四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋 -3ページ目

四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋

音楽や楽器とはおよそ縁のないまま四十路を迎えた中年男性がヴァイオリンを習い始めた。
このブログは、彼の練習部屋であり、リスニングルームであり、音楽を学ぶ勉強部屋。
整理の行き届いた部屋ではないが、望めば誰でも出入り自由。
どうぞ遠慮なくお入りください。

 先週のレッスンレポートの続き。ま、1週間も経っているので記憶は定かではないのだが、議事録ではないのでそんな厳格さもいらないだろう。

 レッスンだけではないのだが、ヴィオラを弾いているととにかく肩が凝る。たぶん変なところに力が入っているからなのだろうけれど、その原因の半分ぐらいはまだ曲を覚えきれていないからだと思う。音符を凝視しながら、というより音符の上に自分で書いたイタリア語のフリガナ(ドレミのことね)を見ながら、頭の中でアラビア語(つまり指番号)に変換し、それで左手を動かしていく。右手はそれとは独立してボーイングをしなければいけないし、頭では拍を数えていなければいけない。そういう普段の生活ではあまりない不自然な一連の動作が変な力みを産んでいるのに違いない。


 ところで、譜読みに苦労していた「いのちの名前」は、先生とハモらせる練習をすることで、どこでどのパートとどう絡むのかというような、
曲の構造
というべきものが見えてきた。これは大きな前進だと思う。これが見えてくると、拍を真剣に数える必要がなくなる。新しいフレーズが始まるときは、たいていほかのパートがその導入部を弾いているはずだ。音楽っていつも不思議だな、と思うのは、最初は何もないところに最初のフレーズが置かれると、そのフレーズに導かれるように次のフレーズが出てきて、そこから次々にフレーズが重なっていくところだ。まるで、最初の音が出たらあとはこうなることが予定されているように音が次々に現れて調和していく。ヴィオラパートは主旋律が少ないので、そのパートだけではそういう予定調和を実感しにくい。とくにポリフォニーで展開するこの「いのちの名前」はそうなのかもしれない。しかし、すべてのパートが揃って弾いてみれば、やはりそこには予定調和の世界がある。いっけん何のことかよくわからないフレーズでも、そこにそのフレーズがある必然性に基づいて置かれているのだ。そういうことが実感できるとパート練習も楽しくなってくる。

 もうひとつのアンサンブル曲、ヘンデルのセルセも一緒で、こちらの方はヴィオラは延々とリズムを刻む伴奏なのだが、これも主旋律との絡みがわかれば、自然と何処をどう弾くのかがわかってくる。基本的には伴奏だから静かに脇役に徹するのだが、ここだけは目立ってもいいぞ、っていうところもある。
やっぱり合わせないと
 普段は個人レッスンばかりで進めているので、なかなか合わせる機会がない。今回はチェロも合わせての合奏なので、本番までにアンサンブルの練習が出来るのは、スタジオで1回と前日、当日の3回だけ。しかも指揮者はいない。本当に大丈夫なのか、と思っていたら、スタジオで自主練習会をやることになった。合わせることの楽しさをスタジオのほかの生徒さんと共有できると思うと、練習のモチベーションも上がってくる。スタジオとしても初めてのことのようで、どれだけ人が集まるのかも未知数なのだが、いまから遠足の前の子供みたいにワクワクする。
 ほかの生徒さんもそうだといいのだが。
 7月になった。もう来月は発表会だ。発表会までに、レッスンは今日を入れて4回しかない。むむ、ホントに仕上がるのだろうか。

 前回に続いて今回もヴィオラ。弦楽器のアンサンブル曲だ。相変わらず練習時間の確保には苦労しているのだが、前回から今回までの間は、とにかくメトロノームに合わせることに力点をおいて練習してきた。特に途中でフレーズの曲想が突然変化する「いのちの名前」は、フレーズごとに練習するのではなく、フレーズの変わり目を中心に練習をしてきた。レッスンでも、いつもならひとりで自分のパートだけを通すところから始まるのだが、今回はいきなり「合わせ」から入った。

 最初はヴィオラが主旋律なのだが、自分が気持ちよく弾くというだけでなく、他のパートの人が聴いていてタイミングがとりやすい、ということも念頭に、拍の始めにきっちりと音を出し始めるということを指摘された。主旋律なので、ビブラートをかけながら柔らかく、そしてフレーズ全体にクレシェンド、デクレシェンドをかけるみたいなイメージだったが、そうするとシンコペーションのところがぼやける。フォルツァンドピアノみたいな感じで、音の最初をしっかり出したらすぐに抜いて、しかし、その音の最後まで小さな音量で音を出し続ける。これは思っていたのとちょっと違う。ほかのパートと合わせるとどうなるのだろうか?

 ヴィオラが主旋律はわずか4小節で終わり、5小節目からは引き立て役に回る。
 その時は、音を小さく
 もともと筐体が大きいので、普通に弾けば音が出る。だけどチェロには負けるんだけど、チェロはもっと引いてもらえるんだろうか? ま、他人の心配はともかく、5小節目から弓の量も少なめに、何となく音が出ていればいいぐらいのつもりがいいのかも。

 このフレーズの最後にある12小節目は、13小節目から始まる次のフレーズへの導入部。
 この大切な導入部をヴィオラが担当する。
 だから、ここはもっと歌うように。ラドドファーミレ のうち、ファーミに向かってクレッシェンド。そして最後のレは消えるように。ところが、最初のラドドがG線、ファーミレはD線なので、ちょうど盛り上がるところで移弦がある。この移弦の直後の音の出し始めがなんともうまくいかない。ここに限ったことではないのだが。ま、だけどフレーズから考えて移弦の後を盛り上げないといけないことは感覚的にわかるので、その「盛り上げよう」という意識が遅れて身体に伝わり、最後の「レ」で盛り上がってしまう。最後は消えるように小さくしていかないといけないのだが。

 13小節目の頭は全部のパートが同じリズムでハモる。だから、ここは頭のインパクトがほしい。そこまではポリフォニーっぽい信仰なのだが、ここでモノポニーになる。そこで全部のパートがバチッと合えばきれいなはずだ。
 このフレーズは、音程も怪しいと指摘されたが、それ以上にリズムがとれていない。楽譜とは違うリズムを頭の中に描いてしまっているので、ちょっと本番が危ないところ。なんとかしなければ。

 13小節目からのピッチカート。その最初のところはヴァイオリンを聴きながら入れば入れるはず。ヴァイオリンはアンクタクトで入ってくる。さらに、ヴィオラの伴奏は最初に8分休符があるので、そこを意識してタイミングを取れば大丈夫。・・・といいつつ今日は間違えたが、そこを一度やり直せばもう大丈夫だった。
 そのあとのところも、ひとりで練習していると難しかったが、先生に主旋律を出してもらうと意外と弾きやすい。というか、落ちても取り返せることが分かった。そうなると焦る必要がなくなるので、気持ちに余裕が出来て弾けるようになる、という良いスパイラルに入ることができる。

 30小節目からのフレーズが、メトロノームと練習しているときは上手く入れるかどうかもっとも心配していたところなのだが、合わせてみると意外に楽。ここはヴィオラが先導するので、周りに気を配るのではなく、自分から勇気をもって入る必要があるが、これなら大丈夫かもしれない。

 34小節目から再びヴィオラが主旋律。ここはメトロノームで練習した成果があって、リズムだけはしっかり合わせることができた。ま、主旋律なので落ちるわけにはいかない。
 36小節目でセカンドポジションに移動するところは、音程に苦労する。セカンドポジションならフィンガリングや移弦がいいのだが。先生に言うと、「あ、そういうフレーズありますね」とのこと。何も言わなければたぶんファーストポジションでご指導いただくのだろうけど、ま、せっかくだしちょっとポジション移動を練習させてもらうことにした。

 42小節目からはヴィオラがハーモニーの主役になるところと、先生が仰っておられたのだが、今日はそれが良く分かった。ヴィオラだけだと変なメロディーラインになるのだが、たしかにほかのパートと一緒に弾けば、ヴィオラがハーモニーの中で重要な役割を演じている。

 63小節目からは、シンコペーションですべてのパートが同じリズムを刻む。こういうところはしっかりタイミングを合わせたい。

 そのあと、ダルセーニョやコーダがあって、
 いったい次はどこ弾くんだ
と思っていたら、67小節目から再びヴィオアが主旋律。1小節目と同じだ。何処を弾くのか見失っているとちょっと焦ってしまう。そこをなんとか弾いて、「あ、しまった」と気づく。ここは1小節目と同じだから、フォルツァンドピアノなんだ。
 
 と、今回も自分用のメモ書きになってしまったが、ここまでお読みいただいてありがとうございました。
 今回のレッスンでは、もうひとつのヘンデルのセルセも見ていただいたのだが、すでにだいぶ紙幅を使っているので、この続きはまた記事を改めたい。例によって、また自分の練習にしか役に立たない記事になる予定なので、暇で暇で仕方がない人だけ楽しみにしておいてください。
 
 
 おととい日曜日のことだ。
 日曜日の朝に「題名のない音楽会」というテレビ番組がある。番組のホームページによると、私が生まれた頃から続く長寿番組のようだ。読者の中に熱心な視聴者もおられることだろう。
 今週の放送は、新進チェロ奏者、宮田大氏が「歌う楽器、チェロ」の魅力を存分に披露する内容だった。中でも、最初に演奏されたカッチーニのアヴェ・マリアは圧巻だった。
 カッチーニのアヴェ・マリアは、ヴォーカルのソロが「アヴェ・マリア」を連呼する曲。ソプラノで歌われることが多いようだが、ここではチェロの音域に近いバリトンによる歌唱を紹介しよう。



 チェロで演奏されたこの曲は、まさにチェロが歌っているような印象だった。奏者もおそらく歌詞をイメージしながら演奏しているのだろう。まるでチェロと呼応するように口元を動かし、表情豊かに弾きあげている。

あぁこんなふうに弾きたい

 ネットのどこかに楽譜はないのか。できればヴィオラ譜がほしい。曲は結構有名どころなので、と思って期待したが、残念ながらフリーの楽譜は見つからなかった。そのかわり、セブンイレブンのお店で買えるネットプリントの楽譜があることを発見。コンテンツ料420円と印刷代30円、合わせて450円の衝動買いをした。

 買ってきたのはヴァイオリン譜で、E線のハイポジションも使って、ソプラノ歌手の熱唱を再現するような感じだが、チェロの演奏を聴いた後なので、ここは男声の音域で渋く歌いたい。2オクターブ下げて弾いてみる。うむ。いまは楽譜通りに弾くことに四苦八苦しているが、頭の中にはなかなかいいメロディーが流れている。これはいいかも。
 それにしても、あのチェロの演奏のように弾きあげるには、いったい何が足りないのだろう。音程をしっかりとって、適当にビブラートをかけているだけではあんな演奏にはならない。楽譜そのものはそんなに難しくなさそうなのだが・・・
 今回から何回かはアンサンブルの曲を見ていただく。アンサンブルは3曲あって、うち2曲は弦楽アンサンブル。今回、先生に聞いたところでは、チェロもいっしょにするそうで、ヴァイオリン2パートとヴィオラ、チェロの四部合奏のようだ。これが2曲。そして、他のいろんな楽器といっしょに合奏するベートーベンの第九交響曲アレンジ。こちらの方はヴァイオリンは3パートあるけれどヴィオラパートはない。

 前回のレッスンで、「次はヴィオラを見ましょう」ということになって、慌ててフリガナを振り、数時間の練習時間を確保して迎えたレッスン。付け焼刃ではあるけれど、何もしていないよりはましなんだが、所詮は付け焼刃だった。

 まずはヘンデルのセルセ。先生に主旋律を弾いていただいて最初から最後まで通してみる。ま、こっちはなんとかなるだろうと思っていたのだが、これもレッスンの最初に弾いたのは「どないなっているねん」というぐらい出来がわるかった。まず、リズムが気持ちわるい。先生が弾いている主旋律を聴いて入ろうとするので遅れがちなのだ。

自分がメトロノームだと思って
メトロノームですか


ま、これはバヨ会でもよく周りから言われること。周りを聴こうとしているといえばいいようにも聞こえるのだが、入るタイミングとか音程に自信が持てないから遅れるという側面も否定できない。
そして音程も定まらない。

常に和声を考えながら
わせぇ ですか


 楽譜のあちらこちらに上下方向の矢印が書き加えられる。いや、いまそれを書き込んでも、今日はたまたま高かっただけで次は低いかもしれないし、まだ高いのか低いのか確定していないのだけれど… などということは先生にはお見通しで、今日のところは黒の鉛筆で薄く書き込まれているだけ。そのうちに、その上をなぞるように濃いめに書かれ、最後は簡単には消えない赤鉛筆で書かれると、いよいよ「確定!」ということになる。
それはともかく、最初に通したときは、録音を聴いていても明らかに外しているのだ。そこを先生に言われて1音ずつハモらせることを意識すると、だんだんハモるようになってくる。ま、これも「確定」ではなく、次回はまた合わなかったりするのだろうけれど。

 そして

ヴィオラの役割を考えて

とのこと。どうしても楽器が大きい分、音が大きく出るので、少し控えめに。いつも主旋律をヴァイオリンで弾いていると、つい唄ってしまう癖がついてしまうのだけれど、ベースになるリズムなので、あまり抑揚をつけずに淡々と弾く。けっして

ヴィオラの分際をわきまえて

ということではない。主旋律とは役割が違うということだ。最初、主旋律が入ってくるところなんかを例にすると、主旋律は柔らかく細い線で入ってくる。原曲では、ソプラノ歌手が高い音を針の穴を通すような声で伸ばしているのだから、弦楽合奏に編曲されてもそういうことになる。けれどハーモニーの方は役割が違う。ヴィオラはコマ寄りを、重みを意識して、右手はいつも言われるように柔らかく力を抜いて、楽器全体を響かせるように弾く。けっして押さえつけて無理に音を出すのではない。音の大きさではなくで響きが大事なのだ。

 うむ。今日、初めて見ていただいているのに、なかなか濃い内容だ。そうだ、練習していて疑問に思っていたあれを聞いておかなければ。

スラーが付いているところは
同じ方向に弓を動かすんですね


黙って頷く先生。あ、やっぱり。どっちでもいいですよとは言ってもらえなかった。人前でアンサンブルするというのは、やはりいつものなんちゃってアンサンブルとは違う。
 しかし、このあとアンサンブルの本当の難しさが私の前に立ちはだかる。

 ここで、次の時間の生徒さんがお越しになった。そこで3人でという話しになって、今日始めたばっかりなのにいきなり3部合奏

みんなボコボコ落ちるという前提でやりましょう

なんてことを仰って、気楽にやりましょう、ということなのだが、もう一人の方にとってはけっして気楽ではなかったはず。まだ私は30分以上ここでレッスンを受けていたのだから、ある程度リハーサルは出来ているのだが、もう一人の方にとってはぶっつけ本番みたいなものだ。3人が輪になって、お互いの顔を見ながら弾けるようにするのだが、こうなるとリズムと音程で精一杯。つまり、楽譜通り弾くことでアップアップしているというわけだ。ハーモニーがお互いを聴こうとするのでリズムが取れない。そこで本物のメトロノームが登場。すつと、途端に音程がわるくなる。それでも開放弦のところでなんとか復活しながら付いていくのだが…。
 あとで録音を聴いてみて、なんだかバヨ会をやり始めた頃を思い出して懐かしかった。

 しかし、これはまだ序の口だった。次は「いのちの名前」を合奏することになった。これ、譜読みもたいへんだったのに、ぶっつけ本番ですか。もう一人の生徒さんはYouTubeにアップされている古河合奏団の音源を聴いてられるようだ。これは先生もご存じだった。知らないのは私だけ。

知っている曲だし、なんとか行けるんじゃないかな

と楽観的な先生。いやこれは怖いもの見たさだ。
結論 : ぜんぜん合わへん!

まだ2か月ありますから

とは仰いますが、2か月と言ってもレッスンの数からいったらほんの数回。その間にソロの発表曲もやるのだから、けっして時間はないですよ。

でも大人の人の努力はいつもすごいですから

つまり、頑張って練習せよということですね。
 まずは、メトロノームから外れないように練習せよとのこと。忘備録のためにいくつか書き留めておくと。
  • 出だしはヴィオラが主旋律。他のパートをメトロノームだと思って弾く
  • メゾピアノとかピアノのときは周りが聞こえるように
  • 30小節目の16分音符はセカンドと合わせて(ただし微妙にリズムが違う)
  • 中盤にヴィオラの聞かせどころがある。35小節目の付点に分音符名など、伸ばすところは拍数分ちゃんと数えて伸ばす。そしてここは唄う。
  • 42小節目以降はヴィオラだけだとへんてこりんな旋律だけれど、チェロが主旋律でセカンドとハモるところ。美味しいハモりを意識して弾く。

 最後に先生がひところ
こんな感じですね
いや、今日のところ、この曲に関してはどんな感じかわからなかったけれど、ま、とにかく練習しなければいけないことだけはわかった。
 前回のレッスンで、次は発表会のアンサンブルの曲を見ましょう、という予告があった。

 今回の発表会は、実は盛りだくさん。いつものように、個人の発表がある。これが多分2部構成ぐらいになっていて、20人以上の方が発表するのではないかと思う。それに続いて楽器ごとのアンサンブルというのが今年からできた。楽器ごととはいうものの、先生ごとという方が正しいかもしれない。先生によると、ヴァイオリンとヴィオラで7~8人ぐらいのアンサンブルになりそうだ。そして全体のアンサンブル。これは2年前に初めて取り入れられたコーナーなのだが、なかなか好評だったようで、今年も2年前と同じ曲でやることになっている。そして最後に先生による模範演奏。いつも1時からなのだが、果たして時間内に入りきるのか、というぐらい盛りだくさんだ。

 さてさて、最初の話に戻って、次のレッスンでという曲なのだが、いずれも知っている曲ではあるのだが、もらったのはヴィオラ譜だけ。上にどんなメロディが乗るのか、いまひとつわからないまま、ひたすら伴奏を練習することになる。これはなかなか譜読みに苦労する。今週の始めにフリガナを振ったのだが、ヴィオラ譜だけ見ると脈略のない旋律で、間違っていても合っていても、そうだとは分からないような部分さえある。

 ひとつ目はヘンデルの「LARGO」というタイトルのついている曲だが、たぶん、この曲ではないかと思う。

 これをアレンジして、たぶんヴァイオリンとヴィオラの4分ぐらいに編曲されているのだと思う。ト長調の3拍子で四分音符が延々と続くだけなので譜読みは比較的簡単だった。前回のレッスンで、次にやりますといわれてから、あわててフリガナを振って、指でポロンポロンと弦をはじいて曲想をつかむ。楽譜を見ると重音だらけなのだが、ヴィオラは2人いるので上と下に分けて演奏するとのこと。私は上の方だ。ただ、気になるのは、ところどころにスラーやタイが書いてあって、おそらくその指示に従ってボーイングするのだろうけれど、いまのところそこまで気が回っていない。
 
 もう一つはジブリ。「千と千尋の神隠し」からなのだが、これはなかなかの難曲だ。イ短調なので、ピアノなら白鍵だけで弾けていいじゃないかというところなのだが、ヴァイオリンではあまり関係がない。とりあえずフリガナを振ってみたのだが、なんだかイメージがつかみにくい。リズムも複雑だ。
 ヘンデルもあわせて、実際に弾いたのは昨日が初めて。千と千尋も、最初のところは、ま、弾いてみればそれほど難しくはないな、などと思えるのでが、途中から何のこっちゃわからない旋律になっていく。たぶん、他のパートとハモらせに行くための旋律なんだろうけれど、ヴィオラパート単独ではメロディラインになっていない。何度練習しても、それで合っているのかどうかも怪しく思えてしまう。

(6月17日追記)今日、レッスンで、他の生徒さんからこのアレンジで弾いているYouTube動画を教えてもらった。



 いつもの霊感アンサンブルでは弓の向きまではあまり気にしていないのだが、発表会になればたぶんそこも統一されることだろう。もしかすると、いま開放弦でとっているところも4指で、なんてことになるかもしれない。ヴィオラの場合は他のパートと合わせてみないと自分のパートが見えてこないのだが、アンサンブル練習は回数が限られているので、それまでにしっかりパート練習をしないといけない。
 自分一人の発表会だとか、ゆるゆるの「なんちゃってアンサンブル」とはちがうアンサンブルの難しさに直面。ま、これもいい経験と思って乗り越えていくしかない。
 今月は、先週、今週、来週と3週続きでレッスンがある。ちょっとこのところ残業続きで練習も出来ず、レッスン当日になって朝練したり駆け込み練習したりして臨んだレッスン。ま、これもこのブログの読者にはお馴染みの言い訳になっているのだが…。

 今日は久しぶりに曲想だとかそういう高度なところではないところのご指導が多いレッスンだった。
 まずは音程。今日、特に音程を厳しく見られたのは、八分音符の続くフレーズでファーストとセカンドが3度とかでハモりながら進行するところだった。八分音符が続くところなので、これまで音程はなんとなくそれらしく聞こえればいいか、という程度で、ボーイングだとかフレージングだとか、そういうところを中心にご指導いただいていたところだった。そこをあたらめて1音ずつ先生とハモらせてみる。…ダメじゃん。ということで次までにしっかり練習ということになった。
 音程と合わせてなのだが、弦の押さえ方という、これまたホントにヴァイオリンの習いたてみたいなところにも容赦なく指導の手が入る。いままでよりも手首を奥に持って行って、手のひらを起こし、弦の上の方から押さえるようにとのこと。そうしないと、3指や4指がしっかりと押さえられないので、ちゃんとした音色にならない。何回か前に「左手で喋る」というご指導をいただいたのだが、そういうことか。
$四十路テナライストのヴァイオリン練習部屋

 久しぶりに楽譜を入れたが、とにかくこの2小節だけでずいぶん時間を取った。これも前から言われているのだが、トリルの後でリズムが崩れがち。トリルも問題なのだが、どうやらその先の16分音符に続いてすぐに弓を返すところができず、そこに「溜め」を作ってしまうのが原因のようだ。16分音符も頭で思い描いているよりずっと速い。

 相変わらずうまくいかない95小節目からの移弦が激しいところ。これまでは、右肘を早めに動かすことを言われていたのだが、今日は、音をしっかり切ってから移弦をすることと、移弦の時に弦と弓の接する横向きの角度を変えないことで、余栄な音を出さないようにする練習を、これまた相当な時間をかけてやった。もう右肩も右肘もガシガシだ。

 今日はこういう基礎的なところが多かったのだが、実は発表会までのレッスンの回数というのもそろそろカウントダウンになってきた。そのレッスンでは、このシャコンヌ以外に合奏曲も見ていただかないといけない。この曲もあまり余裕がないのだが…。
 今日は単純にいま練習している曲と近いうちに練習しようとしている曲の整理。そんなの楽譜を順番に並べとけば済むじゃないかといわれればその通りなんだが、またまたブログという半ば公共の場を私的に使って、ネタをひとつ稼ぐ。

1.Antonio VIVALDI Trio Sonata "La Folia"
ヴァイオリン2人とチェロで弾く小さな曲。
8小節がワンセットで、曲が進んでいくにつれてだんだん難しくなるんだけど、「さぁいまからバヨタイム」というときに、まずこれのセカンドヴァイオリンを弾くことにしている。最初のところは移弦もないし、D線だけで音階とボーイングの練習をしている感じ。いつもだいたい前から1/3ぐらい弾いたところでだんだん限界を感じてきて、あとは弾けるところだけサッサと弾いて終わり、ってパターン。それでも30分ぐらいこの曲だけで楽しんでいる。

2. Arcangelo CORELLI Trio Sonata "Ciacona" op.2 no.12
8月に発表会があるので、いつもレッスンで見ていただいている曲。
レッスンのたびにいろいろと課題が出てくるので、練習メニューにはこと欠かないのだが、その課題になっているところばっかり弾けばいいものを、ついつい最初から最後まで通して弾いて満足してしまうので、全然成長しない。
ヴァイオリン2人とチェロ、チェンバロで弾く曲なんだけど、発表会では先生にセカンドヴァイオリンを弾いてもらって他にピアノ伴奏を付けてもらう予定。このところ、レッスンのたびに先生と合わせられるので、弾いていてとても楽しい。

3. Johann PACHELBEL "Gigue"
CDなどでは、有名なパッヘルベルのカノンとセットで収録されている場合が多い。フリーの楽譜でカノンの楽譜をダウンロードすると、カノンの後にチョロッと付いている。
カノンと違って、ファースト、セカンド、サードそれぞれ楽譜が違うのだけれど、たまたま手元にカノンのファーストの楽譜があって、そのうしろにこいつが付いているので、ファーストヴァイオリンを練習している。ファーストヴァイオリンが一番最後から出てくるのね。
はやくほかのパートと合わせられるレベルまで行きたいよ。

4. BEETHOVEN 第九アレンジ
スタジオの発表会で、みんなでアンサンブルをするためのスペシャルアレンジ。ヴァイオリンは3パートあって、サードは初心者用にアレンジされているらしい。私はセカンド。自分のパートしか楽譜をもらっていないんだけど、アマオケとかだったらそれが普通なのね。

5. Antonio VIVALDI Sinfonia "Alla Rusthica" op.51 no.4
前回の発表会で弾いた曲なのだが、最近はバヨ会でいつもみんなが弾いてくれるので嬉しい。
ヴァイオリン2パートとヴィオラ、チェロの4部合奏。発表会の時はファーストヴァイオリンだったので、忘れないようにファーストも練習しているけど、合奏するときはヴィオラをすることが多いのでヴィオラも練習している。

6. Antonio VIVALDI "L'Estro Armonico" op.3 no.11
合奏協奏曲ニ短調
ここからは、ヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感」から。
「霊感プロジェクト」と称するバヨ会で合奏するために練習している。11番ニ短調はいちばん仕上がっている曲じゃないかと思う。既に第1楽章から第3楽章までの全楽章を練習している。合奏協奏曲なので、ヴィオラにも結構主役が回ってくる。責任重大だ。

7. Antonio VIVALDI "L'Estro Armonico" op.3 no.1
4つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調 第1楽章
4つのヴァイオリンといいながらチェロも結構活躍する。だけどヴィオラは脇役・・・と思っていたら、いちどヴィオラでめっさみんなの足を引っ張ってしまった。
「ここはヴィオラを聴くところ」
っていうところがあるので、聴くに堪えるレベルで弾けるように練習中。

8. Antonio VIVALDI "L'Estro Armonico" op.3 no.7
4つのヴァイオリンのための協奏曲ヘ長調 第2楽章
これもヴィオラ。ヴィオラって、練習しているとアンサンブルがしたくてうずうずする。ヴィオラだけだと主旋律がないんだけど、他のパートと合わせると「そっか、ここでこう来るのか」なんて言うのに気づくことも。
最近やっていないけど、CDをイヤホンで聞きながら練習するとなかなか面白い。ただし、バロック楽器で演奏しているCDは音程を低く調弦しているので合わせることが出来ない。カラオケみたいに自由に音程を調整できればいいんだけど。

9. 「千と千尋の神隠し」より「いのちの名前」
発表会のアンサンブル用にといただいたのだけれど、まだフリガナも振っていない。例によってヴィオラパートしか楽譜をもらっていないけど、ま、知っている曲だから弾けば何となくイメージは沸くはず。

10. HAENDELのLargo
これも発表会のアンサンブル用で、ヴィオラ譜だけをもらった。多分、オペラ「SERSE」の中の、ソプラノが独唱するフレーズだと思う。以前はバヨ会でいつも弾いていたのでイメージは掴めそうなのだが、えっ! 重音だらけじゃん。
これもまだフリガナ振っていません。練習もしていません。

11. J.S.Bach 2つのヴァイオリンのためのコンチェルトニ短調 BWV.1043
最初から数えて11曲目。ここまで辿り着くのにいったい何時間弾くんだ。
いわゆる「ドッペル」ってやつで、ヴァイオリン弾く人にとっては憧れの曲の一つ。最近、バヨ会メンバーのレベルが上がってきて、というは私がもともと低いだけなのだが、「じゃ、次はドッペル」なんていうことになってきたので、弾いてみたくてたまらないのだが、なかなかここまで練習の手が回らない。
どうせ弾くならヴィオラパート弾いてみんなとハモらせようと思うのだが、譜読みがなかなか大変だ。妻にピアノで弾かせて聞き覚えしようと思ったのだが、ハ音記号がネックになって頓挫。MIDI音源か何かを自分で作ろうかと思うのだが、そういうのも経験がないので…。

とやりたい曲はいっぱいあるのだけれど、さてさて練習時間をどう確保したものか。
四十路テナライスト最大の課題はそれかな。
 前回の長文レッスンレポで力尽きたかのようにブログの更が止まってしまったが、止まっていたのはブログの更新だけでなく、ヴァイオリンの練習も止まっていた。レッスンの当日になって、白昼カラバヨ2時間半で直前練習して臨んだレッスン。今回は「曲想を付けましょう」と仰っていたのだが・・。

 前回、音色をいろいろとやって、とにかく押さえつけないということに気を付けて、少し自分の思う音色に近づいたのだが、改めて、曲想という意味で音色のことを言われると、実は自分がどんな音色で弾きたいのか、まだ十分にイメージがあるわけではない。そもそも、楽器を弾いているときに聴いている音色と録音してあとで聴く音色はずいぶん違っていて、弾いているときはイメージ通りなのかどうかも分からない。
 今回、先生が仰るには、前半(半分ぐらいまで)をもっとダイナミックにしましょうか、とのこと。そう言いながらfとかpを探してみるのだが、この曲、結局mfとfしかない。もうちょっと自分の中でどこをどれぐらいの大きさか決めておきましょう、というようなことを仰っておられた。まずは音色とか難しいことを言わずに音量ということなのだろうか。
 音色に響きが出てきたので、最初のところをもっと密着させる感じで、しっかり音を出しましょうか、ということになった。フォアンとした感じではなく、楽器の底から音を出す感じ。音の立ち上がりをしっかりと、ということなのだろうか。録音を聴いていると、ギロギロっとするのが怖くてそろりと出している感じがする。もうひとつついでに言うと、音を出し始めてから音程を微妙に調整している感じがして、全体的に捏ね繰り返すみたいな感じがする。

音程といい音色といい、自信が持てないからこんな感じになるのかもしれない。
もっと自信を持って弾けば、シンプルで清々しい感じの音になるのだろうか。


 先生が仰るには、最初のシを弾いたときに最初のフレーズ全体が見通せるような感じ。これはひとつひとつの音を出すのに精一杯になっている査証か。確かにこれまでのレッスンでは一つ一つの音の音程に過敏になっていたのだが。
一方で
お互いが掛け合いになるところは
音程が合わないと目立ちます
ともおっしゃる。確かにその通り。休符があるところは先生の音を聴いて、それとちゃんとハモるように入る。それは基本だし、いままでも気を付けていたんだけれども、もっと気を付けましょうということだ。
だけど、
出してしまったらどうしようもないじゃないですかぁ
いや、これもあとで考えてみたら、ひとつひとつの音程はいままで随分とやったので、これからはそういうことではなく、まずは最初の音だけ気を付けて、あとは流れに任せて弾く。次の休符までのフレーズをひとつの塊としてイメージして弾こうということかもしれない。

アレグロで八分音符が続くとことは短く切りながら、というのが以前からのご指導なのだが、今回はそこを元弓でというご指示があった。
わたし : 先生、元弓は苦手です
先生 : でもいい音が出るんですよ
元弓をきれいに弾くにあたって、これまではE線で肘を下げることばかり言われていたが、それ以外の弦の時も肘の高さを適切に保つようにとのことだった。手首は柔らかく「へ」の字に曲げてリラックス。弓を倒すのではない。脇は締めて、アップは手首を吊って ダウンは手首を前の方へ出すイメージ。このとき、弓を流してはいけない。特にE線は斜めになるといい音が出ないので、弓を努めて前に出す感じ

前から課題になっている95小節目からの移弦が激しいフレーズも、元弓を使って、もっと胸張って、勢いをつけて弾くようにとのことだ。
初めてのお店で不安な感じじゃなくて
行きつけのお店みたいに自信を持って

16分音符2つと8分音符ひとつなんだけれど、最初の16分音符にたくさん弓を使ってあとは抜く。押しているようで実は抜いているのだ。勢いに任せて移弦するようなんだけれど、移弦の前にしっかり止めてから弓の角度を動かす。弓の角度は肘で調整。移弦する前に肘を動かそうとするのだけれど、なぜか肘を動かそうとすると肩や顔が動いてしまう。あっ、先生に楽器のスクロールのところを掴まれてしまった。うゎ弾きにくい。楽器は絶対動かないのに、肩とか顔とかが無意識に動いてしまう。弓を運ぶ時は手首で何とかしようとするのではなく腕で動かす。最後に親指と人差し指と小指だけで弓を持ってこのフレーズを弾く練習。なんか、このフレーズだけは上手くいきそうな気がしない。

それでも、全体を通じて
だいぶ音色がよくなってきましたね
と仰る。ポイントは何ですか、と訊くと

とのこと。そうか、ポイントは元弓なんだ。
 前回のレッスンで、先生とのデュオを録音して、音色のわるさに愕然としたところだ。これを何とかしたいというのが、私が設定した今回のレッスン課題だった。
 ラッパで鳴らすファンファーレかチャルメラのような、うまく言えないのだが、耳に刺さるような音色だったので、もっと柔らかくしたい。素人の私が考えたのは、もっと指板よりのところを弾くことだった。しかし、自分の出している音色というのは自分ではなかなかわからないものだ。なにせ耳元でガンガン鳴っているのだ。何メートルか離れて聴いたときにどんな音色に聴こえるのかは、心の耳で想像するしかない。ところが、この心の耳というのは、どんな音色でも自分の気に入った音色に変換してしまうという、実に都合のいい仕組みになっている。やはりレッスンで先生に聴いてもらうしかない。

 レッスンの冒頭、
今日は音色をきれいにしたいです
と先生にお願いする。ところが先生は別の課題を考えておられたようで、細かいところを(といっても、ポイントになるようなところばかりなのだが)見ていきましょう、ということになった。相変わらず、音程が上手くとれていないところ。特にサードポジションの音程だとか、ポジション移動した直後の音が丁寧に弾けていないところとか、最初から弾いて、気になるところで何度も止まって繰り返す、ということをして最後まで行った。自分で言うのもなんだが、だいぶ良くはなっていると思う。それほど時間をかけずに最後まで行けたのだから。

 ここで音色の話をもう一度蒸し返す。私としては、聴いている人にとっての第1印象ともなる最初のところが気になるのだが、「音色」と聞いた先生は95小節目の移弦の激しいところが気になるようで、そこの練習になった。
初めての試みなのだが、私が弾いているところを先生のスマホで撮影するということになった。緊張しないでいつものように、と言われるのだが、これが緊張しないわけがない。私の脳裏には音姫先生のブログにときどき登場されるとのさんがよぎる。たぶん、うちの先生はご存じないと思うのだが。スマホに向かって自己紹介。しかし、ここは軽くスルーされたのでやることがなくなり、弾くしかないようになった。ま、こんなやりとりで緊張は解れたのだが…。
 ここのポイントは弦を押さえつけないこと。肘の高さをしっかり調整して軽く弾く。そんな注意を受けていざ撮影。そしてすぐに試写会となった。音色は捏ねているような感じなのだが、画像で見る限り肘は柔らかく流れるように動いているように見えた。先生によると、肘を上下させることについては、これまで見ていた中でもいちばんいい方だという。ただ、流れるように動くというのは、それがいい訳ではなくて、動かしたら、ピタッピタッ、と止める感じがほしいとのこと。たけど、動かす前の音を弾いたら、その音を最後まで聴かずに動かせとのこと。
むむむ・・・ 

 そんな先生の説明もそっちのけで気になったのが自分の。鏡で見て知ってはいたが、こんな苦しそうな顔していたのか。発表会で聴いている人は目を瞑って聴いているわけではないので、つい顔を見て、自信たっぷりに弾いていると、恰好は堂々としているけど中身が全然だわ、とか、オドオドと弾いていると、このレベルでこの曲弾くのは結構大変ね、とか、音以外のところでいろいろと勝手に考えながら聴くものだ。初々しいカップルのさわやかな感じを出したいのだから、顔もさりげない感じで弾いてみたいものなのだが…
 しかし、先生の反応とくれば「顔作るのは大変です」とのこと。
12人のヴァイオリニストじゃないので、顔はいいです
と早くも課題から除外されてしまった。そうか、高嶋ちさこさんでなくてよかった。

 ここでやっと、今日のレッスンの最大課題と自分で設定していた、最初のフレーズの音色の話になった。「なんかファンファーレのような感じなので、もっと普通に弾きたいんです」と言ってみる。先生はいくつかお手本を示してくださるんだけど、どれもぴったり来ない。「もっと牧歌的にですか」それもなんとなく違う。バロックの場合は、音量があまり出ないので、弦を擦る音をあとから足していくというより、最初に出した音の響きを残して聴かせるそうだ。そんな話を聞くと「かっちょえぇ」と思うのだが、先生にお手本を弾いてもらうと、それもちょっと違う。いや、あるいは極端すぎただけで、私がそれを目指してやればちょうどいい感じになるのかもしれないのだが。
普通に弾きたいんです
と、おそらく理解不能な言葉を繰り返すばかりの私。耳に刺さらないような響きで弾きたいです。ラッパの音じゃなくて木の音を出したい

先生の結論
左手でもっと喋りましょう


 左手でしっかり喋れていないのを右手で補おうとしているので、結果的に押さえつけるようなことになっている。弦のどこで音を出すかはあまり気にしなくてもいい。バロックで響きを残すためにわざと指板の方に流す弾き方もあるが、流れたまま戻ってこれない癖がるので、そこは注意して、比較的コマ寄りのところを弾く、流れないように腕は前に出す。
あとは音程
 音程を外すと響きがなくなるので、音程をしっかり合わせることで楽器を響かせる。響かないのを無理に響かせようとすると、弦を押さえつけることになってしまう。言われてみればそのとおり。あと、身体が動いているとうまくいかないので、身体を揺らさない。踊らない。肘と肩を柔らかく使う。これも思うように響かないのを身体全体で何とかしようとしている査証かもしれない。

ということを踏まえて、今回も音源をアップ。


 前回のレッスンの時の録音に比べると、音色はだいぶ改善されたように思う。イメージ通りかというとまだちょっとどうなのかという感じはあるけれど、方向性はこれかな。先生曰く、左手をハラハラハラとなんとなく押さえていても音が出るけれと、そうではなくて、奥の奥まで押さえる感じ。押さえこむときに指が震えて少しビブラートっぽくなるので音色が柔らかくなる
音色はいまのでよかったので、次は曲想を付けましょう、ということになった。

  • 後半はAllegroの雰囲気を出すために 軽快な感じで弾きましょう、ということだった。そういわれると、短絡的に「速く」ということかと思うのだが、そうではなく、ポンポンポンと音を短くとっていくことで軽やかに聴かせる。テヌートでターターターとつなぐのではない。

  • 40小節目は、レッドシラーソ、とソでフレーズが終わるのだけれど、その前のラまでが3ポジで1ポジに帰った後にソを弾くので、ソが捨てられがち。もっとたっぷり。

  • 59小節目、めずらしく四分音符が並んでいるので、テヌートで繋ぐのではなく、ひとつずつをポンポンポンと置いていく感じ。

  • 67小節目、八分音符を弾き終わった後、ピタッと弦の上で弓を止める。浮かさない。

  • 95小節目から、次の音を準備してから音を出すようにしようと思っていたのだが、そうじゃなくて、前の音が出たか出ないかぐらいに次の音の準備をする。前へ前へ出る感じ。鼻歌のように軽く、って仰るのだけれど…。

  • トリルで遅れないようにというご指摘を何箇所か。

ということで、牛の歩みだけれど少しずつは良くなっているのではないかと思う。

 いつもレッスンに通うスタジオにはいろんな楽器の先生がおられる。それぞれ演奏活動をされておられるので、スタジオの玄関にはいろいろなコンサートの案内チラシが常設されている。今回は、2年前の発表会で伴奏をしていただいたチェロの先生と、妻がお世話になっているフルートの先生を含むアンサンブルで、バロックのあまり聴かれていない曲を演奏されるというので、大阪まで聴きに行った。





場は小さな画廊。20~30畳ほどの部屋にチェンバロが置かれ、20脚足らずの椅子が並べられただけの会場だった。まったく初めて行くところなのだが、実は以前からこうした演奏会が何回も催されていたようだ。しかし、何の都合なのかこの会場も閉鎖されるらしく、お別れ週間として1週間毎日演奏会を催している、その最終日に来たようだ。
ンサンブルの構成は、バロックチェロとバロックヴァイオリン、フルートはバロック時代に使われていた木製のフラウトトラベルソ、チェンバロ、そしてもうお一人はバロックオーボエを2種類吹かれていた。
曲間にはMCがあって、曲の紹介などもしてくださる。これがなかなか軽妙なトークでおもしろい。プログラムに書かれている演奏者紹介によると、オーボエの方は学校で音楽の行使をされているようだ。こんな先生なら音楽の授業も楽しかろう。演奏家との距離が近い演奏会は臨場感もある。まるで自分がそこで演奏しているような錯覚さえ感じて、ヴァイオリンが出てくるとついガン見をしてしまう。いやま、ほかの楽器もそうなのだが、演奏されておられる方の立場になれば、客席と一体になって演奏する、ということなのだろうか。本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。


 帰り道、私が住んでいる街にもこんなところがあればいいな、などという話しをしながら帰った。私の住む街には、19世紀の外輪船を模した観光船で湖を巡る以外に観光資源もなく、県庁所在地とは思えないぐらい、駅前も閑散としている。以前から、クラシックやジャズなど大人の音楽好きが集まってくるような街になるといいなと思っていた。この画廊のように小さな演奏会が出来るところや、ジャズ喫茶などが街中にあって、駅前のCD屋のカウンター横にチラシがいっぱいおいてあってチケットも売っている。週末、あてもなくそこに行けば、何なりとこういうちいさな演奏会に行けて、演奏家との一体感を味わえる。そういう街にならないものだろうか。街には立派なオペラハウスもあるが、専属の楽団はない。そういえば、どっかの市営の楽団をぶっ潰そうとしている輩がいたから、じゃ、その楽団をこっちにいただけないものだろうか。県も市もお金はあまりなさそうだけれど、こっちの方が落ち着いて演奏してもらえそうな気がするし、楽団員の人がいろんな演奏会をしたり、市民にレッスンしたりすれば、音楽の街として心ある人が集まってくるように思うのだが。




 そんなことを思いながら、晩ご飯を食べる場所を探して大阪駅前をウロウロしていると、ふと目に留まったのが

クロサワバイオリン

そうそう、そういう演奏会が頻繁にあるのだったら、こういう楽器店もきっとできるはず。
 それはさておき、この日の私のお目当てはヴィオラだ。中に入ってみて、置いてある楽器の数に驚く。先週、隣町の楽器店に行ったときは、ヴィオラは5丁ほどしかなかったが、ここはその2倍はある。大人になってからヴァイオリンを習い始めたこと、最近アンサンブルをするようになったこと、ヴィオラが我が家にやってきた経緯やその価格など、脚色なしに店員さんにお話しして、取り敢えずは弓を何とかしたいということを言う。それじゃ試にと2万円ぐらいの中国製の弓と、16万円のベルギー製の弓をお借りして、20万円ぐらいのヴィオラを弾いてみる。値段の差がわかるようにとお借りした安いほうの弓でも、私が持っている弓に比べるとかなり高価だ。張りはあるし、それなりに弦をつかんでしっかり弾ける。楽器がいい所為もあるが、いつも弾いている霊感11番も、いつもよりも重々しくどっしりとした音色で弾くことが出来る。さて、もう一本の高価な方は… ん! もうこれは全く音色が違う。弓の違いで音色が違うとは聞いていたが、本当に違うんだということが実感できる。うむ。しかし16万か。弓だけで。
 ついでなので別のヴィオラも弾かせてもらった。これは30万円ぐらいのものだったのだが、音色の好みはさっきの方が良かったように思う。さっきのはどっちかというと高音域がヴァイオリンぽくて、低音域になると深い音になる感じ。全体的に明るくシャープな音色だった。あとの方はG線などは深くどっしりとした音色だったが、高音域が曇る感じであまり好きではない。当然のことだが、こういうものは値段が高ければいいというものでもない。たぶん弓もそうだろう。





 それにしても、さすが大都市。こうして音楽な一日を過ごすことが出来た。望むならば、CDを漁ったり、楽譜を漁ったり、もっといろいろと音楽ネタはあったはず。私の住んでいる街でもこんなふうに音楽な一日を過ごせるようにならないだろうか。