キャンドルショップへの道(第二話)
アパレル時代から香りフェチだった僕は、海外出張する際は、必ずお気に入りの香水を
買い求めていました。そんなこともあり、会社を辞め、店をするなら香水を中心とした
香りの店をやりたいと漠然と思っていました。
ペンハリガン・ロンドン本店
サンタマリアノッベラ・フィレンツェ
ところが、名だたる香水ブランドは、個人事業のちいさなお店には卸してくれません。
そんな中、燈火器の中で揺れるキャンドルの炎を見たとき、「そうやアロマキャンドルがあるやないかい!」
奈良から大阪に向かう電車の中で、なにか漠然としながらも、未来が見えてきそうな感じに・・・・
当時は第一次アロマキャンドルブームと言っていいほど、大手の雑貨店には所せましとアロマキャンドルが
ディスプレイされていましたし、東京の青山にも、当時人気のモデル兼女優のお勧めするブランドのショップとか
イタリアブランドの直営店もありました。
そんな時、アパレルでのブランドビジネスを辞めるにあたり、お世話になった商社さんや仕入先さん、縫製工場さんへ
の説明のため、関東方面に出張の機会があったので、アポイントの合間に、当時のアロマキャンドルを扱っている
代理店さんに伺って、色々お話を伺うとと同時に、コネクションを作りを・・・・
そして前述の有名キャンドルショップにも伺いました。そんな中から僕だけのアロマキャンドルショップの
イメージが固まってきました。
続く・・・・・
キャンドルショップへの道
2008年秋、リーマンショックが吹き荒れる中、30年以上勤めたアパレルを辞める決意を・・・
一生、婦人服の企画を続けたいという想いはあったけど、2006年秋ごろから、あまりにも世の中の価値観が変わり
自分が築き上げてきたモノづくりが受け入れられなくなってきて、正直方向性を見失ってしまっていました。
そんなある日、嫁さんから渡されたフリーペーパーを、何気なく読んでいると
武者利光さんとういう教授が書かれていた「エフ分の一の揺らぎ」という記事が目に留まった。
世の中の自然現象には一定の周波数があるが、それが時折ランダムに狂うことがあり、それが人間の五感に
癒しをもたらすという内容で、キャンドルの炎の揺らぎもその一つだという内容だっと記憶している。
そんなことがあってからしばらくして、辞める決意をしていた僕を嫁さんが、気晴らしに奈良へでも行こうと誘ってくれた。
初めてならまちを散策。食事をして、街並みを観ながら歩いていると、突然空模様が怪しくなってきて、突然の雷雨!
急いで近くにあった古民家の軒下で雨宿り・・・・・中をのぞくと陶芸作家さんのアトリエのような感じ
そしてもっと奥を観ると、大きな燈火器の中でキャンドルの灯りらしきものが揺れて、幻想的な雰囲気が・・・・
その瞬間は大きな雷の音も耳に入らないほど、静寂感と癒しを感じました。
その時、先日読んだばかりのフリーペーパーのことを思い出し、あっ!これが「エフ分の一の揺らぎ」か・・・
まさか、自分が身をもって体験するとは・・・・
今後の身の振り方を思いな悩んでいた僕に、一筋の光明が差し込んだ瞬間でした。
続く・・・・
アパレル残酷物語(第二十一話)パート2
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
さらばアパレル・・・昔ばなし第21回 パート2
展示会は今までとは違い、非常に軽やかなコーディネイトがたくさん・・
心の中ではもうVのテイストじゃあないなあとディスプレイを眺める。
さてバイヤーさん、営業マン、販売員さんの反応は・・・
まず企画説明終わったあとの営業の人たちの反応は・・・
みなさん満足気。事業部長のHさんも好感触・・・
そして、本番。多くのバイヤーさんから、「これ、これ、これは売れるよ!」
同じく大半の販売員さんからも絶賛!
その時僕は、これで本当にウチのお客様がついてきてくれますか?難しいと思いますが・・・
この質問に皆さん、大丈夫、大丈夫、もうこれくらい着こなせる時代ですよとの返事。
懐疑的だったのは、ボクと一番売り上げの高い売り場のチーフ販売員と信頼置けるパターンナーさんのみ・・・
彼女たちは口をそろえて「これはVじゃあない」
そしていよいよ売り場に新しいコレクションが並びます。結果、売上は過去経験のしたことない売り上げダウン。
ほらみたことか!そして絶賛していた、バイヤーさんからは「こんな売上じゃあ出て行ってもらうしかない」と・・・・
次の展示会では元の企画に振り戻しますが、時すでに遅し・・・
もうその頃には、僕の企画がわかってもらえない人たちの中でこれ以上やるつもりはありませんでした。
企画スタッフをはじめ販売員も含め、事業部そのものを受け入れてくれる先を何社かと交渉する毎日でしたが、ダメでした。
受け入れ先が無理と決まった時に、Hさんとも相談して事業そのものを撤退。僕も2008年秋、会社を去ることにしました。
人から批判されようが、自分がいいと思う価値観を貫きとおせる仕事をやるしかない・・・・
今は自分がいいと思うことだけをやれる店を、
そしてそんな自分に共感していただけるお客様に支えられた店をやっていける・・・こんな幸せなことはありません。
昔ばなしこれにて完結です。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
アパレル残酷物語(第二十一話)パート1
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
さらばアパレル・・・・昔ばなし第21回 パート1
2000年に入り世相が大きく変わります。ミセスファッションも急激にカジュアル化が進み、
ミセスでさえチュニック丈のブラウスジャケットにスパッツというスタイルで街を・・・・
家中のファッションやなあと思いながら見ていました。
そんな時代背景に影響されたのか、得意先のバイヤーたちも異口同音に、しきりにカジュアル化を求め、
「Vのようなキッチリしたモノづくりのブランド、あと5年もすれば無くなるよ。」と言われます・・・
トレンドを無視したわけでなく、世の中の流れは理解しつつも、これはVではないと、
敢えてその流れには飲み込まれようにしていましたが、売上が徐々に落ちてきます。
自分だけの思い込みでこのまま続けていいのか、そんな自問自答の毎日、バイヤーさん達からも変革を求められます。
そんな時、相棒であったデザイナーが辞めることになります。
そこで思い切ってカジュアルに強いデザイナーさんに来てもらうことに・・・・
それまでの企画進行の時は生地のセレクトから自分が最終決定していましたが、
新しいデザイナーさんにできるだけ任せ、そしてデザインもほぼ任せきりにしました。
長年、パートナーとして一緒にやってきたパタンナーさんからは、そのデザインみたときに、
これはVじゃあない!と言われましたが、わかってるがこのままとりあえず進めてとお願いしました。
そして新しいデザイナーによる、展示会が始まります。
ここで聞いたバイヤーさん、販売員さんの声、これが僕の運命を決定づけます・・・・パート2に続く・・・
アパレル残酷物語(第二十回)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
一寸の虫にも五分の魂・・・昔ばなし第20回
その後、大阪の営業責任者のHさんは、東京の寮に泊まり込み、失った信頼を取り戻すべく得意先に通い詰めてくれます。
その結果、追い出されそうだった主要店舗も継続されるようになっただけでなく、更に大きなパイプが出来ました。
とはいえコンペチターの英国ブランドはあまりにもデカすぎて、真っ向勝負は難しい。
そこで考えたのが、巨大なブランドと同じ土俵にあっても、これだけは負けないという強力な武器を見せつけること・・・
つまりカテゴリーキラーとなれるものは何か・・・ヒントになったのが、コンペチターブランドの人がウチのジャケット見に来た
り、買ったりするんですよという販売員さんのレポート!・・・これや!!!
そこでジャケット特にテーラードジャケットを重点アイテムとして企画の中心にしました。
すると都内の大きな百貨店の英国ブランドの売り場で、なんとジャケットの売り上げ数がナンバーワンに・・・
もちろん売り場は一番小さかったんですが・・・
その勢いで上手く回りだしたある日、当時の役員と昇格の話をしていた時、
営業で成果を上げてくれていたH氏を事業部長にという話が出たのでもろ手を挙げて賛成しました。
企画しか頭のない僕には事業部長という重責はこれ以上やってられない。
もっと企画に専念したかったので、渡りに船でした・・・・
ライセンサーである英国ブランドとの関係も順調・・・もう大丈夫だろうという安心感がありましたが、
人生はそう甘くない・・サラリーマン終焉の序曲が待ち受けていようとは・・・・・





