部から離れていた。
降りると同時に客引きが群がってきた。
いろんなおじさんが、「俺の車に乗れ、いや俺のだ。」と浴びせるように勧誘してくる。
噂のパルミラプロブレムが始まった。
ある運転手は3人で5ポンド(約12円)だと言ってきた。
とんでもなく安いので、明らかに裏があるに違いない。
きっとコミッションをもらえるホテルに連れて行かれるのだろう。
同じバスに乗っていた他の観光客も警戒していた。
その1人に一緒にタクシーをシェアしないかと誘われたが、
私たちは3人だったため、全員は乗れなかった。
ふと見ると、イーゴルが手招きしている。
なんと、イーゴルは明らかに怪しい、その5ポンドのタクシーに乗ろうとしていた。
あわてて、イーゴルを説得し、他の観光客と一緒に50ポンド(約120円)の
まともそうなタクシーに乗るように薦めた。
そして、私たちは別のタクシーを探すべく、通りを遺跡の方向に歩くことにした。
私もロンプラを読んでいなければ、「5ポンド!安い!」と言って、乗っていただろう。
しかし、あんなに警戒していたイーゴルが、まさか罠に嵌りそうになるとは。
あんなにロンプラを熟読してたのに。。。なぜ。。謎だ。
歩いていると、車に乗ったおじさんがタクシー?と声を掛けてきた。
明らかに普通の乗用車だったので、はじめは警戒したが、
疲れていたこともあり、50ポンドで遺跡の入り口まで行ってもらうことにした。
無事ホテルにチェックインした後、観光に出かけたが、結局、
その後パルミラでイーゴルと会うことはなかった。(yo)
パルミラレストランで食事。ヨーグルトをかけて食べるマンサフとトマトが旨いカワディ。
どちらもベドゥイン料理でこの店の定番メニューらしい。
スープと紅茶付きで、どちらも250ポンド(約600円)
ラマダンと戦争の爪跡 クネイトラ
昨日知り合った、同じホテルの日本人カップルに誘われて、
今日はクネイトラへ行くことにした。
ゴラン高原の麓にあるクネイトラには、
1974年にイスラエルによって空爆された跡が、
修復されることなく残されているらしい。
朝8時、まずはダマスカスにある内務省クネイトラオフィスへ向かった。
クネイトラに入るには許可証が必要だった。
今日はラマダン初日。
きょろきょろと街を観察しながら歩いていく。
普段は朝から紅茶を飲んでいるおじちゃんや
歩き煙草をしている人を多くみかけるのだが、
やっぱり今日はどこにも見かけない。
店も閉まっているところが多いみたいだ。
朝早いのもあるかもしれない。
40分ほどで事務所に着いた。
職員が出てくると、ボスがまだ来ていないので
「10分ほど待ってくれ」と言われた。
予想はしていたが、30分待ってもボスはこない。
結局、1時間ほど待って、ようやく許可証を手に入れた。
セルビス3台、バスを1台乗り継ぎ2時間ほどで、
クネイトラ付近のカーン・アルナバに到着。
バスターミナルにある小さな事務所でパスポートチェックを受け、
許可証を渡し、再びセルビスに乗り込んだ。
途中でガイドが乗ってきたのだが、
ラマダン中だからかやる気は全くない。
しかも英語が全然できなかった。
無料だから仕方ないんだけど。
15分ほど走り、街に入ると、
次々と爆弾によって破壊された建物が、
目に飛びこんできた。
セルビスを降りると、辺りはシーンと静まりかえっていた。
時々スピードを上げて走り去る国連の車のエンジン音が
聞こえてくるだけだ。人の姿はみえない。
建物が殆ど崩れているので、風がよく通る。
ガイドはラマダン中でかなりしんどいらしく、
少し歩いては、はぁはぁと息を荒くしていた。
人目につかないところで煙草は吸っていたが、
かなり辛そうだった。
教会、モスクと案内されて順に見ていく。
建物の中に入ると床には瓦礫が散々していた。
爆撃の凄まじさが生々しく伝わってくる。
しかし、一番驚いたのは壁に描いてあるラクガキの多さだ。
アラビア語なので私には理解できないのだが、
大事に保存しているわりには、なんだかな~と思ってしまった。
周辺には最近捨てられたらしいゴミも散乱していた。
30分ほどで見終わり、バスに乗る。
行きのセルビスの運転手に「帰りのバスはなかなか拾えないよ。」
と言われていたが、しばらく待つとなんなく拾えた。
帰りは乗り継ぎが良く、スムーズにダマスカスへ帰ることができた。
途中のバスターミナルでは、
普通にジュースやサンドイッチが売られ、
それを食べている人達もみかけた。
ラマダン中といっても、断食するのは個人の自由みたいだ。
人前で飲食しないように気を付けていた私たちだったが、
そんなに意識しなくても良いのかもしれない。
少し気が楽になった。(yuri)
ダマスカスの夕べ
ホテルの料金はどこも値上がりしているようだった。
いろいろ探し回って、一番安いアッサアダホテルに泊まる事にした。
それでも、ドミトリーで1人350ポンド(約840円)もした。
部屋はキレイでなかなか雰囲気の良いホテルである。
シャワーが1つしかないのが難点であるが。
荷物を置いて、適当に街をぶらぶらした帰り道。
ホテル近くに差し掛かると、
突然、銃声のような音がこだました。
一回だけではなかった。
ホテルに到着してからもその銃声は、
何度も何度も繰り返し聞こえてくる。
一体何事だろうか。
と突然、ホテルの上階から大慌てで、
日本人の女の子がやってきた。
彼女ははじめ、戦争がはじまったと思ってビックリして、降りてきたらしい。
ホテルの人に聞いて、それが明日始まるラマダンの合図だということが分かると、
ホッとした様子でこちらにやってきた。
心底、ビビッたようで、相当うろたえていた。
戦争なんてこれっぽっちも考えずに、
のんびりしていた私たちとはえらい違いである。
彼女をみて、自分たちのあまりの危機管理能力の低さに、
逆にビックリすることとなった。
もし、本当に戦争がはじまっていたとしたら、
私たちは真っ先に死んでいたかもしれない。
9月中旬位かなと予想していたラマダンだったが、
以外にも早くやってきた。
まさか、シリア到着の翌日からはじまるとは思ってもみなかった。
断食なので、レストランなどは閉まると聞いているが、
明日からの食事はどうすれば良いのだろう。
不安を抱きながらも、
そのままロビーで話していた女の子とその彼氏と一緒に、
夕暮れのダマスカスにご飯を食べに出かけた。(yo)
お昼はガイドブックに載っていた、アル・ディーク・アル・フィッディへ。
この混雑ぶりはさすが人気店。店内はわずか6席ほどしかないが、私たちが行くと席を優先してくれた。
鳥の丸焼き半分で1人125ポンド(約300円)。
今まで食べたどのチキンよりも旨かった。ニンニクマヨネーズが美味
生絞りジュース屋のおじさんは1つ買うともう1つオマケしてくれた。
やはりシリア人は親切な人が多い?一杯25ポンド(約60円)





