否定は宝。叱ってくれる人の大きな愛 | シャーマンじゅんこのブログ

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魂メッセンジャー/5次元医療家

おがわじゅんこです

 

 

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私が考案した自問自答して内観するワーク

純己メソッド

 

テキストを無料公開しています

 

 

 

純己メソッドは、私自身が自分と向き合ってきた方法を

誰でもできるようにワーク化したものです

 

 

 

 

心理療法に出会って7年ほどになりますが

途中、出産・育児で心理セッションに行けない時に

セルフで内観をしはじめ

 

娘が1歳半くらいになった時

やっと出かけられるようになって

1度心理セッションを受けたのを最後に

以降、誰かのセッションは受けていません

 

 

ただ自分と向きうことをやめた日は

この7年間、おそらく1日とありません

 

ずっと自問自答はくり返しています

 

 

 

ここ数日、私の中で引っかかっていたのは

つい人(の意見)を否定したくなってしまう

そんな自分に気がつきました

 

仲良くしたいと思ってるのに

なぜか否定的な言葉をかけたくなる

 

 

なんでだろう?

お互いが不快な気分になるだろうことは予想がつくのに…

 

 

 

 

それが今日の西野さんのブログでピンときた!

 

 

 

西野さんがロザンの菅さんに叱られたというブログ

 

 

西野さんみたいにたくさんの人やお金を動かして

会社のトップになっても

 

 

それはダメだよ!って叱ってくれる先輩がいるなんて

羨ましいそう思ったんだよね

 

 

 

私は、今、誰にも教わらずにやってる

 

既存の医療界から飛び出し

心理療法を学んだ師匠からも離れてる

 

ヒーリングや占星術は教わった先生がいるけど

その分野のことは教えてもらえるけど

 

結局、私がやってる

医学+心理学+魂の総括なんて

誰も同じ目線で語れる人がいないんだ

 

それぞれのスペシャリストは居ても

掛け合わせた時に何が考えられるか知る者はいない

 

 

だから私に間違ってるよ!って言える人間はいない

 

 

そのことを

私は非常に恐れてた

と気付いた

 

 

 

私は私が思い付く突拍子もない

どこにも存在しない発想に

ワクワクもしてたけど

 

誰も追いつけなくなるほど

進化してしまうことに

恐れてもいたんだ…

 

間違っても誰にも指摘されず

一人浮いてしまうんじゃないかと心配で

それが怖かったんだって

 

 

 

 

私は昨年までオンラインサロンを運営していて

今は昨年末残ったメンバーが

オンライン上の交流できる場として継続させています

 

 

そこの仲間は魂の繋がりが非常に濃いソウルメイトたちなので

心から繋がれるし安心できる仲間たちです

 

 

みんなの活動は純己メソッド公式ブログでシェアしています

 

 

 

 

 

その中でみんなにずっと言ってたことは

『私は裸の王様にはなりたくない』ってこと

間違ってたら間違ってるって言ってほしいって

 

 

それは間違ったまま突っ走りたくない

という恐れからの言葉でもあったけど

同時に私は

叱ってくれる人の大きな愛を知ってたから

と気付いた

 

 

 

私はHSPスコア127を叩き出すほどの超繊細さんだし

エンパスだから

人の感情にものすごく敏感

 

だけど敏感ゆえに子供のころから

言葉に含まれていない相手の気持ちも汲み取ってたんだ

 

 

だから叱ってくれる人が

厳しい言葉をかけながらも

大きな愛を持って私を見てくれていることに

子供のころから私は気付いてたんだ

 

 

 

 

その人のことを愛を持って

そしてそれなりの時間見ていないと

整合性のある意見

ましてや間違ってるっていうような

否定を含めた意見

なんて言えないんだよ

 

 

しかも当人が嫌われたくないという自分の気持ちを優先したら

言えないことなのよ

 

 

 

逆に世の中のほとんどの人が

私が正しいと証明することに、保身することに躍起になってるよ

 

 

 

 

 

 

だけど、私は子供のころから知ってたんだね

何かを否定することは

とてもエネルギーがいること

 

大きな愛がなければ出来ないこと

だって

 

 

 

だから西野さんのブログを読んで

菅さんの西野さんに対する大きな愛を感じたし

羨ましいなぁと思ったんだよね

 

 

 

 

もし、これを読んだお父さんお母さんがいたら

あると思うんだよね

子供のことを愛してるし真剣だからこそ

ついつい熱が入って叱っちゃう瞬間が

 

それはよそのお子さんには無い感情だと思うんだ

 

 

それは差別とかそういうのじゃなくて

ただ愛なんだよね

 

思考が入る隙もない

ただただ愛からなんだ

 

 

 

だから、今までの経験で

思考でこねくり回していない愛を感じたのが

叱ってもらった時だっただけでで

私は叱ってほしかった訳じゃないんだな

 

 

 

ただパッションみたいな感じで

ぶつけられる愛を欲してただけみたい

 

 

なるほどな、理解できた!

 

 

 

みなさんも純己メソッドをやっていくと

だんだんこんな風に自分を細かに観察できるようになりますよ

 

 

 

コツは、ただ毎日やる

これだけです

 

 

ただやるかやらないか

だけです

 

それ以上でも以下でもないです

 

 

そんな話をしたインスタライブ

 

 

 

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございましたおねがい

 

 

 

 

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