音の時代に入った「ネーミング」
最近の若者たちには、漢字の読めない人が増えています。
彼らは字が読めず意味がわからなくても、日常の会話で不便を感じることはほとんどないようです。意味はわからなくても、耳で聞く音を通してイメージで捉える感性をもっているからです。
「不撓不屈」(ふとうふくつ)という語の場合、文字や意味はわからなくても、この語の音からうける感覚で「逞しさや活力感のような雰囲気」を捉えているのです。
それは「ルイ・ビトン、ディオール、アルマーニ、エルメス・・」のような意味をもたない外国のブランド名が、音の良さだけで愛用されているのを見てもわかります。
文字を中心にことばを考えてきた日本人の長い歴史で見てゆくと、ここ数十年で起こったこの現象は、日本語の画期的な出来事だったように思うのです。
今、「チャパる」「超」「ムカつく」「チクる」など、どぎつく下卑な音を集めた日本語がはやっています。民族とともに生きてきた日本語という宝を遊び道具にする風潮には落魄の思いを禁じることができませんが、そういう中で発見できる現代人の語音感覚の鋭さには目を見張るものがあるのです。
昭和の初めに、モダン・ボ-イ、モダン・ガ-ルを略した「モボ、モガ」や「ランデブ-」、「銀ブラ」などが流行りました。これらの語には、若さや溌剌さや明るさなどをまったく持たない濁音とオ、ウ列音が多いため、それぞれがもつ意味とは似ても似つかぬ暗く湿った雰囲気がありますが、そんなことばが十年以上、気にもされずに大はやりしたということは、当時の人たちがことばの音にいかに無関心だったかを物語っているのです。
それに比べて現代人はどうでしょうか。
「カッコいい」「めちゃ」「激辛」「朝シャン」「ギャル」「即」など、これまでの日本語にななかった新しい概念をそれにふさわしい音で表現した優れた語が次々と現れますし、音の響きが不自然な「ビッグ・エッグ」、「DIY(ディ-アイワイ)」、「WOWOW(ワウワウ)」などは発表になったその日から口にする人がいないのです。
現代人は音から生まれるイメージが意味に劣らぬ働きをしていることを肌で感じて知っています。文明には後戻りがないように、日本語のこうした傾向がますます高まることは陽をみるよりも明らかです。
これからのネ-ミング作りは、ことばの「音」の研究なしには成り立たない。もう、そんなところまできているのです。