アパレル残酷物語(第十九話)パート2
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
人事とは・・・第19回 パート2
新体制のスタートから、しばらく経った頃、東京のOさんから連絡があり、
池袋に本店のある百貨店の地方店に入ってほしいとのオファーが来てるとのこと。
聞けば「本店に入りたかったら、まず地方店だけど、ウチに入ってもらってからやね」と
元本店バイヤーで当時はその地方店の店長だった方に言われたとか・・・・
僕はこの手の商売のやり方は大嫌い。早速、断るのを前提でOさんと出かけ、
「申し訳ないけど、ウチには今余力がなく、今すぐは無理です。時期が来たらご協力します。」とお断りを・・・
一件落着で大阪へ向かっていると、Oさんから電話が・・・・
「あの後、どうしてもやってもらわないと困ると泣きつかれて・・・」
「なに、それ!」
つまり、最初からやるつもりだったのがみえみえ・・・
そんなことがあってから次の東京での展示会
Vブランド、主要店舗2店から「今のままだと継続は難しいなあ」という話が・・・
売り上げがそんなに悪くもないのでどうして???
そこで、その店舗の販売員に聞くと、Oさんはほとんど顔を出さないし、店の方にも会わずすぐ帰るんですよとのこと。
怒りは頂点に・・・・
展示会後、二人でミーティング。どうしてくれるんですかと詰め寄る僕にOさんは無言。
シビレを切らした僕は、「わかりました。大阪のHさんに東京も見てもらいます!」
それからしばらくしてOさんは去ります。面倒見が良くていい人で
僕も個人的に長く付き合いのあったOさんとの決別は辛かったけど・・・・
その後、とあるブランドの店舗責任者で頑張っているとのうわさを聞き、ホッとしたことを思い出します。
アパレル残酷物語(第十九話)パート1
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
人事とは・・・第19回 パート1
事業部長と言っても営業経験のない企画バカ・・・力になってくれる営業の方の助けがないとどうにもならない。
それも東西それぞれで・・・
まず東地区は、個人的にも親しくしていただいていて、Aブランドの時、東京で営業責任者だった方で、
当時は枚方の商品センターに配属されていたOさんに・・・東京へ行きたいとおっしゃっていたし、
2、3店舗ならなんとか新規にやってもらえるよ!との力強い言葉もいただいたので、即決。
一方、西地区はAブランドの事業部の途中から営業責任者として、本社に帰ってからも机を共にしていた先輩のHさん。
ただ彼の独特の言い回しが皮肉っぽいところもあり、チョット苦手な人でした。
そんな彼に「今度、事業部長をやれと言われたんですが・・」というと、彼の返事は・・・・
「吉田君、それだったらボクがいると君がやりにくいから、ボクを外したほうが、絶対いいよ」
その言葉を聞いた瞬間、「あっ!この人は信頼できる」と直感的に思い、
「いや、絶対残ってもらわないと困ります!」とお願いしました。しばらく考え込んでおられましたが、
一言「わかった」とポツリ・・・・
しかしこの人事がのちに起こす問題とは・・・・今回は連続投稿ですのでパート2に続きます。
アパレル残酷物語(第十八話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
今度こそ成功させるぞ!昔ばなし第18回
展示会の反応は・・・R社のA、S商会のBブランドのいわゆる
英国ハウスチェックブランドの横に売り場がある所のバイヤーさんは皆さんは
「おいおい、これは違うんじゃあないの」の意見
それに反して、ハウスチェックと関係ない、数少ないミセスプレタにある売り場のバイヤーさんは皆さんは
「これ、これがいいんだよ!」との意見。
実は、この展示会で僕は、バイヤーさんや販売員さんの本心を引き出したかったのです。
というのも以前の企画に対しては僕よりはるかベテランで、業界にも名の通ったNさんに遠慮してか、
展示会についてそんなに辛辣な意見を言う人は少なかった。
それ比べ、僕はまだまだ未熟者、こいつなら何でも言ってもええやろって感じで、多くの方が意見を言ってくれました。
これがとても参考になりました。
そして、Vの進む道も明確にすることが出来ました。
それ以降、全く悩みもなく、コンセプトのブレもなく企画を組み立てました。
そして、1年、2年と経つうちに売り上げも上がり、ライセンス契約も継続・・・・すると事業部長にとの話が・・・
えっ!こんなボクが??? さあどうする・・・・
アパレル残酷物語(第十七話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
開き直ればなんとかなる・・・昔ばなし第17回
ひとりでやれるやろ!と言われたが次回展示会は迫っている。この時点で企画室にはボクとパターンナーさんの二人。
まだアルバイトでお願いするデザイナーは来ていない。
アパレル経験者の方ならわかるでしょうが、デザイナーなしでたった二人で100品番以上のコレクションを
組み立てるのは絶対無理。とはいえ投げ出すわけにいかない。そこで思いついたのが、
当時、英国国内で破竹の勢いで店舗数を増やしていたVブランドのコレクションブックを送ってもらうことに。
この中から日本市場に合うデザインをピックアップ。但し、Vは英国国内の中級ボリュームブランドだったので、
生地は小ロットで対応できる高級輸入生地に変更して、命である素材感と縫製の良さは保つことに。
但し、今までとは一線を画して、英国トラッドというよりコンテンポラリーなミセススタイル。
果たして売り場が受け入れてくれるだろうかと心配だったけど、
ブランドが終わること覚悟しての企画だったので怖いものなし。
そうして何とか新たな展示会がスタート。
案の定、今までウチのVブランドにそんなに意見を言わなかったバイヤーさんから痛烈な批判があったり、
逆にこんな企画が欲しかったと真っ二つの意見が・・・・果たしてVブランドの命運は・・・・
アパレル残酷物語(第十六話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
出戻りはつらいよ!昔ばなし第16回
一度外へ出てしまい、全く違う空気を吸って生きてきた僕にとって、元の会社に戻ることは、なんとも居心地が悪い・・
ましてや三度にわたるブランドビジネスの失敗はきつかった・・
そんな時、ある大手の通販会社と新興の化粧品会社からヘッドハンティングのお話が・・・・
ビズリーチなんてない時代、どこからそんな話になったかは分かりませんが、
落ち込んだ心に転職もありかなというささやきが・・
通販はアパレル関連なので一度話でもと面接に行きました。
もしよければいつからでもというお話は頂いたのですが。実務ではなく、マネジメントの仕事・・・
ヤッパリ、実際に生地を触ったり、デザイナーさんと方向性を決めたり、
工場さんで打ち合わせしたりするモノづくりの仕事から離れたくない自分がそこにいました・・・で、お断りしました。
そんなことがあったしばらく後に、とんでもない話が・・・・
今まで何年も一緒にやってきたNさんとデザイナーのTさんをはじめ、企画生産スタッフ全員、契約更改なしとのこと・・・
当時の社長から「お前ひとりで何とかなるやろ!」とのこと。
Vブランドの契約はあと1年残っていたが、今回のことは、多分あと一年で止めるつもりの前段階やなと思いました。
湧き上がる悔しさ・・・・と同時に「くそ!やってやろうじゃないか!」という思いが沸々と・・・・
いくら何でも一人では100品番以上ある商品を作ることはできません。ましてや口先だけで技術はない。
そこで一番信頼のおけるパターンナーさんに、残ってもらい、以前一緒に仕事をしたことのあるデザイナーさんに
アルバイトで来てもらうことにしました。
落ち込んだVブランドに奇跡の復活はあるのか・・・・今まではNさんやTさんという防護壁があり、
好き放題やってきたが今度は自分が矢面に・・・・・さてさてどうなりますやら・・・・
アパレル残酷物語(第十五話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
その後、どうなるブランドビジネス。昔ばなし第15回
Hブランドの展示会を終え、何ヶ月か経った頃、東京のHの事務所に行くと、
当時商社から出向していた経理担当の方に突然呼ばれ、なにが原因か思い出せないのですが、恫喝されます。
まるでお前ら一介の仕入れ業者やろという感じでした。
今も???ですが、悔しくてその夜ホテルで一睡もできませんでした。
それからしばらく経ち、バブル崩壊の経済状況で、なかなか店舗数も増えない中、
またも東京のHの事務所でミーティングが・・・そこには同じ商社の中で、フレンチブランドを立ち上げていた方も参加・・・・
Hの今後を話す中、僕は僕なりの意見を言うのですが、かみ合わない。
最後には生産だけしてくれませんかという話まで・・・・・
一連の流れを考えると、既にウチは外すという方向だったように思えます。
その後1994年の春夏ものを最後に、Hとは決別します。
その後Hブランドは当時有名なPR会社のU氏(現在もTVのバラエティー番組などで活躍)を迎え、
僕たちが組み立てたHの歴史、建造物などからインスパイアされた英国テイストの企画から、大きく変え、
英国テイストなど微塵も感じないコンテンポラリーなお嬢様企画に・・・・・
どう見てもHはHでも、近くのハーヴェーニコルズの方がええんじゃあないかなと皮肉も言いたくなりますが・・
莫大な経費をかけPRし、成功します。
みなさんがご存じのHブランドはこちらの方だと思います。
Nさんを中心に、ボクたちが携わったHをご存じの方は多分いらっしゃらないと思います。
個々の想いがどうあろうともビジネスの世界では勝ったもの勝ち。
一方、VブランドもR社のA、S商会のB、S生興のD、という最強英国ハウスチェックブランドの牙城に阻まれ苦戦。
そして、ついに経費節減の意味合いもあり、事業部そのものが本社に戻ることに・・・
ボクを買ってくれてくれていた副社長(当時は社長だったかな)に
「いったん戻れ、また良くなったら出て行けばいいんだから」と諭されます。
暗雲が垂れ込めてきたブランドビジネス・・・・・
この後また大きな嵐に飲み込まれていきます・・・しつこいですがまだ続きます。





