(* ̄ー ̄)v- この年末の気ぜわしい時期に昔書いた記事を読み直し、ところどころ検索して調べるのはちょっとした苦行でした。マロリー/アーヴィン捜索記の「そして謎は残った」のレビューは勢いで42記事行けたものですが、私も老いたなぁ。
今は腰を痛めてるので低山登りも自粛中ですが、やはり半日の山行でも行けないと気持ちが晴れないものですね。ついさっきヤマレコ運営のアンケート「あなたは何故山に登るのですか?」の回答や著名な登山家の言葉をダーッと読みましたが、「そこに山があるから、なんて哲学的なものじゃない」って回答は多かったすね。
(* ̄ー ̄)v- 新ルートを開拓するようなガチ勢には「自己表現」とか「自分の限界を越えるため」といった求道者めいた答えもあったけど、概ね日常を離れて自然に親しむ事や、計画や準備から下山するまでの過程が楽しいといった声が多かったです。
↓こちらは三浦雄一郎氏。最近に80歳でエヴェレストに登頂し、70歳・75歳・80歳と5年おきの連続登頂。肺炎球菌ワクチン接種の間隔ですな(涙) この方はサポート体制が完璧なのもありますが、モチベーションは「登りたいから仕方ない」で一貫してます。
知らぬ者なき山野井泰史・妙子夫妻。壁屋さん(ロッククライマー)で、大遠征隊でなく自分たちで費用を稼いで困難な山の岩壁登攀を続けており、夫婦でありザイルパートナーでもあるってすごいなと。8000m峰でも1度も酸素ボンベを使った事がないそうです。
ご夫婦ともにヒマラヤの7000m峰でいちばん高いギャチュン・カンでひどい凍傷を負い、泰史氏は両手の薬指と小指と右足指、妙子氏はマカルーで両手指の第二関節から先と足指すべてを失ったそう。それでも「先頭を行かないと楽しみを見出せない」と登攀を続けておられるのは凄いの一言。泰史氏は2008年に奥多摩の自宅近くをジョギング中に熊に襲われて大怪我された事もニュースになりました。右腕20針、顔面を70針縫われたそうで、かなりの重傷ですね。ツキノワグマは侮れません・・・・・・
これはインドのガルワール地方にあるメルーという山で、中央峰と南峰と北峰の3つから成り立っていていちばん高いのは6660mの南峰。とても登りにくい峻険な山で、とくに中央峰の頂上の手前にはシャークスフィン(サメの背びれ)と呼ばれる高さ850mの垂直の岩壁があり、20回くらい挑まれたけど登れませんでした。おおー本当にサメの背びれだわ。
2011年にこれを登り切ったのが、エヴェレストでマロリーの遺体を見つけたコンラッド・アンカーを含む3人のチーム。まずシャークスフィンの基部までに914m登らないといけないそうで、標高こそエヴェレストに及ばなくてもプロが攻めあぐねる山はまだまだあるんすね。 アンカーのチームは2008年にもシャークスフィン・ルートに挑んで登頂かなわず、3年後にリベンジを果たしました。完全な氷壁登攀ですね。大型冷蔵庫くらいの荷物を運びながらのアルパイン・スタイルで、登るのに8日、下山に3日かかったそうです。
このメルー登攀も「MERU」というドキュメンタリー映画になってます。岩壁に吊り下げられたテントでクスクス(最小のパスタ)の煮込みを食べるアンカーさんに「4日前の食事は何?」と尋ねると「クスクス」。次の日もまた次の日も「クスクス」。明日もクスクス。下山したら絶対に食べんわこれは(涙) コックさんもいる大遠征隊とは違い、短期速攻のアルパイン・スタイルだと食事は味よりカロリー重視みたいすね。
(  ̄▽ ̄) 高所でうまくやれるクライマーって少しおかしいんですよ。どんな腐れ藁でもカレー粉が入ってれば旨いとか、そんな神経でないと務まりません。
↑これはとある詩人がプロのクライマーに聞いたお話で、たぶん英国のサー・クリス・ボニントンのこと。唐辛子が沢山入ってれば良しとか、名だたる大御所も山ではそんなんみたいです。そして私は初めて知ったけど、コンラッド・アンカー氏はアウトドアメーカーのノースフェイスの契約クライマーなんですね。三浦雄一郎氏、石川直樹氏など日本人も多いです。
登山が広い層に浸透し商業登山も定着した現代にも自己責任で危険な山、危険なルートに挑むクライマーはおり、私などはそれを幸せに感じます。低山しか行けないけど、高い峰と同じように 仰ぎ見るクライマーがいるのは嬉しい事ですね。
そして伝説のクライマーが相次いで鬼籍に入る。1986年5月9日にエヴェレスト初登頂者のテンジン・ノルゲイが死去。ネパールは国葬で送りましたが、そこにはパートナーだったエドモンド・ヒラリーも参列してました。
棺に添えられた手紙が胸に迫りますね。そのヒラリー卿も2008年1月11日に他界。長らく同時代にありましたが、エヴェレスト初登頂者の2人は伝説になってしまいました。
これはいい写真ですよね。ああいいなぁ、と思って保存しました。初登頂者は「みんなの山」と言いましたが、彼らの望む姿ではなくなったかも。それは少し寂しいですね。
捜索遠征隊のメンバーはかつて中国人クライマーの王洪宝が8100m付近で見たと証言した「英国人の遺体」を分散して探し、コンラッド・アンカーが半ば瓦礫に埋もれた古い遺体を見つけます。初めはこんなふうだったのか。左手だけが露出してる・・・
メンバーが集まって掘り出すと、白い大理石の彫像のような遺体が現れた。着ていたシャツのタグにマロリーの名が縫いつけられており、初めはアーヴィンの遺体だと思っていたメンバー達の「オーマイガー!」「オーマイガー!」が驚きの深さを伝えてました。
遺体は捜索メンバーが集めてきた大小の石で埋葬され、ブリストルの英国国教会の主教から預かってきた埋葬祈祷文を詠んで弔われました。後にマロリーの娘さんは「捜索隊が出ると聞いて最初は不快な思いに近いものを感じた」と語りました。
(* ̄o ̄) 何となく父の魂はそこにあり、安らいでいると思っていたから。けれども捜索隊の方々は父を敬って下さった。見せてもらったゴーグルは私が10歳の時に父が見せてくれたものだと思います。
(* ̄o ̄) 父はエヴェレストの頂上に母の写真を置いてくると言っていたけどそれは無く、父も持っていなかった。父は早くに引き返していたら私が成人するまで良い父親として側にいてくれたでしょう。あの寒い岩棚で傷ついて凍りつく事もなかった。
(* ̄o ̄) 父がエヴェレストの頂に立ったかどうかは分かりません。ひょっとしたら頂で喜びを噛みしめたかもしれない。それが謎のままの方が興味は尽きないでしょう。
この写真も有名なものですが、アーヴィンの笑顔がいいですね。いつか見つかるだろうか? あとマロリーが持っていったコダック社製のポケットカメラも。コダック社はもし見つかればフィルムの現像は可能だと言ってます。見つからないうちは謎は謎のままで、その方がいいと言う重鎮(サー・ボニントン等)もいます。
ラストはマロリーの「なぜエヴェレストに登るのか?」への回答の要約。あらかじめ「登山が世の中の役に立つかと問われれば、全く立たない」と明言しています。
けれども極地や秘境への探検は副次物としての科学や生態学、地質学の発達に貢献しました。南極点や北極点を目指した探検隊はリタイアしてもその記録を講演会などで披露して次の遠征の足しにしたんすね。日本人でも「登れなかったけどついでにガンジス川の川イルカの調査をしてきた」って学者さんがいました。
( * ̄▽ ̄)v- エリック・シプトンは「雪男の足跡」を撮影しましたが、親しかったヒラリー卿があれはガチかと尋ねると、「あれは良く出来ていた」と答えたそう。あの大きな足跡は1つしか無かったんですね。世間の関心をエヴェレストに向ける為にこさえたのかもしれません。実際、とくに英国は雪男(イエティ)ネタをよく仕入れてました。
またあるクライマーは「子供を見てみなさい。高いところや水溜まりに向かって行くでしょう?」と言う。煙と馬鹿は高いところに云々は子供の好奇心、ひいては人間の本能だと。そう言われると、ケネディ大統領が月面探査を宣言した演説に「そこに山があるからだ」を引用したのも分かりますね。
エヴェレストはベースキャンプまでは1度は行ってみたいすね。素養がないと一発で倒れるそうで、3000mちょいの乗鞍岳で激頭痛に悩まされた私にはベースキャンプで既に極地です(涙) でも10歳の時だしなぁ、今は何とかなるかも。