アパレル残酷物語(第十四話)パート2
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
昔ばなし第14回パート2
何か心にわだかまりを抱えたままの展示会・・・・
案内状は各百貨店バイヤーにも・・・そんな中、顔見知りの方が来られたら、どうする、どうする・・・
そんな不安なことはいいことより的中する。
新宿のO百貨店のバイヤーと目が合っちゃいました・・・
「あれえ~どうしたんですかこちらに移られたんですか?」
「いや・・・あの・・その・・そんな感じです・・・」
ごまかすしかない、ただこの後のVブランドの展示会でもお会いして。すっかりバレてしまいます。
ただそんな中で、嬉しい出来事が・・・一般の方はあまりご存じないですが、
日本の英国トラッドファッション(メンズ)第一人者、林勝太郎氏がIデパートのファッション研究所として
来られました。メンズ時代憧れの人の来店にウキウキ。ただ婦人服主体でメンズは片手間の仕事になったのを、
すっかり見破られてしまいました。
そして最後に行われたレセプション。大きなホール、大勢の業界関係者や著名人を集めて、
小さな丸テーブルがいくつもあり、ひとつのテーブルに4,5人の立食スタイル。
ここでボクの隣にいらしたのが、かの松山猛さん。僕が大ファンだったフォークルの影の仕掛人、
イムジン河を作詞された方。当時はブルータスなどの編集もされていました。
色々あったけど、さすがHブランド。憧れの人と会えたし、やれることはやりつくしたので、まあいいか!
バブルも崩壊し、ブランドビジネスは苦戦を強いられます。
アパレル残酷物語、まだまだ続きます。
アパレル残酷物語(第十四話)パート1
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
昔ばなし第14回パート1
今回は連続投稿しますのでまずはパート1
Hブランドのお披露目展示会は、なんとなんと高輪の開東閣。
このブランド事業にかける商社の意気込みを感じます。
開東閣の地下ホールにモデルショップを作りこみます。
ファサードから全体にロンドンのHデパートの、あの素晴らしいテラコッタ造りの建物を彷彿させるよう、
Hデパート本館を感じさせる外装。ショップ内には、この展示会に合わせて、前回のロンドン出張の際、
Hデパートで閉店後、担当者と各階を回り、ピックアップしてきた英国を感じさせる小物を散りばめます。
ショップ造りもほぼ完成し、今度は商品を入れ込みますが、その前に全商品にタグつけ作業・・・
そんな時、突然ウチの東京店の偉いさんが登場・・・・
そして言われたのが「百貨店が、例え外国であろうと同じ百貨店ブランドなんてやるわけがない。
ましてやウチは多くの百貨店さんとの取引がある。決してウチが加担しているようなことを絶対に知られてはならない!」
なんで今頃・・・ましてやM越さんだって既にHの食料品など一杯扱っているやないかい!と切れそうになるが、
グッと我慢。サラリーマンは辛い(涙)
そんなむしゃくしゃした気持ちを引きずりながら、タグの一番の下に印刷されていた
〇〇株式会社の部分だけをハサミでカットする作業を深夜まで・・・・
そして翌日、いよいよHのお披露目です。続く・・・
アパレル残酷物語(第十三話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
二足のわらじは上手くいくのか、昔ばなし第13回
Cブランドの最終生産にめどをつけ、VとH両方の企画に本格的に乗り出すが、同じ英国ブランドだけにどうするか・・・
そして最終的な方向性は、AからCへと受け継がれたテイストの延長上でVを進める。
つまりコンペチターはAを含めた名だたる英国ハウスブランド。
そしてHは全く違うテイストで新しい販路、百貨店でいうとVが4FミセスとするならHは3F狙い。
口で言うのはたやすいが、限られたスタッフでこれを成し遂げるの至難の業。
そこでHは東京にバックボーンがある商社と協議の上、東京に事業所を開設し、企画は東京ですることに・・・
もちろん新しいスタッフも加えて・・・・名刺も新しく作成し、常に二種類を携帯することに・・・
大阪の事務所でVの仕事、そして次の週は東京でHの仕事と行ったり来たり。
必然的に事務量は増え、大阪ではほぼ終電前まで仕事。こんな状態で果たして上手くいくのか・・・・
正直のところ、Hの方が現地からの企画マップも優れていたし、
百貨店ブランドという、アパレルだけでなくライフスタイルをそのまま反映できる背景があることに魅力を感じていたけど、
Vをおろそかにできない。
そうこうするうちにHのお披露目展示会が・・・・ただここで大変な問題に直面することに・・・
アパレル残酷物語(第十二回)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
実は3ブランドが同時進行していたという昔ばなし第12回
Cブランドがうまくいかないというのは明らかになったところで、某商社の子会社から新しいブランド提案があり、
Cブランドが撤退となる半年前には水面下でスタートしていた。
ビエラという名前の生地を発明した紡績メーカーで、その後色々な事業取り込んで大きくなった企業の一部門のアパレル事業。
Vブランド。ただ従来のAとかCとかとは違い英国国内だけのドメスティックブランドで、今までとは違い中級ブランド。
しかし、1990年代前半サッチャリズムから抜け出し、経済的回復していた英国では店舗数も増やし、
ライセンスビジネスに力を入れ始めていた。
Cブランドとは違い、独自のハウスチェックもあり、英国ハウスブランドとも戦えるアイコンもあった。
これをCの代わりに企画は進む。これを構築していくだけでも大変なのに、
目の前にはまだCブランドの春夏物の生産業務があり、バタバタ。一年の間に色々あり心身ともに崩れていた。
そんな時、実は同時進行でAブランドのライセンシーだった商社から新しい英国ブランドの提案が・・・・・
しかも婦人服、紳士服両方を合わせたトータルでのブランド事業。
日本でも馴染みのあるロンドンの高級百貨店Hだ!
心が折れていた僕ですが、やはりHは魅力的。しかもこの年、Hがモデルとされたジェフリーアーチャーの
「チェルシーテラスへの道」も発表され、沸々とやる気がでてくる・・・
ただCもVもHも、となると一度に3ブランドを・・・・ましてやHはレディースもメンズも・・・・
さてその結末やいかに・・・
アパレル残酷物語(第十一話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
失意のなか新たな展開へ・・昔ばなし第11回
Aの買収劇、ほとんどの得意先は、大きな売り上げを作ってきたので、どこもウチに同情的・・・・
早速、Aに代わる新ブランドを探すことに・・・しかしR社に販売移管のための時間は1年。NさんとデザイナーTさん、
そしてYさんリタイア後、事業部長をしていた本社のS取締役の3名が、急遽ロンドンへ・・・・
どんな経緯があったか詳しくは分からないが、取り合えず当時メンズでも展開していた、
洋服のロールスロイスと言われたサビルロウの名店のCというブランドを婦人服でライセンス生産することに・・・
このブランドで得意先の百貨店のAの売り場を存続することに・・・・
ウチに同情的だったこともあり、ほぼどこの百貨店も継続してもらえることに・・・・ところがここにも大きな落とし穴が・・・
ロンドンのCブランドのブランド責任者は、実は昔A社で主任デザイナーだった会長夫人の下で、下働きしていたデザイナー。
その不遇の時代を知る、NさんやTさんそして僕までをなぜか目の敵に・・・
どんな素材提案しても、デザイン提案しても返事はNO!
NO!はまだましな方でTerrible!と書かれたことも・・・・
Aブランドを手放した後の1年間はなんとかCブランドでつなげることはできたものの、
C側がそれ以上の契約は出来ないという結論。
わずか1年でまたブランド変更を余儀なくされる。同情的だった百貨店の皆さんもあきれ顔、
ほとんどが二度目はないよということに・・・
ブランド移管期間1年を過ぎたら、Cブランドのあった売り場には、ほとんどがR社のAが入るんだろうなあ・・・・
遂にジ・エンドか・・・・・
それでもまだウチのモノづくりの良さを支持してくれるお店のために何かブランドをという営業からの要望もあり、
またもや新たなる英国ブランドを・・・・一からブランド構築するしんどさを二度経験してきた僕は気力がわかない・・・
さあどうする・・・
アパレル残酷物語(第十話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
もう読むのが嫌になったという方もいらっしゃるかもしれませんが、しつこく昔ばなし第10回
大阪の事業部も徐々に人も増え、広いビルに移転。その前に東京店も青山通りの一等地に開設。
生みの苦しさもありましたが、5年、6年と経つにつれ、店舗も増えブランドとしても何とか認知されるようになり、
新たにAブランドのキッズ企画をやろうということになり、
NさんとチーフデザイナーのTさんがロンドン出張にキッズ企画をもって向かいました。
先への事業展開も見え、違ったワクワク感があったある日の
明け方、自宅にヨーロッパにいるはずのNさんから電話。
いきなり「Aが日本のR社に買収された!」耳を疑いました・・・
あまりの動揺でそのあとの会話はほぼ覚えていません。
その電話のあった朝の日経新聞に大々的にその件が発表されてたと思いますが、
その日から大阪でAの次シーズンの展示会が始まるというタイミング・・・・
当時の営業担当と相談し、僕は仕入先、得意先からの問い合わせに備えて、展示会には出ずに事務所で対応。
多くの連絡は今後の対応はという内容でしたが、
昨日の今日のこと「今、確認中なので後日改めて連絡します」としか答えられない。
中には当初の店舗数が少なく、小ロットでも無理して付き合ってくれていた外注工場の社長からは涙声で
「なんでですか!ここまで皆さんが苦労して作り上げてきたのに、よりにもよってR社とは・・・」
「すみません・・・」と答えるのがやっとでした。
そして何日か経って色々とわかってきました。Aの日本でのライセンス権を持つ商社とAとの間で、買収額がある金額で決まり、
双方が握手した翌日、R社が倍以上の買収額を提示してAのオーナーがそれに応じた結果とのこと・・・・・
こんなことビジネスの世界では日常茶飯事と言えばそれまでですが、
虚像でしかなかったAの婦人服を実像に変えてきた苦労を考えると許せるものではありませんでした。
1990年、事業部発足から約10年目のことでした。
折角、軌道に乗り出した婦人服事業が・・・・この先どうなるオレ・・・









