復学支援を受けて復学、継続登校中です。
娘の自立に向け、支援で得られた多くのことを糧に
1. 不登校の始まりと微かな希望
それまでも時々行き渋りはあったので、なるべくしてなったのかもしれません。
2. 環境を変えても続く不登校
学校のカウンセラーは、ゆっくりでいいんですよと言いました。
確かに学校の働きかけで、別室登校など、少しは学校との関わりを持てることができました。
でも、日がなそこでただ時間を潰すというだけで、そこからちょっと教室に入るだけでも、通常外の先生方のサポートが必要になるし、うまくタイミングも見計らってやらないといけないなど、大変なことでした。
このようにスモールステップで少しずつできることを増やしていって、毎日一人で登校して授業を全部受けて帰ってこれるところに至るまでには、中学の3年という限られた時間の中では、あまりにも高い目標であると同時に、時間もかかる方法でした。
仮に教室に戻れても、すでに時遅しとなるのではと思いました。
3. 甘い見通しで復学に失敗
そこで、第三者に助けを求めようと思いました。
依頼した、とあるフリースクールのある支援機関は、我が家には合いませんでした。
もともとフリースクールありきなので、復学の専門知識やスキルがありませんでした。
また想定対象の不登校のタイプも違っていたように思います。
そういう判断をしたのは、ムスメの不登校を過小評価していたことにつきます。
誰か第三者が介入してくれればなんとかなるのではと思っていたのです。
適切なアセスメントができていなかったのです。
よって、改善が見られなかったばかりか、かえって反発を招いて親子関係は悪くなるばかりでした。
何が正解なのかもわからなくなっていました。
4. 諦めずに動く
まだ何かできることがある、諦めてはいけない、動こう、そう思ったあの時。
ただ悲しんでいても事態は変わらない。
できるだけのことをしよう。
そして、今度は「復学支援」に焦点を絞り、問い合わせを始めました。
正直、これだけ不登校の子が増えていて、数多も支援機関があるというのに、普通に学校に戻すという点で、果たして実効性ある支援が出来る機関があるのか、半信半疑でした。
でも、やってみないとわからない。
今度は失敗したくなかったので、ネットのブログなどの情報を探して参考にしました。
こうして支援の先生に巡り会うことができました。
もっと早く知っていたら、と思いました。
まさに一線を画す専門家の領域。
日本も捨てたものじゃないと思えました。
5. 待ちに待った復学と家庭教育
支援を受けて、これまでのモヤモヤも解消されていきました。
知らなかったことばかりで、学ぶことがたくさんありました。
家庭教育なんて学んだことなかったけど、セオリーがあるんだな。
ムスメもすぐに変わりました。
そして待ちに待った復学。
コロナ禍という予期せぬ出来事もありました。
よく言われるように、我が家のケースも「復学して終わり」ではありませんでした。
復学後再び休み、立ち上がれなかった時のショックは、思いの外大きかったです。
よく言われている、復学よりも継続登校が大変だということが身に染みてわかりました。
復学支援の先生方は、そこから諦めずに立ち上がることを教えてくださいました。
いつしかムスメの中で学校に行くことは当たり前のことになりました。
6. 継続登校しても待ち受ける困難
もう大丈夫と思った矢先でしたが、まだ成績面での困難が待ち受けていたのです。
2学期に勉強に対するモチベーションが下がってしまい、年末にこのままだと内部進学できないという状況に追い込まれ、後がない状況になっていました。
ここまできたのに結局出されてしまうのか、と悔しいやら悲しいやら。
この学校でダメなら、外に出てもダメだと思う。
そう言って、ムスメは最後の期末テストを受けて頑張りました。
学校から最後の判定を聞くまで、生きた心地がしませんでした。
7. 支援卒業へ
ラストミニッツの頑張りで、どうにか高校生になることができました。
進学により、中学の時と違う高校生の自覚みたいなものも感じられるようになり、もう大丈夫だと思えるようになりました。
支援卒業に当たり、先生からフィードバックをいただきました。
高校に進学して、多少勉強の遅れは引きずっているかもしれないけれど、もう中学の不登校はチャラになっている。
リスタートできていると。
よくここまできましたね。
成長がみんなに追いついてきましたよ。
データ上は学校に戻れるかわからなかった。
それでも僅かな可能性にかけて諦めなかったご家庭だけがたどり着ける。
ご両親は彼女の力を信じて、よく頑張られましたね。
先生はいつも最悪の事態に備えた想定を何手も先までしてくださっていました。
多々ご心配をおかけしてしまいました。
それでも最後にこんなふうに温かい言葉をたくさんかけていただきました。
家族だけでは到底望めないことでした。
先生のきめ細かくタイムリー、的確な対応にどれだけ助けられたことか。
一緒に並走してくださったからこそ、乗り越えることができました。
そして多くのことを教えていただきました。
家族だからとマイナスストロークを投げてよいわけではないこと。
評価しない、非難は何も生まないこと。
正論で子育てするのではないこと。
指示、命令は絶対に守らせられることだけにすること。守らせられないことを指示、命令することで親の言うことは聞かなくて良いとなり、親の立場を下げることになる。
特別待遇はなし。親子の間の境界線を引き、夫婦で親連合を作ること。
やってほしいことは、iメッセージで伝え、ありがとう、助かるわと気持ちを伝えること。
幼い子どもへの対応のままになっている、年齢なりの対応をすること。
エコーで気持ちを受け止め、共感すること。
リフレーミングで見方を変えること。
書ききれないほどたくさんありますが、
これらを通じて、
子どもを一人の人としてリスペクトして見守ることの大切さ
を教えてくださったように思います。
親の対応の失敗を含め、配慮すべき要素が複雑に絡み合い、事態はどう転ぶかわかりません。
時に先生に感情をぶつけたりもしてしまいました。
そんな大変なプレッシャーの中でも、先生ご自身が、家族に対するたくさんの思いやりと配慮をもって対応してくださいました。
こうして、ようやく狂ったまま回ってしまっていた家族の歯車が正常に回り始めました。
親が変わることで、育てにくかったムスメが変わっていき、子育てが楽しくなりました。
先生とお話した翌日、幸せをしみじみと噛みしめました。
ムスメの不登校との戦いが終わった。
不登校からは4年あまり、復学支援を受けてからは2年あまりが過ぎました。
長い戦いでした。
その戦いにピリオドを打てたと感じることができました。
もちろん、今後もきっと何かと諍いは起きることでしょう。
でも、教えていただいた多くのことを財産に、学びを止めることなく、ムスメと向き合っていきたいと思います。
あの時は、まさかうちの子が不登校になるなんてと
晴天の霹靂でした。
でも、気づかないうちに家庭に歪みが起きていました。
あのままなんとか通り過ぎていたら、もっと大変なことになっていたかもしれない。
ムスメが身をもってそんな家族の歪みを教え、家族の絆を結び直してくれました。
そう思えば、長くつらかった日々も報われるようなら気がします。
失敗しながらも、子育てに真剣に向き合った4年余りでした。
もし今、不登校に悩まれていて、家族だけではどうしようもないという方は、できるだけ早く、専門家のアセスメントを受けることをおすすめします。
その見立てに基づき、何をすれば良いのかを前向きに考えていけるだけで事態は変わっていくと思います。
不登校の状況は家庭によって様々です。
ここで書いた内容は一つのケースに過ぎません。
時代の変化で、復学だけが不登校の解決ではなくなり、多様な選択肢が用意されています。
だからこそ、最終的に子どもが自立できるようにするためには何が最適な選択肢なのかを、諦めずに考えて行動するということが重要だと思います。
最後に、偉大な復学支援の専門家の先生方へ。
このたびは私たち家族を救ってくださり、本当にありがとうございました。
いただいた御恩を忘れることなく、引き続き「元不登校ムスメが歩むこれから」を見守っていきたいと思います。
そしていつか、ムスメが「そういえば昔なぜか学校行かなかった時もあったなぁ」とポツリとつぶやく時が来るといいなと思います。
心よりの感謝を込めて。