大変ご無沙汰しております。(誰に向けてかよく分からないけど丁寧にあいさつ)

 

ブログって向いてないと気がついた2020年末より早半年。

とはいえ、節々で振り返るとき、手帳をあさるよりこのブログを探した方がきちんと書いてあったりして、

ずっと書きたいことが積み上がっています。

 

これ、昔からの私の悪い癖で。

「あのときやりたかったこと」を積み上げて引きずりながら生きてきました。

(ぶっちゃけよくよく調べたらADHDとかそういう類に引っかかる気がするのですが)

 

 

コロナ禍での出産からまもなく1年ですが、相変わらず世界はコロコロしており、

両実家にもほぼ対面せず、遠出せず、

出かけるといっても、保育園送迎とスーパーと公園と図書館、時々児童館くらい。

もっぱら話す相手は、喃語の赤子、おしゃくそ坊主(口が悪いのは私似)、口べたの夫。

仕事といえば、家事育児家事育児家事育児、の代わり映えしない日々。

 

 

という環境下でおおむね1年超過ごしてしまいました。

そして、長男治療中の暗黒時代(摘出か放射線か悩んでいたころ)とはまた違う、

うすぼんやり灰色の雲に覆われた、どよーんとした気分で、最近を過ごしてしまっていま、した。


生活にメリハリがない事が最大の要因だと思うのですが、

もともと苦手なマルチタスクが本当にこなせなくなり、このままじゃまずいなと思っています。

 

 

これまで仕事中の昼休みや、長男が寝た後にこなしていたあれこれですが、

長女の夜泣きや授乳で中断され、じっくり腰を据えて作業ができず、

あれを手に付けてはこっちをやって、合間に家事や片付けを…としている内に

なにも終わらない!もう寝る!と全部放り投げるという絵にかいたようなダメ人間に。

家にいて時間はたっぷりあるはずなのに。

 

しかも、社会からの刺激や情報源が少ないため、スマホ依存気味になり、

見なきゃいいのに、闘病ブログやがんのブログを見ては、

実際自分自身や家族には何も起きていないのに、不安に駆り立てられ、

「自分はいつ二次がんになって死んでしまうんだろう」

「今は元気だけど長男に二次がんがみつかったらどうしよう」と考えて苦しくなる、みたいな

まったくもって不毛な時間の使い方をしている時期もありました。

 

 

コロナのせいにするのは簡単ですが、

「せっかく余裕ある今の時間を有意義に使わなくては」という焦りだけが募るので、

積みあがったタスクをできるものから1つ1つ片づけていこうと思っています。

本当に積みあがっているので、「洗濯物たたむ!」とかそのレベルからw

 

ブログも、やっぱり私の中には記録したいという欲求があって。

少しずつ再スタートしたいと思います。

 

 

そして、長男は今年春、5歳の誕生日を迎えました!!!!

 

保育園の先生に、

「来週5歳なんです!」

「明日5歳なんです!」

「5歳になったんです!」

と、ちょっとアレなテンションで報告してしまって反省しています。

 

今の保育園は長男の闘病を書類上でしか知らないため、

「お、おぅ、早生まれ乙」くらいの受け止めをされてる(笑)と思うんですが。

 

Rbの再発の可能性が低減する1つの目安、と言われることの多い5歳。

ひとまず、経過観察になってから目指していた年齢だったので、感慨深かったです。

 

このブログを始めたのは長男が1歳半の頃、

右目の陽子線が終わったとたん再発した左目の治療中でした。

それから、長男の視力のこと、患者会のことや、2人目のことなど、気づけば目まぐるしく過ごしてきたなぁと。
 
長男の生活も、家族の環境も、対外的な課題も、
コロナ禍を経て次のフェーズに入っているなぁと感じているので、
だらだら引きこもっている間に蓄えた脂肪エネルギーをアウトプットしたいです。
 
 
まもなく1歳になる長女は、まるまるむちむち成長しています。
生後半年でつかまり立ちしながらスクワットを始め、
生後10カ月で満を持して歩き出し、
電車や車を強奪してかじっては兄を泣かせ、
くしゃくしゃの笑顔で肋骨の上にダイブしてくる典型的おてんば妹に育ちつつあります。
でも一番キャッキャ笑うのは長男と謎の遊びをしている時で、それが今は一番癒やされる瞬間です。
きょうだいができてよかったなぁと。
 
(妹の貫禄よ)
 
 

年長となった長男は、就学相談が始まっています。

就学先、視力との付き合い方、器具や用具の使い方、本人への告知等、今年度はいろいろ課題があり、そのことについても記録していきたいなぁ。

また、第二子を越えて第三子(PGT-M/Aで正常胚だった2つのうちの残り1つ)問題もくすぶっており、
それについてもこれから決めなくてはいけない時期にきています。
 
 
 
ついでに。
どうしてこうやって記録をしたいか考えたんだけど。
 
やはり、「私がもし、子ども達の成人を待たずに死んだとして」を想定している気がします。
これは別にコロナ自粛で病んだとかではなく、おそらく最初にブログを始めた頃からうっすらとあった感情です。
ブログを始めた当時は同じ病気の情報交換という意味のほうが強かったんだけど。
 
RBのブログは、私含め、患者が経過観察になり落ち着くと、更新の頻度が下がります。
それは、それぞれ状況は違うものの症状が固定され、日常生活が過ごせている証拠で、
とてもいいことなんだと思います。
 
病気だからって四六時中そのことを考えなきゃいけないって息苦しいし、
手放しで忘れて過ごせる日々が多いほど、幸せなはず。
でも、いざ、再び病気と向きあわなくてはならなくなったとき、
記録や記憶は武器になるし、同じ経験や病気を体験した患者や家族、主治医は
とんでもなく強い味方になるはず。
 
もし、長男や長女が病気のことを受け止められる年齢になる前に
(そんなこと微塵も望んでいないけれど)私がこれまでのことを語れない状況になったとき、
ブログが手がかりの1つになればいいなぁと思います。
 
人生のリブート宣言をしてしまったので(笑)
それが軌道に乗ったら、Rbと関係ない話もただの趣味ブログとして書きたいなぁ。
やりたいことがまた1つ積み上がりました、死ぬ前に終わらせなきゃ。
 
 
 
 
そんなこと言っている奴ほど長生きするんですよね、大概。