キャンドルショップオーナーのつぶやき -46ページ目

アパレル残酷物語(第九話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

 

しつこく続く昔ばなし第9回・・・

1983年11月のロンドン

 

「鉄の女」サッチャーの財政改革まっただなか。戦後最大の失業率、ポンド高よる輸出産業の低迷、

 

海外資本の流入と経済状況が霧の中というロンドン。暗くて落ち込んでいて元気がなかったですね。

 

そんな中、A本店での打ち合わせの後はロンドンの市場調査。

 

A本店のあるリージェントストリートはクィーンズスタイルのティピカルでクラシックなスタイリングの人が多い。

 

通り一つ東側のカーナビ―ストリートはパンクファッションの連中が闊歩する。

 

クラシックとパンクが共存するいかにもロンドンらしい。

 

高級ブランドが並ぶニューボンドストリートを歩き、西に折れるとサウスモルトンストリート。

 

ブラウンズをはじめとするセレクトショップが立ち並ぶ・・・・

 

ナイツブリッジの駅を降りるとスローンスクエアに向かうスローンストリート。

 

 

スローンレンジャーと言われるファッショナブルで高級ブランドを身にまとった女性が・・・思わずついていきたくなる。

 

ファッションの次は食事。このころ中華は抜群に美味しかったですが、

 

ドーバーソール、ローストビーフなどの伝統的な英国料理は最悪でした。

 

しかしそれから10年も経たずにコンランに代表されるモダンブリティッシュキュイジーヌが誕生すると、

 

英国料理は劇的に変化し、洗練され、まずいという代名詞はボクの中からは消えさります。

 

・・・・・ここまで来たらまだまだ続けるか・・・・

焚き火キャンドルとして一躍有名になったウッドウィック。11月末に再入荷したリネンも予約分...

アパレル残酷物語(第八話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

 

 

初のヨーロッパ出張・・・・パリ、ミラノ、フランクフルトでの仕事はさておき、

 

ヤッパリ最大の目的地はAブランドの本拠地ロンドン。

 

絶対に相手からどこに泊まっているか聞かれるので、相手にバカにされないようにそれなりのホテルに泊まることと言われ

 

選んだホテルは「ウエストベリー」。

 

A本店に近いし、一流だしと言われ選んだのだが、メッチャ高い。

 

会社指定の宿泊代の3倍・・・ここに一週間はキツイ。持ち出し考えただけでもゾーッ。

 

そんなホテルにチェックインして、部屋のドアを開けるとメッチャいい香りが・・・・

 

香りのもとはドアを開けたところに置いてあるポプリ。日本で香りの文化に触れたことのない僕は一瞬にして虜に・・・

 

そして休日に出かけたカムデンタウンの雑貨屋さんでお気に入りの香りをゲット。

 

それが写真のメディタレニアンという香り。それから何十年も間、我が家の洗面所の片隅に置いていました。

 

それから香りフェチになり、出張の度に、フレグランスショップをのぞいていました。

 

まさかその時は、香りフェチが高じて、アロマキャンドルのお店をオープンするなどこれっぽちも思っていませんでした・・・

 

話が横にそれましたが、当時のロンドンの様子については次回ということに・・・・

 

 

アパレル残酷物語(第七話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

 

Nさんはインポートバイイングもブランド企画もオールマイティーにこなせる方。

 

そんなNさんが言っていたのは「もしYさんがいなかったらこのプロジェクトには参加しなかったよ」

 

やはり彼もYさんに一目置くひとりでした。

 

そんなNさん、Yさんとは真逆で細かいことはあまり言わない。とにかく何でも自分でやってみろというタイプ。

 

営業か企画かと微妙な立場だった僕はNさんのもとで企画生産をやることになります。

 

とは言え紳士服の店頭売りしか経験のない僕には、何が何やらわからない。

 

ここでも超ベテランのパターンナーさんに鍛えられます。「あんたといると疲れるわ」とか「アホ!そんなんあかん!」とか・・

 

それだけでなく外注工場へ行ってもそこの専務から「あんたみたいなのとは仕事ではできない!」

 

輸入生地のエージェントの社長さんからは「そんな肝っ玉の小さいオーダーの仕方じゃ成功せえへんで」とか

 

Nさんは横で聴いていても何も言わない。これがNさん流でした。

 

そしてAブランドが立ち上がって2年目の11月にはヨーロッパへ出張してこいとのこと。

 

それもフライトとかホテルのブッキングとかも自分でやれとのこと。ツアーでグアムに遊びに行ったことしかないのに・・・・

 

これまたNさん流か・・・

 

そして初めてのヨーロッパ、同行するのはデザイナーのTさん。

 

当時はまだダイレクトフライトはなく、北回りはアンカレッジ経由の長旅。

 

そしてこの初めてのロンドンでの出来事が今につながるのです・・・・続く(と書きましがどうなることやら)

 

 

アパレル残酷物語(第六話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

 

いよいよ新事業部が正式スタートするのに合わせて、Nさんの会社の上のフロアーを借りることに・・・・

 

そしてデザイナーやパターンナーなどの企画スタッフも参画。

 

事業は前に進みだすのですが、どうしても上手く絡むことができない。

 

そんなある日、本社の役員から呼び出しが・・・・

 

「君だけがウチのプロパーの人間というのを忘れるなよ。周りは外部スタッフばかりや。しっかり監視しとけよ!」

 

その言葉を聞いたとき、「そういうことか!」と気づきました。

 

僕は自分では意識はしてなかったのですが、役員が言うように、

 

悪く言えば身内とよそ者という感覚がどこかにあったのかもしれません。

 

YさんやNさんが壁の向こうにいたのではなく、僕自身が彼らに対して壁作っていたのか・・・・

 

それに気付くと不思議ですね。なんのわだかまりもなく前進めるようになりました。

 

そしていよいよ本格的に「A]ブランドの立ち上げに向けて始動です。

 

アパレル残酷物語(第五話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

 

机ひとつ、Yさんとボクだけでスタートした新事業部。

 

ブランドは今でこそ誰もが知る有名英国ブランド。ところが当時はメンズのバイヤーなら知っている人も多かったのですが、

 

婦人のバイヤーとなるとほとんどの方が知らない。

 

パソコンもまだ普及していない時代。手書きのコンセプトブックも何もない状況でも、

 

Yさんから行くぞと言われあちこちのデパートのバイヤーのところに手ぶらで伺いました。

 

殆どのバイヤーから「知らないブランドやけど、Yさんがやるんだったら興味ありますね」と言われる・・・・

 

すごいなこの人と思わされました。

 

外回りのないある日、Yさんから言われたのが、名刺の原案を作りなさいとのこと。

 

印刷会社に頼めば済むやんと思いながらも、用意されたのは方眼紙。これに原寸大の名刺を作れとのご命令。

 

会社名、事業部名、氏名、住所など表は日本語、裏面は英語で・・・

 

ミリ単位の仕事、校正の際、ここ1ミリズレてるとかはみ出してるとか厳しく叱責される・・・

 

実は社内で色々なことをやらされてもこの調子・・・今ならハラスメントと言われても仕方ないことが多々。

 

この時はなんやねんこのオッサン!と思わされました。

 

事業部は日曜日が定休日だが、本社は水曜日が休み。

 

すると本社からはどうせやることがないやろから日曜日は百貨店の販売応援に行けとのお達し。

 

つまり無休で働かせられ、どこにも居場所がない状況が続き、相談する相手もいない状況・・・・

 

なんでもこなせる自信はあったけど、ことごとく打ち砕かれていく毎日・・・・

 

夢を抱いてスタートした新事業部だけど、一体どうなるオレ・・・・続く

 

 

今年のクリスマスギフトはキャンドルにハンド&マスクミストをプラスして

アパレル残酷物語(第4話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

 

「実は・・」と副社長が切り出した。

 

「イギリスのAというブランドの婦人服のライセンスをやることになった」

・・・・・

僕は一瞬耳を疑った。「A」と言えばその当時は世界的にもメンズトレンチコートで有名なブランド。

 

当時は「B」ブランドより格上と言われていた。

 

まさか、まさか・・・・007のショーンコネリーボンドの英国スタイリングに憧れていた僕は、舞い上がりそうになった。

 

でも、待てよ。なんでメンズアパレル(当時はまだアパレルという言葉は使っていなかった)のウチの会社に婦人服ライセンスと

 

は・・・・

 

世の中には成功しているレディースアパレルが一杯あるのに・・・・・

 

実は、後に聞くところによると、この話を持ってきた大手商社の繊維担当の方が、成功しているレディースアパレルにもっていっ

 

ても、多分多くあるブランドの中のワン・オブ・ゼムとしてしか扱われない。ならばメンズオンリーで成功して、

 

モノづくりの背景がある所へ持っていけば、必ず大事にしてくれる。そんな読みがあったらしい。

 

でもそれが功を奏したのは間違いない。

 

ところで紹介されたお二人。お一人は大阪のニットアパレルで専務を、そしてネクタイメーカーに招かれレディースカジュアルブ

 

ランドを立ち上げ成功させたYさん。

 

もう一人は大阪のインポート会社で海外ブランドを数多く日本に持ち込み、当時は会社を設立し、

 

自社ブランドも立ち上げたNさん。

 

そして新事業部は、まずはNさんの会社の商品ストック場の片隅に机一つでYさんと二人でスタートしました。

 

でも、ここから僕は人生でこれほどまで超えられない壁があるのかともがき苦しみます。続く・・・・

 

 

グラスハウスのクリスマススペシャルバージョン。従来より値段も高いし、抑え気味で仕入れたけ...

アパレル残酷物語(第三話)

昨年末、Facebookに投稿した記事です。

 

広島から本社に転勤。部署は商品部。

 

跳ね返りの生意気な広島帰りの男に周りの目は、冷ややか・・・・

 

入社以来、販売しか経験してない人間にこなせる仕事など商品企画室にはない。

 

伝票の書き方やら、人事部のあて名書きなどのお手伝いの日々・・・・

 

そんなある日、副社長室にすぐに来いと連絡。

 

副社長室に入ると、そこには見知らぬ男性が二人・・・

 

そして副社長から「ここにいるのが君と今から一緒にやってもらう人たちだ!」

 

一緒に同行していた当時の商品部長から、二人とも婦人服業界では名の通った人だから、しっかり教わるように言われる。

 

実は何日か前に商品部長から「婦人服に興味あるか?」と聞かれ

 

「メンズファッションが好きで入社したので、ないです!」と答えたばかりだったので、

 

なんでこんなことにと思いながら、ただ立ちつくしてしたが、

 

そのあとの副社長の一言が僕の気持を一変させることに・・・・・・つづく