送り手と受け手の間のすれ違い
音の良いネーミングとは、耳障りのいい音のことではなく、商品などが持っているコンセプトと、語音が作るイメージとが一つの像に重なっているものをいうのです。
わかりやすい言い方をすれば、鋭いイメージを表現したいネーミングには鋭さを感じる音を、明るいイメージを表現したいものには明るさを感じる音が入っていなければならいのです。
このことは、大衆の音響感覚が高度に発達した現代ではとりわけ大事なことなのですが、ネーミングの制作現場でそんな取り組みがどれだけあるかとなると、たいへん疑問です。
制作の現場では、永年行なわれてきた「意味」を中心としたネーミング観や制作手順が、今もそのまま続いているのです。
ネーミングの専門家の多くが「音の大事さ」を認めていながら、まともに音と取り組まないのは、意味中心で進める方が能率的だし作業がしやすいからなのです。
このことを、洗剤のネーミング案「ポリアン」を会議に提案する場合の例で考えてみましょう。
提案者が「この語はラテン語、ポリ(poli …磨く)からの造語ですから、この商品名にふさわしいし、英、仏、独などへ輸出しても理解されます」と、意味中心に説明すれば関係者を容易に説得できますが、「音の響きが良いから」を提案理由にしても、その根拠を説明するのに音相という厄介な専門知識が必要になるからです。
しかしながら、そうして作られたネーミングも、いったん決まって世間に出ると、大衆はその語を音のイメージだけでほとんど決めてゆくのです。
送り手は意味で作り、受け手は音の良否でそれを評価する。
多額の費用と時間をかけながら、ヒット・ネーミングが出現しない大きな理由は、この喰い違いにあるのです。
(木通)