ヒット・ネーミングは少数精鋭が作る | 日本語好きな人、寄っといで

ヒット・ネーミングは少数精鋭が作る

 ネーミングの良し悪しは、企業の浮沈にかかわる場合が多いため、制作には多数の関係者が動員され、長期にわたって討議されるのが普通です。
 こうした大がかりな取り組みは、「大勢を集めれば、それだけ良いものができるはず」という常識論から生まれるのです。


 だがネーミングは多数を集めればよいものができるとは限りません。多数の人の意見を入れると、発案者が捉えたみずみずしい感動や新奇さや意外性は議論の中で丸められ、常識的なものになってゆくことが多いのです。
 ネーミングを作るとき多数の人が必要なのは、素案を集めるときだけです。
 提案者が多くなるほど商品を見る切り口がふえ表現法も多彩になるため、選択できる幅も広まるからです。
 だが集まった案を絞る作業になると、幅広い商品知識と優れた感性をもった少数者で行う方がはるかに良い結果が得られるのです。
 そこに、感性面が多く含まれるネーミング作りの特殊性があるのです。
 大企業が時間をかけて作ったものより、社長以下数名の小企業が短期間で作ったものに良い作品が多いといわれる理由がそこにあるのです。
 傑作ネーミングとしてよく話題になる「コダック」(社名1888年創業)の社名は、社長イーストマン氏の個人のひらめきから生まれたことばだそうですが、この語の音相を分析すると、「活性感、合理性、現代感、革新感、若さ」を上位におきながら「爽やかさ、優雅さ、個性感」など社業や社風を必要十分に表現している、まことに優れたことばであることがわかります。
 国内のネーミングにもよいものは少なくありません。
 一時大ヒットしたミニカー「チョロQ」の名がどんな経緯でできたかは不明ですが、私はそこに関係者の1人(とりわけトップ)の感性と優れた決断を感じるのです。
 この語を多勢で議論していたら「小さいことを表すためミニチョロが良い」とか「同種の商品にA、BがあるからチョロCがいい」などの常識論や理屈が出てくるはずで、それらに揉まれてゆくうちに、原案者が直感でとらえた新鮮さなどはあっさり消されてゆくのです。この語の場合もそういう過程があったことでしょうが、それらを切り捨てて断を下した人の存在を、私は感じてならないのです。