ある表情には、どんな音相基が必要か
ある表情を持つことばを作るとき、どんな音相基を使えばよいか。
以下、シリーズでこれを取り上げてみたいと思います。
1.派手さ、明るさ、軽快感を作る音
これらを音を使って表現するには、次の音相基を多く使わなければなりません。
・総合音価がプラスであること。
・無声音が多いこと。
・調音種比が高いこと。
・無声化母音が多いこと。
・無声破裂音系の音が多いこと。
・母音の種類が多いこと。
・イ音が多いこと。
(例語) きらきら、てきぱき、ピカピカ、ひかり、輝き、パンチ、パチンコ、タッチ 、
日立、ペプシコ-ラ、SPA!
だが、これらをあまり使いすぎると奥行きや深みのない「軽薄感や薄っ ぺら」な感じのことばになりやすいので注意が肝心です。(木通)
※詳しくは参考図書「日本語の音相」第2部5章をご参照ください
「音相」という概念の特殊性
ある語がどんなイメージを持っているか、それを正しく捉えるには、自身の中で無意識に持っていることばの音に対する好みや主観的な感覚を一切捨ててかから、取りかからなければなりません。
ことばの音相を見る場合、これは何より大事なことですが、たいへん難かしいことでもあるのです。
ことばには、誰もが共通的に持っている社会性の高い部分と、個人だけが持つ主観的な感性部分とがありますが、これらの間に明白な線が引けない曖昧なゾーンがあるところに、イメージ評価の難しさがあるのです。
そのため、ことばの専門家と言われている詩人、文芸作家、コピーライターなどでも、ネーミングのイメージを評価する際、どうしても個人の好みや主観が入りますが、個人が持つ特殊な感性を客観性のある感性と誤解して評価をしたら、その評価は誤ったものになるのは言うまでもありません。
これら専門家といわれる人たちは、特異な感性の持ち主だからこそ、それぞれの道の専門家なのですが、個人的な感性を無上のものとする人々のことば観と、「大衆の平均的感性」という客観的なイメージに価値を見る音相理論のことば観とは基本において相反する部分があることを、常に意識していなければならないのです。
(木通)
忘れがちな「ネーミングの麻痺現象」
新しいネーミングに出会ったとき、何となくぎこちないものを感しても、テレビなどでその名を繰り返し聞いているうち、初めに感じた違和感がいつの間にか消えているのに気づくことがよくあります。
このような現象を、ネーミングの麻痺現象と呼んでいます。ことばの麻痺現象は、元号や地名、社名など、使用頻度の高いものほど早い時期に現われます。
第一印象が時間とともに消えるのなら、はじめに感じた違和感など気にすることはないという見方もできますが、麻痺をするのは表面だけで、はじめに感じたイメージは、その人の意識の底でいつまでもマイナスに作用し続けるものなのです。
「平成」という元号が発表になった時、マスコミは識者や町の声として「平凡」、「感じがよくない」、「明るさがない」、「未来への夢や意欲を感じない」などと報じられ、「良い」というのはほとんどゼロに近いようでした。
そのときこの語を分析してみたら、「穏やかで安定感はあるが、暖かさや親しみや未来への期待感がない」という結果が出、その原因として、人を寄せ付けない冷たさを作る「エ」音が「ヘエセエ」と全音に使われていることと、子音(h、s)がインパクトの弱い摩擦音だけでできているから、と出ていました。
私はそのとき大衆の音相感覚の高さに敬意を表したものですが、同じ新聞社が3カ月後に行なった同じ内容の調査によると、「感じがよい」、「明るい」、「使いやすい」などが多く、「良くない」というのはほとんどありませんでした。
だが、大衆が「良い」と感じるようになったのは表面だけで、はじめに直感した違和感は、心の底でいつまでもマイナスに作用し続けているのです。東京株式市場第一部の上場企業の中で元号名を冠した社名は、「明治」が5社、「大正」3社、「昭和」は15社ありますが、社名変更や会社創立がとりわけ多かったこの時期に、「平成」を冠した社名が1社もないのを見ても、この語を良いと思っていても、大事な社名にまでつける気にはならなかったことを意味しています。
社名やブランド名などで、長いあいだ使っているのに何の魅力も感じないことばというのがよくあります。
そういう名前は、麻痺現象のお蔭で何となく生き永らえているだけ、という見方をしてみる必要があるようです。
(木通)
送り手と受け手の間のすれ違い
音の良いネーミングとは、耳障りのいい音のことではなく、商品などが持っているコンセプトと、語音が作るイメージとが一つの像に重なっているものをいうのです。
わかりやすい言い方をすれば、鋭いイメージを表現したいネーミングには鋭さを感じる音を、明るいイメージを表現したいものには明るさを感じる音が入っていなければならいのです。
このことは、大衆の音響感覚が高度に発達した現代ではとりわけ大事なことなのですが、ネーミングの制作現場でそんな取り組みがどれだけあるかとなると、たいへん疑問です。
制作の現場では、永年行なわれてきた「意味」を中心としたネーミング観や制作手順が、今もそのまま続いているのです。
ネーミングの専門家の多くが「音の大事さ」を認めていながら、まともに音と取り組まないのは、意味中心で進める方が能率的だし作業がしやすいからなのです。
このことを、洗剤のネーミング案「ポリアン」を会議に提案する場合の例で考えてみましょう。
提案者が「この語はラテン語、ポリ(poli …磨く)からの造語ですから、この商品名にふさわしいし、英、仏、独などへ輸出しても理解されます」と、意味中心に説明すれば関係者を容易に説得できますが、「音の響きが良いから」を提案理由にしても、その根拠を説明するのに音相という厄介な専門知識が必要になるからです。
しかしながら、そうして作られたネーミングも、いったん決まって世間に出ると、大衆はその語を音のイメージだけでほとんど決めてゆくのです。
送り手は意味で作り、受け手は音の良否でそれを評価する。
多額の費用と時間をかけながら、ヒット・ネーミングが出現しない大きな理由は、この喰い違いにあるのです。
(木通)
「野菜」と「お野菜」、音相の違い
「お」という丁寧語がつくと、相手に伝わるイメージがどのように変わるかを、音相分析によって捉えてみました。
これら2つの語を分析して、20種類ある表情語の中でポイント数が大きく違うものだけを取り出したら次のようになりました。(高点の方に*印)
表情語 「お野菜」 「野菜」
庶民的 *150 100
賑やか *50 25
単 純 33 *50
健康的 *27 18
強 さ 25 *50
合理的 20 *40
軽やかさ 14 *27
「お野菜」の方が「野菜」より高点が出ている表情語は、「庶民的、賑やかさ、健康的」で、「野菜」の方が高点のものは「単純さ、強さ、合理的、軽快感」であるのがわかります。
このことから、「お」をつけると情緒的、人間的なものが表現され、「お」をつけないと、人間味や暖か味をもたない、「モノ」として表現しただけのことばであるのがわかります。「お」をつけるかつけないかで、こんなに違ったイメージが伝わることがわかるのです。
(木通)
「粋」と「いなせ」の情緒比較
「粋」と「いなせ」ということば…、どちらも人生を斜(はす)に構えてみる美的意識のタイプの1つといえましょう。どちらも情緒的で、クラシックで、やや頑なさを持った人が連想できますが、一部には微妙に違うところもあるようです。
それがどんなものかを、音相分析で捉えてみました。
これらの語の情緒解析欄を比べると、次のような違いが見られます。
「粋」と「いなせ」の情緒比較
(注)「○」印は「ある」、「-」は「ない」
【情緒解析表】 粋 いなせ
情緒的、あいまい感、ためらい感 〇 〇
クラシック、穏やかさ 〇 〇
不透明感、哀感、頑(かたく)なさ 〇 〇
平凡な感じ、鄙びた感じ - 〇
夢幻的、メルヘン 〇 〇
普通でない感じ、不思議感 〇 〇
孤立感、寂しさ 〇 -
どちらにも、「クラシックで頑なな情緒性」と、「他とは違う意識」が見られますが、2つの語の大きな違いは、「粋」には「平凡さや鄙びた感じ」がなく「孤高感」があるため非凡な優雅さを感じるのに対し、「いなせ」には「孤高感や寂しさ」がなく「平凡で鄙びた感じ」が見られます。
このことから、「粋」という語は女性に向いたことばであり、「いなせ」は男性向きのことばであることがわかります。
昔から「いなせな若衆」「粋な姐さん」ということばが使われましたが、そこにはこのような音相的根拠があったことがわかるのです。
(木通)
「石手寺」ということばの不思議
50年ほど前、勤めていた職場の出張で四国、松山の道後へ行ったとき、この奥に「石手寺」という寺があるという話を聞きました。
「石手寺(いしてじ)」…当時から寺や宗教などに無関心だった私ですが、そのとき不思議なことばを聞いた思いがありました。
音相を研究するようになり、ことばの音が宗教と関わりがあることから、空海の本などを読んでいるうち、四国に「石手寺」という真言宗の霊場があることを知りました。どこかで聞いた名前と思ったとき、遠い昔の記憶が甦ったのです。
それにしても、私にとって縁もゆかりもない名前を、何十年もなぜ記憶の底に残っていたかが不思議でしたが、ある日音相分析をしてみたところ、この語が次のような表情語を持っているのがわかりました。
シンプル
特殊感
清らかさ
庶民的
現代的
躍動感
溌剌さ
躍動感
溌剌さ
清潔感暖かさ
明るさ
鋭さ
そしてこれらを組み合わせると、密教に見られる4つの特徴、修行の「厳しさ」、宗旨の「新しさ」、想念の「特殊性」、それまでにない「庶民性」を表現する情緒語をすべて集めたことばであるのがわかったのです。
その関係を次に見てみましょう。
1、「厳しさ」 ← (シンプル、特殊感,清らかさ,清潔感,鋭さ)
2、「特異性」 ← (シンプル,特殊感,鋭さ)
3、「新しさ」 ← (現代的,躍動感,溌剌さ)
4、「庶民的」 ← (庶民的,暖かさ,明るさ)
この分析から、石手寺という語が真言密教の特徴をすべて表現している優れた名前であることがわかったのです。
それにしても、密教などとは縁もゆかりもなかった私の心に、この語がなぜ数十年も住みついていたのか。
それは、音相のよい語が作る魔力というほかないでしょう。
こんな経験、あなたにもおありではないでしょうか。
(木通)
近松門左衛門、七、五調の秘密
浄瑠璃作家、近松門左衛門の作品は多くが道行き(心中)物で、その種の作品は100に上るといわれていますが、私が近松に感動するのは、「音数律」の美しさを究極まで追っていると思えるところです。
近松の物語は、7音、5音のつなぎで文章が展開しますが、七、五調が作る単調さを救うため、次のような種々の工夫がそこにあるのがわかります。
1、脚音とそれに続く頭音の間や、頭音と次の頭音に、ほとんど同音が重複しない。
2、ところどころに[脚韻]が入る。
「この世も名残、夜も名残…(曽根崎心中)」
3、「物づくし」(縁語)がある。
「たった一飛び梅田橋、あと追い松の緑橋…後にこがるる桜橋」…
(心中天の網島)
4、異常に高い音読みの勁輝拍がところどころに鏤(ちりば)められている。
「寂滅為楽(「曽根崎心中」)、衆生済度(「心中天の網島)…
5、変則
そして、これらの中に「相合炬燵、相輿の‥」(冥途の飛脚)のような頭韻の反復や、字余りなどを交えて、絢爛たる変化を作っていることです。
近松を愛する人は、これらはすでにご存知でしょうが、近松の音数律を拍(音節)から、音相基の単位に下げて観察すると、また新たな面白さが見えてくるのです。
(木通)
Q&A 音相ネーミングの特徴は?
Q.
一般で行われているネーミングの制作法と、音相理論を使って行うものとの間にはどんな違いがあるのですか。 (東京・柴又tora)
A.
ネーミングは商品が表現したいコンセプトを意味的要素と、音が作るイメージとで表現しなければなりませが、大衆の音響感覚が高度に発達した現代では、ネーミングの価値を決める大衆の目が、意味よりも「音」が作るイメージの方に大きく移っていることです。
このことは、現在ヒットしているネーミングを分析すれば容易にわかります。
ネーミングの制作にとって意味的表現要素は常に必要ですが、音を無視したネーミングは、いまでは成り立たない時代になっているのです。
ネーミングの専門家たちは誰もがこのことは知っているのですが、ネーミングが多人数の共同作業で行われるため、古い作業手順からなかなか抜け出せないでいるのです。
音相理論を用いたネーミング作りは、意味に中心をおく一般的な取り組みのほかに、その音を人々がどんなイメージで聞くかを、客観的な根拠をもとに追求しているところにその違いがあるのです。
(木通)
「他援効果」とは何か
「他援効果」とは、一部の音を印象づけるため、反対方向の音をその前後に配する手法をいいます。
「他援効果」は、語の中の少数の拍のBの値(+または-)が、反対方向の拍のB値の和に比べ極度に高いときに生まれます。
例をあげてみましょう。
午後の紅茶……明るく派手な「チャ」の音を印象づけるため暗い母音を5音も前置させている。
リポビタンD…明るく活性的な「リポビタン」を印象付けるため、暗く重たい「ディー」を末尾に配している。
オロナミンC…響きの暗い有声音「オロナミン」を印象ずけるため、明るく爽やかな「シー」を最後に配している。
リンゴ ………「新鮮さや爽やかさ」を表現する「リ( ri )」を印象付けるるため、暗く重たい「ゴ」を配している。
すがすがしい …爽やかさ、清らかさを作る無声摩擦音(ス、ス、シ)の音相を印象づけるため、暗く重たい有声破裂音「ガ」を2音入れている。
キビキビ ……明るさや、活性感を作る無声破裂音「キ」を印象づけるため、暗く重たい「ビ」(有声破裂音)を2音を配している。
このほか「どくだみ茶、ウーロン茶、お~いお茶、十六茶…」など多くの例があります。
「他援効果」があるかないかをコンピュータで取り出せないか試みましたが、他援効果を作るには種々の手法があるため、不可能なことがわかりました。この種のものは人の感性にまつほかないようです。(木通)