アパレル残酷物語(第十五話)
昨年末、Facebookに投稿した記事です。
その後、どうなるブランドビジネス。昔ばなし第15回
Hブランドの展示会を終え、何ヶ月か経った頃、東京のHの事務所に行くと、
当時商社から出向していた経理担当の方に突然呼ばれ、なにが原因か思い出せないのですが、恫喝されます。
まるでお前ら一介の仕入れ業者やろという感じでした。
今も???ですが、悔しくてその夜ホテルで一睡もできませんでした。
それからしばらく経ち、バブル崩壊の経済状況で、なかなか店舗数も増えない中、
またも東京のHの事務所でミーティングが・・・そこには同じ商社の中で、フレンチブランドを立ち上げていた方も参加・・・・
Hの今後を話す中、僕は僕なりの意見を言うのですが、かみ合わない。
最後には生産だけしてくれませんかという話まで・・・・・
一連の流れを考えると、既にウチは外すという方向だったように思えます。
その後1994年の春夏ものを最後に、Hとは決別します。
その後Hブランドは当時有名なPR会社のU氏(現在もTVのバラエティー番組などで活躍)を迎え、
僕たちが組み立てたHの歴史、建造物などからインスパイアされた英国テイストの企画から、大きく変え、
英国テイストなど微塵も感じないコンテンポラリーなお嬢様企画に・・・・・
どう見てもHはHでも、近くのハーヴェーニコルズの方がええんじゃあないかなと皮肉も言いたくなりますが・・
莫大な経費をかけPRし、成功します。
みなさんがご存じのHブランドはこちらの方だと思います。
Nさんを中心に、ボクたちが携わったHをご存じの方は多分いらっしゃらないと思います。
個々の想いがどうあろうともビジネスの世界では勝ったもの勝ち。
一方、VブランドもR社のA、S商会のB、S生興のD、という最強英国ハウスチェックブランドの牙城に阻まれ苦戦。
そして、ついに経費節減の意味合いもあり、事業部そのものが本社に戻ることに・・・
ボクを買ってくれてくれていた副社長(当時は社長だったかな)に
「いったん戻れ、また良くなったら出て行けばいいんだから」と諭されます。
暗雲が垂れ込めてきたブランドビジネス・・・・・
この後また大きな嵐に飲み込まれていきます・・・しつこいですがまだ続きます。
