(*  ̄▽ ̄)v- 何だか気が抜けてしまってる今日この頃ですが、久々にクレイジージャーニーで活力注入。うおおおおおヒマラヤやん!!カンチェンジュンガの山中ってこんなんなのか!!世界3位の高峰(8586m)で巨大な山群。名は「偉大なる五つの雪の宝庫」で、信仰の対象のため頂上は踏めず数歩手前で登頂とみなすとされた山。雪と氷と岩の世界だなぁ。



 そこに2019年に登頂されたのが渡邉直子さん。現在 日本人女性初の14サミッター(8000m峰全14座登頂者)を目指してあと1座を残すのみ。凄い人がいるんだなや。


 1981年福岡県生まれ。驚いたのは「なぜ超高山に挑むのか?」という普遍的な問いへの答えで、ちょっと斬新でした。


(; ̄ー ̄)v- 「休憩しに行く」。それも「仕事終わりに居酒屋に行く感覚」・・・・・・・・フォントに一般人が超えられない壁がみっちみち。いやそのリフレッシュも大きな要素だけどえらいことお金も手間ひまもかかる居酒屋やな。真似できなさすぎ。


↓仕事帰りの居酒屋一覧。日本人女性初とアジア人女性初のタイトルがめじろ押しやないかーい!! 検索したら2度目3度目で登頂してる8000m峰も複数あり、K2登頂3回てあんた(涙)  先の平出和也氏・中島健郎氏の遭難は岩壁登りで未踏ルートの挑戦中でしたが、この方はどの超高山でもノーマルルートがメインのよう。それでも4人に1人は亡くなると言われるK2に3回登頂とは言葉もないっすわ。


 渡邉さんは企業がスポンサーについたのはごく最近で、看護師として働いてその稼ぎを登山に全振りしておられたそう。山野井夫妻スタイルですな。けどなかなか出来る事ではないっすね。こんな人がいたのかと。


 1年のスケジュールを見ると春と秋、ヒマラヤでモンスーン前後のいちばん登りやすい時期に登山に全振りで、あとは日本で夜勤中心の看護師勤め。派遣でも仕事を入れていて、これはいろんな事を削ぎ落とさないと無理すぎる。よく切り替えられるなと愕然とします。


 初めはあまり意識していなかったと語られますが、続けるうちに14座制覇への思いが高まってきたそう。スタイルは「速すぎもせず遅すぎもせず適度な登り方」で、クライミング・シェルパを雇ったコンパクトな極地法(キャンプを設営しながら登る)。短期速攻のアルパイン・スタイルでなく無酸素でもないですが、言葉の問題もあるし現地での手続きごとは全て自分でやっておられ、まずその手続きごとが大変なので「凄いなあ」としか言いようがないです。


 ヒマラヤ・ジャイアンツとも呼ばれる8000m峰はネパールとパキスタンと中国チベット自治区に集中しており、これはインド大陸がぶつかってきて隆起した元・海底なんすね。どんだけ強くぶつかったきたんやと思いますが、14「座」と呼ぶのは日本人だけだそう。欧米ではシンプルに「8000m以上の山」と呼ぶらしく、日本人は山を神の座、信仰の対象としていた名残りかも。登山史の始まりは英国を中心とする西欧人ですが、今や14サミッター(登頂者)は無酸素を含めて30人以上いるそうです。初代は言わずと知れたイタリアのラインホルト・メスナーで全山単独無酸素。検索したらオーストリア女性も1人やってて顎外れそう。その方も看護師だそうです。ナースぱねぇ。


 世界に30人以上いる14サミッターのうち、現時点で日本人は竹内洋岳氏ただひとり。写真家の石川直樹氏とこの渡邉直子さんが13座まで登って王手をかけてますが、同じくらいのポジションの登山家は多いんですって。特に女性は少なくて、アジア圏の女性は中国の方が一番乗りを果たしており、日本人女性なら渡邉さんがゴール目前。凄いしか言えない。


 14年で半分達成。シェルパのサポートを受けているにせよ自分で費用を賄って自分の足で登頂されており、これが「仕事帰りの居酒屋」ってどんだけーーーーー。


 これがストレス解消なのがクレイジーすぎですが、7座を登り切ったあたりから心境の変化があったと語る渡邉さん。


 ピークハント熱かと言われるとそうかもだけど、その頃に増えてきていたある風潮に反感が生まれたとな? え、商業登山ですか?


(* ̄ー ̄)v- 大金を払えば入山許可から現地での手続き事とかキャンプ設営から全部やってくれる商業登山隊(公募登山隊)ってのが今は多いんすよね。あまりスキルがない人でも頂上までエスコートしてくれるので流行ってますが、それと言えばそれか。今は資金力にモノを言わせる女性登山家というかインフルエンサーがいて、ヒマラヤ8000m峰で「映えー♪」も盛んなのだそう。


( ; ̄▽ ̄)v- うっわお綺麗。某巨大掲示板の実況板を開いたら「これはイラつく」「腹立つわ」ってレスが連なりますた(笑)  もちろん登山スキル持ちだけど、セレブリティな女性も多いみたいです。


 パリピもいた。ウクライナの方だそうですが、祖国いまとんでもない状態ですやん。時代は変わったんだなあ。


↓うん私もそう思う。ヒマラヤ登山の黎明期は英国軍人が中心で、登ることをアタック(攻撃)と呼んだり登頂するのを「征する」と呼ぶのはそれ由来なんですね。女にも決して負けられない闘いがある・・・・・・・・


 そこから残り7座を1年で登り切ると決めた渡邉さん。ここからはスポンサーがついたりクラウドファンディングも始められ、でないと費用面だけでもそんな短期間にやれませんよね。


 やっちゃった(涙)  有言実行で2022年にはハイペースで6座登頂。通な方いわく「初めのうちにアンナプルナとK2とナンガパルバットを登ってて巧い」。標高でなく雪崩の起きやすさとかでノーマルルートでも危険なのがまずそこだそう。あだ名が順に「キラーマウンテン」「非情の山」「魔の山」なのは伊達じゃないっす。


 残るあと1座はシシャパンマ(8027m)。8000m峰では14番目の高さですが、ここも雪崩が起きやすいので有名。チベット名のシシャパンマは「牛も羊も死に麦も枯れる」で、サンスクリット語ではゴサインタン(神の座)。2023年10月の挑戦ですがこれが2度目で、1度目は雪崩に阻まれたそうです。美しいですなぁ。