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ワンライフプロジェクトのブログ

平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

朗読会に参加して

いろいろなことを知りました。

 

今、生きていることは、当たり前のことではないということ。

一人で生きているわけではないということ。

そして、命は、ひとつしかないから、後悔しないように生きること。

 

私が保育園のすみれ組さんだった時に、おばあちゃんが亡くなりました。

たくさんの人が集まって、おばあちゃんの話をしていました。

おじさん達の話を聞いていると、おばちゃんにも若い頃があったんだな~と思いました。

私のお父さんが小さいころに、おじいちゃんが亡くなったから、とても苦労をしたと聞き、おばあちゃんは、頑張って生きてきたんだなーって思いました。

 

おばあちゃんの事をなつかしそうに話す人たちは、泣いていませんでした。

笑いながら、あんなことがあった、こんなことがあったと話していました。

私は、それを聞きながら一緒におばあちゃんも笑っているなーって思いました。

おばあちゃんは、悲しむ顔を見るよりも、こうして笑っている顔を見る方が喜ぶから、私ももう泣きませんでした。

 

私がおばあちゃんになって死んだ時に、やっぱりこうしてみんな集まって笑って話して欲しいなと思います。

 

おばあちゃんのお葬式で、おばあちゃんの人生は終わりました。

もう、会えなくなってしまいました。

でも、私は、さみしい気持ちと「おばあちゃんのように、ニコニコ笑って死んでいきたい」と思っていたので、さわやかな気持ちもありました。

 

大きくなったらピアノの先生になると決めています。

おばあちゃんが買ってくれたピアノを一生懸命練習して夢をかなえます。

 

どんな時も、私を応援してくれている家族がそばにいてくれるし、産んでくれたお母さんが一番喜ぶことだからです。

 

わたしは、たったひとつの命だから後悔しないように生きます。

 

福岡県・小学5年生

 

娘へ

 

あなたと会えなくなって10年が経ちました。

あっという間の10年でした。

いや、目をつむっていた10年間はやはり長かったかもしれません。

 

最愛の娘を失うということは、生き甲斐を失うことでした。

みんな無くなりました。

この世界が灰色になりました。

あんなに好きだった海も、桜も、キャンプも、なんの魅力も感じられなくなりました。

 

あなたと同じ年頃の娘さんを見ると

あなたが帰ってきたのではないかと、あなたの顔と重ねて目で追ってしまいます。

でも、あなたではありませんでした。

 

そうですね、あなたは遠い世界へ逝ってしまったのですから。

空の上から

「お父さん、いい加減に先に進みなよ」と、笑われているかもしれないですね。

 

今年も、あなたが空へ旅立った季節がやってきます。

寒い寒い朝でしたね。

何年も病気と戦って、最期は笑って「お父さん、お母さん、ごめんね」と言い残して。

 

お父さんの方がゴメンなんだよ。

大事な娘を死なせてしまって、今でも、ゴメンなんだよ。

 

無性にあなたに会いたくなるんだよ。

「お父さん」って呼ばれたくなるんだよ。

諦めきれないんだよ、あなたのこと。

 

親なんだから、こんな風にあなたの事を想っている父さんを許してくれよ。

 

明日は、あなたの命日。

11年目の冬が始まる。

 

タバコはやめたぞ。狸みたいな体型になってしまったよ。

相変わらず、母さんとは仲良しだから心配はするな。

 

いつかあなたの傍にいく。

その時に、「よく頑張ったね」と、褒めてもらいたいから、弱音は吐かないと決めている。

 

あなたのいない年を、また一年穏やかに過ごすから、応援していてくれな。

 

父さんと母さんが、一番大切に思っているたったひとつの命は

間違いなく今も、あすか、君だから。

 

たったひとつの命だから

大事な娘を想って今日という日を生きます。

 

愛知県、50代男性

昨日、優子さんのブログに出会った者です。

 

私の「たったひとつの命だから」に繋ぐ言葉は「再び生きる」です。

 

私は、生まれた時、すぐ心臓の病気が見つかり、手術を受けました。

手術は成功したものの、10歳くらいまでしか生きられないだろうと医者に告げられたそうです。

激しい運動は出来ないものの、私は、病気をすることもなく、無事、中学生になりました。

 

時々検査を受ける程度で、私は、なんら変わりなく中学校生活を楽しんでいました。

 

しかし、2年生の夏休みに突然倒れてしまいました。

手術を受けるしかないと言われました。

成功する確率は10%程度だと言われ、親も私も考えました。

治る可能性があるなら受けたい。

それに、私は負けない。

手術を受けさせて欲しいと言いました。

親と姉は、泣いていました。

成功する確率がたったの10%と言われて不安が大きかったのはよく分かります。

でも、生きるのなら、もっと自由に、もっと思いっきり生きたい。

私のワガママだと分かっていましたが、私の気持ちはブレませんでした。

手術の前日、父と母に「育ててくれてありがとう」と伝えました。

万が一、会えなくなったら言っておかないと後悔すると思ったからです。

 

手術は失敗し、心臓は停止し、心拍停止の『ピー』っと言う音が鳴り響いたそうです。

 

それから、先生たちが必死で心臓マッサージを繰り返し、私は生還しました。

そう、私の心臓は再び息を吹き返してくれたのです。

 

眠りから覚め、目を開けると、母が手を握り「お母さんが分かる?」「分かるよね?」「返事して」

みたいな事を何度も言います。

ああ、そうだ、ここは病院だ。

ああ、手術を受けたんだった。

ああ、生きてるんだ・・・・

やっと、母の言葉の意味がわかりました。

「お母さん、わかるよ」と答えると、よかった、よかったと言いながら泣き始めました。

 

一度は心臓が止まったこと、そして、先生たちの頑張りで復活したことを聞きました。

 

私は、二度目の人生を生きることが許されたのだと思います。

 

 

たったひとつの命だから、みんな諦めたらダメだよ。

私はしぶとく生きる! 生きてやる!!

 

北海道・高校3年女子

 

 

『母さん、長い間お世話になりました』

『56年共に生きてくれてありがとう』

『苦労ばかりかけてすまなかった』

『いい人生をありがとう』

父の言葉で母を送り出して丸3年。

早いものです。

父の横で、永い眠りについて
一生を全うした母。



あなたの人生に、何かひとつでも後悔がありますか?

やり残した事はありますか?

母の遺影に尋ねてみる。

母はにっこり笑う。
ふっくらしたほっぺで
更にふっくらと。



『あなた達が育ってくれて
何の心配もしなくてよくなったから
あっちから応援する為に
母さんは逝くんだからね』

母の葬儀が終わって、枕元に立った母が言ったセリフ。

そうなんだろうな
魂の世界に還るという事は
きっとそういう事なんだろうな。


使命を果たしたから
次の出会いのストーリーを楽しみに
人は還り
また出会うようになっているんだろうな。


人は、小さい生き物
粋がって生きるものではなく
苦しみを喜びに変える事が出来たら
どんどん心のヒダが増えて
心あったかい人生を
航海出来るもの

そんな話を、よく聞かされた。


沢山の人に囲まれて、あなたは幸せたい!
と、よく言ってくれていた。




一昨日、母を偲ぶ会を、父と姉家族とで行った。

母の思い出話が次々と出てくる。

父が笑って、笑って、笑って

そして、涙した・・・



母がいなくなって
踏ん張って
毎日、母の夢を見て生きている父。

母が、笑顔で生きれたのは、
間違いなくお父さんが一緒にいたからだよ


父さん
もう少し私達と生きてください。

母さんの側に行きたいって思っているのは分かってる。

でも、50を過ぎた娘・息子からのお願いです。

年を取って生きるという事は
どういう事なのか教えてください。

来年、90歳を元気に迎えてください。

90でも、こんなにやる事があるんだぞ〜って
私や息子達に教えてください。


父さんの涙はこたえます。
でも、父さんの涙を忘れない。

泣くって素敵な事だから。

父さんの『たったひとつの命』が
私達を生んでくれた事に
心から感謝です。



玄関にこんなカワイイポスターが貼ってありました。

このキャラは、箱崎の人権尊のキャラクターさんなんだそうです。
一般公募の中から選ばれただけあって、なんともかわいらしい。


朗読会の前に、歩いて筥崎宮さんへみんなで参拝へ。



2020年も沢山の出会いがありますように


2006年1月24日に
うちに泊まりに来てくれた西尾エイカちゃん

2007年の夏
お星様になっちゃったけど
いつも一緒にいてくれてる


『たったひとつの命があるから
 右腕がなくなっても
 命があるもん』
と、話していたエイカちゃん


空の上から私達を見守ってくれて
ありがとう

今日も、箱崎の皆さんと
ステキな出会いをしてきましたから


いろんな感想をいただきました。

「自分たち、高齢者は、もうそんなに心が感動することはないのだけれど
今日は、本当に感動しました」と。


今日は、ほとんどの方が泣いておられて
会場の空気が澄んでいるなと感じました。


うちの小学生スタッフも
珍しく泣いていました。
いつもは我慢するのに。



久しぶりの投稿になってしまいました。

今年もいろんなところからお声を掛けていただいております。

13年前と同じスタイルで
私達はコツコツと歩んでまいります。


2020年もよろしくお願いいたします。
母が亡くなって丸二年。
4月15日。
忘れられない日。

母と最後に行った奈良県へ。

母が好きだった桜を求めて。
失敗がないようにと訪れた吉野。
一万本が下から上へと開花時期をずらしながら咲いていく。
一ヶ月楽しめる!!
と、あった。

今は、中千本が見どころ!!おねがいおねがいラブラブ

行ってみると…


残念ながら、満開の桜は見当たらず


しかし!義経さんの隠れ社に出会えました!




南朝方の天皇の本拠地・吉野。

ここから国を治めるエネルギーが発信されていた。
この事だけ感じられればいい。


でも、せっかくの奈良県。
母と旅行した奈良県へ。
そうだ!
奈良公園へ行こう!

と、そこから奈良公園へ向かった。

すると、道路沿いに見たことないスケールの鳥居発見ラブラブラブラブ


これは、もしや、あの大神神社さまか。

はいっ!





大神神社は、山そのものが御神体。

とても、写メにはおさめられず。

二の鳥居の所に拝殿の神殿が設けられていて
ここでご参拝。

広い広い。



瀬織津姫様もおられました。





そして、ぐるっと回って知恵の神様のお社へ向かうと






出会えちゃいました!
念願の桜さんにラブラブラブ



母さん、一緒に見てたでしょ。

よかったぁ〜

奈良県で見れた桜に🌸🌸🌸
母への想いを偲ばせて

母の生き方を振り返って
私もあんな母親になりたいなと思った昨晩でした。


奈良県は落ち着く。
私は大好き❤

次回は吉野の桜が満開の時に行くぞーっ!



この国は、若者の自殺率が世界で一番高いそうです。

 

この国は、精神科の病床率も世界で一番高いそうです。

 

この国は、ペットの殺処分も世界で一番多いそうです。

 

素敵な国のはずなのに。

世界から治安の高さを認められている国なのに。

 

何がおかしいのだろう?

どうして生きる事を諦めてしまう人が沢山生まれるのだろう?

 

優しい心を取り戻す時がきているのかな・・

私の手元には、愛溢れるお便りが沢山届いているのに・・・

 

 

 

では、2006年11月に届いたメッセージですが

ご紹介させていただきます

 

◆『生きて生きて』

 

子どもを失って8年になる私は 一生このままだと思っていました。

息子は自らこの世からいなくなりましたが、全く原因がわかりません。

ただ言えることは、苦しんでいたということ。

苦しいと誰にも言えなかったということ。

苦しんでいる息子に気づいてやれなかったということ。

 

どれだけ もがいていたかを想像すると 眠れません。

もう、息子の部屋は彼の匂いがしなくなりました。

 

心の病は怖いです。

交通事故だったら、誰かを恨めばいい。

天災や火事だったら、まだ諦めもつく。

ある日突然の死を無念だったねと慰めてあげられる。

私の心の整理もできたかもしれない。

 

でも、苦しんで苦しんで、最期のその時を思うと、母としては笑うなんてできない。

 

弟の遺影に線香をあげられないお姉ちゃん。

 

弟の死を受け入れられないのだと思っていた。

でも、お姉ちゃんの寝言を聞いた。

『お母さんは私が守るから。お母さんは私が守るから』

 

そうか・・・お姉ちゃんは私に生きていて欲しいから、弟の死の前に私を心配していたんだ・・・

 

たったひとりの弟の死なのに、母が弱いから、私がこんなだから、弟どころではなかったんだ。

 

本当に情けない限りです。

息子を失い悲しみにくれてばかりで、娘はもう嫁いでもおかしくない年齢に達したというのに、娘のことを見ていなかった。

 

二人の子供達 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

 

お姉ちゃん、お母さんを心配しなくていいから お嫁にいってね。

孫を抱かせてね。

お母さんには、お父さんがいるから。

 

たったひとつの命だから、生きて生きて みんな生きて

私も生きたい。

 

心を取り戻すチカラをいただきました。

ありがとうございました。

 

 



福岡県南部・筑後地方にあります
三潴郡(みずまぐん)大木町の町民施設・WAKKAおねがい

昨夜は、ここで朗読会でした。
朗読手は、町民の皆さん。


日頃、ワンライフスタッフの朗読を聴いている私は、とても新鮮な気持ちで聴かせていただきました。



声のブログで、いつか声ありでアップしますね。

この背中のすぐ後ろで、私は見守っておりました。

リハーサルでは、感情入れずに音合わせをしました。

いや、私は、感情こめていただいてよかったのですが、リハーサルは流すだけ。

本番は、違っておりました。

感情こめて読んではいけない、と思っている人がおられます。

しかーーーし!
感情というものは、込み上げてくるものです。
それを押し殺しては、何も伝わりません。

逆に!悲しいとも思っていないのに、悲しげに朗読をしても、これまた、バレてしまいます。

『心のままに』
これが、私の信念ラブラブラブラブ

今回、初めて挑戦したことがあります。
それは、小学生のメッセージを半分入れた事です。
13編のうち、6篇が小学生から送られてきたメッセージ。


世のお母様方、子供ちゃんの目線を知ってますか?
子供は見てます!お母さんの事を。
そして、めいっぱい感じています。
あんまり無理しないでねって。

子供たちの優しい視線の先に、お母さん達がいる事を、もう一度知って欲しい。

私も、送られてきたメッセージで気付かせられた事ですドキドキ


心あったかくなりました〜



大木町の皆さん、今年もお世話になりました音譜




記念撮影ですラブラブ
 
来年もよろしくお願いしますニコニコ

お母さんへ

いつも私や弟のお世話をしてくれてありがとう。
ご飯を作ってくれたり、お買い物に連れて行ってくれたり、おそうじしてくれたり
お母さんは、いつも、私達のために、大いそがしですね。

朝早く起きなきゃいけない。
みんなのご飯を作らなきゃいけない。
家のそうじはやっておかなきゃいけない。

私や弟が学校へ行ったら
今度は、お母さんは仕事に行かなきゃいけない。

どれだけ、お母さんは大変なんだろうって、考えてみた。

それでも、お風呂の中で、私の話を聞いてくれて
お休みの日はいっしょに遊んでくれて。

夜遅くお父さんが帰ったら、今度はお父さんにご飯をあたためて出して、お茶わんあらってからねてる。

ぜったいにお母さんは、時間が足りていないと思う。

あんまり寝ていないんじゃないかな。
お母さん、病気にならないかな。

時々、広島のおばあちゃんちに車で行って、様子を見てくるけど、みんなの事、本当に考えているんだなぁと思う。


わたしの友達が遊びにきたら、おもしろい事をたくさん言ってわらわせてくれる。
いいお母さんでうらやましいって言ってくれる。
わたしのじまんのお母さん。

だからね、お願いなの。
お母さんも、テレビ見たり、
たまには、朝ごはんもなっとうご飯だけでいいし、
せんたくものをたたむのは、わたしの仕事にのこしてていいから
少し、休んでください。


学校で、命のろうどく会を聞いて
11歳でなくなった女の子の話や
お父さんがなくなった話が心に残っています。
なんで、元気だった人が死んでしまったんだろうって考えました。

そして、それは、だれにも分からないんだと初めて知りました。
どんなに元気な人でも死んでしまうことがあるんだって。

それから、わたしは友達と今日もいっしょに遊べてよかったぁと思えるようになりました。

そして、お母さんが死んでしまったらどうなるのかなと思って、友達とも話しました。
それは、悲しいというだけじゃないよ。
わたしは、こわいです。
お母さんは、いつまでもいっしょにいてもらいたい人です。

ご飯を作ってくれるからじゃないよ。
遊んでくれるからじゃないよ。

だいすきだからです。

わたしは、お母さんみたいな、お母さんになりたいです。
お母さんにもらったたったひとつの命だから。



ワンライフプロジェクトさんへ
命の朗読会に来てくださりありがとうございました。
なみだががまんできなくて、泣いてしまいました。
また来年も来てください。
そして、心のプレゼントをもってきてください。
よろしくおねがいします。


私は最近『命』ということについて とても深く考えるようになりました。

 

それは今年の5月に第一子を出産したことにつながっております。

出産といっても私ん出産は普通の出産とは違っておりました。

予定日の8月28日には3ヶ月も早い5月22日に 538gの長女を出産したのです。

 

彼女を妊娠したのは なかなか子宝に恵まれず不妊治療を始めて授かったとても大切なひとつの命でした。

 

妊娠がわかった時から大切に大切にお腹の中の子供のことを思う日々が始まりました。

エコーで初めて2mmの心臓がピコピコ動く様子を見て涙をし、二週間後のエコーでは なんとなく人間の形になって手足を動かす姿を見て、言いようのない感動を味わい 初めて胎動を感じた日は確かに私のお腹の中でひとつの命が成長しているのだと実感した日でした。

 

毎日毎日が嬉しくお腹に語りかける日々でした。

 

  順調にいっていると思っていたある日、なんとなく胎動が少ないなと思い 念のため病院で診てもらおうと思って診察を受けたら

「羊水が少ない危険な状態です。」と言われ即入院。

しかしまだ25週。

外に出るにはまだまだ早すぎて赤ちゃんにとってもしんどい状況なのはわかっていただけに 絶対に出産はまだしたくないと思っていました。

 

しかし主治医の先生から言われた言葉は、

「このままお腹の中にいたら、赤ちゃんはいずれお腹の中で命を落としてしまいます。出しても生きられる確率は半々。でも赤ちゃんが生きられるのなら、外に出してあげてそのチャンスを与えてあげたい。」と。

しかし、リスクは高く、半分は生きられないかもしれないし、助かったとしてもまたその半分は重い後遺症を残すかもしれない。

 

その選択をせまられたとき、本当にただただ涙を流すしかありませんでした。

 

でも主人と一緒に考え、

「赤ちゃんの生命力を信じよう。そして何がおこっても逃げずにむきあおう。」と決心し、26週目に、たった538gを出産したのです。

 

最初の出会いは、産声もなく、サーファクタントという薬を使って、肺を広げ、人工呼吸器をつけ、点滴でたくさんのチューブにつながれた娘の姿でした。

 

生きているというより生かされているという感じがして痛々しく、言いようのない自責の念にかられてしまい涙が止まりませんでした。

 

しかし、NICUの先生からは、

「お母さん、赤ちゃんにさわってあげて下さい。」と言っていただき、マッチ棒のような細い指をにぎりました。

 

そうすると、小さな赤ちゃんがしっかりと私の手をにぎり返してくれ、生きてるよ~と手足を動かして答えてくれたのです。

 

その瞬間、この子の命の重みがずっしりと私に伝わってきました。

 

たった538g。でも確実にこの子は生きてるのだと。

 

それからNICUの先生や看護婦さんが24時間ずっと見守り続けてくれました。

そして、たくさんの人たちの支えのおかげで、順調に成長し、4ヶ月半の入院生活の末、10月中旬に退院できるまでに大きくなりました。

 

本当にこの子からは生命の強さ、たくましさをもらい、勇気づけられたと思います。

 

    そして何よりも、あなたという一つの命を助けるために数え切れない人々が、手をさしのべ応援し、支えてくれたのだということを忘れることなく感謝の気持ちを忘れない子どもに育っていってほしいと思っています。

 

    「たった一つの命だから」の後に続く言葉は、言葉で表しきれないけれども、

     「たった一つの命だから、輝きつづけて」とおもっています。

 

    これから先の人生、つらいことがたくさんおこると思うし乗り越えなければならないこともたくさなると思います。

でも、「どうせ私なんて。」なんて絶対思ってほしくないのです。

 

一つの命を助けるため、守るためにたくさんの人が、祈り続けた日々のこと、決して忘れないでほしいと願っています。

 

    乱筆、乱文 申し訳ありません。

    どうか命の重みを、一人でも多くの方に伝えてください。

    自殺や他の命を軽視したりすることの多い世の中に、一人でも多く、この活動の思いが伝わる日が来ることを祈っております。

 

                                          

                                                        土田 祐子