【なう。のはなし】
台風接近の直前、保育園の夏祭り(保育士さんたちの手作り感満載)にいって来た長男。
同じ組の浴衣女子と手を繋いではしゃぎまわり、
帰りはレインコートでも手を繋ぎ、大満足で帰宅。
の後に、久々の発熱してます。
高熱→咳鼻の夏風邪が流行っているらしく、保育園でもらって来た様子。
4日目の本日も熱が上がったり下がったり。
食べたいものやしたいことを言葉で意思表示できるようになったのはいいのですが、
ここ2日間は「抱っこ抱っこ抱っこ抱っこ」のオンパレード。
抱っこしながらうどん茹でて、抱っこで食べさせ、抱っこで風呂に入り、抱っこで就寝。
今日もラッコ抱きで私のお腹の上で汗だくで昼寝。
目が覚めたら「キウイ食べる」と言うので、
「皮剥くから抱っこ降りて」というと、
「やーだ!抱っこのまま剥いて!」だって。
あんた、3kgの新生児ちゃうで。13kgの幼児やで。
というツッコミをぐっとこらえ、赤い顔のでっかい赤ちゃんをもう少し甘やかす日々。
夏風邪、皆様もお気をつけください。
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陽子線までの話に戻ります。
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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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●筑波大外来受診
眼動注手術からの退院翌日、2017年5月1日。
眼球温存のための陽子線治療を検討してくれるという
筑波大病院の外来を受診しました。
対応してくださったのは、小児科のN先生、のちに筑波の主治医になる先生です。
それから放射線腫瘍科のS先生。
実際の陽子線の担当医の先生は別の方になります。
筑波大は小児の陽子線治療の実績が豊富と聞いています。
実際、入院時も東北や関西、四国からも小児がんの子供が陽子線照射に来ていました。
さらに、陽子線治療は国内では保険適用外で、成人患者が受ける場合には、約300万円が掛かります。
しかし、小児に関しては放射線による副作用や後遺症の影響が成人に比べて大きいということで、
2016年3月から保険適用になっていました。
とても正直な話。
眼球摘出が最善と言われていて、陽子線を300万円でやりますか、と問われていたら。
その分を将来の長男の何かの資金に充てるということも考えたかもしれない。
払ってもやっていたかもしれないけど。
妊娠時代から遺伝がわかっており、出産後はすぐ治療が始まったので、
長男は保険要素のあるものには一切入れませんでした。
貯蓄代わりの学資保険も、医療系の特約は、怪我の保障だけでも、と進言しましたが全部断られました。
将来、既往のない子が受けられるもので長男がうけられないものはたくさんあり、
平凡な共働き家庭に、300万円は安くはありません。
そういう意味でも、タイミングに助けられたなあと感謝しています。
この日は外来で問診のみ。
夫は仕事で、私の母が付いて来てくれていましたが、
診察室には私と長男のみで入りました。
私の遺伝であること、これまでの治療の経過、
つい10日前までは摘出を想定していたこと、
陽子線を検討するに至った経緯。
「親のエゴかもしれません。間違った選択かもしれませんが、どうしても、諦めることができませんでした」
そう伝えた記憶があります。
先生たちからも丁寧な説明を受けました。
小児への(眼への)陽子線の照射量は40〜50Gy程度と、放射線(X線)と変わらないこと。
照射範囲を厳密に計測して当てるために、計算に2週間ほどかかること。
そして、海外での眼球温存のための陽子線照射と違い、眼球の固定ができないこと。
このリスクについては、
おそらく、国がんの眼科主治医と筑波の主治医との間で
MRI画像の受け渡しとともにやり取りがあったと思います。
両者からの説明を総合すると、
今、標的とすべき腫瘍は、黄斑付近から視神経に伸びており、放置すれば浸潤の懸念がある。
実際に浸潤しているかは摘出しない限りわからない。
本来、腫瘍部分にのみピンポイントで照射する陽子線を、
当てたいところより、さらに深い部分(視神経側に)まで範囲を広げて照射する。
眼球を固定しないことにより、眼振などで眼が動いたとしても、
視神経部分はほとんど動かないはずなので、
照射で十分フォローは可能と思われる。
というものでした。
例えるなら。
ビー玉を片手に持ち、グーで握りしめるとする。
その手首を反対の手で軽く掴み固定する。
グーが眼球、ビー玉は黄斑部
(黄斑は実際には網膜の一部であり、ポコっと独立したものではありません。あくまでいちのたとえ)
固定された手首から肘にかけてが視神経です。
グーは動かせる、これが眼振。
つられて中のビー玉も手首も動くけど、
眼球自体はそもそも眼窩の中でしか可動範囲がないので、
黄斑部は眼の表面よりも動きは少なく、視神経に至っては基本的に位置は変わらない。
そういう説明と受け止めています。
眼振によるズレと、万が一浸潤していたらの予防で、
本来より照射部位を広げた照射を行う。
なおかつ、水晶体に当たってしまうと白内障のリスクが高まるので、
眼の前側(水晶体は眼球の表面側にあります)は極力最小限に、という説明も受けました。
それらを踏まえて、照射をするならお引き受けします。
陽子線開始は最短で5月22日からで、照射回数は30回前後。
通いではなく基本入院になること、
その前にCTや心電図などの検査で一泊入院が必要、
とのことでした。
よろしくお願いします。
と、頭を下げました。
●病院間ギャップ
検査入院の予約をして、
事務の方に小児病棟まで案内して頂き、
看護師長さんが、病棟を案内してくださいました。
国がんは基本大部屋で親は24時間付き添いですが、
筑波は個室以外で、年齢の低い子たちが泊まる大部屋は基本完全看護。
(就学児用の部屋の運用は違った気がしますが、覚えていない)
面会は24時間可能ですが、親が付き添いという形で泊まることはできない、と言われました。
付き添える部屋も原則付き添いは女性のみ、という説明も受けました。
長期入院の場合は近くのウィークリーマンションなどを借りるか、
1ヶ月程度の短期間なら、病院が簡易休憩室として、別の棟の部屋を使わせてくれる、ということでした。
これまで、国がんでしか入院生活を送ったことがなく、
説明を聞いただけで、様々なギャップに驚きました(笑)
子供が食事を摂る談話室では、親も買ってきたものなら持ち込み可能で、一緒に食べられるということ。
子供の食事は量を管理しているので勝手に食べたり(笑)捨てたりしないこと。
面会は2人まで(親か祖父母までだった気がします)。
それ以上はプレイルーム横にガラスで隔てた面会室があり、顔を見るだけなら可能なこと。
付き添い生活ではないので、入浴は一緒には入れず、
子供を入れるときはゴムエプロンに長靴でシャワー。
親は必要なら別棟のシャワー室を予約して使うこと。
保育士さんが日中常駐しており、未就学児は保育の時間まであること。
などなど。
こんなに違うのか、と驚きの連続。
国がんはいわゆる小児科というよりは、大人の専門病院に子供が間借りしている感覚だったので、
実際入院した後も、治療の面でも生活の面でも
「小児科ってこんなにきめ細かいのか」
と感心してばかりでした。
●初?節句
GW明けに検査入院が決まった後。
1ヶ月半、病みに病んで寝ても覚めても考えていたことが、
想定外の方向に進んでしまったことで、
「道はあったんだ」という思いと、
「間違った道に踏み込んだのではないか」という不安を抱えつつも、
ほんの束の間、不思議な平穏の日々が続きました。
生まれて約1ヶ月後の初節句は、
VEC治療の合間にCVが抜けて突然外泊出来ることになり、
実家でただただ家族3人で過ごして終わっていたため、
1歳1ヶ月になった2017年が事実上の初節句となりました。
祖父母が贈ってくれた兜を飾り、
両家の祖父母を呼んで近くの料亭で食事。
治療方針が決まった以降に慌てて予約をしてなんとかできたもので、
それまでは、両家の親に会うことすら出来ない状態でした。
身体の発達はのんびりな方で、
生後10ヶ月頃にようやく自力でつかまり立ち→伝い歩きを始めた長男。
1歳1ヶ月のこの頃は、手を繋いでいるとよちよち歩きが出来るけど、一人で歩くのは1歩か2歩。
座った姿勢から何にも捕まらずに立ち上がるのはまだできない、くらいの頃でした。
一方で歯が生えるのが早かったため、食事は離乳食後期から完了期に足を突っ込んでいました。
この2ヶ月後、筑波での治療生活を終えた7月頭には、
よちよちながら走り回り、大人のとりわけをもぐもぐ食べ、かぎりなく幼児に近い乳児に進化します。
そんな発達の過渡期でもあり、
治療の過程で考えされられたことが多くあり、
様々な出会いがあった場所でもあり、
筑波での治療の日々は
私にとって感慨深いものになっています。