世界最高の14座はもう30人以上登り切ってますが、それでも吸引力は未だ衰えず。公募登山などで門戸も開かれてるので今はとても多くの人が挑んでいるそうです。



 (* ̄ー ̄)v- 日本でも百名山や二百名山のコンプリートを目指す方がおられますが、登山をやる方々のモチベーションは様々で、「登りたい山やルート」がメインの方々がいるのは海外登山でも同じ。特に岩壁登りをされるガチ勢は、海外の山で未踏峰や未踏ルートに挑む方が多いような。

 渡邉直子さんが3回登頂されたK2(8611m)は「カラコルム2」という測量番号がそのまま定着したもので、3~5はブロード・ピーク、ガッシャブルムⅡとⅠ峰です。パキスタンと中国の新疆ウイグル自治区にまたがる世界2位の高峰で、カラコルム山脈に属する山。そこはエヴェレストよりもずっとずっと奥地で、まず登山口まで行くのが大変だそう。一応は英国人探検家の名前にちなんで「ゴッドウィン・オースティン山」とも呼ばれたそうだけど、中国名の「チョゴリ」の方が有名すね。測量番号で通っているのは文字通り世界2位の高峰だし、スッキリしてて良いような。

 このK2西壁の未踏ルートに挑んでいた平出和也氏と中島健郎氏が7月27日に滑落されました。まだ誰も登り切った事のない西壁の偵察中で、7550m地点で氷壁が崩落して6300m地点まで滑落されました。姿はヘリから確認されたとあり、動かないこと、そこまでヘリも近づけないこと、未踏ルートなので救助に行ける人がいないとの事で30日に救助活動は断念となりました。初めは100mほどの滑落かと報じられましたが後に1000m以上落ちていると伝えられ、悔しいですね。6月と7月にも近くのスパンティーク峰(7027m)で日本人登山家が滑落して亡くなっており、それに続く平出・中島氏の遭難は茫然とするのみでした。

 平出和也氏は山岳カメラマンでNHKスペシャルなどの山岳映像を撮られた方で、中島健郎氏は日本テレビのイッテQでイモトの登山部でサポートメンバーを務められた方。どちらもビッグネームで、登山ガチ勢の掲示板を見ると「せめてカメラだけでも回収できないのか」という声が多かったですね。K2は「ノーマルルートがエヴェレストのバリエーションルートに相当する」と言われていて、比較的人里に近く人気があるエヴェレストのようにルートが整備されてない。だからノーマルルートでも3回登頂した渡邉直子さんは凄いとしか言えない。よほど好きな山なのだろうか。むかし 魔術師のアレイスター・クロウリーがバリエーションでかなりの高みまで登った事でも有名です。オカルト界では。


( * ̄ー ̄)v- ガチ勢の中でも先鋭的な未踏峰・未踏ルートを目指すタイプの登山家や探検家には「43歳の壁」というものがあるみたい。植村直己氏など著名な方々がその辺りの年齢で遭難して亡くなることが多く、探検家の角幡唯介氏は2022年に「経験の拡大に肉体が追いつかなくなるのではないか」と書いておられますが、「それでも42歳の僕は北極に行く」と結ばれていて流石としか。

 女性初の14サミッターのゲルリンデ・カルテンブルンナー氏はナショナルジオグラフィックの取材に「登る時はそれだけに集中していて、殆どの場合に命の危機を感じない。登っている時だけ自由と感じる」と語ってました。生還できるかどうかには運もありますが、強靭な肉体と精神力と確かな技術、危険を見極める力・・・・・いろんな要素がうまく作用して稀有な実績を積んでくるのでしょうね。43歳なんてとうの昔だわ。始めるのが遅かったなぁ(涙)


(* ̄ー ̄)v- K2に初めて登頂した女性はポーランドのヴァンダ・ルトキエヴィチという登山家ですが、この方は1992年に42歳でカンチェンジュンガの頂上直下で行方不明になりました。エヴェレストに登頂した3人目の女性で、最後のカンチェンジュンガが8000m峰の9座目だったそう。この時にはパートナーが生還しており、ひどい天候と疲労の中で下山する時に耳元で「大丈夫、私がここにいる」と囁く彼女の声を聞いたそう。

 人は極限状態に陥ると「サードマン現象」というものが起こる事があり、居ないはずの同行者の気配を感じたり声を聞いたりするのだとか。エヴェレストでは「エヴェレスト・ゴースト」だったかな? 単独登山者が見えない同行者に励まされる事があると何かで読みました。伝記が翻訳されてるかちと未確認なのですが、まだエヴェレストが未踏峰だった時代に英国人のモーリス・ウィルソンという奇人がいて、独学で飛行機の操縦を学んでエヴェレストの中腹に乗りつけて登頂しようとしたんすね。

(* ̄ー ̄)v- それは上空を飛ぶことになるネパール政府にバレて「ふざけんな帰れ」となりますが、めげずに今度はラマ僧に変装してチベット側から登ろうとしてノース・コルで亡くなった。(テントの中でおそらく疲労凍死)  見つけたのは著名な英国人登山家のエリック・シプトンの公式な遠征登山隊でしたが、見つかった日記が相当にスピリチュアルで、サードマン現象の解説に使われるような内容だったそう。低体温症や飢餓状態で幻覚幻聴が出るのはよく知られてますが、超高山ではカンチェンジュンガでヴァンダ・ルトキエヴィチのパートナーが聞いた声とか「エヴェレストの幽霊」のように力づけてくれるものだったり、毒舌で知られたエリック・シプトンが「女装してたし女装子ちゃん日記もあったぜ?」と語ったモーリス・ウィルソンの体験した何かだったりするようです。伝記読みたい。

(;  ̄▽ ̄)v- 閑話休題が長すぎた。さて本題。クレイジージャーニーでは渡邉直子さんが超高山がどんだけ危険かを語られましたが、↑まずはクレバス。深いものはビル10階ほどって、サラリと聞き流すにはエグすぎますね。「ヨークシャーの狂人」ことモーリス・ウィルソンもクレバスに埋葬されたそうですが、氷河は流れてるので「遺留品は今も時々見つかる」なのだそう。最近は地球の温暖化で、これまで見つからなかった過去の遭難者が流されてきて見つかることが多いとか。ヨーロッパ・アルプスでもそうで、そちらでは青銅器時代などの考古学的な遺物も流れてくるので、登山者に「見つけたら通報して」と告知されてるんですって。露出したらすぐに劣化が始まるからですね。凍結遺体のアイスマンとかまだ見つかるかもしれない。

↓これはエヴェレストのネパール側、ベースキャンプの近くにあるクンブ・アイスフォール。標高5500m辺りのノーマルルートの序盤でこれもんで、「ノーマルルートなら酸素吸ってりゃ誰でも登れる」とか聞くけどいや無理でしょ(涙)  初登頂までに主に英国隊からどんだけ亡くなってるんだよと。アイスフォールとは氷河が急勾配になってる場所で、氷が溶ける暇もなくどんどん流されてくるのであちこちでぶつかって崩壊して、深いクレバスやいつ崩れるか分からない氷柱がひしめくところ。ここを越えないと登れません。


 エヴェレストではここでシェルパが「アイスフォールドクター」という役目を担っていて、日々形を変えるアイスフォールを登山者が安全に通過できるようメンテナンスしてくれる。シェルパとはネパールのチベット系山岳民族で、生まれ育ちが高所のため心肺機能がとても高く、英国のヒマラヤ登山黎明期からガイドやポーターを務めてたんですね。今や氏族名が職能名になっていて、外国からの遠征隊には不可欠な人々です。


(; ̄ー ̄)v- クレバスに渡したハシゴの下が深淵すぎて恐ろしい。命綱をつけて渡るけど、渡邉さんは「怖くなるから下はあまり見ない」と語っておられました。足元も確かめながら渡らなきゃいけないからこれは怖いわ・・・・・


 運悪くアイスフォールドクターが引き上げてしまってから通った時は、クレバスの中に降りて攀じ登るのを数回繰り返したそう。と言うことはアイスクライミングもこなされたんですね。体力あるわ・・・・・・・・・・・・・


 強度がよく分からない雪と氷の橋はシェルパが先頭で、崩れないか確かめながら恐る恐る渡る。ここでは全員がロープで繋がっていて、崩れたら全員で引き上げるんですね。だから距離を取ってるのかな。近かったらいっぺんに巻き込まれますよね。


 エヴェレストではこんな体勢で動けなくなった時、眼下に深いクレバスが口を開けてたそう。その時渡邉さんはすごく疲弊していて、怖いと言うより「下りたら楽かも・・・」と感じたと語られました。判断力とか思考力がちょっと低下していたそう。


( ; ̄▽ ̄)ゞ極限状態だとあそこに明かりが見えると思って行っても無かったり、人がいると思ってもいなかったりって聞きますね。

 それは日本の山でもある事で、たとえ低山でも低体温症とか道迷いで衰弱すると容易に起こると言われます。山の怖い話を検索すると、別に心霊談でなく「道迷い中に同行者があらぬことを口走る」のがかなり怖い。自分には見えないのに、連れが「他の登山者がいる」とか「小屋がある」とか言って駆け出したりするのは恐怖でしょうね。単独だと自覚なく変になっていくのだろうなぁ。

(* ̄ー ̄)v- 「錯乱して飛び降りてしまう人もいると聞いた」と語られましたが、エヴェレスト初登頂者のテンジン・ノルゲイのお孫さんも登山家で、エヴェレストでそれを見たのだそう。親族が遭難死して遺体を回収しに登っていた時、外国の遠征隊のひとりが降ってきたのを見て愕然としたそうです。エヴェレストまで来るガチ勢でもそれがあり得る。恐ろしいですよね。


 そしてシシャパンマ。1回目の挑戦は昨年の10月だったそうで、それが成功していたら「1年で残り7座を登り切る」が達成されてたんですね。それを阻んだのは雪崩でした。


 この写真を撮った15分ほど後に雪崩が起こり、渡邉さんとパートナーのシェルパは一瞬で埋まってしまったそう。同じ時期に写真家の石川直樹氏も登ってきており、こういう眺めを撮った直後に雪崩が起きて、先行していた米国人の女性クライマー2人とシェルパ2人が亡くなったのだそうです。


 渡邉さんは「雪崩と言ってもサラサラの雪でなく、カッチカチの氷の塊です」と語っておられました。一瞬で頭まで埋まったけど、何とか体を動かして顔と右手を出すことができた。


 この状態でもう動けず、同行していたシェルパも埋まったけど何とか脱出して助けて貰えた。1人きりなら詰んでましたね。


 脱出した直後の映像。雪崩が頻発して死者も出たので、この年のシシャパンマは閉山になりました。


 渡邉さんは「雪崩には4回埋まった」との事ですが、もうひとつ強く命の危機を感じたのはダウラギリ(8167m)。サンスクリット語で「白い山」と呼ばれる世界7位の山で、ここでは夜 シェルパと2人でテントで眠ってたらいつの間にか雪崩に埋まっていたのだそう。


 渡邉さんは「サイレント雪崩」と呼んでおられ、本当に音もなくいつの間にか埋まっていたそうです。「あれ? 何だか息苦しい」と思って血中酸素飽和度を調べると、正常値が96~97%のところが40%台。何とか脱出したものの同行シェルパの体調が回復せず、この時は救助要請してヘリでベースキャンプまで吊られて下りました。吊られてか・・・・・キツいな・・・・・・・・・・


 ベースキャンプに空から無事帰還されたところ。よその登山者に写メ撮られまくってないですかこれ。国内の山で準備不足な登山者がこれをやると某巨大掲示板で「ヘリタク(ヘリをタクシー代わりにする事)してんじゃねぇ」とガチ勢に罵られます。よほどの不可抗力さがないと採ったルートや装備で分かるみたいすね(涙)  


 1996年のエヴェレスト大量遭難では生存者が6000m台まで自力で下りてきた時にネパール空軍のヘリが収容してベースキャンプまで降りましたが、それがエヴェレストで初の高度にヘリが達したレアケースでした。この時のダウラギリでも行けたのですね。良かったなぁ。