「表情を作る音相基」 シリーズ ④
女らしさを作る音
【必要とする音相基】
・総合輝性がゼロまたはマイナス指向であること
・逆接拍が多いこと
・有声音が多いこと
・調音種比が低いこと
・摩擦音系、接近音、鼻音、流音が多いこと
・勁性が低いこと
・高勁輝拍が少ないこと
【例語】 華やぎ、やさしさ、楚々(そそ)、ダイヤモンド、メルセデスベンツ、ジョイナス、ルミネ、花子、マリリンモンロー、オランジュ、トラバーユ
(注)これらの音相基は「優しさや、優雅さ、落着き感」などのほか、「ぐずぐず、地味、ぼんやり、憂鬱…など」、活力の弱さや地味さを表す語にも多く使われます。
音の時代に入った「ネーミング」
最近の若者たちには、漢字の読めない人が増えています。
彼らは字が読めず意味がわからなくても、日常の会話で不便を感じることはほとんどないようです。意味はわからなくても、耳で聞く音を通してイメージで捉える感性をもっているからです。
「不撓不屈」(ふとうふくつ)という語の場合、文字や意味はわからなくても、この語の音からうける感覚で「逞しさや活力感のような雰囲気」を捉えているのです。
それは「ルイ・ビトン、ディオール、アルマーニ、エルメス・・」のような意味をもたない外国のブランド名が、音の良さだけで愛用されているのを見てもわかります。
文字を中心にことばを考えてきた日本人の長い歴史で見てゆくと、ここ数十年で起こったこの現象は、日本語の画期的な出来事だったように思うのです。
今、「チャパる」「超」「ムカつく」「チクる」など、どぎつく下卑な音を集めた日本語がはやっています。民族とともに生きてきた日本語という宝を遊び道具にする風潮には落魄の思いを禁じることができませんが、そういう中で発見できる現代人の語音感覚の鋭さには目を見張るものがあるのです。
昭和の初めに、モダン・ボ-イ、モダン・ガ-ルを略した「モボ、モガ」や「ランデブ-」、「銀ブラ」などが流行りました。これらの語には、若さや溌剌さや明るさなどをまったく持たない濁音とオ、ウ列音が多いため、それぞれがもつ意味とは似ても似つかぬ暗く湿った雰囲気がありますが、そんなことばが十年以上、気にもされずに大はやりしたということは、当時の人たちがことばの音にいかに無関心だったかを物語っているのです。
それに比べて現代人はどうでしょうか。
「カッコいい」「めちゃ」「激辛」「朝シャン」「ギャル」「即」など、これまでの日本語にななかった新しい概念をそれにふさわしい音で表現した優れた語が次々と現れますし、音の響きが不自然な「ビッグ・エッグ」、「DIY(ディ-アイワイ)」、「WOWOW(ワウワウ)」などは発表になったその日から口にする人がいないのです。
現代人は音から生まれるイメージが意味に劣らぬ働きをしていることを肌で感じて知っています。文明には後戻りがないように、日本語のこうした傾向がますます高まることは陽をみるよりも明らかです。
これからのネ-ミング作りは、ことばの「音」の研究なしには成り立たない。もう、そんなところまできているのです。
ヒット・ネーミングは少数精鋭が作る
ネーミングの良し悪しは、企業の浮沈にかかわる場合が多いため、制作には多数の関係者が動員され、長期にわたって討議されるのが普通です。
こうした大がかりな取り組みは、「大勢を集めれば、それだけ良いものができるはず」という常識論から生まれるのです。
だがネーミングは多数を集めればよいものができるとは限りません。多数の人の意見を入れると、発案者が捉えたみずみずしい感動や新奇さや意外性は議論の中で丸められ、常識的なものになってゆくことが多いのです。
ネーミングを作るとき多数の人が必要なのは、素案を集めるときだけです。
提案者が多くなるほど商品を見る切り口がふえ表現法も多彩になるため、選択できる幅も広まるからです。
だが集まった案を絞る作業になると、幅広い商品知識と優れた感性をもった少数者で行う方がはるかに良い結果が得られるのです。
そこに、感性面が多く含まれるネーミング作りの特殊性があるのです。
大企業が時間をかけて作ったものより、社長以下数名の小企業が短期間で作ったものに良い作品が多いといわれる理由がそこにあるのです。
傑作ネーミングとしてよく話題になる「コダック」(社名1888年創業)の社名は、社長イーストマン氏の個人のひらめきから生まれたことばだそうですが、この語の音相を分析すると、「活性感、合理性、現代感、革新感、若さ」を上位におきながら「爽やかさ、優雅さ、個性感」など社業や社風を必要十分に表現している、まことに優れたことばであることがわかります。
国内のネーミングにもよいものは少なくありません。
一時大ヒットしたミニカー「チョロQ」の名がどんな経緯でできたかは不明ですが、私はそこに関係者の1人(とりわけトップ)の感性と優れた決断を感じるのです。
この語を多勢で議論していたら「小さいことを表すためミニチョロが良い」とか「同種の商品にA、BがあるからチョロCがいい」などの常識論や理屈が出てくるはずで、それらに揉まれてゆくうちに、原案者が直感でとらえた新鮮さなどはあっさり消されてゆくのです。この語の場合もそういう過程があったことでしょうが、それらを切り捨てて断を下した人の存在を、私は感じてならないのです。
「音相」という語の由来
真言宗を開いた空海(弘法大師)が書いた書物に「声字実相義」(しょうじじっそうぎ)というのがあります。
「声発して虚(むな)しからず、必らず物の名を表するを号して字という。名は必らす体を招く。これを実相と名づく…」
これは、事物がもっている実体とそれを表わすことばは一体のものだという「言事融即の説」を説いたものです。
声字とは記号的なことばではなく異次元の宇宙的存在エネルギーとしてのそれを指すもので、事物がもつ実体(実相)は、音声言語(はなしことば)で代表される「ことば」によって示されると説いたものです。
「音相」は、このような背景から浮かんできたことばです。
なお、色彩学には色彩をなりたたせている要素として「明度」(色の明るさや軽さ)、「彩度」(鮮やかさ)、「色相」(色合い…色のすがた)の語が見られます。