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3、長男の治療経過
これまでの過程はこちら
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●検査入院
2017年5月のGW明け。
検査のために初めて筑波大に入院。
外来受診した5月1日の翌日に役所に行き、
小児慢性特定疾病の指定病院の追加をしてもらう手続きをしました。
小児慢性は登録した病院でしか適用されないため、受診病院が増えると都度手続きが必要です。
認定までは長くて数ヶ月かかりますが、申請中の場合は申込書が証明書の代わりとなり、
すぐに国の助成を受けられます。
検査入院のために入った病棟は、
前回外来で案内された新棟の小児病棟ではなく、大人の方も入院している旧棟の一室。
そのため、国がんと同じように隣に簡易ベッドを置いて付き添い入院でした。
CTと心電図など、一通りの検査と、照射のためのマスクの型取りをしたと思います。
これで、照射部位の詳細な計算が終わったら、やっと陽子線に進める。
と、思ったのですが。
そうはいかなかった。
この頃つけていた日記、この2日間は白紙で、記憶はおぼろげです。
夕方、主治医のN先生に、
「お話があります」
と声をかけられました。
小児科では、改まった詳しい説明を受けていなかったので、それかなぁと思ったのですが、先生から出たのは意外な言葉でした。
●振り出しに戻る
「院内のカンファレンスで、陽子線照射を本当にしていいのか、という声が出ている」と。
万が一、視神経に浸潤していた場合。
そして、さらに万万が一、それが陽子線照射の範囲から外にあった場合、
照射中に浸潤が進んで、手遅れになる可能性があるのではないか。
その危険性がある限り、陽子線を行うのは最善と言えるのか。摘出を選ぶべきだ。
N先生から言われたのはこういった内容でした。
本当のところ、それを聞かされた時は、「え?今更?」とも思いました。
網膜の腫瘍は手術でそこだけ取り除く方法はなく、浸潤の可否は眼球ごと摘出しないとわからない。
それは、放射線(=X線)と摘出を天秤にかけている時点で散々悩んだ話で、
それでも温存を選ぶと決めた過程を経て、図らずも陽子線照射の方向で動き出したのに、
またその話に戻るの?という心境でした。
ここからは完全な推測です。
これまでがんセンターから筑波に転院して陽子線を受けたのは、
私が知る限りでは、摘出後の眼窩再発のための照射例のみでした。
海外で行われている眼球固定をせずに、眼球温存のため陽子線を照射するのは、国内にほとんど前例がないとされる方法。
(国がんの先生によると、1980年代に1例ある、と教えてもらいました。
その頃の陽子線治療の実状やその患者の詳細は不明です)
セオリーに従うのであれば医者のほとんどが摘出を勧めるであろう事例だと思います。
大学病院の中でも、長男のような場合の事例を引き受けるか、意見は二分していたんだと思います。
こちらにしてみたら、一度大丈夫と医師に言われたことが、
1週間で「やはり無理だ」とひっくり返ったことに面食らっていました。
今思えば。
その、病院の意見の変更が、
RBを専門にしている国がんの主治医の見解を覆すほどの、例えば放射線科の専門家などによる医学的所見を踏まえてのものなのか、
ただ単に、選択肢の中で摘出が最善という意見の多数決によるものなのか、
その根拠がわからなかったため、パニックになったんだと思います。
半分呆然としていた私に、
N先生から、ひとまず、夫も呼ぶようにと言われ、仕事中の夫に電話。
入院した日の夜20時半ごろに、仕事を無理矢理切り上げて夫が来てくれました。
その後、再びN先生と担当医数人を交えて同じ説明を受けました。
さらに。
「過去、網膜芽細胞腫で、同じように陽子線を照射した例があった」
「その例は、視神経浸潤しており、照射期間中に脳に転移して、最終的に亡くなった」
「そういう事態になることを恐れている」
という事例についても説明されました。
ん?と、再び疑問とパニック。
それは眼窩照射ではなく、本当に眼球温存治療での陽子線なのか?
とすれば、近年では国内で温存のための照射例はないという国がんの主治医の話は?
陽子線の照射部位から逸れていたとしても、そんなにあっという間に浸潤が進むもの?
かなり混乱しました。疑問に思ったことを質問したとも思いますが、答えがどうだったか記憶は曖昧です。
そしてやはり、
「命の危険と眼球を天秤にかけてまで、温存にこだわる必要があるのか」
という降り出しに戻る私と夫。
時間は22時半になっていました。
何事もなかったようにスヤスヤ眠る長男を抱っこ紐に入れたまま、
消灯後の薄暗い廊下で、夫と泣きながら話し合いました。
私たちは間違った選択をしたのか。
4月末に摘出手術をするべきだったのか。
こうしている間にも、穏やかに眠る長男の目の奥で、
腫瘍はじわじわ長男の体を侵食しているのではないか。
やはり、第3の道なんてなかったのかな。
全ては振り出しに戻り、ただ時間が経過しただけ。
ひとまず、夫は終電で帰り。
N先生には、
「もう一度国がんの先生と相談して決めてください。照射を選ぶというのであれば引き受けます」
と言われました。
退院の翌日、再び国がんの外来の予約を入れました。
この、2017年4月から5月にかけ、何度外来に行ったんだろう。
アメリカの文献では、1歳以下の子供への放射線(X線)照射に関しては、二次がんなどのリスクがより高まるため推奨しないという報告もあります。
国がんの主治医もそのスタンスでした。
(放射線照射の年齢は関係ないという報告もあるらしい)
長男は、生後すぐからの化学療法と局所治療だけでは経過観察にはこぎつけられませんでしたが、
結果、1年間は腫瘍を抑制できたことで1歳を過ぎ、
(本当にギリギリの年齢でしたが)放射線が選択肢に入りました。
そして、もし、2017年2月に東京に異動になっていなければ、
国がんの外来も筑波での診察もここまで機動的には受けられなかった。
温存という選択肢を諦めていたかもしれません。
自分たちがした選択が「正しかった」かは、わかりません。
でも、いろんな巡り合わせが重なって、
ある意味偶然で選べるようになった道なんだなぁと、これを綴りながら思います。