四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋 -2ページ目

四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋

音楽や楽器とはおよそ縁のないまま四十路を迎えた中年男性がヴァイオリンを習い始めた。
このブログは、彼の練習部屋であり、リスニングルームであり、音楽を学ぶ勉強部屋。
整理の行き届いた部屋ではないが、望めば誰でも出入り自由。
どうぞ遠慮なくお入りください。

 下の娘は小学校5年生。社会の時間に都道府県の名前と、日本中のいろんな地域の暮らしについて勉強している。交通が発達した今日ならともかく、作物を他の地域に持っていくのが難しかった時代、米が主食の日本では、お米を作りやすいかどうかでその地域の生活は大きく変わるものだ。
 さてさて、そんなことを勉強している娘の自由研究に「アルプスの少女ハイジ」を取り入れてみた。ハイジのビデオを借りてきて、デリフリ村の暮らしとフランクフルトの暮らしを比べてみようというもの。最初は面倒くさそうにしていた娘も、ビデオを見るとすぐに乗ってきた。昔の番組とはいえ、やはり子供心をつかむ何かがあるのだろう。ビデオを見ながら、ハイジがデリフリ村で食べているものを書きだしたり、おじいさんやペーターがどうやって食べ物を手に入れているかを考えたり、熱心に勉強をしている。

 そこに我が家のロッテンマイヤー女史がハイジの歌の楽譜を持ってきてフルートで吹き出した。この辺になると自由研究とは全然関係ないのだが、夏休みの家族におこった「ハイジ」ブーム。上の娘はピアノで、主旋律しかない楽譜に適当に伴奏を付けて弾いている。これはちょっと羨ましい。ハイジのテーマ曲のようなお馴染みの曲なら、耳コピで主旋律を弾ける人も多いことだろうけれど、伴奏を付けられるというのはピアノをやっている人のアドバンテージなのだろうか。
 このところ、練習の最初にセヴシックを欠かさないようにしている。お経のような旋律を弾いていると、まるで修行僧にでもなった気分だ。本番に向けて邪念が落とされていくようで清々しい……ようなきがする……だけなのかもしれないが、まぁ、とにかく少し心が落ち着く。

 日曜日に子供の発表会があった。普段はほとんどがピアノの生徒さんなのだが、今回はヴァイオリンの生徒さんも多かった。いまもっとも注目株は、ときどきレッスンで見かける小学校に行くか行かないかぐらいの男の子。並み居る大人たちを尻目に、バヨ先生の期待を一身に集め、堂々の舞台度胸だった。弾いている曲も重音だらけ、ポジ移動有の難曲。もはや追いつくことはできない領域に入っている。
 それよりも小さい子供たちも大健闘。ピアノもヴァイオリンも、特に小さい子供たちのテクニックは確実に向上している。何年か前ならあと2~3歳年上の子供が弾いていたぐらいの曲を、そこそこのレベルで弾いていたように思う。もちろん、年長の子供たちのレベルはそれ以上に高いのだが、その辺になると自分との比較がもはやできない域なので、どちらかというと小さい子供たちの方が印象に残った。

 発表会で子供たちが一生懸命に弾いているのを見ていると、全然関係のない自分も「頑張らなければ」と励まされる。発表会の後、空いているスタジオをお借りして、まずはヴァイオリンのセヴシック。そのあとコレルリのシャコンヌの部分練習と通し練習をしていると、ヴァイオリンの他の生徒さんがお見えになる。もともとこの時間はアンサンブルの自主トレーニングの予定だったのだが、今回も人が集まらずにお流れ。だけど、もともと予定していた人はこうして集まってくるのではと思っていたのだが、来られたのはおひとりだった。
 パートナーが出来たので、楽器をヴィオラに持ち替えてアンサンブル曲を練習する。相変わらず音程が定まらない。特に、手のひらから遠いC線やG線の3指が怪しい。音階を何回か弾いてみたりしてやっと音程が定まってくる。弾けないところ、怪しいところ何箇所かをお付き合いいただいた。
 そのあと、もう一つのアンサンブル曲、ベートーベンの第九の練習をしようということになった。再び楽器をヴァイオリンに持ち替える。いつものことだが、ヴィオラの後でヴァイオリンも持つと、こんなに小さいのか、軽いのかと思ってしまう。そしてまた音程が合わない。指の間隔が違うからなのだが、それはポジ移動をすれば必然的に変わるものなので言い訳にはならない。しかし、現実にやはり楽器を持ち替えた直後は、直前に持っていた楽器の弾きぶりに引きずられる。

 うむ。本番に向けて新たな課題が顕在化!
 どうしたものか?
 前回のレッスンでの先生の名言は、ヘンデルのセルセで縦に和音を合わせるという文脈で出てきたのだが、もう一つの曲「いのちの名前」は横にメロディラインをリレーしていく曲。こういう曲になると別の意味で音楽に宿る命を感じる。最初の和音がジャンと出ると、あとはそうなることが必然のように次々に和音とメロディが繰り出されてくる。ひとつのパートだけを弾いているとフレーズごとに途切れ途切れになっているのだけれど、どのフレーズも他のフレーズとつながって生きているように思えるのだ。

 さてさて、こっちの方もレッスンでご指導いただいたところを箇条書きで書き留めておきたい。今回も、この曲をいっしょに弾く人以外は読んでも面白くはないのでスルー推奨。一緒に弾く人でさえ役に立つかどうかは保証の限りではない。

  • セカンドとヴィオラが16分音符でリズムを刻むところ。ヴィオラにとってはこの曲で唯一の16分音符なのだが、ここはしっかりセカンドとリズムを合わせたい。

  • 42小節目はファーストとリズムを合わせる。遅れがち。あまり意識していなかったのだが、言われてみるとなるほどファーストとハモるのか。
    弾き終わったあとの先生開口一番「みんな主張が強すぎ」。練習なので自分の音を押さえて周りを聴いて和音を感じる。そうするとさっきの42小節目をいかにいい加減な音程で出しているかがわかる。弾いているときは、自分が弾いた直前の音としか合わせていないから、他のパートと合っていなくても気が付かなかったり、気が付いていても高いか低いかがわからなかったりする。

  • 途中、ヴィオラに主旋律が回ってくるところがあるのだが、ヴィオラにとっては数少ない見せ場。つい唄ってしまって遅れがちになる。感情を込めすぎなのか。いや、そもそもボウイングに問題ありのような気がする。楽器が大きいので弦をつかんで響かすのにヴァイオリン以上の大きな動作をしているような気がする。だから俊敏な動きが出来ない。特に移弦の時に、直前まで音を出し続けていると次の音を出すことが出来ないのだ。ヴィオラとしての基礎練習が足りていない。いまさら気付いても、ってところではあるのだが。


 こっちの曲も、途中「怪しいポイント」が何箇所もあるのだが、セルセに比べると誤魔化しやすい気はする。ただヴィオラに正真正銘の主旋律ソロが回ってくるので要注意なのだが。
 このところレッスンの頻度が濃いのだが、テーマが毎回異なる。
第127回はアンサンブル
第128回はソロ曲(といっても先生とデュエットなのだが)
第129回がソロ曲のピアノ合わせ
そして今回のレポート第130回は再びアンサンブルだった。
第129回が土曜日、その翌日に第130回という頻度。しかも第130回はいつもの倍の90分レッスンになった。

 頻度だけでなく、濃度も濃い。前回第127回のレッスンレポで書ききれなかったところを含めて、ご指導いただいたところを箇条書きで書き留めておく。今回も、読んで楽しい記事ではないし、何も役には立たないので、いっしょにアンサンブルをする方以外はスルーしていただいて構わない。

 今回の「大人の発表会」では、アンサンブル曲は3曲ある。そのうち1曲は管楽器や合奏も含めた大合奏なのだが、他の方に聞くと「あれはぶっつけ本番で大丈夫ですよ」などと仰る。その真偽は分からないのだが、2年前の発表会でも弾いた曲なので、発表する生徒の方にも教える先生の方にも「まぁなんとかなるだろう」という雰囲気が漂っている。経験的にこういうのは危険の予兆なのだが…。ともあれ、これは何人かだけではアンサンブル練習は出来ないので、取り敢えずは自分のパートを練習するしかない。(いやそれもしていないのだが)
 残る2曲は弦楽器のアンサンブルで、生徒7人プラス先生のアンサンブルだ。しかし困ったことにヴィオラをもってステージに立つのは私だけ。しかも、そのうち1曲はヴィオラのパートソロから始まるという非常に危険な状況になっている。むむ…、だけど、これC線使わなくても弾けるからいざとなれば先生が助けてくれる…と思う。きっと。たぶん。
 と、回り道してしまったが、ここからは箇条書き。最初に弾くのはヘンデルのセルセ。ヴィオラはずっと、ズンズンズンと伴奏しているだけなのだが、音程が崩れると崩れっぱなしになって総崩れになるという危険が待ち受けている。さて、この危機を乗り越えられるのか。
  • まずは音程。前回は、最初の和音がしっかり合うまで、お互いに音を聴きあいながら音を出す、というレッスンをした。こうしてしっかり合わせると、ものすごくいい和音だ。原曲がどんな歌詞で歌われているのかはよく知らないのだが、なにか清々しくも神々しい雰囲気に包まれるような気がする。その和音を感じているところに
    次の音
    と先生の声。これで崩れてしまう。みんななんてプレッシャーに弱いんだ。ま、とにかく、
    高いとか低いとか言われたらすぐに書き込む。言われるたびに高いか低いかが違うんだけど、その時は色を替えてまた書く。
    経験的には3指が#になるところが上がりきっていない傾向がある。3指が#になると、それにつられて全体が高くなってしまう。
    それと半音が狭すぎる。ヴァイオリンより大きめの楽器なので、それに比例して指の間隔も広くとらないといけないのだが、まだ咄嗟にヴァイオリン感覚でとってしまっているようだ。
    練習はチューナーを見るのではなく耳で確かめて。・・・・この練習がいちばんたいへん。
    先生曰く、下の響きを持っている人はちょっと高めにとるとハモりやすいんだけど、和音によって違う。現状では、自分が出した前の音から次の音をどうとるかしか考えていないのだが、そうではない。他の人の音から和音を感じて音を出す。
    音楽は生きているので、高いときもあれば低いときもある。う~む、含蓄の深い言葉だ。

  • みんなで3拍子の最初を意識して、周りにアンテナを張りながらテンポを合わせていく。これも途中でタイがあったりするとオタオタしてしまう。ちょっとした変化に弱い。
    前回のことだが、途中で拍がわからなくなってしまい、1泊ずれたまま進んでしまうというハプニングがあった。本番でこれやったらどうしよう、とちょっと怖い。
    同じ高さの四分音符が3つ並んでスラーになっているところは、基本的につながっているように。切れるか切れないかぐらいがちょうどいい。付点二分音符を弾く時に拍を数えようとして アーァーァー となってしまう時があるが、あんな感じだろうか。

  • 前回のレッスンでは、ヴィオラはやや大きめに、と仰っていたのだが、今回はもう少し小さくと仰る。それで遠慮がちに弾いていると、もう少し大きくてもいいですよ、とのこと。共通して言えるのは、押さえつけて音量を出そうとするのはNG。コマ寄りのところを弾くことで音量を出すのだけれと、弓を向こう側に倒して、ファンファンファンと軽く弾くことで、音量をコントロールする。これもなかなか難しいご指示だ。
    ヴィオラは和音の下支えになるので、チェロを聴きながら、音符の長さをしっかり伸ばす。

 そんなわけで、音程、リズム、音色それぞれに難しいご指導をいただいた。途中にフェルマーターがあって、そのあと全員がタイミングを合わせて出るところがあるのだが、ここはフェルマーターの係っている1拍を3拍分伸ばすことになった。全体的にヴィオラは伴奏だけなのだが、主旋律が盛り上がる前のところでその導入部を弾いているところがあるので、そこは主旋律を導くつもりで盛り上げてください、とのことだった。

 まだ、もう一曲のレッスンレポが書けていないのだが、今回も既に超大作の域にはいってしまったが、この辺で力尽きてしまった。また次回に続く、かもしれない。
 前後逆になってしまったが、先週のレッスンレポを書いている。
 このところ、アンサンブル曲のレッスンが続いていたので、こうして自分のヴァイオリンの音を聴くのは久しぶりだ。相変わらずチャルメラのような、抑揚がないというか、透明感がないというか、いまひとつの音なのだが、しかし聴いているうちにその音も愛おしく思えてくるのは楽器への愛着か。はたまた自己陶酔か。弦を換えてもこの音色は変わらないので、これがこの楽器の響きなのかもしれない。あるいは弾き方の癖なのかもしれないが。

 さてさて、いつもはセカンドを弾いてくださる先生は、今回は隣で手拍子を打ってくださるばかり。いつも先生の旋律からタイミングを取っているのでひとりで弾くとそれが取れない。普通なら、伸ばすところはちゃんと拍を数えているものなのだろうけれど、私の場合は他のパートを聴いてタイミングを計っているので、ひとりにさせられるとこれが上手くとれない。これは、いまから考えると次回のピアノ合わせの伏線になった。合わせる楽器が増えると途端にタイミングが取れなくなるのだ。ピアノ合わせが終わった後、メトロノームをピアノに見立ててタイミングを取る練習をしているのだが、あちらこちらに間違えやすいトラップが仕掛けられている。むむむ…、心を落ち着けてひたすら拍をとるべきか。

 先生曰く、
 すごい良くなっているところもある
 ま、これも随分長くやっていますからね。だけど、最初慎重に弾き過ぎていてつまらない曲想になっているとか、フレーズごとに入れるところと抜くところを決めれば右手が楽になるはずだとか、Allegroで八分音符が並ぶところは、全部同じ感じでしっかり切ってとか、移弦しにくいところは肘をしっかり動かしてとか、テンポを自分の中で刻んでとか、後半はちょっと興奮してくるからか、音程が高くなりがちだとか、いろいろ出来ていないところもあった。

 レッスンの後半はいつものように先生がセカンドを弾いてくださるのだが、いろいろ気になりだすと、先生ともタイミングが合わなくなってくる。これはなかなか曲者かもしれない。次回は頑張ってよくピアノの音を聴いて、とのこと。弦楽器とはちょっと違いますから、とのことだったが、確かに違った。
 レッスンレポートが1回分できないまま、発表会に向けた重要なレッスンがあった。初めてで、かつ最後のピアノ合わせレッスンだ。まだ終わってすぐ。録音も聴いていないので、もう一度聞き直しておかないといけないのだが、う~む。安堵と不安が交錯する。

 最初、バヨ先生なしでピアノとだけ合わせる。出だしは、ピアノ先生のブレスで、最初の拍にピアノの和音が入り、2拍目からヴァイオリンが入る。ここは何度かしているうちにタイミングがわかってきた。本当は自分のブレスで入るべきところではあるのだが、ここは他人に入ってもらう方が気が楽だ。

 最初のLARGO。ヴァイオリン2台が会話をするところなのだが、セカンドヴァイオリンがいないと会話が出来ない。ピアノが拍を刻んでいるのだが、それで拍を数えて弾くということを今までしていなかったので、いきなりから戸惑うことに。ここだけではなく、そういう戸惑いがいろんなところで出てくる。ピアノにセカンドヴァイオリンを付けてもらうと弾けるのだが、今度はそこをバヨ先生に弾いてもらうと、これが意外と聴こえない。ピアノの音はスタジオ中に響いているのに、ヴァイオリンってこんなに非力なのかと思う。なのにバヨ先生は、そこはもっと小さく、なんてことを言っている。こんなに小さい音で聴こえるのだろうか。つい、最初から最後まで全力フォルテになってしまうのだが。

 ステージではピアノの音は上に上がるのでもっと遠くに聴こえるものだそうだ。ヴァイオリンの音を聴きたければもっと近づけばいいし、聞きたい音の方を見ると聞えるのだそうだ。

 終盤のところで7拍スラーのところ。いままではセカンドが入ってから4拍数えていたのだが、ここが上手く数えられない。和音から音の変わり目を聞き取ろうとするのだが、そこが上手くいったりいかなかったり。こここそ本番は先生を見て弾こうと思った。

 まだまだ不安なところもいっぱいあるのだが、あとどれだけやれば不安が解消するのか、という問題でもなさそうな気がする。やっぱり精神力の鍛錬だな。

 これから先、発表会までの課題は、曲を弾き込むことではない。発表会の空気に呑まれない強靭な精神力を養うこと。というわけで、ひたすらセヴシックを弾いた。お経のような旋律をひとつひとつ納得いくまで繰り返す。いつの間にか30分が過ぎていた。


 心配していたピアノ伴奏は、今週の土曜日に合わせる運びとなった。本番前に、バヨ先生がいるところで合わせておきたかったのだが、これでひと安心。

 この週末は、バヨ先生の生徒有志によるプチアンサンブルレッスンもある。加えてレギュラーの個人レッスンもあるので、土日に合わせて3回もレッスンを受けることになる。


 焦らない。

 うろたえない。


 これも精神力の鍛錬だ。また時間があればセヴシックをしよう。

 この週末に霊感プロジェクトがあった。今回はヴァイオリン4人、ヴィオラ、チェロの6人が揃ったので、1番ニ長調も7番ヘ長調もフルパートで弾ける。といっても1パートひとりはやはり重圧なのか、なかなか思うようには合わないものだ。

 さてさて、いよいよオリンピックが始まった。世界トップクラスのアスリートといえども、オリンピックの重圧の中で自分の力を出し切るのはたいへんなことなのかもしれない。大躍進が報じられる競技がある一方で、メダルを期待されていた選手が思ったように活躍できなかったところもいくつか見た。
 例えば、金メダルを期待され本人もそれを望んでいたのに銀メダルに終わった選手の気持ちはどんなものなのだろうか。悔しいのか、嬉しいのか、終わったことにホッとしているのか…

 前回の発表会では自分が思うような演奏が出来ず、悔しい思いをした。先生にも申し訳ないと思った。あれほど練習してきたのに発表会で出し切れず、モヤモヤとした思いばかりが残った。そういうときは「良かったですよ」なんていくら言われても、その言葉を受け入れられない。ダメだったものはダメだったとはっきりさせないと、次へのステップが踏み出せないと思った。演奏だけではなく、取り組む姿勢だとか、向かい合い方とか、いろんな意味でダメだった、というのが、今回の発表会に向けた2年前の出発点だったはず。
 2年間、同じ曲ばかりを練習してきて、確かにずいぶんと弾けるようにはなった。だけど、発表会の舞台でいまやっていることが本当に出し切れるのだろうか。2年前の発表会でダメだったところを少しでも克服し、精神的にも人格的にも成長できているのだろうか。

 霊感プロジェクトもひと休み。しばらくは発表会に向けて、毎週のようにレッスンが入る。この重圧の中でこそ、2年間の成長が試されるのだと思う。世界のアスリートには敵わないが、自分なりに持っているものを全て出し切って、悔いのない発表会にしたいと思う。
 今週からは3週連続でレッスンが入ることになった。実はその次の週が子供の発表会。バヨ先生の生徒はおじさんが半数以上とお年頃の女性が何人かのほかに子供の生徒さんもおられる。人数は少ないが将来を嘱望される子供の発表会前となれば、毎週レッスンがあっても不思議ではない。おじさん生徒もおこぼれにあやかって毎週レッスンが受けられるわけだ。

 今回は5分ほど前に着いたのだが、発表会前となるとスタジオの奥さんと打ち合わせなければならないことっもいろいろとあって、話しているうちに定刻を5分ほど過ぎてしまう。あわてて2階のスタジオに行くと、ちょうど、前の時間の生徒さん(やや若いが前述の分類でいうと「おじさん」に分類される男性)がちょうどレッスンを終えて片付けをしておられた。今回のレッスンでは、前半はアンサンブル曲、後半はソロ曲を見ていただく予定だったので、いっしょにレッスンを受けられるとお互い有益なはず。

ちょっと弾いていきませんか

とお誘いすると

じゃ、合わせましょうか

と乗ってこられた。本番はここにチェロも加わるのだが、ヴァイオリン2人とヴィオラとなれば掛け合いの練習もかなり出来るはず。早くもワクワクする。

 まず「いのちの名前」から。
 最初のところはヴィオラが主旋律で、この時のメンバーではセカンドが伴奏。ファーストが4小節休み。そこで質問! 「こういうときって誰が合図するんですか?」 今回は指揮者がいなくて、先生も合奏の中に入られている。それならみんな先生の顔見て弾き始めるだろうと思っていたのだが、「ファーストは最初休符だから」とやんわり仰る。そこを間髪入れずに、「じゃその休符の間に振ってくださいよ」とお願い。結局、先生を見ながら、
セカンドもいっしょにザッツして始めることになった。
 この最初のところは、セカンドとチェロが八分音符でリズムを刻んでいるところに、ヴィオラがシンコペーションの主旋律で乗っかる。なかなかテンポがとりにくい。移弦でもたついていたりするうちにリズムが崩れてしまう。ヴィオラがこんなに晴れがましいのに、本番ではヴィオラがひとりしかいないことが発覚。これはかなり練習しておかなければ。極端に言えば、ここだけでもクリアすればいいぐらいに思って練習しなければいけない、と思った。メトロノームを八分音符にして練習するようにアドバイスをもらった。

 そうこうしているうちに、次の時間の生徒さんがやってきた。この生徒さんは前述の分類ではお年頃の女性。

早よ用意しいや

と半ば強引にアンサンブル練習に巻き込んだら

やりたいぃ

と乗ってきた。みんなやっぱりアンサンブルしたくてたまらないのだ。
 おじさんたちは、合奏はしたくてたまらないのだが、いざアンサンブルとなると結構ビクついている。先生からも「もっと周りの音を聴いて」と言われる。それに比べて女性は腰が据わっている。「ど~んと来い!」って感じだ。先生も「もっと我が物顔で弾いていいです。ちょっと主旋律を聴きなさいよ、っていうぐらいで」なんてことを仰る。それぐらいでちょうどバランスがとれるのだろうか。

 もう一曲のアンサンブル曲、ヘンデルのセルセは、徹底的に音程を見られた。一音ずつ、和音が完全になるまで音を聴く練習。「いのちの名前」が、4つのパートがバトンを渡していくように主旋律をリレーする「横のつながり」で構成されている曲だとすると、こっちはひとつひとつの和音を「縦のつながり」で聴かせる曲かもしれない。最初の音だけで荘厳な雰囲気が表現されている。こうやって一音ずつ合わせると、和音のひとつひとつに意味があることがわかる。問題は、その和音をどうやって合わせるかなのだ。

 ひとりで練習しているときは分からないので、合わせているときにしっかり音を取る。先生に、高い低いと指摘されたところは全部楽譜に書く。いや、それが時によって高かったり低かったりするのだが、それはその時で、また色変えて書いたらいい。自分の傾向としては、半音が狭いような気がする。半音の時は指がくっつくのだが、ヴィオラの場合、ヴァイオリンの感覚でくっつけると狭すぎる。もうひとつは3指を半音上げた後で音程が乱れがち。こんなところもまた基礎練習を疎かにしてきたことが祟っている。高いな、低いなと思ったらちょちょっと誤魔化せるように、と仰るのだが…。

 普段の練習では、音量を小さくして楽器の響きに頼って音程を正しくとる練習をしないさいということだった。

 これも練習しているとあっという間に時間が過ぎ、自分のレッスン時間だけでなく、次のお年頃女性の練習時間も終わってしまった。生徒3人はアンサンブル練習が出来てとても満足していたし、次のアンサンブルレッスンをいつにするかなんて相談を始めたりしていたのだが、先生からは

ソロの曲もありますからね

とやんわり釘を刺される。釘を刺されてもなお階下で合奏練習の相談。

せっかく合奏するのだからお祭り感覚でみんなで楽しみたい

ともうひとりの男性生徒さん。確かにそうだ。4年前の発表会の時に、他の楽器を演奏される方を見ていて、とても楽しげで、それで自分も楽しげに弾いてみたいと思ったものだ。今度の発表会もいろんな楽器の方がおられるので、弦楽器の合奏なんか楽しそう、ってみんなに思ってもらえるような演奏がしたい。演奏の良しあしじゃないような気がする。気持ちの持って行き様とか、なにかそういうものを、いっしょに弾く人たちと共有できればいいなと思う。
 数年前からバヨ会と称してほかの人と合奏している私にとって、年に何回かある合奏の機会は、小学生の遠足のようなもの。開催が決まれば、ずいぶんと前からバヨ会目指して練習に勤しみ、上手くいかないのをばねにしてまた練習に勤しむ、ということで、ヴァイオリンに対するモチベーションを維持してきている。私に限らず、アマオケとかには入らず、普段、個人レッスンを受けているレイトスターターにとって、合奏をする機会というのはなかなか新鮮な感じがするに違いない。それが、ステージの上でスポットライトを浴びてともなれば、小学生の遠足どころか、まるでシンデレラが王宮の晩餐会で王子様と踊るようなもの。今年の発表会ではこの憧れの合奏がある。おそらくどの生徒さんも私と同じように、パート譜と格闘しながら心待ちにされているに違いない。いや、もしかすると一番心待ちにしているのは他ならぬ私かも知れないのだが。

 そんななかで、発表会のアンサンブル曲の自主練習会の企画があったのだが、これがなかなか雲行きが怪しくなってきた。
 発表会までもう1ヶ月ほどとなった中で、アンサンブル曲をみんなで練習する機会が少ないので、先生なしでも合わせてみたい、ということをスタジオの奥さんに頼んで、日程の調整をしてもらい、みなさんへの連絡もしていただくことになっていたのだが、どうもこの連絡がされていないようだ。たぶん「みなさんお忙しくて人数が集まりませんでした」というご連絡が、近日中かその当日になってあるような気がする。ま、そういうことなら一人の生徒の立場であまり深入りすることもできないのだが。

 そしてもうひとつの合奏の話が家の中で浮かび上がってきた。
 今度の発表会で弾こうと準備してきた曲は、ヴァイオリン2パートと鍵盤楽器。そこにチェロがあればさらによし、という編成なのだが、ピアノとの合わせはいままで一度もしたことがない。いつものヴァイオリン先生とツーカー仲のピアノ先生が伴奏していただく予定だったのだが、それがどうもそのピアノ先生の都合が合わないようだ。大人の発表会でピアノを弾かれる生徒さんはいないか、いてもごく少数。たぶん、ご自身の生徒さんの発表はないのだろう。それで別のピアノ先生が伴奏ということになっているようなのだが、それが、そのピアノ先生といつものヴァイオリン先生のご都合があう日がまたないようだ。このままではぶっつけ本番になる。今度弾く曲は、2年間かけてヴァイオリン先生と仕上げてきた曲。思い入れも深いので、ピアノ先生にもその辺わかってもらって一緒に曲を作ってほしいのだが、これではあまり期待もできない。
 そこへもってきて別の問題が浮上。この代役のピアノ先生は、うちの娘たちにピアノを教えていただいている先生なのだが、とにかくお忙しい先生なのだ。月2回ぐらいはどこかで演奏会をされている。そういう先生にレッスンを見ていただくのはいいことなのだが、如何せんレッスンにあまり力が入らない。どうやらうちの子供たちが去年の発表会で何を弾いたのかとか、どれぐらいのレベルなら発表会までに仕上がるのかとか、そういうところに余り意識を向ける余裕がないようだ。そんなこともあんなこともいろいろあって、長女は発表会を辞退することになった。
 その長女が「お父さん、伴奏してあげようか」といいだした。
 これは願ってもないことだ。家でヴァイオリンを練習していて、いつも同じ曲ばかりなので、「よく飽きないなぁ」などと言われるのだが、思い入れが強いことは分かってくれているはず。そういう思いを共有してくれるのなら演奏は多少拙くても構わない。早速楽譜を渡すと、その楽譜のうえにヴァイオリン譜があるのが弾きにくいというので、それを除いた純粋なピアノ譜を作成した。
 しかし、やはりちょっと難しかったようだ。
 妻には「お父さん、弾いてほしいって言っていた?」などと言っているようなのだが・・・。