四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋

四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋

音楽や楽器とはおよそ縁のないまま四十路を迎えた中年男性がヴァイオリンを習い始めた。
このブログは、彼の練習部屋であり、リスニングルームであり、音楽を学ぶ勉強部屋。
整理の行き届いた部屋ではないが、望めば誰でも出入り自由。
どうぞ遠慮なくお入りください。

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 発表会が終わると、これからレッスンで何を見てもらおうか、ということが気になる。2年前はこの段階で次の発表会に向けた準備を始めたのだが、この2年間はもう少し落ち着いてヴァイオリンと向かい合う時間がほしいと思う。早めに発表会の曲を決めて、そればっかり練習して、というのではなく、ヴァイオリンってこんなこともできるんだ、とか、こんな曲もあるんだ、とか、いままで誤魔化してきたけどこんな練習が必要なんだとか。
 それで、発表会後の最初のレッスンで、小野アンナの音階練習とカイザーのエチュードをやることになった。カイザーは篠崎教本の中にあるので、篠崎3巻でレッスンを進める。実際に購入してみると、篠崎3巻には音階練習もはいっているので、これ1冊でオールインワンといった感じなのだが、最初の音階練習からいきなり難しそう。前から順番にやっていくと気持ちが萎えてしまう。
 それで、何か弾きたい曲を決めて、その曲を弾くためのエクササイズを教本から探してみていただくことになった。例えば、ト長調の曲を弾くならト長調の音階練習から、といったように。

 じゃ、どの曲をしましょうか、となると、実はあまり候補がない。いや、候補はいっぱいあるのだが、どれも決め手がない。葉加瀬太郎ってことも考えたのだけれど、これはちょっとサイドメニューという感じ。やりたいことはやりたいけれど、自分の中でメインには位置づけられない。ヴィオラもやってみたいのだけれど、せっかく小野アンナや篠崎などのヴァイオリン教本を買うので、やっぱりしばらくはヴァイオリンか。ヴィヴァルディのLaForiaは、いままでエチュードみたいな位置付けで、練習の最初に弾いたりしていたので、これを見てもらおうかとも思ったのだけれど、エチュードはエチュードで別にあるわけだし。などと考えあぐんで、結局、バッハのドッペルを見てもらおうと思っているところ。基礎練習のための課題曲なので、気長に、少しずつやって行こうと思う。いままでバヨ会でドッペルが始まると見学していたので、これが弾ければもっと楽しいはず。そう思えばニ短調の音階練習にも精が出る。
 こうして当面の目標はできた。

 さて、このブログも長いもので、もう始めて5年になる。いつも私的なことしか書かないし、何の役にも立たないことばかり垂れ流しにしてきたが、こんなブログでもお読みいただいている方がおられるのは有難いことだ。このブログのお蔭でバヨ会をするようになり、たくさんの方とも知り合えた。実際には会ったことのない方でも、時々コメントをいただいたりすると無条件に嬉しい。ヴァイオリンを続けていく励みにもなったし、もっと踏み込んでいえば生きていく励みにもなった。もちろん、自分の生活のすべてをここに書いているわけではないので、ここに登場する「おとがく」なる人物は、私のごく一部でしかないのだが、事実に基づくフィクションと自叙伝のちょうど間ぐらいの感じで自分の生きている証をネットの上に残せたと思う。
 それはそうなのだが、いろいろと思うところがあって、しばらくブログの更新は辞めようと思う。別に大した理由ではないので、また気が向いたらすぐに再開するかもしれないのだが、取り敢えずここでひと区切りつけたい。
 ブログは更新しないけれど、ヴァイオリンは続けているし、バヨ会があれば出掛けていくし、出来ることなら自分の住んでいる街でバヨ会をやってバヨ友をお招きするのも続けていきたいと思う。

 読者の皆様とはしばしお別れ。
 いろいろとありがとうございました。
 また、いつかお会いしましょう。
 長かった発表会レポートもこれが最終回。最後に残しておいた個人演奏のレポートだ。
 今回の発表会に選んだ曲はコレルリのシャコンヌ。2年前の発表会が終わった直後に、次はこれ、と決めていた曲だ。2年間かけて仕上げてきた曲だから思い入れも深い。ヴァイオリンの2パートが会話をするように掛け合う。その掛け合いが初々しいカップルがデートをしているような感じなのだが、ドレスアップして普段にもまして美しい先生とのデートは巧くいくのか。

 当日の衣装はドレスアップしている先生に合わせてダークスーツを着用。先生はそのまま披露宴にでも行けそうなドレスなので、礼服に白のネクタイとしたいところなのだが、ネクタイをするとどうも楽器をグリップ出来ない。最近は会社でもクールビスなので、ここはネクタイなしで勘弁してもらう。そのかわり、襟元にワンポイントのあるクールビス用のシャツを着る。ボタンダウンで、普段は開けておく第1ボタンも飾りボタンになっており、襟が二重になっていて内側が薄い青色をしているところが全体の印象に変化をつける。これでネクタイがないのはカバーできる。スーツは、黒ではないが、シンプルな濃い色で少しステッチが入っているもの。会社に来ていくときもあるが、何か式典があるときなどのための「とっておき」ってところ。もちろんジャケットも着る。これで、舞台に先生と並んでお辞儀するところは様になっていたはずだ。

 そしてピアノが最初の和音を奏でる。音楽ってとても不思議なのだが、こうして最初の和音が出ると、あとは結末に向けて次々に音が出てくる。その音には無駄がなく、そうなるしか他にないように、そう展開することが必然にように次々に音が現れてくる。最初の1拍が出たら、2拍目からファーストヴァイオリンが主旋律を載せていく。ヴァイオリンが語っている。言葉を発するように旋律が現れてくる。それに応えるようにセカンドヴァイオリンが言葉を重ねる。意外と緊張していない。いい感じだ。ああ何てことだ。2年間、先生と一緒に作ってきた曲をいまみんなの前で披露している。何か本当に先生とデートしているような気持ちになってくる。この邪念がいけなかったのか、途中から右手の震えが止まらないようになってしまった。まずい。いちど変に緊張しだすともはや平常心に戻すことはできない。そのまま曲は進んでいく。そうだ、ここは笑おう。まったく予定していなかったのだが、途中で顔を作ることに。そんなことをしても緊張が収まるわけではないのだが、なんとなく余裕ができる。緊張している自分を客観的に見ている自分。右手が震えているので移弦が難しい。後半で移弦が激しいところは多分できないだろう、と思っていたらやっぱり出来なかった。出来なかったけれど冷静でいられた。

 なにはともあれ、こうして最後までは弾けた。練習で出来なかったことは、本番でも出来なかった。練習で出来たり出来なかったりしたところは悉く出来なかった。だけど、練習で出来ていたのに本番で出来なかったところはなかった。練習で調子のいい時が80点、調子の乗らないときが60点とすると、しっかり60点の演奏は出来た。本番で調子に乗らなかったのではない。調子には乗っていた。だけど緊張していた。それでも楽しかった。この60点を80点にするのは練習やレッスンではない。そこが人柄だと思う。人徳だと思う。80点の演奏が出来なかったのはその所為だけれど、60点の演奏ができたのもその所為だと思う。もっと練習をすれば、MAX80点をMAX90点に上げることはできるかもしれない。だけど、それは60~80点が70~90点になるのではなく、60~90点になるだけ。人間的なところを磨かないと、結局は60点の演奏しかできない。それでも今回はその60点の演奏に満足している自分がいる。上手に弾けたかと言えば、けっして上手ではなかったと思う。この前にアップしたリハーサルの演奏がいちばん良かったかもしれない。だけど、ヴァイオリンが弾けることへの感謝、この瞬間にこの場所に居合わせることへの感謝、そういう気持ちが湧いてきて、とても満たされた気分になれた。それだけでも2年間で随分成長したものだと思う。

 発表会が終わって、ヴァイオリンをやっていて良かったと改めて思う。四十路になれば身体も衰え、精神的にも記憶力が薄れ同じことを長時間続ける集中力とか忍耐力もなくなってくる。そんな中で自分の成長を実感することがあるなど、どんな素晴らしいことかと思う。いましか出来ないことをいまやろう、そういう気持ちにさせてくれる。ヴァイオリンのお蔭でいろんな方に出会えて励ましてもらえる。いまこのときにここにいる自分の在り様が確かなものになっていくような気がした発表会だった。また2年後に向けてヴァイオリンを続けていきたいと思った。
 前回までのところで、順調にリハーサルを終えている様子を紹介したので、さぞや本番は上手くいったのだろうという結末を想像されておられる方もおられるかもしれないが、発表会は筋書きのないドラマ、そのままでは終わらない。アンサンブルの本番では、冒頭にある大事なヴィオラパートソロで音程が外れて元に戻せないというハプニングが待っていた。頭の中はいたって冷静で、
あ~外れている~
と冷静に自分の音を聴いていたのだが、もうその場ではどうしようもない。さっきまであれほどいい雰囲気で練習していたのに。むむむ、ホントに申し訳ない。個人の発表はなしでアンサンブルだけに出られる方もおられるのに。
 しかし、冒頭から結構大胆に外してしまったのに、気が付けば冷静に元に戻っているあたりをみると、みなさんリラックスして、「あ~ぁ、ヴィオラ最初から外れているな~」と冷めた目で、というか耳で聴いておられたのだと思う。
 途中からはなんとか持ち直して、他のパートも良く聴こえたし、となりのセカンドヴァイオリンとハモるところがきちんと出来ているときは、
うぉ~、いけてるぅ
という感じだった。おそらく「どや顔」になっていたと思う。なにはともあれ無事に最後まで弾けた。
 ここはみんなもっと「よっしゃ!」という気持ちになってもいいと思うのだが、ホッとされたのか、あるいは満足がいかなかったのか、ステージ袖でも会話は少な目。ガッツポーズしているのは大胆に外した張本人の私だけだった。

 そして最後にオーケストラ。
 2年に一度の祭典もいよいよフィナーレを迎える。この1曲を弾けば終わりかと思うと名残惜しいような、ホッとするような、そんな気分だ。オリンピックで言えば閉会式のようなものか。いや、フィギュアスケートでやるエキシビションみたいなものか…… いやいや、そうじゃない。これも立派な本番なのだ。しっかり弾いてみんなで有終の美を飾らねば。とは言っても、やはり大勢の中の一人となると緊張も緩和して、みんな、そこそこのリラックスムード。リハーサルと同じように、必死に弾かなくとも楽器が勝手に歌ってくれる。自分は完璧だった、と言えるような演奏ではなかったが、だけどそんなに酷くはなかった…はず、と思う、たぶん。

 こうして楽しい祭りの一日は終わっていった。

 順番は前後するが、次は個人の発表の反省レポートの予定。


(たぶん続く)
 個人発表のリハーサルがひと通り終わると、今度はアンサンブルのリハーサルになる。スタジオの発表会は5度目だそうだが、アンサンブルの発表会は今回が初めて。ちなみにオーケストラは前回が初めてだった。私たち弦楽器のアンアンブルは一番最後。他にはマリンバなどの打楽器アンサンブル、クラリネットのアンサンブル、うちの嫁さんが出るフルートのアンサンブルがあるのだが、いずれも、その演奏をステージでやっている間は楽屋で練習していたので、他のアンサンブルは聴いていない。これはたいへん残念なのだが。

 人数の上では弦楽器以外は3名~4名。ちなみに、私の個人の発表は先生2人に伴奏をしていただいて3人で演奏するので、ソロの発表と言いながら立派なアンサンブルになっている。
さてさて、弦楽器のアンサンブルは10名の立派な編成。ヴィオラ以外は1パート複数の人がいる。これもほかの楽器のアンサンブルでは1パート1人なので、かなり立派な編成だと思う。編成が立派なので演奏も立派に、などと意気込んでしまうとそれが音に出てしまうのだが、私個人としては、個人の発表が終わると肩の力も抜けて、緊張の度合いからするとかなりリラックスした状態だった。少なくともリハーサルでは。

 ステージに立つと、自分の音がどれぐらい客席まで聴こえているのかが良くわからない。楽屋よりも他のパートが遠いのと、音がすべて前に飛ぶせいか全体的に小さく聴こえる。自分の耳元でガーガー鳴っている音だけはうるさいぐらいに聴こえるのだが、果たして聴こえているのだろうか。そう思いながらいつもよりも少し大きめに出す。途中、セカンドヴァイオリンとハモるところが何箇所があるのだが、そこかきれいにハモると
よっしゃ!
という気持ちになる。多分、顔にも出ているだろう。逆に合わないときも顔に出てしまうのだが。

 弦楽アンサンブルのリハーサルが終わると、そのままオーケストラのリハーサルが始まる。私以外の人はそのままステージに乗っていればいいのだが、私だけはここで楽器をヴィオラからヴァイオリンに持ち替えないといけないので、あたふたとしてしまう。見た目にはそんなに違いのない楽器なので、傍から見ていると自分だけ要領のわるい人に見えていないかと、変に気を回す。

 それまではずっと立って弾いていたのが、ここで初めて座って弾くことになる。レッスンの時も練習の時も、たいてい立って弾いているので、座った時に隣の人とどれぐらいの間隔があればいいのか感覚がつかめないまま、とりあえずこの辺に座っておこう、というところに椅子を持ってくる。なんかこの辺はアバウトな感じ。

 人数にして30人ぐらい、パートの数も結構な数になる立派なオーケストラ。アンサンブルと違って自分ひとりだけのパートではないので、ちょっとは気が楽というもの。そこそこの音量も出るので、必死に弾かなくても楽器が勝手に鳴ってくれる。オーケストラが好きな人はこの感覚がいいのかもしれない。上手く言えないのだが、自分が鳴らしている感じではなく、楽器が歌っている感じ。これはオーケストラでないと味わえない感覚だと思う。

 そんなことで、お昼過ぎにリハーサルが終了。いよいよ本番が近付いてきた。


(つづく)
 リハーサルは本番の順番とは違って、同じ楽器の生徒さんが前後に固められている。ヴァイオリンの生徒さんももちろん何人かおられるので、他の生徒さんのリハーサルも見ておきたい。どの楽器もそうなのだが、お互いの演奏を見ることが励みになる。特に同じ楽器をやっている人、同じ先生に習っている人となれば尚更だ。みんな大人になってから物好きで楽器をやっているというマイノリティ。中には家の中で楽器を弾かせてもらえないとか、いつも楽器ばっかりやっていると家族から疎まれているとか、いろんな迫害を受けている方もおられるかもしれないが、今日はそれぞれが楽器なり音楽なりに賭けている思いを共有できる。その思いを共有することが自分にとってどれほどの励みになることか。そう思えば、どの人に対しても心の中で「頑張れ~」という言葉が自然と浮かんでくる。
 リハーサルの時は、他の生徒さんに頼んで客席から録音していただいた。ステージに立って多少は緊張していたが、この演奏がほぼMAXの演奏。これ以上の演奏は出来ない。最初にも申し上げている通り、決して自分の力量に合わせて曲を選んでいるわけではないので、出来ないところはやっぱり出来ないなぁ、と録音を聴いて改めて思った。



参考までに、この動画をアップしようとしたら、この曲の曲名が表示されて、「あなたの動画には、次のような著作権で保護されているコンテンツが含まれている可能性があります」と言われてしまいました。つまり、曲が判別できる程度には弾けているということのようです。ちなみに「この動画には問題の素材が含まれていますが、この素材には著作権がないか、著作権保護の対象ではありません。」という異議申し立てをしてアップしています。
動画のアップロードって結構、面倒なんですね。
 今回の発表会では、これまでになく楽屋が楽しかった。

  ちなみに「楽屋」の「楽」という字は「楽しい」という意味ではない。「楽」には1字だけでMUSICの意味がある。「楽譜」「楽器」「楽典」「楽団」「邦楽」「洋楽」「吹奏楽」… 全部「楽しい」という意味ではなく、MUSICの意味だ。この場合、この字を「がく」と読む。だから「楽屋」の場合も「楽しい」ではなくてMUSICの意味だろう。そして、この字を「楽しい」あるいは気分が高揚している様、自分にとって都合のいい状況、JOYFULに近い意味で用いるときは「娯楽」「悦楽」「快楽」「お気楽」「楽観的」「楽天家」など、かならず「らく」と読む。タイトルだけを見て「そりゃ楽しいだろうょ、なんて言ったって『楽しい屋』って書くんだから」というオヤジギャグを期待された方には申し訳ない。

  と、いきなり話が脱線してしまったが、本当に楽しかった。

 その楽しい理由のひとつはアンサンブルがあったからだ。前回もオーケストラがあったので、リハーサルの間にロビーで違う楽器の方と合わせたりしていたのだが、今回はアンサンブル曲の難易度もぐんとアップして、しかもパートごとの人数が少ない。ひとりしかいないヴィオラを筆頭に、どのパートも3人以内で、パートソロもある。合わせた時の楽しさというのは一人では味わえない。
 楽屋には、いろんな楽器の生徒さんが入れ替わり立ち代わり出入りされて、思い思いに楽器を弾かれていく。すると、まったく無秩序な音の集まりになってしまうようなのだが、高速道路の騒音とは違って何かの秩序がある。どの楽器も共通のルールで調音されて、互いが共鳴するような構造になっているので、隣でまったく違う曲を弾かれていても、自分の楽器がブルブル震えている。ケースを開けた瞬間に楽器に触れただけでそれがわかる。
 いつもレッスンで顔を合わせるヴァイオリンの生徒さんも、今回のアンサンブルでご一緒するチェロの生徒さんも、もちろん熱心に練習をされておられる。あるタイミングで他の楽器の方がおられなくなって弦楽器だけになると、そこでアンサンブル練習が始まる。舞台じゃなくても、こうやって合わせているだけでやはり楽しい。どうせ舞台に立てば緊張するんだし、いっそみんなここにきて、こうやって練習しているところを見ていってほしいぐらいだ。

 楽屋でいろんな楽器の音に包まれているうちに、気分が高揚してくる。それぞれの音を出している主のいろいろな思いで楽屋が満たされていく。祭りのような雰囲気。JOYFULな気分になってくる。

(つづく)
 今回の発表会をレポートする前に、これまでの発表会を振り返って、今回の発表会が自分にとってどういう位置付けのものなのかをおさらいしておこうと思う。今回の発表会がどういう点で自分にとって良くて、どういう点が課題として残ったのか、自分なりに考えをまとめておくのに、そもそも今回の発表会の目標は何だったのかを整理しておくことは有益なことだと思う。
(自分にとって有益なだけで、世間には何の貢献もしません。念のため。)

 スタジオの発表会は2年に1回で、私が出るのは今回で3回目だ。最初の発表会は4年前で、その時はVivaldiの「調和の霊感」6番イ短調の第1楽章を弾いた。初めての発表会で、本当ならもっと緊張するところなのだろうけれど、この時は意外と冷静だった。というのも、リハーサルからいろんな方の演奏を聴いて、その人柄に触れ、それが自分をリラックスさせてくれたのだ。他の楽器の演奏をされる方を見ていると、どの方もとても楽しげだったし、自分もその楽器を弾いてみたいような思いになる。そのときに、上手に弾くこととは違う目標というものが見えてきて、緊張がすっと解けていったのだった。本番では、練習以上の演奏ができたと思っているし、ステージに立つことがとても楽しかった。
 2度目の発表会は2年前。講師の先生を3人もステージに上げてVivaldiのAllaRusticaを弾いた。この時は緊張しまくって思うような演奏ができず、撃沈してしまった。1回目の発表会が上手くいったことをいいことに欲をだし、今回はそれ以上の演奏を、という思いばかりが先行してしまったのだ。上手く弾こうと思えば思うほど弾けなくなってしまう。練習でできていたはずのことも本番では出来ず、悔しい思いをした。もう周りから何を言われても落ち込む一方だった。自分の仁徳の至らなさ、精神的な弱さを思い知らされた。この弱さを何とか克服したい、というのが、今回の発表会に向けた出発点だったと思う。今回はそれを克服できたのだろうか。

 2年前のAllaRusticaも、今回弾くCorelliのトリオソナタも、CDを聴いていて気に入った曲。決して自分の実力に合った曲ではない。4年前のA-Mollは子供の発表会でもおなじみの曲だが、これも自分の実力に合わせて選んだ曲ではなかった。どれも、その時の自分には分不相応に難しい曲ばかり。そこを、とにかくその曲ばかりを弾き込むことによってなんとか弾けるようにしてきた。その曲ばかりを弾き込むので、その曲に対しては強い思い入れができる。今回の曲もそうだ。弾いている人に「いい曲だなぁ」と思ってほしい。「自分も弾きたいなぁ」と思ってほしい。そういう思いは、発表会が近づくにつれて沸々とわいてくる。それが要らぬ緊張を生みがちなのだが。

 そして今回の発表会ではアンサンブルの発表もある。2年前の発表会から、いろんな楽器の生徒が、先生とともに同じステージに上がって演奏をするオーケストラの発表が始まったのだが、今回はそれに加えて、ヴァイオリンとチェロによるアンサンブルが2曲ある。みんなが極度に緊張している中で、はたしてハーモニーは生み出されるのか。楽しいという思いを共有できるのか。

 自分の中でも抱えきれないほどいろんな思いを抱きつつ、発表会の日が近づいてくる。

(つづく)
≪速報!≫
 とりあえず楽しかった。
 ものすごく緊張もしたし、思うようにも弾けなかった。
 だけど楽しかった。

 詳報はいずれ。

 今日は疲れているので寝ます。



≪一夜明けて≫

 きのうの発表会、その前日のリハーサル、自分のステージ、アンサンブル、楽屋の楽しい雰囲気、緊張で弓が震えたこと、練習でできたことが出来なくて、だけど悔しいとかそういう気持ちがあまりなくて、これも人格が出来ていないから仕方ないな、などと割り切ってさばさばしていたこと、練習でできていることが本番でできないのは、もう技術の問題ではなく人間性の問題だと思ったこと、それでも楽しかったと総括できるだけ自分は成長したと思ったこと。
 いろいろ書きたいのだけれど、うまく言葉がつながらなくて、まだ発表会レポートが書けない。
 日曜日のレッスンはアンサンブルとソロの二本立て。どちらも発表会に向けた最後のレッスンだ。そうなると先生もあまり細かいことは仰らず、気持ちをポジティヴに持っていく方に傾注される。
足らないのは自信だけですね
なんて、2年に一度しか聞かないようなことまで仰る。

 さてさて、ソロといっても先生とのデュオでピアノ伴奏も入る豪華ステージに向けたレッスン。今日はピアノの伴奏はないが、先生と一緒に通してみる。これが最後のレッスンだと思うだけで緊張する仁徳の薄さからか、途中いくどとなくミスってしまう。それでも先生は
あっ大丈夫ですよ
などと平然。緊張するのも練習のうちという訳だ。実際、失敗しても最後まで通しているのだからいいと言えばいいのだが、自分が弾いていないうちに伴奏だけでどんどんと曲が進んで最後まで行ってしまっては美味しいところがなくなってしまう。しかしまあ、その美味しいところに限って難しいのよ・・・

 今回のレッスンで、最初のlargoからAllegroにかわるところでテンポアップを、というご指導があったのだが、技術的にできないのと、考えている曲相とちがうので、そこでテンポを上げるのはやめてもらった。そのあとの上昇音型のところでグイグイとテンポを上げていく、という今までのテンポ感で。

 先生が心配されていたのは、後半のところで拍のカウントが甘いところがあること。本当なら、ここはもっとピアノと合わせて、和音の展開から音の変わり目を掴んでおくべきところなんだが・・・

ご参考までに、楽譜と完成予定図はこちら

実際の演奏はこれと異なる場合があります。
 いよいよあと1週間で発表会。レッスンも最終調整の段階になってきた。こうなってきたら、弾けないところを何度も繰り返し練習して弾けない感を出すよりも、弾けるところを何度も弾いて弾ける感を出そう、などと考えるのは私だけだろうか。いやいや、それは本番当日の話で、まだあと1週間あるのだから弾けないところをしっかり弾けるようにしておこう、という方が理には適っているのだが、それでネガティヴな気持ちになるぐらいなら弾けるところを思いっきり弾いてポジティヴな気持ちになる方がいいじゃないか、などとつらつら考えながら、ひたすらセヴシックを読経して邪念を捨て去る。

 さてさて、きのう日曜日のレッスンはアンサンブルとソロの二本立て。まず午前中にアンサンブルの公式レッスンがあった。ここでやっとアンサンブルメンバーの顔合わせが出来た。ヴァイオリンが4人、チェロが2人、ヴィオラは私だけ。当日はヴァイオリンがあと1人と、バヨ先生、チェロ先生が加わって10人のアンサンブルになることが、ここで初めてわかった。各パート平均3人のところにヴィオラは1人。むむむ、多勢に無勢とはこのことか。
 チェロはヴィオラの隣で弾かれるので楽譜がちらっと見えたのだが、ほとんどが全音符。ヴァイオリンとヴィオラでレッスンを受けていた時は、それぞれのパートに主旋律があったので、チェロにも主旋律があるものだと思っていたのだが、聞くと、そこはチェロ先生が別のパートで弾かれるとのこと。ということは、チェロ先生がヴィオラを助けてくれるという期待はできない。じゃバヨ先生はというと、いちおうセカンドということなのだが、位置的にはファーストとセカンドの間。そこでいきなりヴィオラパートを弾き始めると、周りの人が面喰って、これもまた大変なことになりそう。
 ということでヴィオラは
 孤高のパート
になること確定。しかも、ヴィオラには珍しく主旋律多いし・・・

 ヴァイオリンのお二人と私はなんどかアンサンブルのレッスンも受けているので、アンサンブルだからと言って緊張することもない。ヴァイオリンには高校生ぐらいの子もいたが、この子にとっては曲も簡単で大丈夫。ただ、もう一人の人はアンサンブルは初めてといって少し緊張されていた。チェロのお二人も、いつもと違う先生のレッスンで少し緊張気味。そして誰よりも緊張されていたのはバヨ先生だった。初対面の生徒さんもいるなかで、普段はあまりされないアンサンブルのレッスンだからなのだろう。ただ、それが本番になると、この人が隣にいてくれるだけで大船に乗ったつもりで弾けるのが不思議。やっぱりプロの放つオーラってすごい。

 レッスンの内容としては、曲想というより音量合わせといった感じ。普段は遠慮がちに弾くことを強いられるヴィオラも、他のパートの1/3とあっては、
もっと音、出して
もっと弓たくさん使って
と言われることしばしば。
 何はともあれ、お互い、どんな人といっしょに弾くのか顔合わせもできたことだし、いよいよ本番が楽しみになってきた。